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第三話 王女と疑惑

 正体不明の貴人が現れたのは街が夕闇に沈んだ頃だった。


 黒塗りの馬車が三台、商館へ入ってきた。馬車から降りてきたのはルキウスと同い年くらいの少女とその従者と思われる男たち八名だった。ルキウスは九名を商館に迎え入れると、従者を隣室に控えさせ少女と初めて言葉を交わした。


「お初にお目にかかります。私はウェセック王国アルフレッドが妹ルフスリュス・ウェセックと申します」


 王妹は美しい少女だった。金色の髪は金糸で出来ているように光り輝き、青い瞳は青空をくり貫いたようだった。黒地のブリオー(ワンピースの一種)は腰あたりから長い革ベルトによって締められ、胸下から腰あたりのラインが強調されていた。


「今日は非公式な面会です、気軽にルフスとお呼びください」


 噂の貴人は、この国の貴人のなかでも至尊にもっとも近い貴人であった。ウェセリック王国には王位継承権を持つ者は現在、一人しかいない。それが王妹ルフスリュス・ウェセックである。この国の王族の少なさは昨年まで続いていた内乱に原因がある。


 内乱は先王の長子であるアルフレッドと先王の弟ギルバートが王位を争ったために生じた。内乱は多くの王族と貴族を巻き込み、三年に渡って繰り広げられた。最終的に王位についたのは内乱当初、劣勢であったアルフレッドであった。内乱に勝利したアルフレッドは禍根かこんを断つため、王族を処刑した。この処刑は苛烈を極め、一人の例外を除いて全ての王族を殺しつくつまで終わらなかった。唯一の例外となり、唯一の王位継承権を持つ者になったものこそいま、ルキウスの眼前にいるルフスリュスであった。


 アルフレッドには現在、王妃一人に三人の側室がいる。だが、王位を継ぐ王子はまだ誕生していない。そのため、いま、アルフレッドにもしものことがあれば彼女が至尊の地位につくことは明らかであった。


「お会いできて光栄です、王女殿下。私はオルセオロ侯爵マルクスが三男ルキウスです。オルセオロ商会の会長を務めております」


 思わぬ大物の登場にルキウスは動揺していた。それでも微笑みを顔に貼り付けて握手を求めることができたのは二年間の成果だった。しかし、ルフスリュスはその手を軽く弾いた。


「王女殿下ではありません。ルフスです。商人殿」


 ルフスリュスの瞳がルキウスを貫く。ルキウスはまずいと思っていた。商売で大事なことは常に相手の機先を取ることなのだ。しかし、今日は最初から彼女に圧倒され続けている。


「失礼致しました、ルフス」


 ルキウスがこの気の強い王女に謝罪すると彼女はようやく彼の手を握り返した。


「私が王女だとやけにあっさりと認められましたが、どういう理由からですか?」


 ルフスリュスがからかうように尋ねる。彼女が商館を訪れてから一度もルキウスは彼女の身元を確かめるようなことをしなかった。それは、彼女を無条件に信じた、というわけではなく。妙な偏見を持たぬようにあえて尋ねなかったのだった。


「そうですね。特に理由はありませんが商売の基本は、相手を信じることです。なので、最初に与えられる情報は信じることにしているのです。疑うのはその後からです」


 最初からすべてを疑っていると疲れるだけで良い事はない。まずは信じることから初めて、相手に違和感を覚えた時にようやく疑えば良い、と彼に教えたのはカステッロである。ルフスリュスはルキウスの返事を聴いて満足げに頷いた。


「父から書状にて、私どもの船団に乗船されたい貴人がおられると聞いておりました。行き先は王都トレヴェローヌで間違いないですね」

「その通りです。私は兄より使者としてベルジカ王と面会するように下命を受けました。ついては貴方の船団に私の送迎をお願いしたいのです」

「私どもの船団を使われるのはなぜでしょうか」

「それはウェルセック海軍が先の内乱により機能していないからです」


 ルフスリュスが言った発言にルキウスは少なからず驚いた。ウェルセック海軍といえば小型ガレア船を主体とした快速の海軍で隣国でも知られた存在であった。それが機能停止していたとはルキウスは知らなかった。


