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第四話 チョーク海峡海戦

「そろそろ、おいでになるんでしょうな」


 年甲斐もなくカステッロがメイスを担ぎ上げてにやりと笑う。襲われるのを心待ちにしているという雰囲気で血気盛んが若者だけの代名詞ではないのだとルキウスは苦笑いを禁じ得なかった。


 ウェスクリフを出てから一日。船団は北海を南下し、ウェルセック王国の南端とベルジカ王国北端に挟まれたチョーク海峡に差し掛かっていた。


 チョーク海峡は、北海とウェルセックの北西に広がるエルム海から流れ込む海流がぶつかり合う要所の一つである。また、潮の流れによって削られた複雑な海岸線を持つことから古くから海賊の根城が多いことで知られている。


「海峡を越えてしまえばベルジカ王国の領海だ。ここで仕掛ける以外にオズウェルに方法はない」

「来ないに越したことはないですが、きっと来るでしょうな。そういえば、若が初めて海賊に遭われたときは真っ青な顔で固まっておられましたが、今回はどうなりましょうな? 美しい王女閣下が後ろで見ておられる以上、醜態を晒すのは感心しませんぞ」

「随分と意地の悪い言い草だな、カステッロ」


 ルキウスがコツンとカステッロの鎧を叩く。よく見れば彼の鎧には何箇所かへこみがあった。商船は海賊に襲われる、それは古くからの習わしのようなものである。しかし、今回は違う。ルキウスは王女を乗船させれば、船団が襲われることを知っていて彼女の乗船を認めた。それは船団に所属する者、全てを危険に巻き込む決断だった。


 賢い指導者なら彼女の乗船を断っただろう。船団を危険から少しでも遠ざけることが上に立つ者の義務だからだ。だが、ルキウスにそれはできなかった。兄王から捨てられたも同然の王女を見捨てる気になれなかった。それは侯爵家の三男として産まれながら、貴族として生きるのではなく、商会――商人として生きることになった自分と重なるところがあるように感じたためだろう。自分は侯爵家に生まれたが父や兄達からは侯爵家の人間と認められているのか、と心の奥に溜まる思いがあるからかもしれない。


「僕だってもう二年間、船に携わってきた。海賊に襲われるのだって慣れたものだよ。立派に船橋で指揮を執ってみせるさ」


 ルキウスは腰にさしたサーベルを指して言った。


「そうですな、しっかりと指揮を執ってもらわんと。なんせ若を前線に出しても鍬を持った農夫の方がまだマシな働きをしますからな」

「大将が前線に押し出して部下の功績を横取りする必要はないだろ」

「では、功績はわしらでまとめ買いしようか、なぁお前ら」


 カステッロが言うと船員達が各々、石弓や短剣、メイスなどの武器を手に「若はまた功績なしだ」、「こりゃ、給料を上げてもらわないとな」、「ヘボ会長は大人しくしててくださいや」と囃し立てた。そこには自分たちを戦闘に巻き込んだ指導者に対する恨みは微塵もなかった。それはルキウスの心を少し軽くさせた。


「随分と盛り上がってますね」


 いまから戦場になる甲板には場違いな声が響いた。金髪を後ろで一本に結び、ブリガンダインに身を包んだルフスリュスである。ブリガンダインは革や布でできたベストの裏地に金属板を打ち付けた軽装鎧で、彼女の物は白地に金糸でウェセック王家の紋章であるワイバーンが刺繍されている。彼女の後ろには同じように王家の紋章を刺繍したマントを羽織った従者八名が完全武装で控えている。


「ええ、女王殿下をお守りする名誉なんて我々商人にはそうあることではありませんので、意気も上がろうというものです」

「あら、殊勝なこと。強欲な商人さんのことだからてっきり賊からの護衛費を巻き上げる相談をされているのかと思っていました」


 ルフスリュスが言うと、船員達が笑った。


「でも、よく依頼を受ける気になりましたね。私を乗船させれば襲われることは確実なのに、どうしてですか?」


 自分と似ている点があったからとはルキウスは答えなかった。ただ、

「金貨百二十枚に目が眩んだだけです」、と答えた。


「そう……。強欲なのね」とルフスリュスが言おうとしたとき、頭上で鐘の音が鳴り響いた。見張り台の船員が近づいてくる敵艦隊を発見したのである。


 オズウェル艦隊は、ルキウスが予測したように、この海域に無数ある入江の中から現れた。オズウェル艦隊は、そのすべてが小型ガレア船で構成されている。小型ガレアはガレア船のほぼ半分の大きさであり、櫂の数も左右合わせて二十四本しかない。しかし、細い長い船体と船底部が浅いため海水の抵抗や風の影響を帆船のように受けない。強襲戦術に特化した船と言える。


