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第十七話 作戦開示

「王の後背こうはいを撃つ」


 ルキウスは事も無げに言ったが、カステッロとオズウェルは唖然あぜんとした。


 ベネトにある戦力は、オズウェルを含めて千二百名に増加したとはいえルートヴィヒが率いている王師一万五千名の一割にも満たない。いくら王師が城塞都市アウグスタ攻略のために都市を囲むように広がっているとは言え、ルートヴィヒがいる本陣は最低でも三千名の近衛が警護にあたっている。そこに千名程度で切り込むと言うのは無謀としか言い様がない。


 また、ルキウスの率いる兵は歩兵である。一撃離脱いちげきりだつを繰り返す遊撃戦ゆうげきせんを仕掛けても、騎兵ほどの貫通力と速さはなく。敵の騎兵に捕捉ほそくされる可能性が高い。一度、捕捉されれば再度の攻撃は難しい。とても、奇襲に向いている兵種ではない。


「無謀な攻撃に巻き込まれるなら、私は牢に戻る」


 最初に声を発したのはオズウェルだった。牢から出された元ウェルセック王国の海将は、ルキウスから現状を説明されるにつれて眉間にしわを寄せていった。


 ――とても勝てる戦いではない。


 部下の命と王国の未来のために、ルフスリュスの旗下に入ったつもりであったがこのような無謀な戦いに駆り出されるくらいならば、牢にいた方がマシだ、という思いが彼にはある。それほどまでに彼らがいる状況は悪い。先の戦闘でネンシス子爵を破ることができたのはひとえに地の利があったからに過ぎない。それに気をよくしてルキウスが無謀な攻撃を企図しているのなら、それはとんだ愚か者である。


「オズウェル卿、僕は後背を撃つといったが、それはアウグスタへ救援に行くわけではない」

「アウグスタに行かなければ、王の後背は撃てないでしょう。ルキウス殿、私はルフスリュス様の旗下だ。貴方となぞかけを楽しむような気持ちはない」


 困ったな、というように苦笑いを浮かべるとルキウスはオズウェルに言った。


「王の後背はアウグスタだけにあるわけではない。王はもう一つ大きな背中を持っています」

「ルキウス殿! なぞかけは……」


 オズウェルからの抗議を眼で抑えると、ルキウスはさらに続ける。


「王のもう一つの背中。それは王都トレヴェローヌです。王の本拠地で本来なら僕の手の届くような場所ではありません。だが、いま王都の兵は王に従ってアウグスタに滞陣しています。王都の残してきた者からの報告では王都を固めているのは千名程度の近衛だけで、その指揮はキルデベルト子爵だという。千と千ならば良い戦いになると思いませんか?」


 言葉は誰からも発せられなかった。


 もし、王都が陥落すればベルジカ王国建国以来はじめて王都が落ちることになる。ルートヴィヒがその知らせを聞いてもまだアウグスタ攻略を続けるとは思えない。急ぎ、兵をまとめて王都に帰ってくるだろう。そうなれば、アウグスタの包囲は解かれ、兄であるガイウスは行動の自由を取り戻すことができる。


 そこからは外交なり、戦闘なりを再び選ばなければならない。

 だが、時間は大きく稼げるのである。なんの手を打つこともできず、流れるまま開戦した今回と違い。次では主導権をこちらが握ることも可能になるのである。


「なんと、言われた?」

「王都トレヴェローヌを攻めるといった」


 ルキウスは再び言った。


「若の思い通りにことが運びますかな?」


 カステッロがいつもと変わらない口調で尋ねた。


「行くさ。行かなければ、困る」

「無謀な投機は?」

「有能な商人ならしない。有能な商人ならば儲けるべくして儲け、損するべくして損をする、だなカステッロ」


 ルキウスとカステッロがお互いの顔をみやって微笑む。一人だけ蚊帳かやの外に置かれたオズウェルはそれを黙って見ているしかなかった。


「勝算あり、ということなら反対はしますまい」


 カステッロは丸みのある声でルキウスの考えに賛同を示した。


「勝算ありですか? 私にはとてもあの王都の城壁を破れるとは思えない」


 王都トレヴェローヌを囲む城壁は、諸外国に伝わるほどに高く、厚い。おそらく、オズウェルは過去に王都の城壁を見たことがあるのだろう。その威容は、見る者を圧倒する。

 ――とても越えられない。

 ――このような巨大な物どうすればいいのか

 攻めるものには畏怖を与え、守るものには安心を与える。それが城壁である。


「城壁を正面切って破ろうと思えば、そうでしょう」

「ならば、どこから入るというのです?」


「海ですよ。海。王都は隣国であるトリエル王国からの攻撃に備えて城壁を築いている。一方で、海に面する北辺の城壁はさして高くない。また、港も鉄鎖で封鎖されることはなく常に門戸を開いている。そして、僕らには四隻のガレア船と二隻の帆船がある。これを使わない手がありますか?」


