第九話 浅慮近謀
「いやはや、見苦しいところをご覧に入れた」
返り血のついた上着を取り替えたルートヴィヒが、笑顔で言う。その笑顔からは罪悪感を読み取ることはできない。ルフスリュスは思った。彼は、自身が本当に正しいことをしたのだ、と思っているに違いない。だからこそ、ここまで笑顔でいられるのだ。
目を落とすと、いまだにマルクスの血液が白い大理石の床に広がっている。死体はすでに兵士たちによって運び出されているが、血液まで拭き取られていない。この血液ももうしばらくすれば綺麗に拭き取られ、マルクスがこの場所で殺された痕跡はなくなるだろう。
「ルートヴィヒ王、貴方は私に証人になって欲しいとおっしゃいましたが、私は誰に対して、何を証言すればよろしいのでしょうか?」
目の前でマルクスが殺されたせいか、ルフスリュスの口調はきつい調子となっていた。その認識はあったが、それを直せるほど彼女は大人ではなかった。
「美しき王女よ、落ち着かれよ。この度の行いは非道なものではない。きちんした大義があるのだ。キルデベルト、説明して差し上げろ」
ルートヴィヒは、落ち着くようにルフスリュスに着座をすすめると、自身も椅子に座った。
マルクスに変わって王の後ろに控えていたキルデベルトが前に進み出る。彼の衣装はまだ血まみれであり、点々と血痕が付着している。彼に着いた血痕は肥太った体つきのせいか、食い散らかしたカスが衣類についているように見えた。ルフスリュスはその姿をあえて直視しないように顔を逸らした。
「王女は、貴国――ウェルセックでの内乱の原因をなんだと思っておられますか?」
どことなく緊張感のない独特の語勢でキルデベルトが問う。
「叔父であるギルバートが兄を軽んじ、王を名乗った所為です」
わずかに力みのある声でルフスリュスが答える。ウェルセックでの内乱は、太子であった兄アルフレッドを軽視したギルバートが王を名乗ったことによって生じた。その原因はギルバートにあることは明白であり、その分かりきったことを問うキルデベルトに彼女は淡い怒りを感じた。
「そのとおり。貴国では王族であるギルバートが王を軽視して内乱となった。我が国では、マルクスを含めた大貴族こそが第二のギルバートであり、内乱の火種なのです」
「私が見たところ、煙ひとつ上がっているようには見えません」
「表向きは、でございます。王女は我が国の成り立ちをご存知でしょうか?」
「知っております」
ベルジカ王国の成り立ちはウェルセック王国と深い関わりがある。
かつて、この地にはロルムス帝国という巨大な国家があった。この帝国は、ベルジカやウェルセックなど複数の地域を属州として統治していた。しかし、約五百年にわたって栄華を極めたロルムス帝国も末期になると政治、軍事の両面で破綻が見られるようになった。
帝国が衰退は、蛮族の侵入という形で明らかになる。
東方から侵入した蛮族は、最初に帝国東端にある属州エシアに侵入、略奪と破壊をほしいままにした。この侵入に味をしめた蛮族は、より富の集まる場所――帝国首都ロルムを目指して西進する。属州エシアに続いて属州マティア、属州ノクムの順番に通過、ついに帝国本国に侵入する。帝国は三度にわたって蛮族に金銀を与えて撤退を願い出るが、彼らの進行を止めることはできなかった。最後に本国に駐留していた近衛軍団と第一軍団の二つが敗北すると、蛮族は帝国首都ロルムに侵入し、皇帝を殺害した。
蛮族によって帝国本国が崩壊したことによって窮地に陥ったのは、いまだに蛮族の侵入を許していない帝国本土から西方にある属州であった。これらの属州には帝国から行政を司る総督と属州の治安を守る軍団が派遣されていた。
帝国本土が蛮族の手に落ちた結果、各属州の総督は、皇帝からの命令ではなく自身の判断で、蛮族への恭順か抵抗を決めなければならなかった。そして、そのどちらの場合も蛮族からの略奪を覚悟しなければならない。