「敵、複縦陣にて船団の背後につきました。数は、……十、十一、十二隻です!」


 見張り台からの報告がルキウスに知らされる。


「六対十二か……」

「数では圧倒的に不利ですな。しかもこちらはガレア船四隻と背が高いだけの帆船が二隻。果たして勝てますかな」


 カステッロが愉しそうに尋ねる。


「勝てるさ。まずは相手の脚を奪ってやろう」


 随分と偉そうなことを言っているな、とルキウスは内心苦笑しながらも表面には出さなかった。それは指揮官が迷っていればその下にいる者が不安になると、彼自身が知っていたからである。


「ルフス、もうすぐこの船は戦場になります。早く船室に下がってください」


 彼がいつになく厳しい口調でルフスリュスに声をかけると、彼女は胸を張って応じる。


「これは私が呼び込んだ私の戦闘です。当人が船室で震えているなど許されるはずありません。私も船橋に残ります。それに金貨百二十枚で守っていただけるのでしょ?」


 ルキウスは彼女に聞こえるようにわざと盛大なため息をついて言った。


「分かりました。残ってください、負傷されたら金貨をお返しします」

「結構です。私の柔肌が金貨百二十枚なんて言われるのは屈辱です。金貨千枚でも安いくらいです。ですから、私が怪我をしないようにしっかりと守ってくださいね」


 ルフスリュスはルキウスの隣に立った。

「輪形陣を組む!」


 マストから手旗信号で他船に伝令が届けられると、縦一列に並んでいた船団が帆船を中心として両翼にガレア船が二隻ずつ移動する。この動きはオズウェル艦隊からも見て取ることができた。





「オズウェル様、船団が輪形陣を組みつつあります」


 副官の声をオズウェルは満足げに聞いた。


「帆船を死守する構えのようだな。王女がいるのは、先頭の帆船か……」


 櫂のついていない帆船はどうしても瞬発的な速力でガレア船に及ばない。護衛のガレア船さえ片付けてしまえばどうにでもなる相手である。オズウェルはこの時点で自分の優位を悟り、単純に力で押し切ることを決めた。


「紡錘陣を組め! あの脆弱な船団を貫く! あのなかにこそ、我々の未来がある」

「中央突破を行う。紡錘陣用意!」


 副官を介してオズウェルの指令は各船に伝えられ、あっという間にオズウェルの乗る旗艦を中央にして紡錘陣が組まれる。それはまるで大きな鮫のように見えた。





 相手を圧倒する戦力を持つ場合、攻勢に出る側にとって有効な戦法は包囲あるいは中央突破である。そして、今回に限って言えば中央突破を狙ってくる、とルキウスは予測していた。櫂を使う航行は瞬発的な船速を得られる反面、長時間にわたってその船速を維持することはできない。櫂を漕ぐのが人間である以上どうしても体力に限界がある。そのため、船団を包み込むために航行距離が伸びる包囲戦よりも最短距離で相手とぶつかる中央突破を選択するのが定石である。


「やはり、中央突破か」

「オズウェルは基本に忠実な人のようですな」

「当然だ。彼にしても彼の部下にしても負けるなんて考えられない戦いだ。それが彼らの命取りになる」


 だからこそ、策の入る余地があるのだとルキウスは思う。





「敵帆船から麻袋が大量に投下されています」

「麻袋だと……?」


 副官の報告にオズウェルは眉を顰めた。艦橋から見れば船団から次々と麻袋が海中に投げ込まれている。


「積荷を減らして船速をあげるつもりか……。涙ぐましい努力だな」

「回避されますか?」

「構うな。ただの麻袋だ、踏み潰していけ。それよりももうすぐ敵船に追いつく。帆を降ろして櫂に切り替えろ! 衝角で船団をことごとく沈めるのだ」


 オズウェルの指令が艦隊すべての船に伝わると、小型ガレア船は一斉に帆を降ろした。代わりに十二対の櫂が生き物のように動き始める。櫂を漕ぐタイミングを図る太鼓の音が海に響き、水面を切るように小型ガレアの船速が早くなる。加速する小型ガレアに対して帆船は対抗することができず、その距離を縮められ、あと十船身の距離まで近づかれた。


