表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/22

第一話 出航

「帆船、ガレア船ともに準備整いました。全船いつでも出航できますぞ」


 商船団長のカステッロ ・ミーラの報告を受けてルキウスは船橋に立った。周囲では水夫たちが水や食料の積み込みを終了し、甲板に集合していた。彼らの乗るガレア船『悪運』は、ベルジカ王国でも珍しい二段櫂船である。一つの櫂を三人の水夫が漕ぐため、一人が一本の櫂を漕ぐ普通のガレア船と比べると水夫の数は単純に三倍である。

 甲板に集まった水夫は、艦橋に立った若い主人の言葉を待っていた。


「太陽が天中に登るまでににベネトを出航する。なんとしても三日後にはウェスクリフの港に入るぞ。みんな、急いでくれ」


 ルキウスが号令を上げると船員が声を上げて作業に取り掛かる。マストの上では監視員が僚船に手旗信号でルキウスの号令を伝えている。手を動かさぬ者、口を動かさぬ者は誰ひとりいない。全ての人が、自己のやるべき仕事に注力している。


「若もだいぶ様になってきましたね」

色黒く焼けた肌に白髪交じりの髭を伸ばしたカステッロがルキウスの隣に立つとニカリ、と笑った。

「最初に乗船したときは船酔いで立つこともままならなかったのに、今では立派に指揮を執られている」


「もう二年も乗っているんだ、慣れもするさ。あと頼むから、その若って言うのは止めてくれって言っているだろ」


ルキウスが口を尖らせて抗議する。カステッロは「そうでしたな、会長」と訂正するが次に話すときにはまた若に戻っているのが常である。


「まったく、カステッロの所為でいつまでたっても僕の威厳が商会中に広まらない」


 ルキウスが会長を務めるオルセオロ商会は、ベルジカ王国オルセオロ侯爵が経営する商会である。貴族が商会を経営することは決して珍しいことではない。だが、オルセオロ候爵家ほど大きな規模で商いをしているのは珍しい。


 領地で採れた農産物や産物を領主が販売する方法として代表的なものは御用商人を利用する方法である。これは農産物や産物を御用商人に一括して卸売ことによって在庫管理や流通を一元して任せられる利点がある。反面、卸値を御用商人に良いように買い叩かれた挙句、高値で小売される可能性があるという欠点がある。


 その点、手間はかかるが貴族が商会を持ち、小売商人に直接販売する方法は仲介業者となる御用商人がいない分、卸売よりも実入りが良かった。また、商会を経営することで爵位を継承できない嫡子以外の子弟に生きる術を与えることもできた。


 ルキウスはオルセオロ侯爵の三男であり、爵位継承順位は三位である。しかし、二人の兄は壮健で間違っても彼に候位が回ることは考えられなかった。そのためルキウスは、侯爵家の後継として政治と軍事の道にそれぞれ進んだ二人の兄とはまったく違う道を選ぶことにした。


 政治と侯爵家は長子であるアントニウスが引継ぐことが既に決まっており、父マルクスも水瓶の水を移し替えるように自らが持つ政治の知識や経験を兄に伝えていた。当然、そこにはルキウスが入り込む余地はなかった。


 次の軍事には、多少の憧れはあった彼だが、自身が

「鍬を持った農夫の方が強い」

 と述べるほど彼には武芸の才はなかった。

 

 馬に乗れても、馬上で刀槍を振り回すことは出来ない。そのため、彼は英雄譚を読んでも英雄に劣等感を覚えるばかりだった。英雄といえば、その多くは一騎当千の強者であり、ルキウスがひっくり返ってもその高みにはたどり着けない。それがわかる彼の興味は、いつの間にか軍師や参謀と呼ばれる種類の英雄になった。

 

 武芸の才のない末弟に対して次兄のガイウスは、最低限貴族として恥じない武芸を身につけるべきだ、として厳しい指導を行ったが成果は出なかった。そして最後には、

「やる気がないなら、やめてしまえ」

 と、匙を投げた。ルキウスは決してやる気がないわけではなかったのだが、どうしても体が動かなかった。それは二つの恐怖が彼の身体を固くしたからである。一つは、自らの身体への痛み。練習といえど、木剣で殴られれば痛い。その痛みへの恐怖が動きを鈍くさせた。二つは、相手を傷つけることへの恐怖である。殴られれば痛い。それは自分も相手も変わらない。自分が振った木剣の当たり所が悪くて相手が死んだらどうしよう。そんな過剰とも言える加害意識がさらに動きを悪くさせた。