属州ベルジカの総督であったロンバルド・トレヴェローヌは、この地に派遣されていた第八軍団長ユリウス・オルセオロと帝国本土から逃れてきた第一軍団の残兵であるガルバ・ネウストリアと協力して蛮族に対抗した。ベルジカ東部に巨大なアウグスタ砦を築いて、蛮族が属州内に侵入するのを防いだのだ。その後、ロンバルドはロンバルド・ベルジカと名乗り、ベルジカ王国を建国。初代国王となった。
属州ウェルセックでは、蛮族への恭順を示していた総督オットー・サルウスが同地に駐留していた第十軍団長ティトウス・フラウィウスにより殺害された。属州での実権を握ったティトウスはロンバルドにならってティトウス・ウェルセックとしてウェルセック王国を建国、海を隔てたベルジカに武器や食料、兵を援助した。
それから約二百年、ベルジカとウェルセックは概ね良好な関係を維持したまま現在まで続いている。
「流石でございますな。初代国王ロンバルド陛下は、功のあった者を貴族としました。その貴族の中でも大貴族と呼ばれるのは、マルクスの祖先であるユリウス・オルセオロから始まるオルセオロ侯爵家とガルバ・ネウストリアから始まるネウストリア大公家です」
この両家は建国以来の名門として有名である。また、両家が王家の両輪として回ることでベルジカ王国が安定してきた。
「両家が内乱の火種だと?」
「そうです。この両家の領地は王家と同等であり、両家が手を組めば王を超える勢力が出来上がります。
国内に王と同等あるいはそれ以上の勢力がいる、それは常に内乱の火種を抱えている、と言えるのではないでしょうか?」
――いいがかりではないのか。
ルフスリュスは唖然とした思いでキルデベルトの話を聞いた。
確かに国内に王を超える勢力があることは内乱の火種になる。それはルフスリュスが体験したあの内乱と同じである。しかし、火種があったとしてもそれが必ずしも燃え上がるわけではない。ウェルセックではギルバートがアルフレッドを軽視したことによって内乱が生じた。もし、アルフレッドがギルバートを押さえ込むことが出来ていれば、ギルバートは内乱を起こすことはなかっただろう。
上に立つ者がいかに振舞うか。それが器というものだとルフスリュスは思う。
火種になるからと言って、消してしまうのは早計と言える。
「ゆえに、オルセオロとネウストリアの両家を潰すということですか?」
「左様です」
キルデベルトが下卑た笑いを顔に浮かべる。
「そして、キルデベルト卿がつぎにその両家の地位に座る、というわけですか?」
「……いえいえ、そんなこと」
しどろもどろになりながらルートヴィヒにすがるような目を向けるキルデベルトにルフスリュスは軽蔑の眼差しを送った。
「王女よ、余の忠臣をいじめないでくれないか。キルデベルトは本心から王家の心配をしてくれているのだ。余としては、過去の功績をひけらかし王家を蔑ろにする大貴族よりもキルデベルトのような臣下を重用したい。しかし、彼らがいるとそれができないのだ」
「おお、王よ。そこまで私のことを……」
わざとらしく、キルデベルトが大げさに喜びを表す。感動に巨体を震わせる姿は、どこか滑稽で喜劇を見せられているようだった。
「さきほど、王家を蔑ろに、とおっしゃいましたが両家はどのような行いをしたのですか?」
「聞いてくださいますか!?」
キルデベルトが声を張り上げ、
「先年、王が離宮を建造する意を示されました。しかし、マルセオロ侯爵とネウストリア大公の二人は示し合わせ、国費の無駄である、と王に中止を求めました。彼らは、国事で心労の絶えない王が静養する離宮の建造も認めず、無駄とさえ言いきったのです。これを蔑ろ、と言わずしてなんというでしょうか?!
