第十五話 アウグスタ攻略戦(後)
「これで、五回目か」
ガイウスはそう呟くと、大きく息を吸い込んだ。
眼下では、近衛を中心とした軍勢が、アウグスタの城壁に蟻の大群のように押し寄せてくる。王であるルートヴィヒからの降伏勧告を断ってから一週間、王師の攻撃はすでに四回を超えるが、ガイウスはその全てを跳ねのけていた。
「王師、恐れるに足らず!」
「近衛は王都に戻って女の背中でも追ってやがれ」
「さぁ、来いよ。矢で頭を撫でてやる!」
兵士たちは向かってくる王師に、それぞれ好き勝手な暴言を吐いている。
萎縮しそうな気持ちを、暴言として外に発散しているのだ。ガイウスが見る限り、アウグスタを守る兵士たちの士気は今のところ高い。
どれほど堅固な城塞であっても守る者が「もう、守りきれない」と、諦めればその城塞は陥落する。それゆえに守将は防衛以上に兵士の心が折れぬようにしなければならない。
「近衛が来たぞ。俺たちが花も恥じらう乙女なら熱い口づけと花束を贈ってやらなければいけないが、俺たちは兵士だ。贈るといえば矢か剣しかない。まずは熱い矢束を贈ってやれ!」
ガイウスが叫ぶと、城壁の上に並んだ石弓隊が一斉に矢を放つ。矢のいくつかは盾に弾かれ、いくつかは正確に近衛の頭部を打ち抜いた。それは王師に低い悲鳴と怒号を生じさせ、矢の応酬という形でガイウスたちのいる城壁へ帰ってくる。
とはいえ、王師から降り注ぐ矢の精度は悪い。ガイウスの旗下で死傷を受けた者は少ない。
それは王師が使用している石弓が粗悪ということではない。単に地の利の有無である。
石弓は高所から低い地にいる者を狙うのに適した武器である。この石弓を有効に使うため、アウグスタの城壁には多くの狭間と呼ばれる三角形あるいは十字の穴があけられている。ガイウス側が城壁に身を隠して矢を放てるのに対して、王師は遮蔽物のない地上から射撃しなければいけない。
――ルートヴィヒ王には攻城戦のいろはが分かっていない。
ガイウスは、王師の動きを見ていた。
ルートヴィヒは、敵の八倍にもなる軍勢を持ちながらその半数以上が遊軍となっている。それは、彼が愚直にも東門と南門という限られた空間に兵を集中させているからである。
平地などの開けた空間ならば、一度に多くの兵士が展開できる。
しかし、城門などでは一度に戦闘できる数に限りがあり、後方の兵は戦うこともできない。
それでは大軍の利点を活かすことができない。少数を多数で撃破することで、戦果は最大に、被害を最低にすることが大軍の利である。反対を言えば、寡兵の者はいかに敵に遊軍をつくり、自軍の兵力を分散させないか、ということが目標となる。
これはここまで成功している、といっていい。
しかし、ここまでの戦果は敵の落ち度によるものが大きい。ガイウスが何か策を仕掛けた結果ではない。こうなると、
――何か策があるのか。こちらがアウグスタから打って出るのを期待しているのか。
と、疑いたくなる。だが、今のところそういう動きは感じられない。
アウグスタを囲う城壁には一定の距離ごとに歩哨を立てているが、別働隊がいるという報告は上がっていない。
もし、ルートヴィヒがガイウスが出撃することを待っているのなら、どこかに別働隊がいてガイウスがいなくなった隙を突くことが考えられるが、王師の中から離脱した兵力は見当たらない。
諸侯たちは近衛の後方で足踏みしているだけである。
――なにも策はないのか?