 つまり、彼は単純に臆病者であったのである。


 そんなルキウスにも特技があった。それは算術である。これだけは二人の兄に勝つことが出来た。その特技に目をつけたが父であるマルクスであった。


「得意なことをするのが一番、本人のためになる」


 そう言って彼は、祖父が興したオルセオロ商会をルキウスに手伝わせるようになった。兄たちが馬上試合の訓練に汗を流している間もルキウスは商館を遊び場として過ごした。これはルキウスにとって僥倖ぎょうこうであった。もう殴られる恐怖も誰かを傷つけてしまうのではないかという恐怖を感じることがなくなったからである


 その後、父の意向によりルキウスは十七歳の若さで商会の会長に就任した。幸い、カステッロを中心にとした古参の多くはルキウスに好意を抱いており、反発する者はいなかった。むしろ、

「若い会長のために老骨が頑張らねば」と張り切る者が多かった。


 こうしてルキウスは彼らを時に教師として、時に部下として二人の兄とは全く違う人生を歩んでいた。


「はやく若の威光が広がると良いですな。そうすれば、この商会はもっと豊かなものになりましょう」カステッロは目を細めながらルキウスを見る。


「持ち船百隻の大商会、それが前侯爵の夢でございました」

「祖父の夢か。まだまだ遠いな……」


 ルキウスの眼前に浮かぶ船舶の数は帆船二隻にガレア船四隻の六隻。これに王都トレヴェローヌに小麦の買付けに送り出した帆船三隻と小型ガレア五隻にガレア船二隻を足して合計十六隻がルキウスの持つすべての船舶である。


「だが、僕の代で叶えたいものだ」

「さようで。私の生きておるあいだに頼みますよ」


 カステッロはルキウスの肩を叩くと船橋からゆっくりと降りていった。後部甲板では帆船との連結が終わったらしく、櫂の漕ぎ手がそれぞれの持ち場につき号令を待っていた。カステッロの野太い号令がかかると、左右についた二七本の櫂が生き物のように動き出す。ガレア船が水を切って進み始めると、ガレア船に太い縄で繋がれた帆船もゆっくりと水面を滑り始める。


 風を帆で受けて動力とする帆船が港をでる場合、櫂を動力とする小型ガレア船かガレア船が牽引する。これは順風でなければ進めない帆船が誤って波止場に衝突するのを避けるためである。


「これでしばらくはベネトともお別れだ」

「ウェスクリフまでは隣家を通るような航海です。そんなに感慨にふけることはありますまい」

「それは分かっているさ。だが、どうしても船出の時はどこか寂しい気分になるものだ」


 ルキウスは離れつつあるベネトの街並みに目を向けたまま言った。カステッロは少し意地悪げに微笑んで、右の小指を立てて見せた。


「そう言う詩人めいた台詞は、港ごとにコレの一人でも作ってから行っていただきたいものですなぁ。若は船を増やす前に良い人を増やす方が先決かもしれませんぞ」

「英雄は色を好む、というが僕は商人だ。商人が色にふけって財を成したとは聞いたことはない。僕らの前に広がるベネトを築いた曽祖父も色には疎かったという。きっとそれがオルセオロの血なのだろう」


 ルキウスはそう言ってカステッロの小指を人差し指を親指で掴むと、そっと閉じさせた。妙に落ち着いた言葉をいう割に、耳を赤くさせているルキウスを眺めてカステッロは「まだまだ青い」と心なかで呟いた。


 二人の眼前に広がるベネトの街並みは今から約百年前、ルキウスの曽祖父の時代に作られた。いまでこそ交易都市と呼ばれるベネトであるが、かつては、潟に寄り添った小さな漁村であった。それが一変したのは、五代オルセオロ侯爵アウレリウスによって潟の埋め立てが行われ、大型の港と塩田が整備されたためである。それから百余年、ベネトはベルジカ王国とウェルセック王国を繋ぐ航路の中継地として発展を遂げてきた。