「オズウェル様、敵ガレア船四隻が帆船から離れていきます!」


 帆船を囲うように航行していた両翼のガレア船がそれぞれ左右に散っていく。その船尾からは大量の麻袋が放り出され、少しでも船体を軽くして船速をあげようとする試みが継続して続けられている。


「敵ガレア船、戦意を喪失して逃げに徹する模様です。艦隊を分けて追いかけますか?」

「いや、不要だ。我らの狙いは王女の身柄のみ。逃げ腰のガレア船に労力をかける必要はない」


 オズウェルは、ガレア船を追うことなく前進を継続することを決めた。櫂による加速が行われている中で進路変更させると、舵によって船速が落ちるのはもちろん、陣形が少なからず乱れる。彼はそれを嫌ったのだった。


「紡錘陣を維持! 先頭の艦より敵帆船に衝角による攻撃を実施します!」


 副官が衝角による攻撃を全艦に指示したとき、帆船とオズウェル艦隊との距離は三船身ほどまで縮まっていた。誰の目からもあと数十秒後には帆船の船尾に小型ガレアの衝角が突き刺さるように見えた。しかし、それを目撃できた者はいなかった。先頭の小型ガレア三隻が急減速したためである。


 先頭の三隻が急減速したことで、真後ろで船速を上げていた三隻の小型ガレアが船速を抑えることができず、先頭の三隻に突っ込んだ。残りの六隻は前方で起こった衝突を回避するために左右に広がり、船足を止めざるを得なかった。


「なんだ!? なにがあった?」

「か、櫂に……麻袋が!」

「麻袋だと?」


 先頭を航行していた三隻の櫂には長い縄が蛇のように絡まり付き、縄には麻袋が数珠のように結び付けられていた。ルキウスの船団から投棄されていた麻袋にはウェルセック王国名産の羊毛が入っていた。この羊毛の入った麻袋を十袋づつ縄で繋いで大量に投棄すると、海面を漕ぐ櫂に縄が絡まり、海水を吸った羊毛で重くなった麻袋の所為で櫂は持ち上げることも困難になるのである。


 船尾に仲間の衝角が突き刺さった艦では、すでに浸水が始まっており、船体が後部に向けて傾斜を強めている。突っ込んだ方は一刻も早く、衝角を相手の船体から抜く必要があるため懸命に櫂を漕いで後退しようとするがうまくいかない。


「なんということだ。我が艦隊の半数が……」


 オズウェルが困惑に顔を歪めていると、副官から奇声にも近い叫びが飛び込んできた。


「敵ガレア船が旋回中! 当艦めがけて突っ込んできます!」


 帆船を見捨てるように逃亡する様子を見せていた4隻のガレア船は大きくのの字を書いてオズウェル艦隊の左右から迫っていた。




「敵船の動きは止まっている。突っ込め!」


 ルキウスの指揮の下、反転攻勢にでたガレア船四隻は左右からオズウェル艦隊に激突した。小型ガレアとガレア船はほぼ二倍の体格差がある。そして、単純なぶつかり合いにおいて強いのは体格の大きい方である。


 勝敗は決まっていた。数と船速で相手を圧倒する小型ガレアが数の利と船足を奪われたのである。もはや、形勢を立て直すことは困難であった。この攻勢で、残り六隻まで数を減らしたオズウェル艦隊のうち三隻が船舷に大穴を開けられ沈没した。この中には、オズウェルの旗艦も含まれていた。


 しかし、旗艦の沈没を知っても彼の部下は降伏を拒み。頑強に抵抗した。このため、戦いは海戦から船上での白兵戦に移行する事になった。

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