第十一話 臆病者の決意
夜が明けると王都トレヴェローヌは様々な噂で溢れかえった。
「オルセオロ侯爵、ネウストリア大公は王に反旗を翻そうとしたが、逆に誅殺された」
「いやいや、王は元より仲の悪かった両者を殺すつもりで、謀反は濡れ衣である」
など誰が発信源かわからぬ噂が王都を駆け巡った。その中には荒唐無稽なものも多く混ざっており、
「王はすべての貴族を誅殺するつまりだ」とか
「実はオルセオロ侯爵とネウストリア大公は生きており、領地にて兵を蓄えている」
と、いう者もあった。
その噂の中に「オルセオロ侯爵の三男であるルキウスがウェルセックの王女ルフスリュスを誘拐した」というものも混ざっていた。王都に住む住民にとって、隣国の王女がベルジカを訪れているなど思いもよらず、デマのたぐいだと笑い話になっていた。しかし、王宮ではルートヴィヒとキルデベルトの二人が頭を抱えていた。
「なぜ、王女に逃げられたのだ!」
ルートヴィヒは平身低頭するキルデベルトに叱責の声を落とした。ルフスリュスが王宮から逃亡したことによってこの主従の計画は大きく狂った。とりわけ、彼女の口からオルセオロ侯爵とネウストリア大公の謀反を群臣に伝えることで自分への反発を抑えられると思い込んでいたルートヴィヒにとっては痛恨事であった。
「まさか、王女が逃げ出すとは思わず……。すべては王宮を警護していたネーベルの怠慢です。私は彼に兵士たちには密な警備をするように、と命じていたのです」
ネーベルは、キルデベルトの元で王宮の警護を担当している勲爵士(騎士)であるが、王宮全体の警護を担当しているわけではない。むしろ、その上で警護を統括していたのはキルデベルト本人なのである。しかし、彼はルフスリュス逃亡の責任を彼に押し付けた。
「ネーベルか。実直な性格で見所があるので勲爵士に叙爵したのだが」
「もしかすると、ネーベルはオルセオロあるいはネウストリアに与する者だったのかもしれません。それゆえに故意に王女を逃がしたのでは?」
「なんと! ネーベルめ、せっかく眼をかけてやったというのに、恩をあだで返したな!」
「王からの大恩を理解せぬネーベルには厳しい処罰が必要かと」
キルデベルトの眼に意地の悪い光が灯る。しばらくの沈黙のあと、
「ネーベルに毒杯を授ける。潔く受け取るように伝えよ」
と、言った。
見たいものしか見えず、都合の悪いものは見ない、という点でこの主従はよく似ていた。市井の民ならそれでも害悪は少なかったに違いない。だが、この二人は一国の王と一都市の領主である。偏執な貴人ほど迷惑な者はいない。また、ネーベルを処断したところで彼らの計画に生じた歪みが直るわけではない。
「お困りのようですな。王の忠臣であり友である。アミン伯爵シャルル、ただいま帰参いたしました」
扉口には甲冑姿の男が一人立っていた。歳の頃はルートヴィヒと同じくらいの三十代半ば。左目には眼帯をしている。
「シャルル。よくぞ、やってくれた。ネウストリアを父子ともに討ち取ったそうだな」
「王の命とあらば、火の中水の中。私の槍にかかれば敵などいません。かつてはベルジカの宿将と言われたネウストリア大公も一刺しでした。その息子になると命乞いをする始末。実に張り合いのない相手でした」
シャルルは胸を張って笑った。
彼とルートヴィヒの付き合いは長い。ルートヴィヒがまだ皇太子であるときから近侍として仕え、彼が王になってからは父の跡を継いでアミン伯爵として仕えている。
幼少の頃から武芸を好み、
「当代でベルジカ一の名将と言えば自分である」
と、吹聴している。
一方で、ネウストリア大公が宿将と言われたのはいまから三十年も前のことであり、七十代の老将を討ち取った、と誇るあたりが彼の精神的な幼さを表している。とはいえ、王であるルートヴィヒから厚い信頼を受けている彼にそのことを指摘する者はいない。
「シャルルよ、困ったことが起きた」
「聞いております。ウェルセックの王女が逃亡したとか?」
「そうなのだ。どうしたらいいものか……」
