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第十話 賭博師

 王都トレヴェローヌの闇を炬火きょかが破ってゆく。


 王宮でマルクスが殺されたのとほぼ同じ頃、王都ではネウストリア大公とオルセオロ侯爵の館が王兵によって襲撃しゅうげきされていた。襲撃者が持つ炬火によって闇は大きく切り取られ、館の周りは昼のように明るかった。王都の住民はこの明かりによって、この都で異常が起きていることを察知した。


 そして、ルキウス達もこの異常な事態を察知していた。


 ルキウスのいる商館は、オルセオロ侯爵の館がある都の中心部から離れた港沿いの大通りにある。これがルキウスが事態の把握はあくを遅らす原因となった一方で、ルキウスに襲撃者に備える時間も与えた。


 商館は盗賊などの襲撃に備えて、強固な造りがされている。地階は、背の高い石造りになっており、レンガ造りの建物のように容易に崩されることはない。また、積荷や人が出入りする門は、身の丈の二倍はあろうかという巨大なものであり、門扉は鉄板で覆われている。商館の上部は、いくつもの矢窓が設けられており、門前に賊が立つことがあれば、矢を射掛けることが出来る。


 いま、商館は門を閉ざし、水夫や水兵が石弓を構えている。


「父上と兄上の安否はわからないのか?」


 いらだちを隠さずにルキウスが声をあげる。しかし、その問に答える者はいない。だれもが現状を正確に把握していないからだ。館が襲撃を受けている、との第一報を受けた段階で、目鼻の利く者を情報収集に放っているが、いまだに誰も戻ってきていない。側近とも言えるカステッロも船団に残っている船員の様子を見にいっているため、この場にはいない。


「ルキウスどの、ルフスリュス王女殿下の使者を名乗る者が門外に来ていますぜ」


 落ち着いた足音を立てて階下から現れたのは、王都の商館を預けているクローチェ・イェーゾロである。鷲鼻が特徴の男で、歳の頃は四十代である。鋭い眼光と鷲鼻と相まってきつい印象を相手に与える。


 彼は元々オルセオロ商会に所属していた人物ではない。かつて、彼は商売敵とも言えるイェーゾロ商会という王都でも老舗の商会を経営していた名うての商人であった。しかし、彼は一年前に小麦の先物取引に失敗し、商会を傾けるほどの損害を受けた。


彼は、

「私とうちの商会を買いませんか?」

 と、これまで商売敵であったルキウスに持ちかけた。


「これまで小麦取引で敵だった僕に商会を売りたいとは、どういうことです?」

「今回、うちは先物取引に失敗した。それは運がなかったからだ。だが、あなたは失敗しなかった。運があるところに最後に賭け金を賭けたいと思うのは当然じゃありませんかい」

「商人と言うより、賭博師のそれだな」

「賭博師だから商人になれるのですよ。あなただってそうさ」


 クローチェの眼が底光りした。この男は精気を失っていない。ルキウスはこの男にまだ敗れていないのだと思った。同時にイェーゾロ商会の商権よりもこの男が欲しい、と思った。


 ルキウスは彼の提案を受けた。それによってオルセオロ商会はイェーゾロ商会の負債を抱え込むことになったが、人を得たほうが利益は多かった。先物取引では運に恵まれなかった彼だが、現物取引では強運を見せた。オルセオロ商会の王都での売上はこの一年で驚く程に伸びている。


「通せ!」


 珍しく声を荒げるルキウスにクローチェは、まだ彼に運が残っているのか、と推し量るような眼で彼を見た。おそらく、自分もルキウスもここで賭ける場所を間違えれば落ちていくだけに違いない。一度、底を覗いたことがある彼は冷静な態度でルキウスの指示に従った。


「王宮で、王都で何が起こっている?」


 ひとり王宮から駆けつけたハーラルが現れると、ルキウスは疑問を率直に述べた。


「オルセオロ侯爵と子息であるアントニウス殿は、ルートヴィヒ王の命を受けたキルデベルト子爵によって討たれました」


 ここまで駆けてきたとは思えぬほど、落ち着いた声でハーラルは言った。


「なぜだ! 父上や兄上がなぜ殺されねばならない!」

「謁見の間に入れなかった私には分かりません。ただし、現場にはルフスリュス様もいらっしゃいました。ルフスリュス様が戻られれば詳しいことも分かりましょう」

「その時間があるかどうか……」


 怒気を抑えた声でルキウスは、矢窓の外を眺めた。王都の中心部で、火の手が二つ上がっている。一つはネウストリア大公の館、もう一つはオルセオロ侯爵の館に違いない。二つの館を落とした王兵が次に狙うのはその両者に縁のある場所に違いない。


 ――つぎはここか?


