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第十二話 愛すべき者たちの会話

「あと半月もすれば、この街は王師に囲まれるだろう」


 ルキウスと面会したガイウスはさも当然のように言った。鍛えられた肉体はルキウスよりもふたまわりほど大きく逞しい。このいかにも武人という人物が、父マルクスと兄アントニウス亡き後のオルセオロ侯爵を継ぐ者であった。


 ――やはり、兄上は戦う道を選んだか。


 オルセオロ侯爵の城館は要塞都市アウグスタにある。アウグスタはルキウスが商館を置く港町ベネトから馬で南に一日の距離にあり、隣国であるトリエル王国との国境線に近い。かつてはトリエル王国との最前線であったアウグスタであるが、トリエル王国が平和路線に転換したここ二十年ほどは火の手は上がっていない。


 昨日、ベネトに到着したルキウスは陸に腰を落ち着けることなく馬上の人となった。すでに急使を派遣していたとはいえ、兄であるガイウスが今後どのような態度をとるか一刻も早く知りたかったからである。兄の意思はアウグスタに近づいた時点で分かった。


 分厚い壁に囲まれたアウグスタの城壁には大量の石弓が配置され、大量の小麦を載せた荷馬車が城門前に並んでいる。明らかに篭城戦の準備であった。


「私もベネトで集めた兵と食料をもってアウグスタに入ります」


 ベネトではカステッロが中心となって兵と食料を集め始めている。傭兵と民兵を加えれば千人ほどの歩兵が用意できるに違いない。


「ルキウス、お前はベネトを守っていろ」

「兄上、なんと?」

「お前の兵は不要であるからベネトを守っていろ、と言った」


 ガイウスは抑揚のない声でルキウスを拒絶した。


「なぜです!? 僕たちは王師よりもはるかに寡兵であり、戦力をベネトにアウグスタに分ける余裕なんてないはずです」

「分かっている。王師は万は下るまい」


 寡兵が大兵に勝つことは難しい。ルキウスが海戦でオズウェルに勝てたのも極論を言えば、使える水兵の差であった。それなのにガイウスはルキウスの兵を不要とした。ルキウスにはその理由が分からなかった。


「ならばこそ、兵力を集中しなければ!」

「兵力を集中させるという理屈は正しい。だが、お前の集める兵は本当に兵力と言えるのか?」

「ベネトで集める兵士千名は兵力といえませんか?」


 ルキウスはガイウスの問の真意が分からなかった。百より二百。二百より千の方が兵力があるといえるのではないか、ルキウスは自身の疑問を率直にガイウスに投げかけた。


「お前は金によって募った傭兵や民兵のことを兵力と言っている。確かに数は集まるだろう。しかし、俺が言っているのは質だ。このアウグスタには俺が鍛えた騎兵二百名に歩兵二千名がいる。それと同様の能力が期待できないのなら、それは兵力ではない」


「質……ですか」


 確かに傭兵や民兵は質が悪い。どちらも元々は食い詰めた人々の集団である。食料があり、自身が優勢である間は命令に従うだろう。しかし、一度劣勢になれば彼らは自分の保身を第一にする。篭城戦という忍耐力を必要とする戦いではそれが命取りになる。


「篭城戦というのは、どこか一箇所でも抜かれれば終わる。それを防ぐためには、兵の質を均一にし、集団の志を一つにまとめることが必要だ。だが、お前の兵はそれがない。統率できない兵を兵力とは言わない」


 ルキウスを突き放すようにガイウスは言った。その表情は一切変わることなく武人らしい硬質さを保っている。それはルキウスのよく知る兄の顔だった。忍耐と努力。それがオルセオロ公爵家の次男として産まれたガイウスの本質である。


 長子アントニウスを軍事面から補助することを期待された彼は、物心つく頃から武芸や戦術に関しての教育が行われた。彼には一を聞いて十を知るという天賦の才はなかった。しかし、彼は忍耐と努力を惜しまないことに関しては才があった。


 騎乗での槍さばきに納得できなければ、朝から夜まで訓練を続ける。それでも納得いかなければ、その次の日も同じ訓練を続ける。万事においてガイウスはそうであった。才能が有無を考えない直向ひたむきさが、彼自身に力を与えると共に彼を見た人々に感銘を与えた。


