7 ダンジョンのエルメス
今回は短いです。
ダンジョン。それは魔素の吹き溜まりが、一定量の魔素密度を超え、さらになんらかのきっかけと共に誕生するものである。
そこに神の恩恵はなく、おおよそ魔物が蔓延っている。人間にとっての危険地区である。
発見すればすぐに主を倒して破壊することが推奨されるが、各種の条件を満たした場合、時折中の魔物を間引きした上で、観察調査の対象となることもある。
だが今回の場合は、間違いなく破壊すべきである。
ワールの街はパガン王国でも五指に入る大都市であり、人口は20万を超える。
そしてその大都市の人口を賄うために、周辺には多くの食料供給地がある。つまり村があるのだ。川や海の流通もあるが、やはり周辺に穀倉地は必要である。
都市と違って村の防衛は、せいぜいが野獣やゴブリンを想定して行われる。
そんなところにダンジョン産の魔物が流れてきては、一匹でも村の壊滅の危機である。
だから今回、ダンジョンを発見したエルメスたちは、すぐにギルドに報告するべきであった。
全ては研究者の魂を優先させたエルメスの責任である。
「なんか、普通の洞窟っぽくね?」
「あ、灯りの準備どうする? 野営用の松明使うか?」
入り口でリックたちがドキドキダンジョン探索の話し合いをしている内に、エルメスはさっさと内部に入り、周囲に光源を生み出した。
「行こうか」
「あれ? エルメスさん、灯りの魔術ってずっと使ってて大丈夫なんですか?」
灯りの魔術自体があることは、リックたちも知っている。だが周囲の暗闇を一掃するような移動する灯りというのは、ちょっと違うと思うのだ。
「ああ、俺の自然回復量以下で使えるから」
「へ~」
歴史上の大魔術師がダッシュで殴りかかるレベルのことを言っているのだが、幸いこの中でその異常さに言及する者はいない。
「そもそも俺は、魔境ではずっと複数の探知魔術使ってるだろ?」
「あ、そういやそうっすね」
そこで納得するのか。無知とは恐ろしい。
ダンジョンの中は洞窟そのもので、岩が露出している。
しっとりとじめじめしていて、足が滑りそうだ。
「すねあ!」
「え、エルメスさん、突然なんですか?」
「言ってみただけ」
「は?」
異世界間の文化の違いを感じながら、エルメスはあっさりとこの階のダンジョンをマッピングし終わっていた。
そういう魔術があるのだ。もちろん開発者はエルメスだが、実は似たような魔術は元々ある。
「魔物と戦う時は、足元に気をつけた方がいいっぽいすね」
「あ~、魔物な~」
エルメスの魔術によると、このダンジョンの全貌までは分からない。
だが上層部だけでもそれなりの魔物が多く、リックたちだけでは一体を相手するのがやっとであろう。
もちろんエルメスが一緒なら問題ない。
「けっこういるから、避けつつ調べていくか」
「どこまで調べるつもりですか?」
「そうだな~」
リックの問いは魔物の脅威を念頭に置いてのものであったが、エルメスは違うことを考えていた。
本来なら、明日までの調査を予定していた。
だが本来の範囲は、今日で調査し終えていた。
だから今日一杯はダンジョンの調査に費やしても構わないだろうと思ってしまった。
「とりあえず、危ない魔物を探知したらすぐに逃げる」
エルメスは冷静である。
人間が文明を興し、暗く深い森や、果てしなく青い海を征服しだしてから、かなりの歴史が流れている。
それでも単体で一国を破滅させてしまうような自然現象や、魔物の群れは存在している。
その最たるものは、エルフの思念から誕生した精霊王や、古き霊長種ドラゴンである。
だがダンジョンの主としては、そこまで強大なものはなかった。
エルメスは記録に残る竜の戦闘を調べて、自分だったらどう戦うかを検討したことがある。
学生時代の話だ。思えば本流の研究とは全く無関係なことをしたものだ。
出した結論は、勝てないから逃げよう、というものだ。
竜というのは砲撃の連発という物理攻撃も効果はなく、マグマの中や竜巻の中心でも生き残る超生命体である。成層圏でも平気で生存可能だそうな。
精霊王は所謂神だ。エルフだけではなく多く農民に信仰されている。明確な物ではないが自我を持ち、エルフたちに力を与える存在だ。
少なくともこの存在とは絶対に戦わないと決めているエルメスだが、恐れるべき存在は他にもある。
それは人間と、人間の作り出したこの社会だ。
スキルが存在するのは、百歩譲って認めよう。それを看破する鑑定魔術の存在もあっていい。
だがスキルを前提にして社会制度を作るのは許さん。
神が許し民衆が許しても、エルメスは許さない。
いつか必ず、なんとか必ず、このシステムを破壊してやる。
ダンジョンを進みながら、エルメスは暗い情念に囚われていた。
もっともそれは人間性の発露という点では、非常に健全なものでもあった。
「なんかエルメスさん、口数少ないっすね」
「一応集中してるからな」
誰も侵入したことのないダンジョンなど、さすがのエルメスも未経験である。
そんなエルメスであるから、それには真っ先に気が付いた。
「ん」
「なんですか?」
「いや、なんでもない」
嘘である。
エルメスはダンジョンの入り口が閉ざされたのに気付いた。
まあ問題はない。いざとなればダンジョンを破壊して脱出すればいいのだ。
……破壊出来るのだろうか?