 商館には水夫や水兵など船員二百名ほどが控えている。二百という数字は集団としてはそれなりだが、戦力としては王兵に立ち向かうには心もとない。港の繋いでいる船団には、あと三百名ほどの船員がいるが、陸に上がっているものもいることから実数は二百名くらいであろう。それを含めれば四百名になる。


 ――一矢くらいならば。


「投機には時期というものがあります」


 ルキウスの思考を止めるようにクローチェが声を上げた。


「僕が無謀な投機をしようとしていると」


 不機嫌そうにルキウスが口を結ぶ。


「その通りです。私は運があると思ったからあなたに賭けたのです。だが、いまのあなたに運があるようには見えない。夏に薪で儲けることも冬に小麦を刈り取ることも不可能ではないでしょう。ただ、それには万分の一の運がいる。運がない人間は、時期を待って冬に薪で儲け、秋に小麦を刈り取るべきです」


 ルキウスはわずかに当惑とうわくをあらわした。父と兄を失ったことにたいする怒りとは別の部分で、彼には酷く冷めた部分があった。そこはクローチェの意見に同意していた。しかし、怒りという感情の熱量を抑えるほどではない。


「家族を殺されて黙っていろと?」

「黙っているべきだ」

「クローチェ!」


 かっと目を見開くとルキウスはクローチェを睨みつけた。


「あなたが、船員たちを連れて王兵に突っ込んだとして王までたどり着けるのは、それこそ万分の一の可能性だ」

「それでも、やるべきなのではないのか?」

「やれば、あなたと同じ立場の人間が最低でも四百人に生まれるというのにですか」


 侮蔑するような口調でクローチェが述べる。

 四百名の船員とともに王兵に突っ込めば、少なからず損害は与えられるだろう。しかし、それで満足するのはルキウスだけである。それに巻き込まれて死んだ船員の家族は、いまのルキウスと同じ境遇になる。この言葉はルキウスの中にこもる熱を吹き飛ばすのに効果があった。


「……分かった。無謀な投機はしない」


 毒気の抜けたようにルキウスが言った。ここで一矢を放つことができなくても領地に帰れば、次兄ガイウスがいる。彼と力を合わせれば、何らかの活路を見出すことができるかもしれない。その当たり前のことにルキウスは、ようやく気がついた。


「この使者殿の話ならヒメ様もお越しになるそうじゃないですか?」

「はい、ルフスリュス様は必ず、ここに参られます。どのような手を使っても」


 ハーラルが強く頷く。

 ルフスリュスがここにやってくるとしても事態が劇的に好転するわけではない。王兵にとっては王女である彼女を殺さぬようにしなければならなくなるだけで、ルキウスらを殺すことには変わりはない。


 ――ならば、悪党になるとするか


「船を出す準備をしよう! クローチェ、船員に船団にもどるように伝えろ」

「商館の蔵にある金貨、銀貨はどうします?」

「時間がない。もったいないが放棄する」

「随分と気前がいいことで。放棄するなら私に賭けてもらえませんか?」


 クローチェが底光りする眼でルキウスを見つめる。商会を売りに来た時と同じ眼だった。


「人に投機をするなというわりには、自分に甘くないか?」

「いえいえ、いまのあなたには運がないですが、いまの私にはありますから、無謀ではないのですよ」


 鷲鼻を鳴らしてクローチェが笑う。ルキウスはつられて笑うと、やれ、とクローチェの賭けを認めた。


「期待していてください。成功させてみますよ」

「捨てた金だ。期待はしないで待っているよ。クローチェ」


 なぞかけのような二人の会話にハーラルは首を傾げずにはいられなかった。




 商館を最初に見たのは、先頭をゆく馬車に乗っていた若い従者である。


 ――これはちょっとした砦だ。


 石造りの巨大な商館に彼はそう思った。

 馬車がさらに近づくと、商館の前に三人の男が松明を片手に立っているのが見える。そのうちの二人は見覚えがある。ハーラルとルキウスである。もうひとりの鷲鼻の男は見たことがない。しかし、服装からは貴族のようには見えない。


