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エピローグ

 ルートヴィヒを殺したルキウスは、改めて、ベルジカの新王フランツによってオルセオロ侯爵に叙された。これに内乱に参加していた諸侯も同意したため、彼は名実ともにオルセオロ侯爵となる。また、先代侯爵であるマルクス、その子であるアントニウスとガイウスにかけられていた謀反の疑いは、ルートヴィヒらによる冤罪であるとされ、死者の名誉も回復された。


 しかし、諸侯の中には本当に冤罪であったのか、と疑う者もいた。

どういう経緯を辿ったにしてもルキウスがルートヴィヒを弑逆し、フランツを王として即位させた。それは、あまりにも劇的であり陰謀を疑わずにはいられなかった、という側面がある。無論、事実はそうではないのだがすべての人々が真実を見てくれるわけではないのである。


 このような疑いに対してルキウスは、否定も肯定も行わなかった。

 それは一つに、否定したところで信用してもらえるとは思えなかったためであるが、最大の理由は疑惑のある方が、都合が良かったためである。


「オルセオロ侯爵は権謀の人である」

「逆臣とはよく言ったものだ。関わりに合わぬほうが良い」

「若いのに蛇のような御仁だ」


 諸侯はある種の畏敬を持ってルキウスを見た。後ろ盾のないフランツを王に据えたルキウスは彼を支える必要があった。フランツが王である限り、ルキウスは王殺しを責められる事はない。しかし、フランツ以外の王がたてば糾弾を受ける可能性がある。そういう意味で彼らは共犯関係にあり、ルキウスが諸侯から畏敬されている現状は悪くなかったのである。


 戦乱後、ルキウスとフランツは次のことを諸侯に発表した。

 一つは、この戦乱によって亡くなった貴族の所領の扱いである。キルデベルトとシャルルの領地である二人の領地は、諸侯に均等に配分し無為の戦役によって疲弊した各家の経済を回復させるために活用する。ネンシス子爵の領地は、隣接するオルセオロ侯爵領に併呑されることとされた。


 これに関して、諸侯は、

「ネンシス子爵領が併呑されるらしい」

「オルセオロ家がさらに大きくなればベルジカの半分ちかくがオルセオロの物になるではないか」

 と、不満を漏らした。


 ルキウスはこれに対してネンシス子爵領の併呑はやめるつもりはなかった。先々代の頃からネンシスとオルセオロの関係は悪く、領地の一部であるベネトはたびたびネンシスからの海賊に襲われていた。これを根本的に解決するためには、ネンシスも自分が領有することが有効な方法だと信じたからである。


 そして、ルートヴィヒの行いに諌言を行ったゆえに亡くなったアクィタニカ子爵の領地である。子爵にはマウロという子息がいたのだが、年流行り病で亡くなっている。幸いマウロには幼い息子がいた。だが、三歳にもならない子供に領地をあずけるわけにもいかず、彼が成人するまで領地は王の直轄地とすることになった。


 次にネウストリア大公家である。大公は息子とともにシャルルに討たれており直系が途絶えてしまったとめ、領内にいる分家から代表を選び、ネウストリア大公家を継がせることとした。だが、その選定は分家同士に任せる形をとり、王家とオルセオロ侯爵家は干渉しないこととなった。


 それは、ルートヴィヒが大公に冤罪をかぶせて処断したという王家側の弱みがあったこと。オルセオロ侯爵が、彼と並ぶ広大な領地を持つネウストリア大公家に影響力を持つことを諸侯が恐れたためである。ゆえに新しいネウストリア大公選定は未だ選ばれていない。


 これらの戦後処理をするためにルキウスは内乱終結後も王都トレヴェローヌに滞在しなければならなかった。そんななか、一通の書状が、ルキウスのもとに届けられる。


「ルキウス様、お久しぶりです。いえ、もうオルセオロ侯爵とお呼びしたほうがいいですね」

「いや、会長と呼んでくれ。セスティ、久しぶりだね」


 ルキウスが微笑むと、セスティエーレ・マルコーンは目だけで笑ってルキウスに頭をさげた。オルセオロ商会ウェスクリフ支店の支店長であるセスティエーレは、懐から一枚の書状を取り出すとルキウスに差し出した。書状には王冠をかぶった獅子の封蝋が押されている。


「アルフレッド王からか……」

「はい、ルートヴィヒ王の敗死がウェルセックに伝わってすぐに王宮から使者が現れました。これをルキウス様に手渡すようにと」


 ルキウスは、内乱においてウェルセック王アルフレッドの名を騙ってフランツの正統性を示した。それはアルフレッドの妹であるルフスリュスがいたから出来た事ではあるが、アルフレッドの承諾を受けていない。ましてや、ルキウスはそのルフスリュスを妻とさえしている。書状の中身がルキウスを非難する内容であることは想像に難くない。


