第1章ディアスキア
夜も更け、まちが静まりかえるころ、僕はビルの屋上にいた。夜景を見に来たわけではない。死にに来たのだ。東京の都心から少し離れたこのまちも、昼間は人でごった返し、僕が呼吸をする隙間なんてない。そして、誰も僕を観ていない。必要となんかしていない。僕を観ようともしない。別に、構ってほしいわけじゃない。友達がいなかったわけじゃない。嫌われていたわけじゃない。ただみんな、僕の中身に興味がなかっただけだ。僕はバービー人形と同じだった。見た目がいい。ただ、それだけしか、評価しようとしてくれなかった。僕のまわりには必ず誰かがいた。でも、それは僕といれば、周りから視線をひく。ただそのためだった。僕は独りだった。さみしかった。でも、誰も気づいてくれなかった。気づこうとしてくれなかった。だから今日、僕はこのさみしさから解放されるんだ。そのために、僕はここに立った。
さあ、楽になろう。さみしさから解放されよう。決心はかたい。なんの迷いもない。まっすぐと目の前をみつめた僕は、右足、左足と靴を脱いでいく。最後ぐらい、雑に生きたい。今まで、他人が作った清純派を守り抜いてきたから。僕はみんなが作った“清純派”のイメージを守り続けてきた。20年間も。仲良くなる人なる人に「イメージ通り、清純派なんだね」って言われてきたよ。僕は「そんなことないよ」って、とぼけてきたけど、わかってた。だって、僕がそのイメージを演じてきたんだから。本当はガサツなんだよ。言葉だって汚いし、本当は繊細なんかじゃない。ただ押し付けられてきただけだ。だから、最後ぐらいは正直でいたい。ガサツで、言葉も汚い僕で死にたい。最期を決めた僕は、靴を投げるように脱いだ。
さあ、死のう。僕は、深呼吸もせず、静かに一歩ずつ前へ進んでいく。迷いのない僕の歩みは早い。もうあと一歩のところまできた。あと一歩で、僕は楽になると思うと、僕は嬉しくて、嬉しくてたまらず、そこで初めての深呼吸をした。
――――その時だった。後ろから、太い声が聞こえた。
「雑な死に方だね~」
僕は驚いて、息を止めた。僕の驚きをよそに太い声は続けた。
「最後ぐらい、きれいに死んだら?」
僕は悲しくなった。やっと楽になれると思ったのに。僕は最後まで、誰かに拘束され続けなければいけないのか。解放されることもないのか。一人でいられないのか。死のうとしたときにさえ、誰かがまわりにいるのか。僕は震えた声で、後ろの太い声に応えた。
「死なせてくださいよ。やっと、やっと楽になれるんですから」
後ろから足跡が聴こえる。足跡は左に流れていく。足あとは数歩歩いて止まり、「よいしょ」という声とともに座る音がした。どうやら、太い声は居座るようだ。
――――「死ぬと楽になるんだ。あそう。じゃ、どうぞ」
太い声は明るく返す。明るく、さらっとした返答に、僕は怒りを覚えた。こんなに悩んで、かたい決意をかためた僕に水を差した太い声に、あきれながら、僕は返す。
「なんで、あんたはここにいるの?自殺を傍観するのが趣味なの?」
怒りを隠せず、口調も荒くなる。同時に、自殺を止めようとも勧めようともしないことに疑問も感じていた。しかし、目の前に自殺しようとしている人が居るのに冷静すぎる。たぶん、自殺をしようとする人を初めて見ているわけじゃないんだろう。今までも見送ってきたといえばきれいだが、たくさん見てきたのだろう。苦しんで、死ぬしかないという状況まで追い詰められてきた多くの人間を。
「趣味って(笑)そんな悪趣味はないよ」
「じゃ、なんなんだよ」
太い声の顔は見ていないが、にやけたような喋り方に怒りを覚え、荒くこたえてしまった
。しかし、どこか清々しい気持ちだった。こんなにも素直な自分でいるのは久しぶりかも知れない。いや、初めてかも知れない。でも、それよりも、僕がこんなにも悩みぬいて死のうとしているのに、太い声が僕をあざけ笑うような姿勢に感じた怒りの方が大きかった。やっぱり、世の中のどいつもこいつも、僕を馬鹿にして生きてるんだろう。
「まあまあ、そんなに怒らずに」