「これは内緒のお話でした。どうか、心の中でとめ置かれて決して他言されませんよう」


 ルフスリュスが唇の前で人差し指をそっとあて、悪戯げに微笑んだ。ルキウスはこの王妹が妙に人を試す悪癖をもった人物だと認識するとともに、安く買い取られてたまるかと密かに闘志を燃やした。


「分かりました。心の港で係留することにします。改めて、乗船を歓迎たします」


 ルキウスはわざと諦めたようため息をついた。そして、「つきましては、往復船賃といたしまして一人につき金貨百二十枚いただきますが、よろしいですね。ルフス」と切り出した。


 金貨百二十枚はトレヴェローヌ・ウェスクリフ間における相場の三倍の金額である。金銭感覚が市民よりおおらかな貴族や王族であっても訝しむ金額である。


「……良いでしょう」ルフスリュスは少し考え込んだのちルキウスの提示した金額に同意した。少しふてくされたように上目でルキウスを睨みつけた彼女は「随分と阿漕な商売をされますね」と、彼の強欲を責めた。


「滅相もございません。商売というものは多く持っている者からは多くをいただき、貧しい者に分配するものです」

「そうかしら。相手の足元をみているだけではないの」

「船は揺れるものです。時として足元を見誤ることもあるかもしれません」


 ルキウスが言うとルフスリュスは小さく笑った。


「同じ見誤るにしても波が穏やかなときにしていただきたいものね」

「風や天気のことは天のみが知るというものです」ルキウスは天を指差す。「ご一緒に祈りましょうか」

「それは随分と気のつくこと、お願いしようかしら」


 ルフスリュスは胸の前で手を合わせると目を閉じた。


「ああ、神よ。強欲な商人が旅の不幸を願っております。どうか、その恩寵を持って我らの旅に平穏と強欲な商人に天罰をお与えください……。どうかしら、効果があると思う?」

「それはもう覿面てきめんでしょう」

 彼女には敵わないな、とルキウスは心の中で白旗を上げた。


「分かりました。金貨八十枚で手を打ちます」

「あら、ありがたい申し出だけど金貨百二十枚でいいわ。ただ、その代わり毎食にヌガーをつけて頂戴。あ、ヌガーはアーモンドだけじゃなくってドライフルーツがたっぷり入ったものよ。それ以外は認めないから」


 まったくもって敵わない。ルキウスは気怠い敗北感をもってそう思った。どうせ負けたのならせいぜい、極上のヌガーを用意することにしよう。砂糖も小麦もこれでもかというくらい高価なもので迎えるのだ、とルキウスは乗船名簿に大量のヌガーを追加した。





「まさか貴人の正体が王女殿下とは思いませんでしたな」


 一本取られたとばかりにカステッロが笑うが、ルキウスとセスティエーレは渋い顔をしていた。それは毎食にヌガーをつけなければならなくなったからではない。


「女王が金貨百二十枚と言う法外な船賃を認めたということは何らかの危険があると考えたほうが良いのではないでしょうか?」


 セスティエーレが尋ねると。ルキウスは静かに頷いた。


「危険といってもこの辺りじゃ海賊しかおらん」

 カステッロが言葉を留め、二人の顔を交互に見つめる。


「我らが船団にはガレア船が四隻ある。これは軍艦となんら変わらん。相手の船を沈める衝角も付いておる。小舟で白兵戦を仕掛けてくる海賊に負けることはない」

「カステッロ。それは僕も十分承知している。しかし……、万一ということがある。羊毛と砂糖の積載量を減らして、そのぶん石弓や武器、水を積込む」


 まだ、カステッロは言いたいことがあるようだったが、ルキウスの決断にあえて逆らうことはしなかった。


「他に気になるのは、ウェルセック海軍が既に機能を失っている、という情報だ。内乱で海軍が壊滅したという話は聞いたことがない。内乱時の海将は誰だ?」

「マーチン男爵オズウェルです。しかし、内乱は内陸部の王都ロンド周辺にでの戦闘に終始しましたので海軍に活躍の場はありませんでした。また、彼は王弟派でしたが海軍の本拠地があるランドレッドから動かなかったことから終結後、アルフレッド王から許されています」 

