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第十三話 ベネト海戦

「ネンシス子爵の軍か」


 ガイウスとの会談から二十日、ベネトから海を挟んた対岸に多数の帆船とネンシス子爵の紋章である茨と槍の旗を掲げた五千の兵士をみた。兄ガイウスの下には王であるルートヴィヒが率いる一万五千名の王師本体が向かっているに違いない。王師の規模がルキウスの予想を超えたのにはいくつかの理由がある。


 一つは、オルセオロ侯爵とネウストリア大公の粛清を聞いた諸侯が自己保身のために王が求める以上の兵力を拠出したことが挙げられる。自分たちよりもはるかに広い領地と兵力を有する大貴族が粛清された。次は自分かもしれない、という共通の思いが彼ら諸侯を動かした。


 次にオルセオロ侯爵領の隣に位置するネンシス子爵が兵士五千名を出すかわりにベネトを自領に加える約束を王であるルートヴィヒと結んだことである。ネンシス子爵はベネトから半日の位置にあるネンシスを領地としている。


 かつては塩田と船舶の中継基地として栄えたネンシスであったが、約百年前に第五代オルセオロ侯爵アウレリウスによってがたが埋め立てられ、ベネトが建造されるとその役割を失い急速に衰退した。水深が浅く大型のガレアや帆船が停泊できないネンシスの港に対して、ベネトの港は潟を埋め立てる際に意図的に水深の深い水路と浅い水路を作ることでどのような船でも停泊を可能にした。


 その利便の差が両都市の明暗を分けた。ネンシス子爵は、長年にわたって自領の衰退を嘆いていたがベネトを領有していたオルセオロ侯爵が粛清されたことにより、にわかにベネトを自領にするという野心を抱いたのである。


 最後に、諸侯が従順に兵力を拠出したことに気を良くしたルートヴィヒ王が王都の防衛力を大幅に減らしたことが挙げられる。大幅に減らされた王都の防衛力はそのままオルセオロ侯爵追討の兵力に編入された。そのため、王都の守りはキルデベルトに預けられた兵士千名のみとなった。


 このような理由から王都を出た王師は騎兵七百名、歩兵七千名であった。そこに諸侯からの騎兵六百名、歩兵六千七百名が加わったことで騎兵は千三百名、歩兵一万三千七百名となった。また、これらとは別にネンシス子爵が率いるベネト攻略軍が五千名いるため、総数二万名の大軍であった。


 ルキウスは何をするわけでもなく、海の向こう側に布陣した敵軍を眺めていた。その心にはガイウスの言葉が苦々しく残っている。


 この世でたった二人の家族となったガイウスから拒絶は、過去に父から見限られたことのあるルキウスにとってやはり自分は家族の中での異物なのか、という思いを抱かせた。


 ベネトの海には様々なものが流れ着くことがある。それは流木であったり、船舶や家の一部だったりするが、大きなものは潮の満ち干きでもなかなか流れさりはしない。自分はそう言う流れ着いた異物でしかないのだろうか、と思うとすべてがむなしくなる。


 父と兄を失い。残った家族のため、家名のために戦う、という形は実に単純でわかりやすい。ところが、その家族から拒絶された今となっては、その輪郭は失われてしまい曖昧さだけが残っている。


 ――兄の命に従ってベネトを死守する。


 と、叫んでもその言葉はルキウスの胸に響かない。反対に潟に漂着した異物のような座りの悪さを感じる。


 目を対岸に向ければ、敵兵が慌ただしく戦の準備を始めている。物々しさはあるがそこには活気があった。それに比べて自分はどうか。沈滞し、ただ静かに水底に沈み込もうとしているのではないか。


 ――自分が掲げるものとは何か?


 潟の水が腐らないのは干満によって常に水が動き、入れ替わるためである。また潮の流れは異物さえも流し去る。生きるということは、つまるところ動くことである。それは櫂を漕ぐように自ら発するものでなければならない。動かなくなり沈むことは死ぬということだ。


「ルキウス?」

「若、どうされました?」


 ルフスリュスとカステッロの声が水面に波を起こす。曖昧だったものは波に流され姿を消した。長いあいだ対岸を見つめていたルキウスを不思議そうに二人が後ろから眺めている。


 ルキウスは大きく息を吸い込むと自分でも驚くくらい大きな声で言った。


「さぁ、いこう」


 二人は気づかなかったに違いない。家族のためという形が失われたあと、ルキウスの中に残った形が如何なるものであるか。




 精気をすえなおしたルキウスはベネトの港湾に並んだ傭兵五百名と民兵五百名を眼の前にした。


「敵は僕たちの五倍の五千だ」


 兵士からどよめきが起こる。どよめきの具合は民兵よりも傭兵の方が大きい。戦争を生業とする彼らにとって兵力の過多は自分たちの生命に直接関わる問題である。できるだけ優勢なほうに付きたいと考えることは当然である。また、劣勢な方についた場合は、出来るだけ損害を少なくしたいと願うのも当然なことであった。