と、思案していると、
「打って出ましょう!」
「近衛の連中、腰が定まっていません。押せば崩れます!」
複数の部下が声を上げて出撃を要請してきた。
確かに、矢による損害によって近衛の攻勢が弱まっている。今、打って出れば、破城槌や雲梯などの攻城兵器を破壊でき、戦況をさらに楽にできるかもしれない。
――やるか。
ガイウスは一度考えることをやめた。
「二百人ほど俺に続け、行くぞ!」
近衛の歩が止まったことを確認したガイウスは、素早く出撃した。
ガイウスが鍛え抜いた兵である。矢にたじろいでいた近衛はすぐに圧倒された。狭い空間である。戦いは一対一と言ってよく、練度に一日の長があるガイウスの方に分があった。
血煙を起こしながら攻め下ってくるガイウス達に近衛はあっと叫んで背を向けた。しかし、そこは大軍の先頭である。後方には幾重にも兵がかさなり、すぐには下がる事は出来ない。それどころから、接近戦が始まった、とみた後方の一部が無理に前に出ようとしたために混乱が激化した。
「さがれ! さがれ!」
と、悲鳴のように叫ぶ者。
「敵が城塞から出たぞ。今叩かないでいつ叩くか!」
「進め! いまが好機だ」
蛮勇を誇り、前に進む者。
これらがぶつかり合い。前線は大きく崩れた。ガイウスは右往左往する近衛を一人ずつ確実に討ち果たしていくだけでよかった。それを見た兵士たちはさらに近衛を猛追した。攻守が一気に逆転した。
守る者は攻める者に、攻める者は逃げる者に。
この日、ガイウスの攻勢は夕方まで続き、近衛を中心とする敵軍を城門の前から大きく後退させた。王師はおよそ四百名の近衛を失った。
最前列に取り残された破城槌や雲梯は、このとき焼き払われた。攻城兵器が焼き払われたのを確認するとガイウスは後退を命令した。近衛にはすでに追撃するゆとりはなく、悠々と引き上げていくガイウスたちを眺めることしかできなかった。
アウグスタに戻ったガイウスは若い兵士に、
「炬火をたくさん焚いておけ。そうすれば敵は来ない。全員で休めるぞ」
と、言った。
若い兵士は、首を傾げながら
「全員ですか? すぐに復讐戦にくるのでは」
と、懸念を述べた。
「あれだけ、損害をしたのだ。ルートヴィヒ王がそれを許すわけがない。復讐戦をする前に責任者を吊し上げにするのが先だろう。俺たちはその間にいかにも警戒しています、と見せかけて英気を養うのだ」
ガイウスは、そういって笑った。それに釣られて周囲の兵士が笑う。
「寝ているあいだに陥落してもしりませんよ」
「なぁにあんな連中、寝ていても勝てるさ」
「そりゃ、そうだ!」
相変わらず、士気は高い。
――アウグスタはまだまだ耐えられる。
ガイウスは、周囲の兵士を見渡す。小さい傷を負っている者は多いが、深手を負っている者は少ない。死者はさらに少ないに違いない。
「勝つぞ!」
ガイウスが叫ぶと、兵達がそれに続く。アウグスタは歓声に満ちた。
アウグスタから歓声があがっているとき、王師の本陣ではルートヴィヒがため息をついていた。
「シャルルよ、アウグスタは東辺における防衛の拠点だ。凡将であるはずのガイウスが篭ってもここまで難儀するとは」
この一週間、ルートヴィヒは五回の攻撃を行ったが、そのすべてがやすやすと撃退されている。まして今日はガイウスに出撃され、近衛にかなりの損害が出ている。
「王よ……。気になることがあります」
近衛を指揮していたアミン伯爵シャルルが静かな声で言った。
「わが友シャルル、言うが良い」
「近衛の不始末を弁明するわけではございませんが、諸侯の動きが妙ではなかったでしょうか?」
「妙だと?」
ルートヴィヒは眉をひそめた。
「はい、近衛がガイウスの兵に襲われているというのに救援に来た諸侯はいません」
「確かに、諸侯の中で救援の兵を出した者はいなかった!」
怒気をあらわにしてルートヴィヒが声を荒げる。
「確かに近衛は崩れましたが、それを支えるべき諸侯が動かなかった。もしかすると諸侯は陰ながらガイウスを陰助しているのかもしれません」
シャルルは、近衛が崩れた理由を諸侯に押し付けた。
諸侯は動かなかったのではなく、動けなかったのである。近衛の後方に控えていた諸侯は、前方で右往左往する近衛に退却する空間を与えるために後退しようとしたが、彼らの後ろにはルートヴィヒがいた。オルセオロ侯爵家追討を目標に掲げる彼にとって後退の言葉はなく。彼らの後退を許さなかった。
