1 朝。目覚めると、そこは、海!
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夢の奥底。金色の砂が堆積しているところよりも、さらに深い地層から、キイキイいう音がした。
目が開かない。瞼がはれぼったく重たくて、目が開きそうにない。
いや、そうではなくて、それよりも、まだ、目を開けたくない。起きたくなんかない。
朝が来たのだ…。
僕、いや、私、いや、自分は、またあの嫌な朝がやってきたのだと憂鬱な気持ちになった。
また、あの朝が来たに決まっているのだ。
キイキイいう音は、断続的に、大きくなって頭を切り刻んでくる。金属的な迷惑千万な音。
目覚し時計。それがどこかで鳴っているのだ。
自分は手を伸ばして、暗い中を探り、ボタンを押して、その音を止めようとした。
しかし探しても、なかなか見つからない。ますます嫌な気分。半分、眠りの沼に浸ったまま、自分の脳裏を考えが行き来した。
大体、自分は何をしてきたのだ。何かしてきたのか。もう残された時間は、あまりないんじゃないか。
それなのに、また、起きなくてはならない。起きて何するんだ。何故起きるんだ。なんでだっけ…?
…きっと月曜日の朝なのだ。
出勤だ。また混雑した変な暑苦しいバスと電車に乗って、変な事務所に出かけて行かなければならないんだ。
そうだ、あの仕事がまだだった、早く片づけなけりゃはならない。
ああ、その仕事もそうだ、しなくちゃならない。色々ある、どれもこれも、やらなくてはならなくて、どれもこれも、やりたくない、面白くない仕事ばかりだ。
目覚し時計の、厭世的な金属音は、ますます大きく、繰り返し脳髄を切りつけてきた。
手をいくら伸ばしても、その時計のボタンは見つからない。
仕方ない。起きるんだ。
フトンをのけて、立ち上がり、洗面所へ行って、顔を洗い、歯を磨いて、それから、ワイシャツ、ネクタイ、スーツ。
スーツのポケットに入れるものは、財布に名刺入れに、鍵。いつもの戸棚の上に、置いてあったな。
観念して、手を引っ込めた、その途端、目覚し時計が見つかった。
それは、自分の寝ている場所のすぐ横にあった。灯台もと暗し。
眠りから起きたくない灯台の脇腹の近くにあった。ひんやりと冷たい、合成樹脂の、かなり大きな球体だった。
こんな時計を、いつ買ったんだろう。自分は思いだせなかった。
六畳一間のコンクリートの部屋の中で一人暮らしをするうちに、自分が何を買ったのかも思い出せない、ボケた男になってしまったんだ。
自分は一人暮らしが長かったな…。今も一人暮らしか。
あれ、自分は独身だったっけ?
確かに独身は長かったが、結婚したはずしゃなかったか。子供もいたはずだ。
ということは、今は単身赴任か。単身でワンルームマンションに入って、似非独身者として、辛い月曜の出勤時間を迎えたというわけか。
自分は、まどろみながら、ボール型の時計を撫で回し、ボタンを見つけて押すと、キイキイいう音が止まった。
時計を手離すと、それはどこかへ転がっていった。
邪魔な音は消えた。もう少し寝ようか。
ああ、起きるのは嫌だ。朝寝は最高だ。具合が悪いといって会社に電話して、休もうか。
休めるかな。自分は、もう、あまり若くないんじゃなかったっけ。
カンタンに休めるほど、責任のない立場でもなかったんじゃないか。
しかし起きるのは嫌だ。体がだるい。昨日はひょっとして、酒を飲み過ぎたんじゃなかったっけ。
それで、こんなに、体が鉛みたいに重くて、頭が焼け爛れた水銀みたいになってるんじゃないかな。
自分で自分が、とても心配だ。暑い。なんだか、とても暑い。体中が火照ってるぜ。
こうした心の葛藤が延々と続いたのだ。
自分は何か嫌だった。今まで、何回も何回も遭遇した、朝寝の誘惑との戦いだった。
しかし体が火照ってた。いつもと違う感じがした。やっぱり今朝は異常なんだ。
そうだ、やっぱり会社に電話して、休もう。急病だ。そうに決まってる。電話、かけよう。
そう思って、目を開けた。
コンクリートの四角い棺桶みたいな部屋の、薄汚れた灰色の天井が見えるはずだった。
しかし、そこは、急に、青空だった。
「!!」
まぶしくて、目がつぶれそうになり、慌てて目を閉じた。頭の中が、全く、動転。
何だこれは。何がおこったんだ。
それから、ゆっくり、薄目を開けた。やはり大きな青空が見えた。
綿菓子に似た雲がいくつか見えて、ギラギラ輝く太陽も、もちろんあった。信じられないほど巨大な空だった・・・・
・・・・・・つづく