21 船底のマリンパーク
「どうやって?・・・どうやっても、こうやっても、ない。助けろよ。ここにいる人ばっかりじゃないんだぜ。沢山、いるんだ。助けなきゃいけない人が、沢山、いるだろう」
「・・・・と、言いますと?」
「戦争で死んだ、みんなだ」
「はあ?」
「ゼロ戦に乗ったまま、海中に沈んだお兄さん。いや、おじいさん。お父さんもいるだろう。それに、マリンスノーの海の底で、何千年も前から、みんなを待っている、あの、女の子、ハワイに行きたかった、あの家族」
自分は、ますます、わからなくなった。
「ノートを、読んだだろう?」
「ええ。ああ、女性が書いたらしいノートも、ありました」
「そうだ、助けるんだ」
サラリーマンが、続けて、力強く言った。
「それに、おまえは、海洋学者じゃないか」
「え?」
「もっと研究して、探検して、冒険して、発見しなきゃあ、駄目でしょうが」
「・・・・・?」
「そうだろう?宇宙から来た、海洋学者だろう。いや、まだ、ある、それから・・・・」
「それから?」
「それから、…・そうだ、あんたは、俺じゃあなかったか」
そう言って、サラリーマンは、体をひくつかせて、笑った。
「・・・・あなたが、私?」
自分は、気分が悪くなってきた。また、吐き気がしてきたのだ。
「すみません、トイレ、どこでしょうか。トイレ貸してください・・・」
自分が力なく言うと、さっきから黙って聞いていた、学生らしい長髪の男がそっと、立ち上がった。そして、自分の方に、音もなく歩み寄ってきた。
自分の後ろに回りこみ、ドアと自分の間に立ち、自分の手をひいて、トイレに導いた。背中の向こうで、また、きちがい、と言って忍び笑う声がした。
長髪の青年は、自分の手を柔らかく握り、引っ張った。カウンターを右にまわりこみ、突き当たりのドアを開けた。
「ここ」
長髪はそっけなく言い、プリーズ、とでも言う感じで掌を差し伸べた。
ありがとう、と、礼を言って中に入る。
洗面台があり、その奥に白いドア。開けると、洋式の便器があった。
自分は喉に指を突っ込んで、吐こうとした。しかし、いくらがんばっても、何も出てこなかった。胃液すらも。もう、体の中に、何も残っていないらしい。
しばらく便器に座って、呼吸を整えて、外に出た。
ドアが2つあった。
どちらが、あの店へのドアかわからなかった。右側だったと思い、ノブに手をかけた。しかし、開かなかった。
仕方なく、左のドアを開ける。扉の向こうには、急傾斜の、下り階段があった。
これはあの店への扉ではない・・・
店への扉に、鍵をかけたな…
店の中の連中が、自分をトイレに閉じ込めたのだ。嫌われているのだ。やっぱり。自分のことを、きちがいだと思っているのだ。もう帰ってほしくないのだろう。
自分はあのキッチン・バーへのドアを叩こうかと考えた。しかし、また、あそこで、嫌悪に満ちた目で見られるのはいやだった。
自分は首を横に振り、左側の、階段室のドアを開けた。
もう、何も考えていなかった。考えても、頭が混乱するばかりだ。店にいたサラリーマン風の男が言ったこと…
自分が殺人犯だとか、海洋学者だとか、その他もろもろ…。思い出しても、何が何だか、わけがわからない。
階段の部屋は、白い電球で照らされて明るかった。
転ばないように気をつけながら、その階段を下っていった。かなり長い階段だった。
・・・ やがて下のほうから、ゆらゆらするエメラルドグリーンの光が見えてきた。
階段の下に、大きな部屋があって、そこに、プールでもあるらしい。階段は、その大きな部屋の天井から床まで降りて続いていた。段を一つずつ降りるたびに、その部屋の構造が明らかになった。
そこは、円形の部屋だった。床が円形で、円形に沿って湾曲して立つ壁は、すべてガラス張りで、その向こうは、水で満たされている。
その水の向こうには、魚が回遊している。マグロやタイや、その他さまざまな漁類が、休みなく水の中を円形の水槽に沿って泳ぎ、ぐるぐる回っていた。
つまり、円形の回遊水槽に周りを囲まれた部屋だった。
階段を降りきって、あたりを見回し、茫然とつぶやいた。
「…これは。水族館じゃないか」
水族館だ。間違いない。船の底に水族館みたいな大回遊水槽があったのだ。
「ますます、おかしな船…」
自分は、そうつぶやいて、はっと思った。
頭の中に電光のようなものが閃いた。記憶が一つ、よみがえった。
「ここは、油壷マリンパークだ」
思わず声に出して言った。その名前には、確実な自信があった。
小学生の頃に違いない。そうだ、夏休みのことだ。大勢で、ここに来た。遠足?いや、違う。町内会のバス旅行。そうだ、そうに違いない。
町内会のバス旅行…。何とも懐かしい、切ない言葉に思えた。
そうだ、行った。自分は、行ったのだ。
「昭和44年」
次に、そんな言葉が、口をついて出た。昭和44年、といえば、1969年。そのころ、自分は、小学生で、こんな水槽がある、水族館に、バス旅行で来た…
・・・・・つづく