太い声はゴソゴソと音を立て、ライターで火をつけた音がした。スーっと息を吐く音と同時に、タバコの匂いがする。どうやら、太い声はタバコを吸い始めたようだ。落ち着いているのか、落ち着こうとしているのか。静かにタバコをふかす。太い声がタバコを吐く息の音と、タバコの臭いだけが僕の五感を刺激する。そんな静かな時間をただ立ち尽くすだけで感じていた。すると、太い声が「よいしょ」と、とっさに立ち上がり、僕に近づいて来た。僕は驚き、とっさに後ろを見ようとしたが、太い声の足音は、僕に近づいたり、離れたりし、周りをうろうろしているのを感じると、見る気が失せた。僕は、まだ太い声の正体を見ていない。別に見たいわけでもない。でも、見たくないわけでもない。ただ、見る気になれなかった。なぜだろうか。僕には分からなかった。でも、どこかこの太い声には少し親しみを感じた。気づけば、僕はこの太い声に質問をぶつけていた。
「あなたは何者なんだよ」
太い声は、うろうろするのをやめ、僕の問いに答える。
「う~ん…正義の味方ってところかな」
僕は苦笑してしまった。
「な、なんで笑うんだよ~」
「だって、子供みたいなことを言うから」
僕は、太い声の熱い視線を感じた。どうやら、僕に関心を持ち始めたようだ。僕も関心があるが、死のうと決意をかためている。だから、深い関係になるつもりはないが、最期に、少し話をしてみようと思った。どうせ死ぬことには変わりはないし、この太い声が何者かしってから死んでも遅くはない。
そう思った矢先だった。
「君は“自分の夢”を持ったことないだろ?」
「え…」
僕は固まった。太い声の言うとおりだ。僕は“自分の夢”を持ったことなんてなかった。というより、夢をもつことを許されなかったのかもしれない。僕は突然の言葉に、自分の過去を思い出してしまった。僕の人生を決定したあの幼少期の記憶を…
――――僕は医者の両親のもとに、長男として生まれた。
医者で東京出身のの父は、医者で千葉出身の母と結婚した。結婚後、父は義父が院長を務める千葉県の病院へ異動した。母の家系は、何代も続く慰謝一族だ。父の家系は医者ではないが、こんな医者一族のもとに生まれた僕は、当然のように医者になることを期待された。そして、いつかは、僕が病院を継ぐことを望まれた。そう、僕は生まれてから、いや、生まれる前から、医者になることが決まっていた。むしろ、医者以外に道はなかったと言ったほうが正しいのかもしれない。
なにも考えることがなかった幼少期の僕は、私立の幼稚園に通った。級友の家庭はみんな裕福だった。だから、将来の夢は医者や社長といった大きな夢だった。でも、みんな僕と一緒で、誰も“自分の夢”を持っていなかった。その家の仕事を継ぐことしか僕らには許されていなかったのだ。でも、みんなそれに従うしかなかった。逆らうことは“死”とイコールだったのかもしれない。そんな空気を園児の頃から感じていた。刃向うという幼いころの無謀さを抱くことさえも許されず、僕らは大人の支配下にいるしかなかった。それが、幸せになる唯一の道だと信じていた。いや、信じ込まされていた。
両親は僕を医者にしようと必死だった。幼稚園に入る前から英才教育を僕にほどこし、小学校に入学する頃には英語をしゃべれるようになっていた。「イギリスに行けば、子供が英語をしゃべるのが普通だ」と父に言われてきた。僕は怖かった。英語をしゃべれなければ、僕は「普通」ではなくなる。父に見捨てられたらどうなるのだろうか。そんなことを考え、恐怖に覆われながら勉強を続けた。四六時中、勉強をさせられていたが、健康に日々を暮らせた。それは、母が僕の健康を気遣ってくれていたかただ。食事の栄養を考えてくれた。そのおかげで、僕は風邪にすらかかることなく、健康に暮らした。ビニールハウスで育つ野菜のような日々だった。そんな日々を送る僕に、人格なんてなかった。僕は両親の“作品”なんだ。そう思うようになった。僕が医者にならなかったら、僕は“出来の悪い作品”になってしまう。両親の描く“傑作”にならざるを得なかった。それが僕に課せられた使命だった。そう思っていた。そして、そんな現実に押し潰されそうな日々を送っていた。
でも、僕は押しつぶされずに育った。それは、逃げ場所があったからだ。父方のおばあちゃんの存在があったからだ。僕は、月に1度、電車を乗り継ぎ、おばあちゃんの家へ向かった。一人で電車に乗ることなんて、大したことじゃなかった僕は、幼稚園児の頃から一人で行っていた。両親には秘密だ。おばあちゃんはみんなと仲が悪い。別におばちゃんが悪いわけじゃない。ただ、おばちゃんだけが僕を自由にさせてくれる。それが両親にとっては、迷惑なことだったと思う。おばあちゃんは、僕に好きなことをさせてくれた。公園で思いっきり遊ばせてくれたし、お菓子も好きなだけ食べさせてくれた。アニメも見せてくれた。でも、公園で擦り傷ができたことが両親にばれたら、おばあちゃんが怒られると分かっていたから、僕は怪我に気を付けて遊んでいた。
