鏡 3
ドアを開けた向こうの暗闇を見渡し、リョウは自分の髪を何本か抜き取ると、四隅に当たる方向に一本ずつ投げた。
柔らかく細い一本ずつが、まるで槍のように突き刺さる。
最後に、天井方向に投げると、空間が部屋になった。
中に入ったリョウが右手を天井にかざすと、全体がぼんやり光る。
「こんなものだろう」
「さすがだね」
「ばぁか。力があればおまえにだってできることじゃないか」
部屋の中程で車イスを止めると、今度は床に両手をついて、少しずつ上にあげていく。
テーブルが出てきた。
もうひとつ、自分用に椅子を出すとそこに座り、肘をついた。
「さて、教えてもらおうか。店から出ていったあの女に何をした?」
レイは、膝に乗せていた水晶をテーブルに置くと、手をかざした。
そこには、鏡を持った女性が映っている。
「この人の望みを分けてもらおうと思ってさ」
と、ここでレイは、自分が女性に鏡を渡した経緯を説明した。
水晶で見えたのは、女性には片想いの男性がいることだった。
どうやら男性は人気があるらしく、自分程度の容姿では相手にされないことを自覚しているようだという。
「女の望みは、その男か?」
「というか、他の女性たち以上になる自信を持ちたいみたいだ」
そのため、レイは自分の血を鏡に移し、それを見ることで自分に自信を持たせるようにした。
彼女の望みが叶えば、その血は力となってレイに戻る。
命力は、なにも直接生命力を奪わなくても構わないのだ。
というより、妖魔の『種』は、それぞれ力の摂取方法が違うのだから、レイにとっての力は人間の希望が一番受け入れやすいと言える。
でもね、と彼は言った。
「今はまだ、一人ずつが限界だよ。君から離れたときは、結構他の『種』に狙われた。それで力を使っちゃって。だから、何とかして取り戻さないとね」
バカにしたように鼻で笑って、リョウが彼の額を指で弾く。
「俺から離れた報いだよ」
「ごめん」
謝りながら、レイは水晶に手を当てた。
女性の姿がそこから消える。
それから、両肘をついて、顎を支えた。
「『長』はどうして僕を後継者にしたんだろうなぁ。僕なんかより力を持つ『種』はいっぱいいるのに」
リョウの答えは、あっさりしたものだった。
「そりゃ違うな。その力を持ついっぱいの『種』から逃げ続けられたんだろう? おまえに力がないわけじゃなく、出さないだけだよ」
「そんなことはないだろう? 僕の力はこの程度だよ」
「そうじゃない。人だった頃の記憶に縛られていて出せないだけだって」
「……じゃ、君はどうなのさ? 人の時を忘れたわけ?」
少しの間があり、リョウは何気に自分の髪を掬って見下ろした。
「昔はこんなに髪、長くなかったからな。これが妖力の源だって思い知った時から忘れたよ」
そして、吹っ切れたように笑うと腰をあげた。
「レイ、出掛けようぜ。少しは今の世界を知っておいたほうがいい」
というなり車イスを回したリョウを、慌てて止める。
「待ってよ。僕は狙われてるんだよ」
「だからさ。俺がついてることがわかれば近づいてくるやつが少なくなるからな」
そういえば、昔、人であった頃からリョウは強引だった。
立場的に言えば、わがままを言うのはレイの特権であったはずなのに、いつも振り回されていたっけ。
「それにおまえがいない間、結構な数の『種』をねじ伏せてきたしな。容易に俺に近づいてこないさ」
力業も相変わらず、か。
それなら安心だと、レイは自ら車イスを進めた。