偽善者マジうざいって件について
偽善者問題について言いたい。
死刑問題のように、これは答えが明瞭に出ないが、答えを言おう。
偽善者は居るし、善者も居る、
そして善者は、それを評価する人間が居るだけで、本質的には価値が無い。
所詮、人間など価値観に縛られている、根本的な善良さなんて持っていない事を自覚するべきだ。
そう、所詮は堕胎しても罪に問われない、価値が無いと人間の価値観で判断するなら、どこまでも冷酷になれるのだから。
さて、俺は弱者の癖に、善人ぶっている奴が嫌いだ、嘘吐きだからだ。
二流以下の奴は、毎日救いようが無いレベルで詰らなく、下らなく、しょうもない人生を送っているはずだ、
そんな中で、高潔な精神を保てるはずがないというのに、己が価値ある善良さに溢れた存在だと主張しているからだ。
まあ、だからといって、露骨に悪人ぶるのもどうかと思うが、だからといって偽善者を気取って、
「やらない善より、やる偽善」とか言って、弱者に施しをして、好い気になっている偽善者の弱者も醜悪で嫌いだ。
どちらにも等価に価値が無いからだ。
所詮は弱者、自分は施しをしているからって理由で、その他の面で害悪をばら撒く下種でしかないのだからな。
善者を名乗るなら、一流の人間であって、然るべきだろう。
世界に対して、絶対的にプラスの存在である事、それが善なる者の、最低条件だと、俺は思うのだ。
だからといって、善者に価値があるとも、俺は思わん。
所詮人間なぞ、薄汚い肉の塊でしか無いわけだからな、
涎が出て止まらないほど魅力的な異性に巡り合って、見つけて、欲してしまえば、無上に冷酷になる下種な知的生命体なのだ。
それをまずは自覚してから、善を考えろと、考えなしの馬鹿どもには俺は言ってやりたい。
俺が考えるべきだと思うのは、善良さに殉じたいと思わせるのような、大衆的な文化の形成、
あるいは、人間の良心を頑なに信じたいと思わせる、世界の在り方についてだ。
そういう見方をすれば、この日本という、大国にして核兵器を持たず、戦争をトラウマとして持つ、
擬人化すれば聖女のような国家は、そういう世界の在り方に貢献している、誇りやプライドの持てる場所だと思っていたりする。