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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

八木町バレンタイン騒動

作者: 純一郎

 人は誰しも恋をするものだと聞いたことがあります。私に限ってそんなことは、と思っていたのがいけませんでした。普段その手の事柄には疎い私が、よりにもよって、クラスで一番の人気者のあの人に恋をするなどというのは、我ながらショッキングなことです。私のような日陰者は、やはり光に憧れるということなのでしょうか。羨望と恋心の区別が付いていないのだと、自分に言い聞かせてみても、この気持ちは治まることが無く――。ならばせめて、いっそ勇気を出してみようと、そう思ってしまったのです。


 私――玄倉文香があの人に恋をした理由は、果たして何だったでしょうか。あの人がクラスでも一番輝いて見えるから? それとも、あの小麦色の肌と、ニヒルな口元でしょうか。あるいは、あの人がトラックを真剣な眼差しで駆けていくのを見てしまったからかもしれません。本当におかしな話です。私は、あの人に話しかけたことすらないというのに。それなのに、私は――2月に入ったカレンダーを見るなり、奇妙な決心を固めてしまったのです。2月の大きなイベント――バレンタインデーは、私をそう思わせるのに十分な理由付けとなりました。学校全体が何となく浮つくこの日ならば、私があの人に想いを告げても、別に許されることだろうと考えたのです。


「……で、私のところに相談かね、文香君」

「いけませんでしたか」


 しかし、私には告白にまでいたるための想像力も行動力も欠けていました。冷静な第三者が必要だったのです。なので、クラスでは変人で通る、私の数少ない友人の猫柳茶子さんに助力を求めたのです。彼女の放課後の居場所は決まってこの空き教室――手芸部の部室になっていますが――なので、探すのは難しくありません。彼女は凛々しい顔つきに、上品で黒い、長い髪が印象的な美しい人で、フレームレスのメガネには知性が光るといえましょうか。他人の視線が怖くて、わざと前髪を目まで垂らした、幽霊のような私とは大違いです。私も彼女ぐらい、背丈があれば自信がついたのかもしれませんが。


「恥ずかしいモノローグありがとう文香君。君の中で私は随分と評価が高いようだけれど、私はそんなに上等なもんじゃあないよ。大体、私だって恋人なんていたことがない」

「……え、後輩の男の子は」


 彼女には、よく一緒に連れ歩く男の子がいて、私はそんな光景を何回か目撃したことがあります。手芸部なんていう、廃部寸前の部活動に熱心に二人きりでいるのでさぞや……という風に考えていたのですが。


「彼とは別にそんなんじゃあないよ。彼にだって選ぶ権利ぐらいある。それより、君のその恋するお相手は……」

「そうでしたね。その、笑わないでくださいよ? 朱本晶さんが、好きなんです。私は。無茶無謀だとはわかっているんですけど、どうしても」

「晶君ねぇ。まぁモテそうな人だとは思っていたけど、まさか君みたいな娘をひっかけるようには見えなかったなぁ。君、体育会系とは相性が悪そうに見えるのにね。陸上部の星に目をつけるとは、まぁなかなかどうして」


 茶子さんは、何やら楽しげに私の頭からつま先までをしげしげと見つめ、それからくつくつと肩を揺らして小さく笑いました。……何だか馬鹿にされてるような感じがしなくもしませんが、私は彼女が言葉を続けるのを待ちました。


「ああいう人には、取り繕いは意味がないだろうね。ちょっとごめんよ」


 茶子さんの白い手が私の顔に伸びてきて、私の目にかかる暗幕を割ってどけてしまいました。視界が鮮明になると同時、私の顔がみるみるうちに赤くなっていくのがわかります。本当に、どうしても、自分の目が……というよりは、顔全体を何も隠さず見られるのが私は苦手なようで、それは友人に対しても同様でした。


「黒真珠のような瞳だと思うがね。髪形を変えればもう少しかわいく見えることには違いないだろうが、君がそれをやって臨んだところで余計緊張するだけだろう」


 こくこくと、視界が激しく揺れる程に私は頷きました。目を曝け出して、あの人と対面するなんてとんでもない話です。ですが、一般論としては理解できます。目を見て、それなりに好意がもたれる様な外見になるのは間違った方法じゃないとわかります。ですが――私が実行できるかどうかとなると、話は別で。


「とすれば、君は君のままぶつからないといけないし、その方が通じるだろう。とはいっても、素人の言うことでは説得力も何もないとは思うが、君、恋愛なんてのはそれまでの積み重ねの結果だろう。君と晶君に蓄積はあるかね?」


 痛いところを突かれました。そう、私はあの人を遠巻きに見つめているだけで、話したこともないのです。私の、バレンタインに便乗して告白しようなどという考えは、そもそも破綻していると言えましょう。


「それでもいいんです。このままだと、苦しくて」

「振られるのは覚悟の上か。今から積み重ねもへったくれもない以上はもう玉となって砕けるしかないというのはわかるがね。どうかな、せめて夏ごろにするというのは」

「バレンタインを逃したら、私、もう勇気が出ないと思うんです」

「中々難儀な娘だねぇ君は」


 茶子さんは腕を組んで小さくうなり、それからため息をつきました。打つ手なし、ということでしょうか。……と、私が考えていると、彼女は軽く咳払いをして、メガネをかけなおす仕草をしながら指を立てて口を開きました。


「とりあえず、接触は何回か図ることだな。それで自分の気持ちが揺らがないか確認しておくのが大事だろう。その上で気持ちが変わらなければ、バレンタイン当日の場所の用意はなんとかしてみるよ。誰にも見られない場所を知ってるんだ」