「ただの貴族の若様ではない」

「我々でさえ、あそこまで出来ない」


 ガイウスをよく知る兵士は、彼を尊敬し畏怖した。結果として、ガイウス麾下の兵士の練度は高い。それが傭兵と民兵の寄り合い所帯であるルキウスの兵とは決定的に違う点であった。


「……兄上に従います。ベネトに戻ります」


 ルキウスはうつむき気味に言った。オルセオロ侯爵家の危機に瀕して自分も何かできることがあるのではないか、と考えていた彼にとってガイウスからの拒絶はひどくこたえた。


「ルキウス、何があってもベネトを動くなよ。ネンシス子爵がベネトを狙う可能性もある」


 念を押すようにガイウスが言う。


「……はい、ベネトを守り。動きません」


「よし、では俺はこれから籠城の準備がある。お前も早くベネトに帰って準備をしろ」


 ――兄上はずっと私のことを怒っていたのだろうか?

 と、ルキウスは、にがみをおぼえた。


 ルキウスが自らに武芸の才がない、と気づいたときガイウスは、

「どんなことでも最初からうまくいくことはない。一つ一つを確実にこなせるように訓練することだ」

 と、言ってルキウスを繰り返し励ました。


 しかし、いくら繰り返してもルキウスの技量は向上しなかった。そして、父であるマルクスの命令によってルキウスは商会に入ることになった。ルキウスはそれを半ば喜んだ。


 当時のルキウスには、合わないものをやっても仕方がない。三男である自分にはこれくらいで丁度いいのだ、という諦めがあった。


 ガイウスは、それが気に入らなかったのかもしれない。自分も才はなかった。だが、忍耐と努力によってそれを乗り越えてきた。お前はすぐに諦めて楽な方へと流れていくのか。


 ルキウスは改めて自分は家族から見捨てられた存在だったのだと思い知らされた。


「兄上……。ご武運を」

「ルキウス、お前もな」


 ルキウスはガイウスとの会談を暗い表情で終えると、再びベネトに向かって馬上の人となった。ルキウスが去ったことを確認するようにひとりの女性がガイウスの前に現れた。


「随分と厳しいいいようですこと」


 彼女の名はシンシア・アクィタニカという。一年前に隣のアクィタニカ子爵家からガイウスに嫁いだ女性である。美人というわけではないが、その立ち振る舞いは優雅である。長い黒髪が緋色の長衣にはえている。垂れ目がちな大きな瞳は、柔和な印象を相手に与えるが彼女の気性は激しい。


「シンシアか。お前も父上のもとに帰るか?」

「ご冗談を? これから王師と戦おうというのにどうして妻が去れましょうか」


 手を口に当てて彼女は笑った。今回の戦ではオルセオロに協力する諸侯はいない。おそらく彼女の父であるアクィタニカ子爵も王師に従軍するだろう。


「王師と戦うからこそだ。いまならお前だけでも生き残ることができる」


 語勢を変えることなくガイウスがシンシアに言う。その顔はルキウスと話していた時と変わらず、一切の表情を読むことができない。


「ガイウス、最初から負けるおつもりなのですか? 随分と臆病なこと」

「負けるつもりはない。だが、お前のことを思えばだな」

「私のことを思うならお勝ください。それで万事丸く収まります」


 王に勝つ。シンシアは恐ろしいことをあっさり述べた。


「相変わらず、お前は歯に衣着せぬいいかたをする」


 ガイウスはやれやれというように苦笑すると初めて表情を緩めた。


「それは、あなたも同じことでなくて? もっと優しい言い方をして上げればよろしいのに。弟君が可哀想になってしまいましたわ」

「どうもルキウスのことになると、お前は甘いな」


「厳しすぎる方がいるせいで、甘く見えるだけです。ちゃんと言って差し上げればいいのです。お前はベネトを王に差し出して命だけでも助けてもらえ、侯爵家の誇りは自分が背負ってアウグスタで死ぬまで抗戦する、と」