結果として、諸侯は人の壁として近衛を限定された空間に閉じ込めてしまった。閉じ込められた近衛はといえば、後退しようとする前衛を無視してシャルルが後衛に攻勢を命じたため、混乱を生じさせてしまった。
簡単に言えば、この二人が敗北の原因を作ったのである。だが、当人というものは往々にして原因がなにか気づかないものである。この二人の場合、自分たちは正しい、という思い込みから失敗の原因を外に求める傾向にある。
古くは、オルセオロ侯爵やネウストリア大公。直近では、従軍している諸侯ということになる。
「飼い犬が他家の者になつくとは!」
「そこで、私に妙案がございます」
シャルルは胸を張ってみせた。そのすました顔は今日、一敗地にまみれたものとは思えなかった。
「妙案だと? 聞かせてもらおうか」
ルートヴィヒは苛立ちを隠さずに言った。
「はい、明日からの攻撃では諸侯に前衛を任せます」
「なんだと! ガイウスの肩をもつ諸侯のことだ。形ばかりの攻撃になるのではないか?」
「そこでです。近衛を諸侯の後ろに配置し、諸侯の動きに緩慢があると見れば諸侯に矢によって催促を促すのです。そうすれば、いくら背面服従の諸侯といえども王命に従うでしょう。言葉で言っても分からぬものには実力を示すしかありません。どんな駄犬であろうと調教すれば飼い主の言うことを聞くものです」
「なるほど、シャルルよ。お前は名将であるとともに軍師になれるな」
「過分なお言葉恐れ入ります」
と、したり顔でルートヴィヒの賞賛を受けたシャルルの作戦は夜明けととも実施された。
この日、諸侯は後背から矢を射掛けられる恐怖から苛烈な攻撃に転じた。
昨日までの攻勢との違いにガイウスは驚いた。
大型の盾を前面に構え、城門に取り付く兵には鬼気迫るものがあった。なかには城壁をよじ登る者もあり、その幾人かは城壁を超えた。そういった勇者は、城内で待ち構えていた兵士に討たれた。
ガイウス自身、何度か城壁を乗り越えてきた敵兵と戦った。
「その勇気は褒めよう。だが、ここまでだ」
彼の剣が唸ると、諸侯の兵を切り伏せた。ガイウスは城壁に倒れた勇者を眼下に蹴り落とすと、
「蛮勇は、勇気ではない」
と、叫んだ。しかし、それで退却できるほど諸侯の後背は優しいものではない。
緩慢や後退が見られるとすぐに矢が放たれた。その度に諸侯の兵からは悲鳴に似た雄叫びがあがり、城壁に向かってくるのである。
「こいつら気でも触れたか?!」
「ルートヴィヒ王は何を考えているのだ!」
味方に矢を放つ近衛に対し、初めてガイウスの兵が恐れを感じたときであった。いくら後退が不名誉であるといっても、諸侯の軍に矢を放つ王など聞いたことがない。それが彼らの思いだった。
「城門だ。城門を守れ!」
諸侯の力が、城門の一点に集められる。統制も作戦もなく、ひたすらに力で押し切った攻撃であった。防御するガイウスの兵力が二千人であるのに対して、諸侯の軍はおよそ六千人である。それが間断なく突撃してくる姿は悪夢のほかなかった。
朝から始まった攻勢は、翌朝になって終わった。諸侯はその兵力の半分を失った。一方、ガイウスの兵力も損害が大きかった。五百人ちかい兵士がこの日の戦闘で倒れた。
責任転嫁と自己弁護の結果の策だったとは言え、シャルルの考えた作戦はガイウスにとって忌避すべきものだった。数が多い諸侯はがかわるがわる交代で攻めれば良いが、ガイウスの方はそうはいかない。二千人という限られた兵力では交代で休息をとることもできず、文字通り不眠不休で防衛に当たらねばならない。
それでもガイウス達は耐えたのである。
だが、耐えられなかったものがある。それは、城門である。
諸侯の執念とも言うべき攻撃は城門の一部を壊したのだ。もし、次の攻撃があれば、城門は打ち破られたに違いない。しかし、再度の攻撃はなかった。
ルートヴィヒの行為に反感を持った諸侯の一人が苦言を呈したからである。
それは、ガイウスがよく知る人物――アクィタニカ子爵であった。
「王よ、このような狂気に満ちた攻撃が、真の忠誠だとお思いか?」
この諫言がガイウスの運命を、そして遠く離れたルキウスの運命を変えることになる。
すいません。
土曜日のうちに更新したかったのですが、この時間になりました。
次回は10/13に更新します。