他にもネンシス子爵の領地の隣に嫌がらせのように港町を築き、交易による利益を独り占めした。それによってネンシス子爵は困窮し、私や王にすがりついてきたのです」
と、言った。
「落ち着け、キルデベルト。王女よ、この者は余のことや困った者のこととなるといささか熱くなりすぎるのだ」
「わかりました。ゆえに王は両家を不忠として処断された、ということですね」
ルフスリュスは、努めて冷静を装った。
「明日、両家を処断したことを諸侯に伝える。そこで、王女にはオルセオロとネウストリアが余の命を狙っていた、と証言していただきたい。諸侯のなかには両家に味方する者も多い、そういう者に道理を解くのは時間を要する。しかし、謀反となれば、同情を向ける者はいない」
「私が証言する必要がありますか?」
「ある。余が両者の謀反を述べても信じぬ者もおろう。しかし、なんの利害関係のない王女の口から謀反を明らかにすれば、諸侯も信じるであろう」
「深慮遠謀でございますな」
キルデベルトが追従を述べる。ルートヴィヒはそれをまんざらでもない顔で受けている。
――くだらない。
そのような策に引っかかる諸侯がいるとすれば、頭がお花畑になっているに違いない。王と両者の仲が悪いことが国内に知られているのであれば、他国の王女が言おうと誰が言おうと疑いの芽は残るものである。それが分からないのであれば、この王は王の器ではない。ルフスリュスは侮蔑した心を隠しながら、二人を見た。
「わかりました。明日、証言させていただきます。少々、血に酔いましたので失礼してよろしいでしょうか?」
「おお、すまない。王女よ。このような穢れた血が残る場所で長々と話をしまった。今日はよく休まれよ」
ルフスリュスが席を立つとき、床に流れたマルクスの血はすでに乾いていた。
狐と狸から解放されたルフスリュスが謁見の間から出ると、六人の従者が駆け寄ってきた。
彼らは、謁見の間に入ることができず、やきもきした気持ちで主人の帰りを待っていたのだ。部屋に乱入した兵士に死体となって出てきたマルクス侯爵、彼らが心配する要素は多かった。
「ハーラルがいないようですが……?」
従者の長と言うべきハーラルがいないことを尋ねると一団のなかで一番若い従者が声を潜めて答えた。
「ハーラル殿はルキウス様のもとへ走られました。また、我らにも馬車をいつでも使えるようにとおっしゃっておられました。そちらはいま、一人を使いに出しております」
これで従者が足りない理由は分かった。しかし、ハーラルが主人である自分の命を待たずにルキウスのもとに走った、ということがルフスリュスには意外であった。ハーラルがルキウスをそんなに気にしているとは思っていなかった。
「馬車の用意が出来次第、ここを去ります。きっと荒事になるでしょう」
おそらく、ここでルートヴィヒの願い通りに証言することがウェルセックとベルジカの二国にとっては、ひいては兄にとっては良い選択なのだとは分かったが、ルフスリュスにはその選択肢を選ぶことはできなかった。
それは兄に逆らわないことを誓ってきた彼女にとってありえない選択であった。しかし、ここに来てその誓を破ることに心の天秤が傾くことになった理由を彼女はまだ分からなかった。表面的には、このまま狐と狸の三文芝居に巻き込まれるのは嫌だった、ということになるが、兄を裏切る理由としては薄い。
「分かりました。行き先は?」
「ルキウスの商館へ向かいます。私が商館に入れば、あの王の兵も手を出しにくくなるはずです」
「もう、すでに落ちている可能性がありますが……」
若い従者が最悪の事態を述べる。彼からすればすぐにでも王都から離れるのが得策だと思うのだ。処断された侯爵家の三男よりも主人の安全を確保する、それが一番の策なのだが主人がそれを認めそうにない。それが、若い従者には理解できなかった。
「ハーラルが向かったのです。落ちているはずがありません」
ハーラルの武技が秀でていることは若い従者も認めるところであるが、一人で王の兵を相手にできるとは思えない。なによりもいつも現実的な主人が希望的な観測に終始することが驚きであった。
「……もうすぐ、馬車が来ます。参りましょう」
若い従者は思った言葉を飲み込んで一団の先頭を歩き始める。