 東方の蛮族が築いたトリエル王国は、伝統的に騎馬と歩兵を主体する陸軍国であり、海軍はほぼ保有していない。それはベルジカ王国も同様である。常に陸上からの攻撃にさらされてきた歴史が海への認識を甘くした。


 王都の人口に対して、港の規模が小さいのはこのあたりに要因がある。だが、今回はそれがルキウスにつけ込む余地を与えた。


「……それなら」


 ――それなら、やりましょう。

 と、思いながらもオズウェルには、ルキウスを測りかねていた。


ルキウスが提示した策は不可能ではない。また、海戦で自分に打ち勝った実績もある。ルフスリュスも彼の策に従うように命じている。だが、本物かどうか。彼には分からなかった。


「ベネトには二百名の傭兵を守備に置く。ベネトが攻められる可能性は少ないが、僕らが出たことを知られたくない。彼らにはここで僕らが専守防衛に徹しているように欺瞞工作ぎまんこうさくに徹してもらう」


「名実ともに千と千の戦いになりますな」

「同数になったことが救いだよ。それに今回は僕たちが先手だ。後手よりは有利だと思えば、賽の目は悪くない」


 ルキウスが笑う。オズウェルにはわからない。なぜ、この青年は笑っていられるのか。局所では同数になったかもしれないが、大局での数は依然いぜんとして劣勢なのである。何よりも彼は自分の主人と争っているのである。臣下が王に勝ったとして、その先があるのか。


「私たちの命運は賽の目と同じ、というわけですか」

「オズウェル卿、思うところはあると思うが協力してもらう。あなたがいなければこの作戦は成り立たないのだから」

「もし、敗色が強くなれば私はルフスリュス様を連れて逃げますが、よろしいですか?」


 オズウェルは笑顔を向けるルキウスを見据えていった。


「構わない」


 さきほどと異なる静かな語調でルキウスは言った。


 オズウェルは返事をためらった。ルフスリュスは言っていた。


『私はルキウスの人質です』


 敗北するようなことがあれば、ルキウスは彼女の命を盾にして、彼は他国に亡命する以外に方策がない。ルートヴィヒにとって隣国の王女であるルフスリュスの命を奪うことは外交上できない。それゆえに彼女はルキウスにとって最大の盾になるはずなのである。


 それだというのに彼は、その盾を持っていっても構わないという。

 正気の沙汰ではない。己が負けるとは考えないのか。


「負けないなんて増長ぞうちょうしているわけじゃない。だが、僕がルフスを盾にして逃げれば命は助かるかもしれない。だけど、それでは兄も救えないし、家名も救えない。そうなれば、この戦いに参加した意味はない」


 なによりも、王族としての有り様を見せつけた彼女に対して、劣等感だけを感じることになる。並び立てるだけの器量くらいは示さなければならない。ルキウスは、最後の部分だけ伏せてオズウェルに言った。


 自分の心を見透かされたような答えを提示され、オズウェルは驚いた。


 それと同時にこの青年がもつ狂気を見た。彼は参戦の意味を失うくらいなら死ぬ、と言ったのである。自分を含めて千人の命を付き合わせる。最低限の勝算はある。だから、負けるとは思わない。


 オズウェルは、随分と長いあいだ考えた。そして、ひとつの答えに行きあたった。ルキウスの狂気はある意味では、アルフレッドを裏切ったオズウェルに似たものがある。


 彼は、アルフレッドが王の器足りえないと思い。怯え迷い、そして王を裏切った。ルフスリュスを王に据えることで、臣下に猜疑さいぎの目を向ける王を打ち倒す。王に怯える臣下を救う。彼はそういう願いを持っていた。


