藤本 梓という太陽
「20分時間おいたら吹けなくなるうぅ? なんだそれ、聞いたことない」
と、森野はまたぐっと背もたれに倒れかかった。
「す、すみませ……ふぐっ」
「だーかーらー。謝る前に返事しろっつってんの。覚えてないの?」
森野が片手で侑芽の頬を掴んみ、ぐるぐると回す。そしてその手を離すと、じわりとその部分が熱くなった。
「は、はひ……」
頬をさする情けない侑芽を見てひと息つき、呟いた。
「あんたさぁ……いまはダメダメだけどさ。もっとこうだって否定されたら、あんたはそのお得意な“ごめんなさい”で誤魔化して生きていくの? それなら“はい”って従っといてさ。相手はあんたの事を思って指摘しているんだから、はいって言わないと。謝って生きていく人生なんてつまんないでしょ?」
「はあ……」
ぽかんとする侑芽が気に入らなかったのか、森野はムッと口を尖らせる。
「はぁ。もういいよ。テストの気分じゃなくなった。ほら、フルートのとこ行ってきな」
「え、あ……はい! ありがとうございました」
ペコリと頭を下げる。
「今度は、明後日の5時から。親御さんには最終下校過ぎるって言っときな」
「は、はい。失礼します」
あせあせと出ていった侑芽を見て、森野は深くため息をついた。
「大丈夫なんだかなあ」
ガラッ。
フルートパートの練習場所である3年1組の教室の扉を開けた。
「あっ、侑芽ちゃん! おかえり」
明るく振り向いたのは、1年生3人の中で最も話しやすい梓だった。
「おかえりー」
「……おかえり」
他の2人はまだ張り合っているようで、離れて練習をしていた。
「あ、えっと、その……た、ただいま」
家族でもないのに“ただいま”なんて言葉を使うのが少し照れ臭く、ぎゅっと目を瞑った。
「先生のレッスン、怖かったでしょー。お疲れ様!」
ニコニコと侑芽の右手を包み込む。
「あ、あの……ありがとう」
「んー? なにが?」
「その……練習誘ってくれて」
かーっ、と頬に熱が伝わる。
「ああ、いーよいーよ! あたしも侑芽ちゃんと練習したかったし」
ニカッと歯を見せ爽やかな笑顔を見せる。明るく振る舞う梓が眩しく見えた。
「ねぇ、吹いてよ、オーボエ。聴きたいな、侑芽ちゃんのオーボエ」
「え! でも、私下手っぴだし……」
「えーお願い!」
パチン、と音を立てて手を合わせる梓を見て、思わず困惑した。
「えっと……」
「───あず。侑芽ちゃん困ってるよ」
そんな中静かに声を上げたのは、詩織だった。
「うー。わかったよー。てかしおりん、まだ怒ってるの?」
「怒ってない!」
「またまたー。怒ってるんでしょ? ごめんてばー」
梓はからかうように人差し指で膨らんだ詩織の頬をつついた。
「なっつんも! あたし、4人で合わせたーい」
と、ぐるぐると体を揺らした。
「別に……あずがそこまで言うならいいけど」
照れた顔を見せる夏美。いつもはこんな顔を見せない。侑芽は気付いたのだ。
何故詩織と夏美が犬猿の仲なのに、いつまでも同じパートでいられるのかを。
梓が、2人の間に入って笑顔でいるからだ。そう思うと、やはり梓が眩しく見えた。
「きらきら星! きらきら星しよーよ!」
「しょうがないなあ」
クスリと詩織が笑う。
「い、いいの? 私に合わせて……」
「あんた、バカなの」
夏美の毒舌に怖気付く。
「あんたに合わせたいの。みんな」
「わあ、なっつん、ツンデレ発動?」
「う、うるさいな」
また梓が隣からからかう。詩織はくるくるとメトロノームのネジを回し始めた。
「じゃあ、最初から合わせよっか」
ニッと笑う梓。
「なっつん、合図おねがーい」
夏美もはいはいと呆れたように返事した。
「いきます」
「「はい!」」
「1、2───」
「あああ───ッ!」
突然の叫び声にビクリと体を震わせた。
「な、なに。どうしたのあず」
「やー、侑芽ちゃんって、なんか呼び方長いなーって思ってたんだよね。じゃあ思い出した、あだ名まだ決めてないよね!?」
と、梓は自身の頭に手を置いた。
「んーとね、えっとー、えーっとー……侑芽ちゃん……侑芽……ゆめぴ……ゆーぴ……ゆーぴ!!いいじゃんゆーぴ!」
ぴょんぴょんと1人はしゃぐ梓。
「じゃあ、ゆーぴで決定だね」
と、詩織が振り向いた。
「……うん」
あだ名の考え方が、少々雑だが、そんな所が嬉しかった。
「ありがとう、その……あず、しおりん、なっつん!」
初めて、3人の事をあだ名で呼んだ。
「……じゃあ、もっかい合わせる?」
「そーしよ!」
1人声を張り上げる梓。
誰もが信頼している彼女と、もっと話したい。
そう思った。