エルメスは試しに洞窟の壁に触れてみた。
魔素が物質化しかけて強度は上がっているが、壊せなくはなさそうだ。
魔境であるから地盤沈下などが起こっても、文句を言う人間はいない。
つまりこのまま進めということだ。
それにしてもダンジョンの入り口が閉まるというのはどういうことなのか。
エルメスもダンジョンについてはある程度知っているが、そんな例があったとは聞いていない。
つまりこれは世界初の出来事であり、エルメスが調べるべき世界の神秘にまつわることだ。
エルメスは地位や名誉には興味がない。
ただ、人並の生活がしたいだけだ。
しかしそのためになら、いくらでも外道になれるだろうし、他人の迷惑もあまり考えない。
エルメスは自分の不遇をスキルだけのせいにするが、かなり性格が無頓着なのも原因である。
それに本人が気付かないというのはお約束だ。
そして一度の戦闘もないまま、階段を見つけた。
「ダンジョンって生まれたばかりだとこうなんだっけ?」
リックが不思議そうな顔をしているが、この中でダンジョンの正確な知識のあるのはエルメスだけである。
「生まれることに力を使いすぎて、魔物がいないとか」
メデスが口を開く。ドワーフは洞窟に棲んだりすることもあるので、まだ平民の人間よりは詳しいのかもしてない。
まあメデスの場合はドワーフの血が薄いので、単に本人がそう思っただけなのだが。
「魔物はいないわけじゃないぞ。避けて進んできただけで」
エルメスはここでさすがに立ち止まった。
このまま進んでも、エルメスの探知では三階までは把握出来ている。
そしてこのダンジョンは三階で終わりだ。
距離的に考えても、このまま攻略出来そうな気はする。
主の存在まで探知出来ているが、それ自体は問題なく倒せそうだ。
「エルメスさん、さすがにもう帰らない?」
リックの腰が引けている。さすがは直感スキル持ちである。彼の力では倒せない敵がいることを、感覚的に悟っているのだ。
エルメスも魔物の強さが、魔境にいる普通の固体とは段違いだとは感じている。だが脅威ではない。
せっかくのダンジョンなのだ。しかも人の手が全く入っていない、新雪の大地。
この特性を調べたら世界を支配するシステムの一環に接触出来るかもしれない。
「俺はまだ大丈夫だと思う」
リックたちも大丈夫だとは言っていない。
「なんなら魔術の結界で、ここで待っておいてもらうことも出来るが」
「いや、それはない」
リックの否定は早い。
「エルメスさんの結界でも、ずっともつわけじゃないでしょ? 食料のこともあるし、こんなところで離れるのはおかしいよ」
なるほど、リックの直感スキルは、かなりの警鐘を鳴らしているらしい。
エルメスのそれはどうか? もしダンジョンの主にまで到達し、それに挑戦した場合、リックたちの存在はどうなるだろう。
肉壁か。
いや、真面目に考えよう。
足手まとい? 弾除け?
いや、もっと前向きに考えよう。
ダンジョンを発見した時、リックたちには帰ってもらって、自分一人で潜るべきだったろうか。
いや、そうだったらリックたちは当然ギルドに報告し、追加調査の手が入っただろう。
エルメス一人を放置して、街に帰るようなリックたちではない。
ならば自分はダンジョンの監視役として残り、こっそり一人で調べるべきだったろうか。
いや、それでもギルドに報告は行くし、エルメス一人が残っているとなれば、追加の調査は早く来ただろう。
そして勝手にダンジョンに入ったとしたら――別に法に違反してはいないはずだが、ダンジョンへの侵入に関する所謂ダンジョン法が変に解釈して適用されるかもしれない。
やはりダンジョンに潜るには、リックたちを連れて来る必要があった。
「リック、実はな」
エルメスは言いたくないが、後で言うともっと困ったことになりそうなので言った。
「ダンジョンの入り口が閉じてしまって、脱出出来なくなった」
かなりの恐慌状態になった。
「エルメスさん? エルメスさんはエルメスさんだから大丈夫なのかもしれないけど、俺たちは普通の冒険者なんですよ?」
加護持ちのリックが言っても、あまり説得力はないと思う。
「すまない。だが入り口が閉じたのは、今までのダンジョンにはなかった現象なんだ」
ダンジョンに意思があるとしたら、何を考えているのだろう。
オレサマ、オマエ、マルカジリ、とか?
「それでエルメスさんは、主を倒した方がいいと考えてるんですね?」
「ああ、三階で終わってるからな。魔物の強さから言っても、それほど凶悪なのはいないみたいだし」
安心のエルメス基準である。普通なら軍の出動案件だ。
リックたちは乾いた笑いを浮かべたが、この状況ではエルメスを信じるしかない。
それでも、それでもエルメスなら、きっとなんとかしてくれるとも思うのだ。
「なに、予備の食料も水もたくさんある。まだ慌てるような時間じゃない」
そんな説得のような屁理屈をこねられて、一行は三階で進むのであった。
次回、いよいよダンジョンの主との戦いか!?
「戦っちゃうエルメス」ご期待ください。