そんなある日のことだ。僕は遊び疲れ、おばあちゃんの家で眠ってしまった。おばあちゃんは両親に連絡してくれたようだが、両親は激怒した。真夜中にもかかわらず、おばあちゃんの家におしかけてきた。両親は、僕が自分たちの管理下からいなくなったことに怒ったのだ。でも、両親の矛先は僕ではなく、おばあちゃんだった。僕は、おばあちゃんの家へ行くことを両親に黙っていた。でも、それはおばあちゃんがやらせたことと思ったらしい。だから、おばあちゃんを両親は怒鳴った。僕は、両親がおばあちゃんを怒鳴る姿をふすまの陰からみて、震えていた。おばあちゃんはさみしそうな顔をして、謝っていた。「おばあちゃんは悪くない!」と、言いたかった。でも、一言も言えなかった。僕は今でも覚えている。両親がおばあちゃんを「誘拐犯」と怒鳴ったことを。どんなに傷ついたのだろうか。今の僕にはわかる。悪かったのは僕だ。あそこで何も言わず、自分が怒られることが怖くて、おばあちゃんを犠牲にしたのだ。僕は、しょんぼりとしたおばあちゃんを背中に、両親の車に乗った。手を振ることさえも、「さよなら」をいうことさえも許されず。僕は車に揺られて、帰っていった。それが、おあばちゃんとの最後の思い出になるとも知らずに。
―――その翌日、おばあちゃんは亡くなった。
僕が両親に手を引かれ、車に乗せられているとき。おばちゃんは一人で居間にいた。送ることさえも許されなかったのだ。その晩、おばあちゃんは涙を流しながら、おじいちゃんの眠る仏壇の前で、倒れていたそうだ。両親によれば、強いストレスで血圧が上がり、血管が破けたらしい。僕は責任を強く感じた。僕がおばあちゃんを殺したのだ。僕の身勝手さが、あれほど良くしてくれたおばあちゃんを殺したのだ。決して、裁かれる事のない十字架を僕は背負った。両親はおばあちゃんの葬式をすることなく、早々に火葬し、埋葬した。父の母なのに、父は涙ひとつ流さなかった。その時から、僕は少しずつ、反抗心を抱き始めていたが、でも、形にできなかった。これで僕が反抗すれば、今度は両親が死んでしまうかもしれない。新しい恐怖の下で、僕は生きる事を強いられた。
――――それから僕は、イメージを守る生き方をした。
もう誰も傷つけたくない。もう誰も失いたくない。僕が我慢すれば、みんな幸せでいられるのだ。そう信じ、僕は生き続けた。この時、僕の中にいる“自由”は死んだ。いや、僕が殺したのだ。僕が自由でいる事は、まわりを傷つけることになる。だから、僕は“自由”を殺す生き方をした。
それから僕は、英才教育によって、有名な私立の小学校へ進学した。英語も流暢にしゃべれる僕は、試験に苦慮することもなく合格した。ほぼ顔パスだった。ある意味で、苦労を知らなかった。通っていた幼稚園からも何人かが入学した。だが、ほとんどが全く知らない同級生だ。僕は不安でいっぱいだった。その不安とは、「彼らと友達になってしまうのだろうか」というものだった。僕の周りにいる人は不幸になる。そう僕は信じていた。幼稚園の後半には、“お受験”という単語が園内で飛び交い、友達はライバルとなった。友人たちの保護者は、僕をライバル視した。そして、子供たちも僕をライバル視した。まあ、“お受験”とはそんなものだ。だが、当時の僕には怖く、辛く、理解できない事だった。今になればわかることだが、僕の通っていた幼稚園は、運動会で順位をつけない。順番を付ける事は、過剰な競争をあおり、人間関係を不信感で覆うという園長の方針からだった。いわゆる、“ナンバー1”ではなく、“オンリー1”を目指せというものだった。だから、みんな和気あいあいでやっていた。それを両親は否定的にみていた。多くの激しい受験戦争を生き抜いて医者になった両親からすれば、生ぬるかったのだろう。でもそれが僕には居心地良く、甘んじていた。
だが、小学校は違った。幼稚園は「近場が良い」という考えで決まったが、小学校からは校風を優先したらしい。その校風というのが、競争社会だ。まず、入学試験は大学で言うAOの人物重視と、センター試験の学力重視があり、それでクラス分けされる。当時は試験の仕方が分からず、僕は父にいったことがある。
「みんな、テストは受けないといっています。どうして、僕はテストなのですか?」