 一方で民兵は、このベネトで生まれ育ったものが過半数を超える。彼らは平素、オルセオロ商会やその他の商船団に水夫や水兵として乗り込んでいる者が多い。その彼らにとってベネトは生活の基盤そのものである。


 ベネトは潟で塩と魚を取る以外に生活の手段がなかった百年前と比べて、格段に豊かになった。しかし、ネンシス子爵がこの地を収めるようになれば、ネンシスばかりを優遇するようになり、ベネトが今のように交易によって利益をあげることは不可能になる。そうなれば彼らは経済的に息詰まる。そのことが分かる以上、彼らは傭兵よりもこの戦いに賭ける思いは強い。


「だが、安心して欲しい。勝てる策はたてた。あとは皆が力を貸してくれれば勝てる」


 一笑したルキウスは、彼らの不安を和らげるようにあえて軽い調子で言った。


「そんな策があるのか?」

「ハッタリではないのか?」


 一部の傭兵が、口々に質問した。しかし、ルキウスは目算があるように微笑む。


「確かに僕たちの兵力は少ない。しかし、僕たちにはベネトを囲む海という強力な味方がいる。この街で生まれ育ったお前たちなら目をつむっていても平気だろうがネンシス子爵はどうだろうか?」


 一部の民兵が笑う。


「そりゃそうだ」

「若も人が悪いことを考える」

「またお得意のセコイ手だ。若はホントに貴族なんですかい?」


 よく見れば民兵の中にはルキウスの船団に乗り込んでいた男たちが多くいた。男たちはルキウスを無条件で賛同した。その顔はやけに自信に満ちているように見えた。傭兵やルキウスを知らない一部の民兵は浮かない顔をしていたが、最終的にルキウスの策に従うことにした。


「よし、では準備をする。傭兵はカステッロの指示に従ってくれ。民兵は僕と一緒に小細工の準備だ」


 ルキウスの号令に従って民兵は小舟で海へ、傭兵は港に集まった。


 対岸に滞陣するネンシス子爵の兵士からは潟に浮かぶベネトはさしたる城壁もなく、制圧するのはひどく簡単に見えたに違いない。その証拠にネンシス子爵は複数の帆船を使って五千の兵士を一気に渡海させてベネトを手に入れようとしていた。


 ネンシス子爵が用意した帆船は、平底船と言われる船底が平になっている船で、一般的な帆船の船底がV字になっているのと大きく異なる。この平底船の長所は二つ。


一つは、帆船と比べて比較的に浅瀬でも航行が容易であること。次に一度に大量の荷物や歩兵を運搬できることである。平底船一隻でおよそ千名の兵士を運搬できる。


 一見、便利に見える平底船だが短所もある。船速が遅く急転舵がきかないのである。また、船底が平たいため波の影響をモロに受けるので荒れた海では航行できない。しかし、今回のように外洋に出ない場合は波の影響をほぼ考えずに済むので、一度に兵士を移動できるという利点を最大限に活用できる。


 ネンシス子爵が平底船での制圧を準備している間、ルキウスも慌ただしくベネトをまわっていた。まわっていたといっても市街をではない。


ベネト周辺の海をである。ベネトは潟を埋め立てたため、船の通行可能な水深の深い場所と通行できない浅い場所が複雑に存在している。平素は海中のあちこちに杭を打ち込み、通行可能な場所を示す。だが、今回は敵に利用させないためにも杭をすべて抜かねばならない。


「一本も残すなよ」


 ルキウスは船上から声を上げる。


「大丈夫ですよ、若。俺たちはこの海にいくらの杭が刺さってるかなんて子供の頃から知ってます。万が一にでも抜き忘れるなんてことありませんよ」

 中年の民兵が小舟の上で胸を叩いていう。


「何言ってやがんだ。おめぇはこの間も杭を忘れて、浅瀬に乗り上げてやがったじゃないか」


 自慢げに語る中年の民兵の頭を初老の民兵が叩く。大げさに中年の民兵が頭を押さえて笑う。


「そりゃもう二年も前の話じゃねぇか。まったくよく覚えてもんだよ」


 中年の民兵は照れくさそうに頭を掻いた。かつて潟であった場所は満潮時でもベネトを良く知る船乗りでもない限り、簡単に浅瀬に乗り上げてしまう。干潮時となれば小型の漁船でさえ浅瀬に取り残されてしまう。


 ルキウスたちが杭をすべて抜き終えたのは、その日の夕刻だった。また、ネンシス子爵の方も武器の準備や兵士の休息を終わらせたようで、敵の陣地からは盛大に飯炊きの煙が上がっている。明日には一挙に攻めてくるのだ。


「若。こちらも準備が終わりましたぞ」


 カステッロが歯切れの良い口調で言った。半信半疑であった傭兵の方も策の骨格を理解したことで「まずは一戦してみよう」と、いう気持ちになったのだろう。カステッロの指示に従順に従っているらしい。