 一方でルキウスは、恩讐おんしゅうの末にオルセオロ侯爵を殺したルートヴィヒに弓を引いた。残された家族と家名を救う。それが彼の願いである。


 どちらも薄氷のうえの願いであり、それゆえに狂気と言える。


「ルキウス殿、貴方は本当に変わっている」


 オズウェルは自分につぶやいてみた。


「勝算がある限りは従います」

「オズウェル卿、ありがとう」


 単純な言葉であったが、単純ゆえに入りやすい言葉だった。


「では、準備を始めます。失礼」

「若、頼りにしてますぞ」


 三人だけの軍議が終わり、二人が部屋をあとにする。二人のいなくなった執務室でルキウスは大きくため息をついた。膝が小さく震えている。


 ――二人は気づいただろうか。僕の脚が震えていたことに。


 二人に言ったことは、嘘ではない。だけど、あるのは本当に最低限の勝算である。


 歯車が狂えば、すべてが終わる。そんなことに千人もの人を付き合わせなければならない。


 家族に見捨てられた自分が、家を救う。あるいは彼女のように誇り高く振舞いたい。どれも自分の勝手な思いである。それに他人を巻き込むことが良いか悪いかといえば、悪いことだろう。


 そこまで分かっていながらも止まることのできない自分にルキウスは驚いた。自分が今まで体験した恐怖は外敵から受けるものだった。しかし、今回は違う。内からくる恐怖である。それに気づいたとき、彼は怯えた。


 ルキウスが一人で怯えていると執務室の扉が叩かれる。


「軍議は終わったようですね」


「ああ、終わったよ。オズウェル卿も同意してくれた」


 ルフスリュスの問に、ルキウスはつとめて笑顔で答えた。


「変な顔をしています」


 怪訝けげんな顔を浮かべてルフスリュスはルキウスの隣に立った。彼女の白い手が彼の足に触れる。


「また、震えていたのですね」

「武者震い、というやつだよ。これからルフスが驚いていた巨大な城壁を持つ王都を攻め落とさなければならない」


「嘘。また、くだらないことを考えていたのでしょ?」


 ルフスリュスはルキウスの頭をコツン、と叩いた。小さな衝撃が頭に響く。


「本当だよ」

「オズウェルから聞きました。負けそうになったら私を連れ去っていいと、言ったそうですね」


 唇を尖らせてルフスリュスが怒りをあらわにする。ルキウスはオズウェルが存外にお喋りだと気づいたが、すべてはあとの祭りだった。


「それは……」


 君のため、と言いかけてルキウスはやめた。つなぐ言葉が見つからず、ルキウスは視線を逸らす。ルフスリュスは眼を合わすために彼の頭を掴んで自分の方へ向けた。驚く程、顔が近づきルキウスは、そらそうとするが頭を掴まれているためうまくいかない。


「あなたは臆病者。すぐに怯えて震えている。だから、私を離さないで。震えを止めてあげるから」


 そう言うと、彼女は軽くルキウスに口づけをした。

 あっと言う間の出来事であった。


「えっ……ルフスリュス」

「ルキウス。もう、震えてないでしょ?」


 悪戯げに微笑むとルフスリュスは、執務室をあとにした。あまりに突然のことだったせいで震えは止まっていた。ルキウスは小さく頭をかくと呟いた。


「本当にかなわないなぁ」


 ルキウスは彼女に最初に会った日のことを思い出した。

 彼女は常にルキウスの先手を行く。おかげで、彼は後手に回り続けている。それゆえに彼は「かなわない」と思った。だが、いまルキウスは彼女に勝てなくとも横に並びたいと欲している。


 この日の夜半、ルキウスらを乗せた船団が出航した。王都までは三日の航路である。




「兄上は大丈夫だろうか?」


 ルキウスらが王都への進攻を計画しているそのとき、王都トレヴェローヌでは一人の青年が不安げな声をあげていた。ルートヴィヒの弟であるフランツである。この庶子の青年は、その王位継承権の低さからルートヴィヒの親征に同伴することを許されず、王城にて無為な日々を過ごしていた。


 彼は奇妙な趣味の持ち主として、有名であった。それは珍品の蒐集しゅうしゅうである。


 彼の居室には、古の時代にいたと言われる獣の骨や聖人の遺物と言われるものが所狭しと並んでいる。ルキウスや商人たちが彼を「カモ」と呼ぶところからその真贋は明らかなのであるが、フランツがそれを気に留めることはない。


 それがあるということが、彼の楽しみだからだ。


「この度はまた珍妙なものが手に入りそうですので、フランツ様にお話をお持ちしました」


 そう言って彼の居室に入ってきたのは、クローチェ・イェーゾロという四十半ばの商人である。オルセオロ侯爵が謀反の疑いでルートヴィヒに討たれたのち、王都に残されたオルセオロ商会を掌握したのが彼である。