「では、オルセオロ侯爵とネウストリア大公はウェルセックの王女と密約を結び、王に反逆しようとしたが、機先を制した王が両者を誅殺。王女はオルセオロの遺児をそそのかして兵を挙げようとしている、というのはどうでしょうか?」
シャルルは知恵のあるところを見せた。
「なるほど! お前は武芸者だけではなく知恵者だ。当代一の名将というのも頷ける」
「お褒めいただき、ありがとうございます。つきましては、オルセオロの遺児の追討をご命じいただきたい」
「そう、はやるな」
たしなめはしたが、ルートヴィヒはシャルルの発言そのものを否定したわけではない。家族ともに王都に出てきていたネウストリア大公と違い、オルセオロ侯爵は領地であるアウグスタに次兄ガイウスを残している。また、三男であるルキウスはルフスリュスを連れて逃亡中である。この二人を討ち取らない限りオルセオロ侯爵家は断絶したことにならない。王権を強固にするためには、ルートヴィヒは諸侯に対して自分の力を見せつける必要があった。
「オルセオロの遺児追討は余も参加する。親征である。シャルルよ、余の前衛を努め抵抗するものを排除せよ」
「はっ、謹んで前衛を務めさせていただきます。では。兵を集めますのでここで」
シャルルは喜色を浮かべながら去っていった。この戦いが終われば、ルートヴィヒが功績のあったものに褒賞を与えるに違いない。その多くは、オルセオロ侯爵とネウストリア大公が持っていた広大な領地の一部になるだろう。これまで、両家の風下に立たなければならなかった伯爵家がようやく表舞台に出る。彼はいずれ王国の剣と呼ばれる自分を夢想していた。
シャルルがさったあと、ルートヴィヒはキルデベルトにも今後の指示を行った。
「キルデベルトよ、余が親征に出ているあいだの王都の留守役を命じる」
「王よ、私のような小臣に大任をお与えいただき感謝に堪えません」
この命を聴いたときキルデベルトは密かに喜びを隠した。もともと肥太ったキルデベルトにとって今回のような戦闘は苦手とするところであり、王都の防衛であれば、前線ほどの危険もない。ましてや今回の戦では、オルセオロ侯爵家は防御に終始することが明らかである。
「余とシャルルが帰ってくるまでの間、王都に残るオルセオロとネウストリアの親派を掃除しておくがよい」
このようにしてルートヴィヒを主将にするオルセオロ侯爵家追討が決定した。武器や食料、兵員を集めるため、出陣は二週間後とされた。
同じ頃、ルキウスはオルセオロ侯爵領ベネトに向かう海上にいた。
夜半に王都トレヴェローヌを出港して約半日。ベネトまではあと二日ほどかかる。陸路では、徒歩で六日。馬で三日である。次兄ガイウスがいる要塞都市アウグスタまではさらに馬で一日の距離がある。
オルセオロ侯爵領はベルジカ王国の東端に南北に伸びている。北端がベネト、南端がアウグスタである。東端はトリエル王国とよばれる蛮族の支配地に接している。西端はネンシス子爵、アクィタニカ子爵という両子爵の領地と接している。このうちのアクィタニカ子爵の子女は一年前にガイウスに嫁いでいる。一方のネンシス子爵は、あまりオルセオロ侯爵家との仲は良くない。
今回の凶事をガイウスに知らせるため、ガレア船の内一隻を昼夜兼行でベネトに向かわせているが、それでも兄のもとに知らせが届くには二日後のことだろう。この知らせを受けてガイウスがどのような判断をするかによってルキウスの未来は決まるといっていい。
「どちらに転ぶことになるか」
ルキウスは船橋から青く広がる海原を眺めながら言った。
ガイウスが王に恭順を示した場合、ルフスリュスを誘拐して逃げてきたルキウスはベルジカでの居場所はなくなる。ルフスリュスがウェルセックで匿ってくれるかもしれないが、商人にもなれず死ぬまで部屋住みの身分というのはぞっとしない。
反対にガイウスが抗戦の意思を示した場合、ルキウスはガイウスと共にアウグスタで篭城戦をすることになる。本来ならば、篭城戦は避けるべきだがオルセオロ侯爵家の兵力はいくら集めても騎兵四百名、歩兵二千名である。金銭で傭兵を雇い入れても千名程度の歩兵が加わるくらいである。これに対して王の率いる兵力は一万をくだる事はない。近衛兵だけで騎兵五百名に歩兵五千名、これに諸侯からの騎兵五百名と歩兵五千名が加わると一万千名の軍ができる。