「では、海軍はまるまる維持されているではないか……」


 ルフスリュスに騙されたのでは、という疑惑が鎌首をもたげる。しかし、彼女がルキウスを騙す理由が見つからない。


 例えば、海軍にルキウスの船団を襲わせる意図が彼女にある場合、ルキウスに海軍が健在であることを教えないことは意味がある。しかし、彼女はルキウスの船団に乗り込むのだ。自分の乗り込む船団を襲わせることは自分の危険が大きくするだけで何の意味があるとは思えない


「若、商売の基本はなんでしたかな」

「カステッロ殿、一体何を?」

「商売の基本……、相手を信じることか」


 意を得たりとカステッロが豪快に笑う。


「真偽に悩んでも仕方ありますまい。まずは相手を信じてみましょう。ウェルセック海軍が機能を失っているとすればどういう場合があるでしょうかな」

「一つは天災などによって艦に壊滅的な受けた場合だ。セスティ、ウェルセックで大雨や地震はあったか?」

「いえありません」


 セスティエーレは頭を振って否定する。


「となると……」ルキウスは沈黙する。

「反乱か!」


 ルキウスが呟いた。


「反乱? まさか……」

 セスティエーレが声をあげる。商館の支店長としてウェルセックの情報収集に手を抜いたことがない、と自負していただけに彼は驚きを隠せなかった。


「しかし、海将のマーチン男爵オズウェルはアルフレッド王に許されたのですよ。今さら反乱を起こす必要がどこにあります?」

「これは僕の予想だけど、オズウェルは王を信じきれなかったのではないだろうか。許されたとは言え、それは王の地歩が固まるまでのこと。王の権力が強くなれば反乱に加担した者はいずれ処分される。彼はそう疑心暗鬼になったんじゃないか」

「では、海軍は?」

「健在のまま反逆者として、このウェルセックの周囲の海域で潜んでいる、と考えるのが無難だ。そして……、僕らの船団に王女が乗船することはオズウェルに知らされている、と考えた方がいい」

「なぜですか? オズウェルに知らせても善い事など一つもないでしょう」

 セスティエーレは不審そうにルキウスの顔を見た。

「いまのウェルセックにはオズウェルの率いる海軍ほどの海上兵力はない。兵力がないのでは王も直接オズウェルを討つことはできない。だから、僕らを使うことにしたんだ。商船団とはいえオルセオロ商会は四隻のガレア船を持っている。これはなかなかの戦力だ」


 追い詰められているオズウェルにとっても王位継承権を持つ王妹ルフスリュスを誘拐することができれば、王と交渉できる強いカードを持つことになる。


 そのためなら、自分の戦力が減ることを甘んじてでも僕らを襲うに違いない。交渉のカードが海軍だけでは強い要求はできないが、新たな王位継承戦争の火種となる王女を手に入れられれば話は全く変わってくる。


「ではあの王女は偽物。影武者でしょうか?」

「いや、確信はないが、あれは本物だと思う。なぜなら、アルフレッド王から見ればどちらでも損はないからだ。彼女がオズウェルに捕まらずに、僕らが艦隊を打ち破ればそれでよし、捕まれば、アルフレッド王はオズウェルもろとも彼女を殺せばいい。これで、王位を狙うものはいなくなる」

「いまからでも、断りますか……?」


 セスティエーレがそう問うたときルキウスは答えなかった。船団の安全を考えれば彼に即答で同意しただろう。だが、ルキウスには別の思いがあった。


「いや、受ける。商人として仕事は完遂する。王女を無事に王都トレヴェローヌ送り届ける。そして、ついでに北海最強というウェルセックの小型ガレア艦隊も沈める」

「若も随分と酔狂なことですな。だが、面白い」

 とカステッロがいきり立つ。


 セスティエーレが

「勝算はおありでしょうな?」

と苦々しく尋ねる。


ルキウスは微笑むと、二人に複数の指示を行った。

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