父は笑顔でこたえた。
「私のいうことをきいていればいい」
僕は「はい」と応えるほかなかった。それ以外に選択肢はなかった。その晩、父と母は楽しそうに僕の質問について話していた。母は、AO方式の受験を“アホ・オペレーション”と言っていた。それをきいた父は爆笑している。その言葉の意味を僕は知っている。英才教育がアダとなったというのだろうか。暴言をはき、それを笑う両親にも疑問を感じながら、僕は試験に合格し、入学したのだ。自画自賛ではないが、僕は良くできた人間だと思う。こんな両親のもとで育ちながら、他人を思いやる気持ちを育んだのだから。たぶん、おばあちゃんのおかげだろう。
僕に人を“思いやる心”を教えくれたおばあちゃんが、僕は本当に大好きだった。でも、本当に優しかったおばあちゃんにも怒られたことがある。ある日のことである。ある日、僕は公園で一人、ブランコをしていた。そんな僕の足元にサッカーボールが転がってきた。僕はそれを見て見ぬふりし、一人でブランコをこいでいた。ボールはブランコの軌道の下で止まった。それを取りに来た子は、たぶん、僕の同級生ぐらいだろう。まったくの他人が僕の下に走ってきて、ボールを取ろうとする。だが、僕はお構いなしにブランコを動かす。ボールを取りに来た子は、静かに立ち止まり、僕がどくのを待っていた。だが、僕はどかなかった。だって、楽しかったのだもの。
それをみたおばあちゃんは、ベンチから立ち上がり、僕の下へ駆け寄ってきた。そして、僕をすごいケンマクで怒鳴った。
「とまりなさい!」
僕は驚き、ブランコをこぐのをやめた。やがて、ブランコが止まると、立ち止まっていた少年がボールをとり、走り去っていく。僕はおばあちゃんの目を見ながら、固まっていた。初めてきいたおばあちゃんの怒鳴る声。怖い顔。僕は体が固まった。
「蓮ちゃん、あの子は困っていたでしょう?なぜ、止まってあげなかったの?困っている人がいたら、助けてあげなさい。」
僕は静かにうなずき、ブランコを立った。そうすると、さっき、ボールをとりにきた少年が近寄ってきた。それをみたおばあちゃんは膝を曲げ、少年にいった。
「さっきはごめんね。早くボールを取ってあげればよかったね。許してね」
少年は笑顔で応えた。
「ううん。大丈夫」
そして、少年は、僕の顔を向いていった。
「さっきはありがとう。あのさ、仲間が足りないから、いっしょにサッカーやらない?」
僕はおばあちゃんの方を向く。おばあちゃんは静かにうなづいた。行っていいということだと思った。
「うん!やる!さっきはごめんね」
「いいよ、そんなこと。早くいこうよ!」
少年は仲間の下へ走って行った。僕も必死に走り、少年の仲間のもとへ行き、一緒にサッカーをやった。とても楽しかった。おばあちゃんに初めて怒鳴られたことなんて気にもせず、遊びつくした。そんな楽しい時もひと時だった。すぐに日は暮れ。みんなは帰りの支度をし始めた。
「また遊ぼうな!」
少年は僕にいった。
「うん!」
僕は笑顔で応え、その場を後にした。子供は実に無邪気な生き物だ。こんなことで友情が育まれるのだから。
それから、僕はなんどもその少年たちと遊んだ。名前は覚えていない。でも、名前なんて知る必要がなかった。おばあちゃんが死んだ今、もう彼らと遊ぶことはないし、彼らとこれ以上仲良くなっても、不幸にしてしまうだけなのだから。おばあちゃんが死んだとき、僕はそう思った。
おばあちゃんが亡くなり、数日が経った。父はおばあちゃんの遺品整理を業者に委託した。業者から渡された遺品を父が分別していく。僕は、父がトイレに行っている間に、父が捨てた遺品をあさった。その中には、おばあちゃんが笑顔で自慢の花壇をいじっている写真があった。その花壇には、盛大に咲いたディスキアの花があった。白やピンク、オレンジや紫に咲いていた。僕はその写真を持ち、部屋に駆け込んだ。ディスキアの花言葉は“無邪気”と“私を許して”だ。無邪気で、純粋無垢な僕の行動がおばあちゃんを殺した。そして、おばあちゃんをかばうことも、謝ることもできなかった。そんな僕の許してほしい気持ちを示すような写真だった。写真を見ることさえも辛かった。でも、写真がなくなることはもっと辛かった。父は、仏壇におばあちゃんの写真を飾らず、僕の家庭の中で、おばあちゃんは本当に死んだ。
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