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第十四話 アウグスタ攻略戦(前)

「ネンシスが敗れただと! そんな馬鹿なことがあるのか」


 ベネトからの急報を聞いたルートヴィヒは、狼狽を隠さずに叫んだ。


 ベネトの守備についているのは、オルセオロ侯爵家でも「武の才なし」と評価され、商人の真似事していた十八の青年ルキウスである。それがわずか千の兵力で、ネンシス子爵が率いる五千の兵を打ち破った、という。


 ――ネンシスの無能者め。敵の五倍の兵力を持ちながら敗れる、とは情けない。


 敗戦の理由をネンシスの無能さ、と断言したルートヴィヒはそれ以上のことを考えることはなかった。敵の五倍の兵力を持ちながら敗れる、ということは異常なことである。異常なことには何か理由があると考えぬところに、この王の限界がある。


 その王に率いられた王師がアウグスタを攻めようとしている。アウグスタはベルジカ王国でも最大規模を誇る要塞都市である。王都トレヴェローヌには劣るものの城壁は厚く、隣国トリエル王国から侵攻を警戒して常に二千程度の兵が詰めている。


 この戦いは、ルートヴィヒの初めての親征である。ここで反逆者であるオルセオロ侯爵家に圧勝することによって、諸侯に対して王の権威を示し、王である自分を中央とした政権を確立するつもりだった。しかし、楽勝を予想していたベネト攻略が失敗した。


 この知らせを諸侯がどう受け止めるか。それを考えるとルートヴィヒは目の前が暗くなる。なぜ、当主であるマルクスを殺したのにオルセオロ侯爵家は降伏しないのか。やはり、父と同じくその息子たちも王である自分を軽視しているのだろうか。


 ならば、やはりオルセオロ侯爵家は滅ぼさねばならない。

 それが王権をまとめ、ベルジカ王国を統べる王の使命である、とルートヴィヒは決意を新たにした。


「シャルル! シャルルを呼べ!」


 ルートヴィヒが叫ぶと、従卒が前軍に走る。


 王師は、諸侯から集めた騎兵六百名と歩兵六千七百名からなる前軍と、騎兵七百名、歩兵七千名の近衛からなる後軍で構成されている。前軍の指揮はアミン伯爵シャルルである。後軍はルートヴィヒ自身が指揮をとる。これに対して、アウグスタには死んだオルセオロ侯爵マルクスの次男であるガイウスとその部下約二千名が立て篭っている。兵力差は約八倍である。


 ベネトの同じ轍を踏むわけにはいかないルートヴィヒは、自らを「当代でベルジカ一の名将と言えば自分である」、と豪語するシャルルの意見を聞くつもりであった。


「王の忠臣であり友である。アミン伯爵シャルル、ただいま参上いたしました」


 しばらくすると、白銀の甲冑に真紅のマントをつけたシャルルが現れた。ルートヴィヒに恭しく頭を下げるとシャルルは言った。


「ベネトの件は、私も聞きました。しかし、心配にはおよびません。いくら局地戦で勝利を獲ようとオルセオロ侯爵の遺児共はアウグスタを守りきらなければ戦略的に勝利したことにならず、いずれは刀折れ矢尽き王の下に頭を差し出すことでしょう」


 自信げに語るシャルルにルートヴィヒは安堵の表情を浮かべる。


「その通りだ。いくら余に歯向かおうとも、奴らは孤軍である。援軍なき軍がいつまでも持ちこたえられるわけがない。さすがは余の友であり名将となる男よ」


「私たちは、狐がやせ衰えて巣穴から出てきたところを撃てばいいのです。戦略的勝利が約束されているいま、局地戦での勝敗など無視して良いのです。諸侯たちも王が動揺を見せず、アウグスタを包囲されれば、自ずと静まりましょう」


 シャルルの言は前半こそ正しいが、後半は詭弁であったと言える

 確かにこのままアウグスタを包囲していれば、いずれガイウスは降伏せざるをえない。しかし、今回の親征は王の権威を諸侯に示すためのもであったはずである。そのためには速やかな決着が必須である。だが、包囲戦ではそれを望むことはできない。


