第七話 王女上陸
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ついに船団はベルジカ王国の王都であるトレヴェローヌを視界に捉えた。
王都トレヴェローヌは人口六十万人の大都市である。北はウェルセック王国のある北海につながる海に面し、残りの三方は城壁で囲まれている。城壁の高さは、成人男性を十人縦に並べたものに等しい。この巨大な城壁によってトレヴェローヌは、過去に外敵に犯されたことはなく難攻不落を誇っていた。
「立派な城壁ですね。トレヴェローヌの城壁は天を衝くと聞いていましたが想像以上です」
と、ルフスリュスは正直な感想を述べた。
確かにトレヴェローヌを囲む城壁は立派であり、この内部に住む者に安寧を与えている。
しかし、ルキウスの目からは、
「この城壁のせいでトレヴェローヌは難攻不落ではなくなった」
と、見える。
それは物資の問題である。陸路で物資を運搬できるのは三箇所――南門、西門、東門である。これらは物資の搬入以外に人の出入りにも使われるため、一度に多くの荷馬車や荷台が入ることはできない。つまり、搬入できる物資には限りがあるのである。もし、内部で物資不足が深刻になれば、六十万人の口を養うだけの物資を王都に搬入することは難しい。
一方で海路の出入り口である北の港は、歴代の王が海上輸送を重視しなかったため、都市の巨大さに比して最低限の海港施設しかない。船体が巨大な帆船が十隻も停泊すれば、岸壁は埋まってしまい他の船が入港することはできない。
おそらく、外敵に囲まれるようなことがあれば、トレヴェローヌは自らが抱える人口によって自壊するに違いない。しかし、商人である自分が、このようなことを夢想するだけ愚かしいことだと気づき、ルキウスは思いを振り払った。
「歴代の王が、増築に増築を重ねた結果です。ウェセック王国の王都では城壁はここまで高くありませんか?」
「意地悪な質問です。自国にも同じものがあれば感心なんてしません」
ルフスリュスはわざとらしく頬を膨らませて怒りを表した。その姿は、どこにでもいる少女と変わりなく、オズウェルに王族としてのあり方を高らかに示した王女と同じ人物なのか疑いたくなる。そのことを問えば、彼女は間違いなく王族としての顔を向けることがわかるルキウスはあえて言葉にしなかった。
「では、トレヴェローヌについたらもっと感心していただきましょう」
「あら、観光案内でもしてもらえるの。強欲な商人さんのことだからまた観光案内に金貨十枚とか法外な金額をふっかけるのでしょう」
「滅相もございません。僕は品行方正な商人。馴染みのない土地に降り立つ旅人に街を案内することは当然の行いです。ましてそれにお金を頂くなど、考えたこともない行為です」
恭しく跪くとルキウスは自由に動く左手を胸の前に当てていった。
「まぁ、なんということでしょう。私は悪い魔法使いの魔法でもかかったのでしょうか。強欲な商人がなぜか品行方正な商人に見える」
「いいえ、それは違います。僕にかかった悪い魔法使いの魔法が解けたのです。これこそが僕の本当の姿なのです」
「ああ、なんという奇跡」
大仰に両手を広げると、ルフスリュスがくるりと一回転する。海と同じ青色のブリオーの裾が広がり彼女の白い脚が僅かに見える。その白色がルキウスには眩しかった。
喜色を浮かべたルフスリュスは言う。
「では、法外な乗船料を正規の値段に戻しなさい」
「ルフス、そろそろ港に着きます。僕は準備がありますので……」
ルキウスが踵を返し、船橋に戻ろうとすると野太い声がかかった。
「楽しそうですな、ご両人」
声の主は、カステッロだった。
「そんなことないさ」
「そんなことありません」
二人が揃って否定すると、カステッロは破顔した。彼の手を見れば麻袋を抱えている。
「そんなもの抱えてどうしたんだ?」
その麻袋には見覚えがあった。先の海戦で敵の櫂を絡めるために流した羊毛の入った麻袋である。羊毛は一度濡らしてしまうと縮んでしまい商品にならない。矢と同じで消耗品として割り切っていたルキウスは、カステッロがちゃっかり麻袋を回収していたことに驚いた。
「縮みはしても何かに使えないかと思いましてな」
麻袋から取り出された羊毛は海水で縮み、袋の中でいくつものだまになっていた。
「こうなると、どうにもならないんじゃないかな。そうだ、羊毛の国生まれのルフスに聴いてみればいい」
