丸木橋 (万作と庄屋 4)
三日ほど降り続いていた雨も、この日の明け方にはすっかりやんでいました。
畑仕事の前。
万作がいつものように庄屋の屋敷に立ち寄ると、両手両足を縛られた庄屋が土間に横たわっていました。
「庄屋さん!」
かけ寄って、すぐに縄をほどいてやりました。
さいわいなことに庄屋にケガはなく、手足が自由になると自分で立ち上がりました。
「オマエを待っておったんだ」
庄屋が縄目の残る手首をさすります。
「いってえ、なにがあったんで?」
「男を一人、夕べ泊めてやったんじゃ。ところがソヤツがな……」
明け方近くのこと。
寝ているところをふいにおそわれ、あっという間に手足を縛られてしまった。どうすることもできず、万作が来るのを待っていたという。
「そんなことがあったんで」
「ソヤツは、はなから盗みを働くつもりだったんじゃろうな」
「そんで、なんか盗まれたんで?」
「わからん。ただ米蔵の方で、なにやら音がしておった。万作、行ってみるぞ」
米蔵を調べてみますと、米俵が四俵なくなっていることがわかりました。
「ということは馬もじゃ」
二人はさっそく馬小屋にも行ってみました。
案の定、一頭が消えていました。米俵を運ぶために盗人が連れていったのです。
「万作、こいつを見るんじゃ」
雨あがりの地面に馬の足跡が残っており、それは裏山の方へと向かっていました。
「夕べの雨で町境の川は渡れんはずや。それで裏山を通って……」
「そのようじゃな。だが馬は、米俵を四俵も背負っておる。まだソヤツも、そんなに遠くへは行けてはおらんじゃろう」
「ワシが取り返しに」
そう言うが早いか、万作は裏山に向かってかけ出していました。
「気をつけるんじゃぞー」
庄屋は叫んでから、すぐさま自分も万作のあとを追いました。
万作は馬の足跡をたどって盗人を追いました。
道が山の中に入ります。
この山道、途中に深い谷があり、丸木橋がかかっていました。盗人が逃げるには、その橋をかならず渡ることになります。
丸木橋に近づいたところで、馬のいななきが耳をかすめました。
万作は丸木橋まで走りました。
けれど、盗人と馬の姿は見あたりません。
今度はすぐ近く、谷川の方で鳴き声がしました。
――足をすべらせて、橋から落ちたにちがいねえ。
橋のたもとから、万作は身を乗り出して谷川をのぞきこみました。
――やっぱりや!
馬は川原で横になってもがいていました。
必死に起き上がろうとしますが、それを背にある米俵の重みがじゃまをしています。
馬の近くに男もいました。
男は谷川の流れに両足をつっこんで倒れており、気を失っているのか一寸たりとも動きません。
昨晩の大雨で水かさが増え、濁流はゴウゴウと音を立て滝のようです。あと少しでも川寄りに落ちていたなら、男はおそらく流れに呑みこまれていたにちがいありません。
――こいつが折れたんで。
万作は丸木橋を見て思いました。
橋は三本の杉の丸木を寄せてかけられていたのですが、そのうちの端の一本が、橋の真ん中あたりで折れていました。
この橋の丸木は、これまで一度たりとも折れたことはありませんでした。米俵四俵と馬の重みにもちこたえられなかったのです。
万作は男を助けようと、土手の斜面を伝い川原へとかけ下りました。
男が盗人であることも忘れ……。
男はひたいから血を流していました。
「おい、だいじょうぶか?」
肩を強くゆすってみるも、男の意識はもどりませんでした。
万作はとりあえず男を抱いて、流れから離れた場所に移してやりました。
続いて馬の背から米俵を降ろします。
馬は無傷のようで、身軽になると自分の足で立ち上がりました。
それからすぐに庄屋の呼び声がしました。
「おーい、万作ー」
「ここやー、庄屋さーん、橋の下やー」
万作は声で居場所を教えました。
それからすぐに庄屋がやってきて、丸木橋の上から男を指さして叫びます。
「おー、そやつが夕べの男じゃ!」
二人の声で気がついたのか、男は立ち上がると一目散に谷川に入り濁流を渡り始めました。
手前には万作、橋の上には庄屋がいます。それで対岸に逃げようとしているのです。
「あぶねえぞー、止まるんやー」
万作が男の背に向かって叫びました。
男は止まりませんでした。濁流に押し流されそうになるのを必死にこらえながら歩き進みます。
「もどれー、流されるぞー」
橋の上から庄屋も大声で引き止めます。
男は足を止めませんでした。ふり返りもせず、濁流の中をやみくもに前へ前へと進みます。
谷川の中ほど。
男はすでに腰のあたりまでつかっていました。
「もどってくるんやー」
万作があらんかぎりの声で叫びます。
ですが男はなおも濁流にさからい、対岸へと向かって流れの中をつき進みました。
それは一瞬でした。
男は濁流に呑みこまれ、あっという間に下流に流されていきました。
万作は男を追って川原をかけ下りました。
しかし石あり岩ありで、思うように進むことができません。途中からは、男を目で追うしかありませんでした。
男はいっとき濁流に浮き沈みしていましたが、やがてその姿は川面から消えていきました。
帰り道。
馬の手綱を引く万作は、疲れている馬の歩みに合わせるように歩いていました。
「夕べ、大雨さへ降らなきゃ」
万作はうらめしそうに曇り空を見上げました。
「雨はいつでも降るとしたものじゃ」
庄屋も空を見上げます。
「あん丸木さえ折れてなきゃあ」
「折れたものはしかたあるまい」
「けど、庄屋さん。ワシが追ったばかりに、あん男は逃げようとして」
人のいい万作。
男が盗人にもかかわらず、あとを追ったことさえ悔やんでいます。
そんな万作に、
「のう、万作や」
庄屋は返すように言いさとしました。
「物事にはすべて終わりというものがある。そしてそれには、その始まりというものもあるんじゃ。つまりあの男はな、盗みをしたがためにあのようなことになったのじゃ」
いつしか……。
手綱を持つ万作を引くように、馬は二人の前を歩いていました。
その後。
男がどこかに逃げたのか、あのまま死んでしまったかはわかりません。