 また、諸侯も長期にわたる包囲戦を好まない。彼らは今回の親征にあたって二週間ほどの期間で出兵している。当然、兵糧や武器など兵站の準備が万全とは言えない。滞陣が長引けば長引くほど、諸侯の王に対する不満が募るのである。


「なるほど、この度の戦いは狐狩りと同じというわけだな。では、勢子せこに狐を漏らさぬように囲ませることとしよう」

「諸侯を勢子として使う。これこそが王者の狩りというものです。我が王よ」

「王者の狩りか。なかなか良い響きだ」


 ルートヴィヒが酔ったようにうっとりとした顔を浮かべる。初めてに親征が失敗すると思わぬ王にとってシャルルの言葉は酒のように酩酊をもたらす効果があった。しかし、それはこの主従だけを酔わすものであり、この親征に参加する諸侯や敵となるガイウスを酔わすものではない。


「では、我が王よ。ご命令を!」

「うむ、我が名将よ! 狐狩りを行う。全軍をもってアウグスタを包囲せよ!」




 王師の動きはアウグスタからすぐに見て取れた。


「アウグスタを囲むつもりか」


 眼下で展開する王師を眺めながらガイウスがつぶやく。アウグスタの城門は東門と南門の二つである。見たところ、攻城戦用の破城槌や雲梯の数は少ない。これならそう簡単に門が打ち破られる心配はない。幸いなことにアウグスタに篭る兵の士気は高い。


「ベネトは五千の兵を押し返したらしいぞ」

「ルキウス様が援軍を用意しているらしい」

「俺たちも負けられないな」


 先に起こったベネトでの海戦の結果は、アウグスタにももたらされている。ガイウスはアウグスタよりも先にベネトが攻められたことに驚いたが、それ以上にルキウスが五倍の兵力に勝利したことに驚いた。まともに馬上槍も取り扱えなかった幼いころのルキウスしか知らないガイウスにとって、それは奇跡としか言いようがなかった。


 それはアウグスタに篭る兵からしても同じで、「武芸の才なし」と評された三男に負けた王師などに自分たちが負けるわけにはいかないと気勢をあげている。また、ベネトが敵の手に落ちなかったことで援軍が来るかもしれない、という希望が残った。これが包囲されるという絶望に染められそうになる兵の心を救ったといえる。


「王師を押し返すことができれば……」


 短い期間であろうが、交渉を行う余裕が生じる。父マルクスと兄アントニウスを何の説明のないままに失い、戦争に突入したオルセオロ侯爵家としては流されるままだった一連の出来事で初めて、主導権を得られる。


 もし、交渉が失敗しても一度、王師をはねのけたという事実が諸侯に与える影響は大きいはずである。王とオルセオロ侯爵の争いに巻き込まれたくない、と思う諸侯は出兵させる兵力を意図的に抑える。つまり、ルートヴィヒは次の親征では今回よりも動員できる兵力が少なくなるのである。そうなれば、ガイウスたちは楽になる。


「そのためにもいまは、負けないことだ」

「そうです。負けないことですわ」


 気づけば城壁の上にガイウスの他にもう一人の人影があった。ガイウスの妻であるシンシアでる。黒地のブリガンダインと言われる軽鎧を身に付け、手には長弓を持っている。ガイウスはシンシアの姿を見ると頭に手を当てた。


「まさかとは思うが、お前も戦うつもりか?」

「当然ですわ。皆が一丸となって王師と戦おうというのに、私だけ安全な場所で震えているわけにはいきませんわ」


 シンシアが胸を張って答える。


「やめておけ。お前が前線に出ると部下が困惑する」

「あらあら、お忘れですか? 私も結構やりますのよ」


 長弓を構えてシンシアが笑う。アクィタニカ子爵家の長女であったシンシア・アクィタニカは女性ながら武芸を好むことで有名であった。乗馬に槍、とくに弓術を得意とし「自分よりも弱い殿方と結婚する気はない」、と父であるアクィタニカ子爵を困らせた。その彼女に興味を持ったガイウスは彼女との結婚を決めた。


 シンシアが並の兵士よりも弓をうまく使うことをガイウスは知っているが、自分の主人の妻が隣で弓を引いているというのは部下としはいかにもやりにくい。そのことが分かるガイウスはシンシアに言った。