「良かった……二人とも無事で」


 馬車の中から二人の姿をみとめたルフスリュスが安堵の声をあげる。

 馬車が商館の前に止まると彼女は、すぐさま飛び出した。ルキウスに駆け寄った彼女は、彼の顔を見ると何か言いたそうにしていたが、それは言葉にならなかった。


「ルフス、無事でよかった」


 最初に声をかけたのは、ルキウスだった。その声には悲壮感はなく、往路で船員に指示を出している時と変わりがないように感じられた。


「ルキウス、貴方も無事でよかった……」


 お父上と兄上は、と言葉を続けたかったが彼を前にしてどうしてもルフスリュスはそれを言うことができなかった。それを目撃した自分自身が言わなければならないのに、と思いながらもどうしても声にできなかった。


「父上と兄上が亡くなったそうですね」


 それはとても静かな声だった。ルフスリュスは黙って頷いた。

「ルフス、お願いがあります」


 ルキウスはルフスリュスの瞳をじっと見つめていった。


「なんでしょう? 私に叶えられることであれば……」


 彼がウェルセックに亡命したい、と言えばそれを叶えよう。

 彼が兵を貸してほしい、と言えば何が何でも兄を説き伏せよう。

 彼が望むのならば、私は……。

 彼女がめまぐるしく思考していると、ルキウスは彼女の考えの外にある願いを述べた。


「僕に誘拐されてくれませんか?」

「……はい、どうぞ」


 予期もせぬことで何も考えずに承諾してしまった。彼女は彼の言葉にどのような意味があるのか分からず、呆然とした表情で彼を見つめた。


「ありがとう。ルフス」


 ルキウスはそう言って彼女の手を握った。その手は、その優しい言葉と裏腹に冷たく、震えていた。ルフスリュスはその震えを止めるように強く彼の手を握り締めた。


「そうと決まれば、早く行ってください。ヒメ様を追っかけて王兵があっという間に来ます」


 鷲鼻の男が手を振っていう。


「ああ、分かっているさ。いこう、カステッロがもう準備をしているはずだ。クローチェ、次に会うときまでに金貨を増やしておいてくれよ」


 ルキウスがルフスリュスの手を引いて馬車に向かう。馬車の周りではハーラルが他の従者たちに何やら指示を与えている。


 ルキウスとハーラルを加えた馬車が港に向かって走り出す。商館の前に一人残されたクローチェは、

「さぁ、大勝負といきますか」


 気合を入れるように呟いた。そして、商館の石壁に向き合うと力いっぱい頭を打ち付けた。鈍い音と一緒に彼の頭から血が流れ出す。遠くて馬の蹄の音がする。


「痛ぇな……。だがこれぐらいやらないとうまくいきようがない」


 血まみれの頭をおさえながら、商館前に彼が座り込む。蹄の音がいよいよ近づくと、クローチェは、ほくそ笑むような顔を引き締めた。


「貴様、オルセオロ商会の関係者か?」


 騎乗した兵士が、クローチェに尋ねる。兵士は手に持った松明を近づけると彼の頭の傷に気付いて馬から降りた。


「どうした、この傷は!? 何があったのだ?」

「……おお、騎士様。ルキウスの小僧が王女殿下を誘拐して、東門の方へ」


 息も絶え絶えといった風にクローチェが述べると、


「誘拐だと……」

「わ、わたくしはそれを止めようとしたのですが、頭を殴られて……」


 そこまで、述べるとクローチェは気を失ったかのように目を閉じた。兵士が大声で姫が誘拐された、東門に逃げた、という言葉を叫ぶのを聞いて彼は笑いを堪えるのに忙しかった。

新しい登場人物が出てきてもオッサンばっかりでむさ苦しい、と言われるかもしれません。

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