「見たくないな。そのまま持って帰って貰うわけには行かないかな?」

「ルキウス様!」


 セスティエーレが身を乗り出して、ルキウスを睨みつける。

「冗談だよ。セスティ。そんな訳にはいかないことくらい分かっているよ」


 ルキウスは、セスティエーレから書状を受け取ると、小刀で封蝋を器用に剥がした。丸められていた羊皮紙が広がる。


『顔も見ぬ良き隣国の義弟へ。

 ベルジカ王国における内乱に関し、親しき隣国の王として悲嘆にたえない。そのうえで、新しく王位についたフランツ王には、ウェルセック王国とベルジカ王国の友好関係を継続して築き、王の正統性を相互に認めることを強く欲するものである。

 また、この内乱という危難のなか、我が妹であるルフスリュスが貴公を夫とする決意をした。このことにおいて私は、彼女の意思を尊重し婚姻を認めるものとする。しかしながら、オルセオロ侯爵は、寡兵を持って難攻不落と名高きトレヴェローヌを占領させた剛の者と聞く。我が国の王都はトレヴェローヌのような高き城壁を持たず、侯爵が訪れるとなれば国民を悪戯に不安にさせるため、入国せぬように願うものである。もし侯爵が引退し、ただの商会の長として入国するのならば熱く歓迎するものとする』


 書状を読み終えると、ルキウスは小さくため息をついた。


「結局は、妹はやるから二度と入国さるな、ということか」

「アルフレッド王の疑心暗鬼も相当なものですな」

「まぁ、いいさ。どこで転ぼうとも僕がウェルセックを攻めるようなことはないのだから。婚姻を素直に認めてくれたことを感謝するとしよう。それはそうと、セスティに頼みがあるのだけど」


 喜色を浮かべたルキウスが言う。セスティエーレはあまり気乗りのしない硬質な声で応じる。この若者が明るい口調をだすときは決まってロクでないことが多いのだ。そういうところだけは、彼の商業の師であるカステッロとルキウスはよく似ている。


「なんでしょうか?」

「来月からウェスクリフの商館とベネトの商館の二つをセスティに任せる。トレヴェローヌは変わらずにクローチェに任せるが、僕がいなくなったあとのベネトは任せたよ」


 ルキウスはそういうと、中断していた執務を再開する。


 セスティエーレは、猛烈な抗議を口にするが、ルキウスは「会長命令」と言っただけで抗議に応じなかった。なぜなら、これはクローチェとカステッロを含めた三人で決めたことだからである。いまの彼らには、まだ王都でやらなければならないことが多く残されている。とてもではないが、ベネトまで面倒が見られない。ならば、戦闘に参加しなかったセスティエーレに少しくらい苦労してもらおう、と言うことになったのである。


「それでいいね?」

「ええ、構いませんぞ。あの歩く生真面目にも少し仕事を回しませんとな」


 カステッロが言うとクローチェが同意する。


「そうだ。一人だけ楽をしやがって痛い思いもしてない、というのは許されない」


 もう治ったはずの古傷を押さえてクローチェが笑う。


「そうそう、カステッロもネンシスへ代官として行ってもらうから。しっかり働いて欲しい」


 ルキウスの突然の発言にカステッロの顔が破顔から一転して苦渋に変わる。クローチェはあまりの変化に大笑いしている。ルキウスは、これで落着とばかりに微笑む。

こうして、セスティエーレの知らないところで全ては決まったのである。


 同じ頃、ルフスリュスもアルフレッドからの書状に目を通していた。彼女のもとに書状を届けたのは、ベルジカに新しく駐留するウェルセックの領事である。


「確かにお渡しいたしました。私はこれにて」


 領事は恐ろしいものと接したかのように足早に去っていった。王家の問題に関わり合いたくないのだろう。ルフスリュスは封蝋を強引に引き剥がすと書状を確認した。


『最愛の妹へ。

 最初に、私の意を達成したことを嬉しく思う。だが、これは道の半ばである。このまま継続してベルジカがウェルセックに手を出せぬようにし続けることが私の願いである。そのため、私はお前の婚姻を認めることにした。今後も継続して、私の願いを叶えるまでウェルセックに戻ることは許さず、一層の忠勤に励むよう求める』


 ルフスリュスは書状を細く白い手で握りつぶすと、燃え盛る暖炉に投げ込んだ。


「頼まれても帰りません」


 そう言うと彼女は微笑んだ。それは誰に向けられたものでもなかったが、秋空のように澄み切った笑顔だった。





 ルキウスがルフスリュスを連れて、要塞都市アウグスタに入ったのはガイウスの死から三ヶ月が過ぎた頃であった。王都ではフランツを中心とした政治体制が、動き出している。おかげで王都はルキウスが離れても安心なくらいに安定してきている。一方で、アウグスタには未だに兄であるガイウスの部下たちが守兵として篭っている。それはルートヴィヒの死後も変わらず、内乱終結を告げる書状にも返書はなかった。


 そのことはルキウスの心を重くした。


 彼ら守兵が、自分たちの主人はガイウスだけだと言って、アウグスタに立て篭っているのならルキウスは彼らを新しいオルセオロ侯爵として討伐しなければならない。それだけは回避したいと願いながらも直接の救援を放棄し、王都を直撃したルキウスを守兵がどのような思いでいるか、と考えるだけで彼の気持ちは沈んでゆく。