「いよいよ、明日が勝負だな。勝てると思うか?」

「勝てる。とは言いませんが負けはしない、とは言えます」

「赤字にならなければ、商売としては成功だ。赤字にならぬようにするとしよう」


 ルキウスが言うとカステッロは驚いたという顔をした。


「随分と余裕のある言い方ですな、若。なにかありましたか?」

「いいや、なにもないよ。ただ、上辺だけでも余裕を振りまいておかないとルフスに見られるとまた臆病者と罵られる。いまも気を抜けば足が震える。虚栄をはる相手がいるというのはいいことだな」


 はにかんだようにルキウスが笑うとカステッロは彼の背中を強く叩いた。


「まったくですなぁ。明日はわしも小舟で傭兵と一緒に出ます。若はせいぜい後方で震えと戦っていてください」


「頼む、僕は後詰を指揮する。カステッロ、無茶はするなよ」

「若も王女様にいいところを見せようと力んではなりませんぞ」


 カステッロは大笑いするとルキウスの前から去っていった。




 翌朝は晴天。


 一突きで、勝利を完璧にしようとネンシス子爵は船隊をベネトへ向けた。五隻の平底船を三十隻ほどの小舟で包んだ輪形陣でベネトに向かうネンシス船隊に対して、ルキウスは四隻のガレア船を右翼に、二十五隻ほどの小舟を二列に左翼に配した歪な陣形でこれに応じた。


 ルキウスの陣形に対してネンシス子爵は、船隊をゆっくりと右に転舵させることで応じた。大量輸送に向いた平底船では艦隊戦に特化したガレア船に勝てないからである。これによってネンシス船隊は全軍がルキウスの左翼にぶつかるような形になった。


「よかった。こっちに来てくれなければどうしようかと思った」


 ルキウスは左翼二列目の小舟に乗船している。一列目にはカステッロが乗船し指揮を執っている。もうすぐ、一列目の矢がネンシス船隊に届く距離に入る。カステッロの指揮する一列目から無数の火矢が敵船に向けて飛び出す。それに呼応するように敵船からも火矢が放たれる。


 敵船では船に刺さった火矢を消化するために海水を組み上げる姿が見えるが、カステッロの指揮する船ではそういう光景は見られない。その代わりに船の舳先に大きな楯板が設置されている。この楯板が不思議なことに燃えない。正確には燃えるのだが、黒くなるだけで燃え広がらないのである。


「王女様の言うとおりですな。羊毛がここまで燃えないとは」


 カステッロは楯板に貼られた羊毛を撫でていった。オズウェルとの海戦で使った羊毛が防火布として役立った。これは王都に着く直前、ルフスリュスがカステッロに教えたものだった。


「矢が尽きるまで撃て!」


 カステッロはさらに攻勢を強める。ネンシス船隊の何隻かは敵船が燃えないことに臆し、左舷に転舵しようとするがそこには四隻のガレア船が待ち構えている。左右から圧力をかけられることになったネンシス船隊は活路を見出すためにさらに前進する。彼らの強みは歩兵の数である。平底船に乗り込んでいる歩兵はルキウスたちの五倍である。これを生かすためにはなんとしても接舷しなければならない。


「そろそろ頃合か。下がれ、カステッロ!」


 ルキウスは鐘を叩いてカステッロに後退を指示する。鐘の音を合図にカステッロの指揮する小舟が左右に散っていく。いままでのお返しだとばかりにネンシス船隊が一気に船速を上げる。その時だった。


「動かない!?」


 船底が何かに擦れる音と船員の悲鳴が響く。深追いした船隊の一部が潟に乗り上げたのである。身動きの取れなくなった船のなかに平底船も含まれていたことが混乱に拍車をかけた。このまま身動きも取れずに火矢を打ち込まれるよりは、と海に飛び込んだ兵士はカステッロとルキウスの指揮する小舟から次々に放たれる矢によって殺された。


 残ったネンシス船隊は、後退しようと船首を回頭させるが平底船は転舵が遅い。


 もたもたしているうちに今度は潮位があっという間に下がっていく。潮が引き始めたのである。通行可能だった場所は通行不能になり、干潟に乗り上げた船から兵士たちの悲痛な声が海に響く。


 ネンシス船隊のうち潟から脱出できた船は片手で数える程しかいなかった。


ネンシス子爵は平底船とともに燃え尽きた。干潟で身動きを取れなっているところを無数の火矢を打ち込まれ焼かれたのである。


「勝ったな」


 最後の平底船から火の手が上がった時、ルキウスはようやく安堵の声をあげた。


 実は、小舟から火矢を打つのにすべての戦力を投入していため、右翼で敵船に圧力をかけ続けていたガレア船には操船できるだけの兵士しか乗っていなかったのである。もし、ネンシス子爵が衝角攻撃を仕掛けてこないことを訝しんで接舷していれば右翼は崩壊していただろう。


 干潟に残された船の残骸や死体を見て、ルキウスは思う。


 ――止まらないことか。

予想以上に書けたので本日の更新します。

あと6話書いて完結の予定です。

次回は予定通り10/4です。

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