 彼は、逃亡した侯爵の三男であるルキウスの行方をキルデベルト子爵に教え、また王都の防衛費として多額の寄付をしたためにキルデベルトに気に入られている。


「ほう、ルキウスも様々なものを持ってきてくれたが、お前はどのようなものを持ってきてくれたのだ」

「フランツ様、そのお名前は……」


 クローチェがフランツをたしなめる。ベネトでルキウスがネンシス子爵を破って以来、キルデベルトはルキウスの名前を嫌い抜いている。


「そうであったな。キルデベルトはよほどネンシス子爵と昵懇じっこんの仲であったのだな」

「いえ、それなのですがキルデベルト子爵がネンシス子爵の肩を持たれているのはまいないを受けておられていたためです。ネンシス子爵は海賊行為で得た資金をキルデベルト子爵に流しておられたようです」


 クローチェが声を潜めていう。

 フランツはこの男の思いが読めなかった。自分がいくら王弟だと言っても王である兄ルートヴィヒの寵臣であるキルデベルトを裁くことはできない。逆にキルデベルトに協力したほうが、自分の身は保証されるかもしれない、と思うくらいだ。


 王城に居を構え事しているが、フランツには公式な役職もなければ、領地もない。部屋住みとして王城にいるだけが、継承権の低い王弟としての責務であるといっていい。


「私も命を助けていただくために、キルデベルト子爵に多額の賂をいたしました。今日もここに来る前に散々、金銭を要求されました。


『謀反人の商会を残しているのは私の慈悲です。それに少しは報いようとは思わないのか?』


 もう、すでに金貨で二万枚を収めているというのにです! あのような臣下が蔓延はびこるようではルートヴィヒ王も器が知れるというものです」


「やめよう。クローチェ、お前は珍品を持ってきたのだろう? そちらの話がしたい」


 フランツはきな臭さを増す、クローチェを振り切るように話題を変えた。権力闘争などしたくもない、珍品を愛でているだけで自分は幸せだ。なぜ、兄上といいキルデベルトといい、権力に拘るのか。と、フランツは疑問に思う。


「そうでした。この度の珍品は王冠でございます」

「王冠だと」


 王冠といえば、王の象徴である。なぜ、そんなものが珍品なのか。もしかすると蛮族に滅ぼされたロルムス帝国の帝冠だろうか。ならば、ぜひとも欲しい。フランツは思わずクローチェの方に身を乗り出した。


「はい、その王冠はベルジカの王冠です」


 クローチェは事も無げに言った。フランツは、慌てて部屋を見渡した。だれも聞き耳を立てているとは思えなかったが、クローチェの言ったことはそれだけでも反逆罪になりうる。


「さがれ」


 フランツは震える声で言った。


「下がりません。フランツ様、部屋住のまま一生を終えられるつもりですか? ここは賭けに出るときではないのですか?」

「やめてくれ。私はいまのままでいいんだ。珍品に囲まれているだけで」


 頭を振って拒絶を表すフランツにクローチェはなおも続ける。


「もうすでにネウストリア大公の残党はフランツ様を支持すると言ってますよ。あとはフランツ様が決断されるだけでいいのです。そうすれば、この国の王冠はあなたのもです」


「頼むやめてくれ。私は王になりたくなどない」


 半ば、悲鳴のような声をフランツがあげる。クローチェは青年を諭すような優しい声で語りかける。


「分かりました。ならば、フランツ様は私がネウストリア大公の残党と繋がっているとキルデベルトに報告されるといいでしょう」

「そんなことすれば、お前は死ぬぞ!?」

「死ぬでしょうね」


 クローチェは死など恐れない、とばかりに軽い同意をした。

「いいのか?」


「良くはないですね。死にたくありませんし。だからフランツ様がキルデベルトに報告して私が捕まれるようなことがあればこう言います。フランツ様は王位を簒奪するためにネウストリア大公の残党と手を結ばれました。ですが、土壇場で怖くなり私を売ったのです、とね」


 悪魔のように微笑むクローチェにフランツは怯えた。


 ――もう、私が生き残る道はない。


 クローチェがキルデベルトにそういえば、庶子であるフランツは間違いなく殺される。また、クローチェの甘言に乗って王位を望んでも失敗すれば殺される。どちらにしても死ぬしかないのだ。


 フランツは呆然と目の前の男をみた。


「フランツ様、私と一緒に賭けをしましょう。もう、それしかないんですよ」

「……ああ」


 部屋済みの王弟は、このとき初めて自分の生まれを呪った。 

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