羊毛はルフスリュスの育ったウェルセック王国の特産品である。ウェルセックの寒冷な気候は麦の生産に向かないが、羊の畜産には向いていた。厳しい寒さに耐えるウェルセックの羊毛は、温暖なベルジカで育てられた羊毛よりも保温性に優れ、一頭あたりの刈取り量も多かった。このため市場ではウェルセック産の羊毛は人気があり高値で取引される。これに目をつけたウェルセック王国では、羊毛輸出を一部の商人に独占権を与える代わりに高額な税を徴収することで莫大な富を集めていた。
いきなり、話を振られたルフスリュスは慌てて袋を覗き込んだ。
「これはちょっと……」
使い物にならない、と言おうとして彼女は少し言葉を止めた。
「……もう一度、濡らして平になるように均せば防火布として使えるかもしれません。見場は悪いので使える場所は限られるでしょうけど」
「おお、なるほど! それはいい。さっそく陸に着いたらやってみましょう」
麻袋を笑顔で再び抱えるとカステッロは意気揚々と甲板から船倉に降りていった。あの様子では、すべての麻袋を回収している違いない、とカステッロの商魂の逞しさにルキウスは脱帽した。同時にまだ、自分は利を詰め切れられない未熟者だと反省した。
「そんな使い方もあるのか。僕はそんな使い方、思いつかなかった」
「それは、ほら気候の違いでしょう」
ルフスリュスは太陽に手をかざす。夏の暖かな光が降り注いでいる。ベルジカでは当たり前の天気である。
「私の国では短い夏が終われば、すぐに長い冬が来ます。暖炉は生活に欠かせませんが、そこから出る火の粉は綿などの燃えやすい布に落ちれば火事の原因となります。しかし、羊毛なら焦げることはあっても燃えたりはしません。だから、絨毯などには羊毛を使うのです」
「なるほど、勉強になりました」
「私だけが感心させられるというのはあまり気分がいいものではありませんから……これでおあいこです」
「陸に上がれば、また感心させますよ」
「それは、楽しみです」
ルフスリュスが目を伏せて微笑む。
「感心で思い出した」
ルキウスが急に手を叩いた。
「えっ、なんですか。ルキウス」
「王城に行ったら一度、王弟のフランツを尋ねるといい。きっと驚きますよ」
王弟フランツと、小さく反芻するルフスリュスであったが、ベルジカの王族でフランツという人物には心当たりがあなかった。
「誰ですか? 私の知らない人物です。新しくベルジカの内政に参画されるようになった王族ですか?」
もし、ベルジカの内政に関わる人物に変更があったのならばルフスリュスは、そこにある意味を考え直さなければならない。真剣な眼差しで、問いかけたルフスリュスに対して、ルキウスは笑いをこらえて顔を背けた。
「フランツはそんな重要人物じゃありません。彼は王家の傍流にして、商人のカモです。そんな偉い人物ではありません」
「カモ!?」
ルフスリュスは珍しく声をあげて驚いた。
「そうです。フランツは珍品の蒐集家として有名で、王城の居室には、聖人が海を割った時に使った杖とか一角獣の頭部とか変わった物が所狭しと並んでます。ウェルセックでは絶対に見られないものですから一度、ご覧下さい」
「ちなみに、ルキウスはそのフランツ様になにを売ったのですか?」
しばらく、ルキウスは考え込むと、
「古の時代にいたとされる巨人の骨とかですね」
と、真面目に言った。
「で、その正体は?」
「鯨の骨です。金貨千枚で売れました」
「随分と、阿漕な商売ですこと。私もなにか売ってみようかしら」
二人が微笑むと、見張り台にいた船員が声を上げるのが聞こえた。どうやら、トレヴェローヌから港湾の役人が乗った小舟が来たのだろう。ルキウスはルフスリュスに左手を軽く振ると船橋に向かった。
船橋ではすでに船員達が着港の準備を始めていた。帆船は海戦のあとベネトに向かわせていたので港に入るのはガレア船四隻である。櫂で自立航行できるガレア船の着港は、惰性航行で着港する帆船よりも容易になる。
小舟に誘導されて岸壁に着岸すると、そこには数台の馬車がいるのが見えた。その馬車うちの一台の側面には黒色で右向きの雲雀の姿が描かれていた。ルキウスはその雲雀をよく知っていた。右向きの雲雀はオルセオロ侯爵家の紋章であり、オルセオロ商会は、この紋章の変形である麦を咥える雲雀を紋章としている。
「あの紋章……。マルクス侯爵かアントニウス様ですな」