「前線は俺が引き受ける。お前には後衛を頼みたい。派手さはないが、矢の補給や食料の配布。どれも大切な仕事だ。俺の後ろを守ると思って引き受けてくれないか?」


 シンシアはしばらく不満げな顔をしていたが最後には頷いた。


「分かりましたわ。お引受けいたしましょう。ただしガイウス、絶対に私がいない場所で死なないでくださいね」

「ああ、分かった」


 簡単に頷いてみせたが、難しい約束だとガイウスは思った。

 城壁の外では敵兵が矢の届く距離まで到達しつつあった。


「ガイウス様、東門に敵がきます! ご指示を」


 若い兵士が駆けてくる。その顔は紅潮しており、今から始まる戦いに高揚しているようであった。


「おう、今行く。王都でぬくぬくしている弱兵どもに矢の挨拶をしてやろう。あと、力を抜け! この戦い長くなるぞ」


 ガイウスが肩をぽん、と叩くと若い兵士は驚いたような顔で「はい!」、と叫んだ。


「ご武運を」

 シンシアが短く言う。ガイウスは片手を軽く振ってそれに応じた。


 東門には、軍使が前軍に先んじて到着していた。ガイウスが東門に姿を現すと、白髪の軍使は手に持った書状を読み上げた。


「叛臣オルセオロ侯爵マルクスの子ガイウスに王命を伝える! 一つ、アウグスタから立ち退き、領地を王に返還せよ。二つ、オルセオロ侯爵家の資産はすべてアウグスタに残すこと。三つ、ベネトに立て篭る弟ルキウスを投降させる。以上の三点をすみやかに履行りこうするのであれば、生命の保証を行う。賢明な判断を期待する」


「断る! 我がオルセオロ侯爵家は王に謀反を起こしたという事実はなく。父と兄は冤罪によってその命を散らした。王が父と兄の冤罪を認め、その名誉を回復させない限り俺は降伏しない。そのことを王に伝えていただきたい」


 東門の上からガイウスが言う。軍使はガイウスを睨みつけると再び降伏を勧告した。


「生命が残っていれば名誉の回復を果たすことはできよう。いまは、一時の激情に身を任せるのではなく降伏されよ!」


しゅうと殿、ご心配ありがとうございます。だが、家名に泥を塗られたまま降伏することはできない。俺に何かあればシンシアをよろしくお願いします」


「……分かった。王に申し上げる。最後に養父として言う。……この大馬鹿者! なんとしても生き残れ。娘を泣かすなよ」


 白髪の軍使――アクィタニカ子爵はガイウスの返答を聞くと、馬に飛び乗ると後軍に去っていった。その後ろ姿を見送りながら、ガイウスは部下に戦闘準備を命令した。これから雲霞の如く敵兵が攻めてくる。


「さぁ、来るぞ! 王都でぐうたらしている近衛どもに辺境の守兵が本当の武勇を見せてやろう!」


 ガイウスが槍を天に突き上げる。


「近衛の槍は町娘を追い回すのが本業らしいからな、俺らとは鍛え方が違うさ」

「おお、そいつぁ怖い」

「馬鹿、冗談ばっかり言っているとガイウス様に怒鳴られるぞ」


 軽口を叩く兵士の顔を見れば、口とは裏腹に緊張が見て取れる。いままで精鋭ともいえるほどに鍛えてきた兵である。簡単に破れない、という自信はある。しかし、ここまで大規模な戦闘はガイウスにしても兵士にしても初めての経験である。


「軽口を叩いている暇があったら矢をつがえろ!」


 ガイウスが叱責の声を上げる。


 ――ルキウスはどういう顔で指揮をとったのか?


 奇妙なほど、素朴な疑問だった。戦慣れしたはずの自分でさえも緊張している。では、ばなれしていないルキウスはどうしたのだろうか、とガイウスは思った。どうにも戦っている弟の姿が思い浮かばず、ガイウスは場違いにも笑った。


 これから、ガイウスにとっての戦いが始まる。


次回更新は、10/11です。

残り五話。がんばります。

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