「ルキウス。もう少し、威厳のある顔をしてください」


 ルフスリュスがルキウスの隣に駒を並べて言う。その声には怒気とともに憂慮が混じっている。


「威厳がある表情をしているつもりなのだけどな」

「どこがですか? 目が泳いでいます。これが王都で大蛇とか逆臣と恐れられているオルセオロ侯爵かと思うと情けなくなります」

「本人と周囲の人の認識が乖離かいりしているだけだよ。これが僕というものだよ」


 力なく答えるルキウスの背をルフスリュスが軽く叩く。トンと軽い音がする。ルキウスは、前方に見えてきたアウグスタの城門を捉えると、鐙を蹴って駒の速度をあげた。城壁の上には完全武装の兵士が歩哨にたっている。ここだけが、内乱のまま取り残されているようだった。


 ルキウスが城門の前に立つと、城壁の上から若い兵士の声が聞こえた。


「何者であるか?」

「僕はオルセオロ侯爵ルキウス。新しい侯爵として要塞都市アウグスタに入りたい」


 守兵たちは押し黙ったままルキウスを見つめる。誰ひとり、口を開かない。しばらくの間、沈黙が周辺を支配したのち鈍い音が響いた。城門がほんのわずかに開いたのである。その隙間から一人の女が出てくる。ルキウスには、女性に見覚えがあった。亡き兄の妻であったシンシアである。


 ルキウスは急いで馬から降りると彼女の前に駆け寄った。


「……義姉様。お久しぶりです」

「ルキウス殿」


 シンシアは、ルキウスの名を呼ぶや。鋭い平手打ちを彼の頬に打ち付けた。高い乾いた音がなる。しかし、それでもルキウスは言葉を発しなかった。


「随分と遅い救援ですね? どこで道草を食っていたのです」

「すいません……」

「……、あなたがしたことは王都から遠いこの地まで聞こえています。あなたがガイウスと父の仇を討ってくれたことも知っています。ですが、だからこそ何故。ガイウスを助けられなかったのです!」


 シンシアは眼に涙をためて、もう一度ルキウスの頬を叩いた。


「少し、ほんの少しでも早ければ……。ガイウスは、父は」


 堰を切ったようにシンシアの口から出てくる罵詈雑言をルキウスは黙って受けた。それだけしか彼にはできなかった。涙と嗚咽で言葉を詰まらせたシンシアが膝から崩れ落ちるころには、城壁の上にいる守兵からも啜り泣くような声が響いていた。


 誰もがガイウスを愛していた。そして、ルキウスはそれを助けることはできなかった。無力感が胸を締め付ける。ルキウスはこのときはじめて泣いた。父と兄の死を聞いたとき、彼は泣かなかった。衝撃がないわけではなかった。しかし、泣けなかった。


 だが、いまようやく涙が出た。そして、「ごめんなさい。兄上」とかすれた声で呟いた。

 気づけば、傍にルフスリュスが泣きそうな顔で立っていた。かける言葉が見つからないのか、彼女はずっとルキウスを見つめていた。彼女はガイウスに会ったことはない。だが、ここにいる人々がいかに彼を愛していたかは分かった。


 皆の涙が枯れた頃、ルキウスは赤く目を腫らしたシンシアに尋ねた。


「このままアウグスタに居られますか? 貴女が残られるなら僕は侯爵の城館をベネトに移し、ここは貴女に差し上げます」

「ルキウス殿、好意は嬉しく思います。ですが、ここにはいい思い出も悪い思いでもたくさんありすぎて、耐えられそうにありません。それにここがオルセオロ侯爵の城館なれば、侯爵である貴方はここに居なければいけません」

「では、義姉様はどこへ?」


 心配そうな顔で、ルキウスが尋ねる。シンシアは少し遠くを見たあと、


「海が見える場所へ。ベネトのどこかに屋敷をいただけますか? そこでしばらく住んでみようと思います」


 と、言った。守兵の数人が、「我らも同行できますでしょうか?」とシンシアに付き従うことへの許可を求めた。ルキウスはそれを許可した。シンシア達は、僅かな荷物を持ってアウグスタを去っていった。残りの守兵は、改めてルキウスに忠誠を誓うと、ルキウスをオルセオロ侯爵と認めた。


 ようやくアウグスタに入ったルキウスは、アウグスタを一望するため、一番高い尖塔に登った。

「誰もいなくなってしまった」


 と、最後の家族がいなくなった喪失感を吐き出した。


「あら、私も去ったほうがよかったですか?」


 後ろからの声にルキウスの方が震える。誰もいないと思っていたのだろう。


「いや、そうじゃない」


 慌てて彼女を宥めようとするルキウスに近づいたルフスリュスは、ばっと彼を抱きしめた。


「二人です。ここが終わり。そして新しい始まり」

「そうだね。ここが始まりだ」


 ルキウスはルフスリュスを強く抱きしめた。

『逆臣ルキウス』を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


いろいろな人に助けられて完結まで、たどり着くことができました。

本当に僕ひとりではどこかで匙を投げていました。みなさんのおかげです。


また、次作として『略奪王ブレダ』の連載を始めました。

もしよろしければ、そちらもお願いいたします。


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