船倉から駆けつけたであろうカステッロがルキウスにささやいた。貴族の紋章を馬車につけられるのはその当主とその嫡男のみである。つまり、あの馬車に乗っているのは、当主であるマルクスかその嫡子であるアントニウス、ということになる。当然ながらルキウスや次兄ガイウスは紋章を使うことができない。
「王女の訪問とはいえ、父上自らが出迎えるのはいささか目立ちすぎる。非公式である以上、目立つのは良くない。おそらくあれは、兄上だろう。兄上なら久しぶりに王都に現れた弟を出迎えたとしても周囲に対して言い訳が立つ」
「アントニウス様とお会いになるのはいつぶりですかな?」
「十七から商会に入って、ベネト暮らしだから直接会うのは二年ぶりだな」
「随分と疎遠な兄弟ですなぁ」
呆れたというようにカステッロが嘆息する。疎遠な兄弟ではあるが、お互いの境遇を考えれば仕方ない、とルキウスは思う。
嫡子であるアントニウスは父に従って王都トレヴェローヌで暮らし、次兄であるガイウスは、領主である父と兄が不在のオルセオロ侯爵領を守るために城館のあるアウグスタを離れることができない。三男であるルキウスは商会の主としてオルセオロ侯爵領北端のベネトを拠点として交易に従事している。三者に課せられた職責がそれぞれ違うため、重なり合うことがないのである。
また、二人の兄よりも劣るという思いのあるルキウスが無意識に二人との接触を拒んでいることも理由であるが、このことに彼は自覚がない。そばからルキウスを見ているカステッロからすれば、ルキウスは、二人の兄に劣るというわけではない。確かに武芸では二人に遠く及ばないが、それは人の一面を切り取った結果に過ぎず、全体としてみればルキウスのそれは悪くない。
「アントニウス様が迎えに来たということは、ルフスリュス様とはここでお別れということでしょうな」
「……そうだな。カステッロ」
目をそらすと、ルキウスは乱れのない口調で言った。
「ルフスリュス様に街を案内できずに残念ですなぁ」、と次の言葉を用意していたカステッロであったが、釣れない反応のルキウスにそれを飲み込むしかなかった。
接岸が終わると、馬車から二十代半ばの青年が降り立った。ルキウスと同じ黒髪に淡褐色の瞳であるが、神経質そうな表情のためか周囲に与える雰囲気は大きく違う。簡潔に言えば、アントニウスには他人が親しみを覚えるような愛嬌が足りない。
「無事な到着を嬉しく思う。久しぶりだが息災だったか?」
岸壁に降りたルキウスに声をかけたアントニウスはすぐに彼の怪我に気づくと「息災というわけには行かなかったみたいだな。過酷な依頼をした」、と謝辞を述べた。
「軽い矢傷です。心配には及びません。兄上が自らこられたということは、ルフス……いえ、王女殿下はこのまま王宮へ?」
「そうだ、すでに王宮で父上とルートヴィヒ王がお待ちだ」
二人が話していると、八人の従者を引き連れたルフスリュスが現れた。
「この度は、我々のためにさまざまな便宜をはかっていただき誠に感謝にたえません」
ルフスリュスは、感情を抑えた声で深謝を述べた。
「王女殿下にそこまで申されてはこちらが恐縮致します。我々はあくまで、ルートヴィヒ王への道を作ったに過ぎません。王女殿下がご使命を果たされるか否かは我らの手中にはありません」
「それで十分です。ここからは私の問題です。オルセオロ侯爵やそのご子息には過分なご好意を頂いたこと、忘れません」
「どうぞ、ここではひと目もありますので馬車にお乗りください。従者の方の馬車も用意しておりますので」
アントニウスが馬車に乗るように勧めるとハーラルを除いた従者は後続の馬車にそれぞれ乗り込んだ。
残ったルフスリュスは左手をルキウスに差し出して言った。
「最後に握手を」
ルキウスが慌てて左手を伸ばすと、彼女はその手をそっと掴むと甲に軽く口付けをした。
「ルキウス、貴方には百万の感謝を。また……、いえ、なんでもありません」
そう言うと彼女は馬車に乗り込んだ。ハーラルもそれに付き従う。この間、ルキウスは何一つ言葉を発さなかった。
「ルキウス、ここまでご苦労だった。ここからは私が引き継ごう」
アントニウスがルキウスの左肩を軽く叩いた。
「兄上、王女殿下をよろしくお願いいたします」
「心配するな。おそらく心配するようなことは起こらぬ。お前は怪我をきちんと癒しておけ」
アントニウスが馬車に乗り込むと車列は、緩やかに岸壁を離れていった。誰もいなくなった岸壁にひとり残されたルキウスは、しばらくのあいだじっと自分の左手を眺めていた。