オルセオロ侯爵家の約四倍である。こちらは一人で四人の敵を倒さなければならないが、相手は四人で一人を倒すだけで勝利できる。まともな神経では会戦を行う気にはなれない。となれば城塞都市アウグスタで篭城戦しか取るべき道はない。
はたしてガイウスが恭順と抗戦のどちらを選ぶか、ルキウスにはおおよその予想がついている。
それは抗戦である。
ガイウスは武芸に長けた人物である、と同時にオルセオロの家名にだれよりも誇りを持っている。その彼が父と兄を殺されて黙っているはずがない。必ず、二人のひいては一族の汚名をすすぐために剣を取る。
そうなった時に自分が行うべきことはなにか。ルキウスは自分自身と反芻していた。
「随分と難しい顔をしていますね」
背後からの声に、ルキウスは驚いた。深く考え込んでいたため、ルフスリュスが後ろにやってきていたことに全く気付いていなかったからだ。
「王女殿下を誘拐した極悪人ですから、未来のことを思えば難しい顔にもなります」
「なら、誘拐犯らしく要求でもしてみてはどうですか?」
「どんな要求ですか?」
ルキウスはルフスリュスに訊ねた。彼女は少し考えたあと言った。
「妹を返して欲しくば、一万の兵士を寄越せとか。兄が私を愛していれば援軍をだしてくれるかもしれません」
一抹の寂しさをもって彼女は一塁の希望を言葉にした。兄が自分を愛しているのか、それは尋ねるまでもなく否なのである。兄にとって自分は唯一の政敵、誘拐されてこのままどこかに消えてしまったほうが都合がいいに違いない、とルフスリュスは自分の希望を自ら否定した。
「それはいい考えですが、援軍が来るころには、オルセオロ侯爵家は大軍によってすり潰されています」
例え、ルフスリュスの兄であるウェルセック王アルフレッドが援軍を出してくれるとしても、兵を集めるのに半月、それを運ぶための船を集めるのにさらに半月以上の時間がかかるに違いない。とてもではないがルートヴィヒが兵を率いて来るまでに間に合わない。
「では、私と二人で誰も知らない場所へ逃げますか?」
一瞬、ルキウスの息が止まった。
いまなら、ルキウスとルフスリュスの二人くらいが第三国に逃げ出すことはできる。誰も知らない地で、苦しくても慎ましい生活くらいはできるかもしれない。しかし。
「ルフスは、往路でオズウェルに言いましたよね。国が守れるなら死んでもいい、と。あのとき、僕も考えました。侯爵家から見捨てられた僕も同じことが言えるのかって。でも答えは出なかった。だけど、ここに来て答えが出せる気がするのです」
「それは?」
「まだ言葉になるような状態じゃありません。ただ、逃げるという答えにはならないと思います」
ルキウスは言い終えたあと、照れを隠すように微笑んだ。
「なら、きっとそれは良い答えになるでしょう」
ルフスリュスはルキウス以上の確信をもって頷いた。
「どうして、そこまで言い切れるのですか?」
変な質問だと自覚しつつも、ルキウスは問わずにはいられなかった。
「貴方は私を誘拐しています」
「誘拐されても、そうじゃなくてもルフスには変わりがないのではないですか?」
「分かりませんか?」
「……?」
考え込む誘拐犯に対して、美しい金色の髪をした王女は言った。
「私を誘拐している、ということはあなたの傍に私がいるということです。なにかあるとすぐに怯えて、震えてしまうあなたの傍にですよ。あなた一人ならただ震えているだけでしょうけど、私がいればこう……」
後ろからルフスリュスがルキウスを抱きしめて言う。
「震えを止めてあげることができます」
笑いがこみ上げ、ルキウスの体が小刻みに揺れる。
「そんなに僕は臆病じゃないと思うのだけど」
「いいえ、臆病者です。だから、ちゃんと私を誘拐していなさい」
「気をつけるよ。ただ、できればルフスももっと人質っぽく振舞って欲しいね」
それらしく言ってみたが、負け惜しみ以上なにものでもなかった。どちらともなく笑い声が溢れる。