「ネンシスの海賊が出てこないといいですな。女に溺れるのは男冥利につきますが、海賊に海に落とされて溺れるというのでは目も当てられない」


 カステッロが冗談めかして不穏な予測を述べる。ネンシスは、ベネトの西にある港町である。ベネトが今日のようにベルジカ王国とウェルセック王国との航海要路に発展する以前、両国のあいだで莫大な利益を手にしていたmpがネンシスである。しかし、いまは交易ではなく、帆船やガレア船よりもはるかに小さい小舟を使った海賊業を生業なりわいとする海賊の街となっている。


「流石に四隻のガレアに護衛された帆船を襲うことはないだろう……」


ネンシスが海賊業を主産業とすることになったのには、大きく二つの理由が挙げられる。


 一つは、ベネトという天敵が現れたことである。ベネトが整備される以前は、隣国のウェルセック王国と交易ができる港や倉庫が揃った町はネンシス以外になかった。それが百年前に突然、ただの漁村であったベネトが港町へと変貌を遂げた。これによってネンシスはウェルセック王国との交易を独占できなくなった。


 二つは、船の構造の変化である。ただ近所に同じような港町ができただけではネンシスも海賊業を主産業とすることはなかった。百年前頃から帆船は、より多くの積荷が載せられるように大型化した。これがネンシスとベネトの命運を分けた。船体が大きくなると、それに合わせて船底は深くなり、水深の浅い港には停泊できなくなる。船底が海底に触れる危険性があるためである。不幸なことにネンシスの近海の海は水深が浅かった。反対にベネトは潟を埋め立てて作られた街であり、潟から少しでも離れると一気に水深が深くなっていた。これによりベネトは大型帆船でも容易に停泊することができた。

 結果として、大型帆船はベネトに集中して停泊するようになり、交易の中心はネンシスからベネトへ移っていった。このことは交易によって財を成していたネンシスに大きな打撃を与えた。


 ベネトの登場によって、交易の中心から外されたネンシスでは次第に経済が行き詰まり、生活が苦しくなった。ネンシスの住民は遠く沖合を進んでいく大型帆船を眺めながら、ベネトに対して激しい恨みを持つようになった。


「あとからポッと出てきたくせに」

「オルセオロ侯爵の肝いりだからっていい気になって」

「俺たちが先にやってきた交易を横取りしやがって」


 そう思うのがネンシスの住民だけならば良かった。しかし、もっともベネトに対して黒い炎を燃やしたのが、ネンシスを統治するネンシス子爵であったことが問題をさらに悪化させた。


「俺の領地が貧しくなったのはベネトの所為である。本来ならばネンシスが得るべきだった富を返してもらおう」


 富の返還を求めたネンシス子爵は、もっとも短絡的で容易な方法をとった。それが海賊行為である。


 ベネトに入る帆船を狙って七、八人乗りの小舟で構成された十隻ほどの船団で包囲し、積荷や金品を奪うのである。これはかなりの利益になった。交易ならば物を仕入れて、売ることで利益を得る。しかし、海賊ならば奪って売ればいいのである。仕入れにかかる費用はまったくない。売上はそのまま利益になるのである。海賊業を始めるとやめられなくなるのも道理であった。


 これに激怒したのがベネトを築いたオルセオロ侯爵アウレリウスである。アウレリウスは三千の兵を率いてネンシスを包囲した。これに驚いたネンシス子爵は、海賊行為を辞める事を誓約したが、完全に海賊がいなくなることはなかった。ネンシス子爵が誓約を履行しなかったこともあるが、住民の多くが交易よりもはるかに利益になる海賊行為を続けることを選んだためである。


 このような海賊行為に対して、ルキウスのように貿易を行うものは、商船を一隻だけで航行させるのではなく、複数の船を合わせて船団として交易に出すようになった。船団であれば、小舟にも包囲されにくく、防衛もしやすかったからだ。


「しかし、歴代のネンシス子爵も執念深いものだ。ベネトができて百年も経つというのにいまだに敵対心を失わない」

「それだけネンシスが失ったものが大きかった、ということでしょうな」


 カステッロは苦笑いをする。この人生の半分以上を海上で過ごしてきた老商人が、ルキウスにとって商いの教師であり、良き部下であった。二年前、右も左もわからぬまま放り込まれた商会で最初にルキウスに商売に基本を教えてくれたのが彼であった。