 シンシアがガイウスの瞳を覗き込む。バツが悪いのかガイウスはすぐに眼を逸らした。


「誰か一人でも生きていれば再興もできる。皆が戦う必要はない」


「ならそう言いなさい、ガイウス。弟君はこの世の終わりみたいな顔して出て行かれましたわ。まったく朴念仁な亭主を持つと気苦労が堪えないわ」


 両手を腰に当ててシンシアがため息をつく。


「ならば、アクィタニカ子爵のもとに帰れ」

「あらあら、蒸し返しますか? 誰でしたか。ずっと俺のそばで笑っていてくれないか、となんの捻りもない求婚をした御仁は?」


 シンシアはガイウスに顔を近づけて尋ねる。シンシアが近づくたびに大柄のガイウスがじりじりと後ろに引いていく。最後には壁際にガイウスが追い込まれてしまった。


「シンシア。もうそろそろ、俺も戦準備にいかねば……」


「戦準備など家臣たちがしっかりとしてくれますわ。いま、私が質問しているのです。答えなさい、ガイウス。凡庸でなんの面白みに欠ける求婚を行ったのは誰でしょう?」

「分かった。二度と実家に帰れとは言わん。だからやめてくれ」


 ガイウスの言葉を聞いて、シンシアは満足げに微笑むと

「で、求婚されたのはどなた?」

 と、訊ねた。


「……俺だ」

「よろしい。ガイウス、愛しているわ」

「ああ……、俺も愛しているよ」


 疲れた表情で愛を語るガイウスの姿は、ルキウスや部下たちが見たことがないものだった。シンシアはガイウスに抱きつくと急に真面目なことを言った。


「王師は、あなたの思うようにアウグスタだけを囲むかしら? ベネトも同時に攻めようとするんじゃなくて」


「オルセオロ侯爵の本拠地はここアウグスタだ。王もアウグスタの城壁の厚さはよく知っているだろう。この城壁を超えるためにはあちらも兵力を集中させなければならない。ベネトに戦力を分けるというのは愚策だ」


 篭城戦において攻める側は守る側の五倍からの戦力を必要とする。ましてやアウグスタは歴史的にトリエル王国との最前線であった城塞都市である。一万を超える兵に囲まれたことは一度や二度ではない。陥落の危機もあったが今日までアウグスタはトリエル王国の手に渡ることなくオルセオロ侯爵家の本拠地として続いている。


 この歴史は守るものにとって大きな心の支えであった。今回の戦いがこれまでと違う点があるとすれば、援軍なき戦いである、ということだ。これまでは外敵の侵略を防ぐ戦いであったため、時間が経過すればするほど、アウグスタにはベルジカ王国の各地から援軍がやってきていた。しかし、今回は内側の戦いであり、相手は国王である。


 オルセオロ公爵家に味方する諸侯は皆無といっていい。


「もし、王がその愚策を取れば?」

「お前が望むことが起きる。俺たちの勝利という」

「ならば、そうなることを願いますわ」


 シンシアの願いに比して、ガイウスの苦悩は大きい。


 もし、オルセオロ侯爵家が王師に勝利した場合、父と兄と一緒に誅殺されたネウストリア大公に連なる一派も反旗を翻すに違いない。そうなれば、国内は大きく三つに割れる。

 一つはオルセオロ侯爵家、二つ目はネウストリア大公家、そして王家である。


 そうなった場合、トリエル王国はどう出るか。いまのまま平和路線を貫くのか。混乱に乗じてオルセオロ侯爵領に雪崩込んでくるのか。ガイウスには予想できない。だが、攻勢に出てきた場合、オルセオロ侯爵家単独で侵攻を防ぐことはできないことは明らかである。


「シンシア、願うなら平和を願ってくれないか?」


 ガイウスの願いに彼女は眼を大きくして驚いた。


「武人とは思えないお言葉。びっくりしてしまいましたわ。あなたにそんな冗談が言えるなんて知りませんでしたわ」

「冗談ではない。本心から言っているのだ。この戦いは百害あって一利なしだ」

「戦いに利があったことなんてあるのかしら?」


 シンシアは単純な疑問を述べたが、その疑問とは裏腹に戦いは始まろうとしていた。

あと7話で完結する予定です。

ようやく次回から戦争を始められそうです。


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