「失ったものは奪い返すものだ。こんな考えが一般的になれば僕たちは商売にならないな。せめて、買い戻す、となって欲しいね」

「買い戻せる物なら良いでしょうな。ですが、誇りとか栄光というものは買い戻せるものではなりません。形のないものはなかなか買えぬものです。いくら金を持っていても女心が買えぬのといっしょです」

「ネンシスが失ったものは、そういうものだと?」


 ルキウスは疑問を口にしたが、カステッロは微笑を浮かべるだけでなにも答えなかった。


 船団が完全に港を出ると、帆船もガレア船も次々と帆を上げた。帆は南風をはらんで大きく膨らむ。帆船が自力航行できるようになるとガレア船は、それぞれが帆船に繋いでいた綱を解いた。帆を上げたガレア船は、一糸乱れず動いていた櫂を魚の胸びれのように水平に固定する。


 櫂は風向きを気にしない便利な動力である。しかし、問題もある。それは、人間が櫂を漕がなければならないということだ。帆の場合、動力は帆に受ける風の強さになるため、風が吹き続ける限り船は前に進むことができる。


 しかし、櫂ではそうはいかない。櫂を漕ぐ人間は風と違って必ず疲れてしまう。つまり、櫂だけで、航海することはできないのである。そのため、ガレア船には櫂と帆の二つが積まれているのである。帆で航行する間は漕ぎ手は休息をとる事ができる。櫂と帆。これを交互に使いこなせば、船は止まることなく進み続けられるのだ。


「若、そういえば船出の前に手紙を受け取っておられましたが、まさかこれではありませぬか?」

 カステッロが再び小指を一本立ててニヤリと下卑た笑みを浮かべる。老いても盛ん、とはこの老人のことだとルキウスは思う。嘘か真かは分からないが、カステッロには港ごとに情婦がいるという。


「そういうものならいいけどね。受け取った二通のうち、一通は父上からだ」


 オルセオロ侯爵家の紋章が蝋付けされた羊皮紙をルキウスが懐から取り出す。ルキウスは、商会を預かるようになってから父や兄と出来るだけ会わないようにしている。武芸の才なし、として商会を預けられた自分が、貴族然として、オルセオロ侯爵家の一員だとはなんとなく思えないからである。


「小麦の販売の件ですか?」

「いや、ウェルセックである貴人を乗船させて欲しい、とあった。おそらく、ウェルセックからの亡命者だろう。あの国もようやく内乱が集結した。危うい立場にある人物も多いに違いない」


 ルキウスが向かうウェルセック王国は、一年前まで王位継承を巡って内乱の渦中にあった。だが、現在は先王の息子が王位を継ぐことで落ち着きを取り戻している。


「では、もう一通は?」

「もう一通は上得意様さ」


 ルキウスは人の悪そうな笑みを浮かべる。


「フランツ様ですか」

「正解! 我らが上得意にして王弟のフランツからだ」

「また、奇妙奇天烈な品を探してこい、という話ですか」


 フランツは、ベルジカ国王ルートヴィヒの弟として有名だが、珍品の収集家としても名を馳せている。彼は聖人の骨や聖獣の骨など真偽の怪しい遺物を収集するのが趣味で、これを高値で買い取ってくれることから商人の間では良い「カモ」として有名である。


 ルキウスは以前、鯨の骨を勝利を司る聖獣の骨として売りつけたことがある。それ以来、フランツはルキウスに何かにつけてほしい物を伝えてくるようになった。伝えられる品々の多くは眉唾物の遺物であったため、ルキウスはそれによく似たガラクタを探し出して彼に非常に良心的な価格で販売した。


 このその筋では有名な王弟は、残念なことに王位継承権は下から数える方が早い。母親が侍女という身分の低い者だったせいである。そのため、彼は人々から一応の敬意は払われるが、なにも権力もない。そんなやるせなさがフランツに珍品の蒐集という奇行に走らせるのかもしれない。


「今度はなにを売りつけてやろうか? 海豚いるかの骨を人魚として売るか」

「黄鉄鉱を賢者の石として売るのもいいかもしれませんな」


 こうして、悪い顔をした商人二人を乗せた船団は、ベネトから北東にある北海に浮かぶ島国ウェルセック王国を目指していく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