 何だかんだと、面倒見のいい人です。後日、きちんとお礼をしなければなりません。とはいっても、何を贈れば喜ぶひとなのでしょうか。


「ほら、行った行った。遠巻きに陸上部の練習風景でも見てなさい。晶君は道の都合、途中で一人になると聞く。その辺りがタイミングだ。見逃さんようにしとけ。このぐらいのストーキングは恋の計略の内に入るだろう。下手を踏むなよ」


 ……何だか追い出されたようでした。ぐいぐいと廊下にまで追いやられ、扉が閉められてしまったので、大人しく退散するしかないようです。それにしても、どうしてこんな急に……と思っていると、奥から後輩の男の子がやってくるのが見えました。……茶子さんも、私と同じということのようですね。私と比べれば、彼女は余程行動的なので、私よりは確実に目があるように思いますが。


 陸上部の練習が終わるのを、私は図書室から見守っていました。図書室の窓際の席はよくグラウンドが見えるので、自然とそこを練習場所にしている陸上部は良く見えるわけです。あの人は友人達と談笑しながら後片付けをしているところで、じきに更衣室で着替えるはずです。図書室にいては遅れると踏んだ私は、更衣室のある一階廊下にまで移動し、人目につかぬように物影に潜み、じっとあの人が出てくるのを待ちました。


 何事かを話しながらやってきたあの人の姿を確認すると、私はどきどきとした胸を押さえて顔を引っ込めて、聞こえないようにしながら細く、長く息をつきました。隠れてあの人の後をつけているという背徳感が余計に緊張感を出しているのかもしれません。これでは、首尾よくあの人の帰り道にまでたどり着いた時、自然に話しかけることができるか疑問です。大体、いきなりどう話しかければいいのでしょう?


 肝心な部分を、見落としているようでした。私は、そんな急に人に話しかけられる程口が達者じゃありません――。ですが、ここで怖気づいていては動けなくなってしまうのもまた事実。今の内に、どうするべきか考えなければなりません。偶然を装って挨拶して……それから……どうすれば、いいのでしょう? 

 結局のところ、私が勇気を出すにしても出せないにしても、何を話し出せばいいのかという疑問が無限ループに陥ってしまうようです。玉となって砕けよや、とは気楽に言いますが……。そもそも目標に当たらずに空中分解では目も当てられません。玉砕と犬死は似てるようで違う気もします。


 ともあれ、ノープランのまま突っ込むわけにはいきません。幸い、まだあの人は更衣室から出てこないので、十分に考案する余地があります。諦めてはいけません。まずは挨拶。挨拶は重要です。そしてそれから、道が同じ偶然を少し大げさなぐらい喜んでみましょう。……「偶然道が同じ」というのは大嘘もいいところですが。ここは目を瞑ります。茶子さんの言う、あの人が一人になるタイミングとやらがどの辺りなのかわからないので、何やら遠くまで行ってしまいそうな気がするのですが、この際諦めます。道が同じ事を喜んだ後に、部活動のことについて聞きましょう。……そして、適当な別れ道で適当に逸れてしまいましょう。ずっと話題が続くとは思えませんし。


 プランは立ちました。しかし何しろ素人の甘い見通しによるもの。少し何かが想定と違ったり、調子が狂えばたちまち瓦解する砂上の楼閣も同じ。――しかし、それ以上は私では望めません。足りない部分は心で補うしかないでしょう。


 *


 更衣室から出てきたあの人と、その友人達の後をこっそりとつけるのは難しいことじゃありませんでした。校舎から出て、ある程度距離をとって後ろから歩けばいいだけの話です。同じ学校の生徒なのですから、私が同空間に存在しても異物にはなりません。


 ただし、あの人が一人になったところを話しかけるという目的上、こちらの存在をギリギリまで悟らせてはいけないのも事実です。ずっと後ろからついてきていたのに、「奇遇ですね」とは白々しいにも程があるわけです。私は細心の注意を払いながら、あの人の後をつけました。途中で見つかりそうになりましたが、上手い具合にやり過ごせました。案外私は隠密に向いているかもしれません。この地味な風体もこういう時ばかりは役に立つようです。……あまり誇らしいことではありませんね。


 ――そして、ついに。あの人が友人らと別れる道にやってきました。私は慎重にタイミングを伺いながら足を速め――あの人に近づきます。心臓が高鳴って、今にも爆発しそうで、冷や汗もかいていますが、あくまで自然さと冷静さを保つように努めます。急いては事を仕損じます。小さく、深く、息を吸って、はいて……。


「……どうしたの?」

「ひぁぁっ!?」


 先手を取られてしまいました。それはそうです。近づいてきた人間が息を吸ったり吐いたりをしきりに繰り返していたら不自然というものです!


「え、えと、そ、その、あ、朱元さんとおんなじ帰り道だったから、話しかけようと思って。でも、あの、あまり話した事無いから緊張しちゃって……」


 突然のことに、用意していた考えが全てパアになる有様。私はしどろもどろとしか反応できずにいました。しかし、あの人はそんな私を見て、訝しげにするでもなく、困ったように微笑んだのです。


「とりあえず落ち着きなよ。取って食うわけじゃない」

「す、すいません」

「どうして謝るかな」


 朱元さんは愉快げに笑って私の頭を撫で回します。フランクな方だとは聞き及んでいましたが、その評価通りであるようでした。……私が小さいのもあると思いますが。


「それにしても、帰り道が同じだって言っても、文香ちゃんとは今まで帰りに出会ったことがないね」


 痛いところを突かれました。が、これについては言い訳の用意があります。多少パニックになりましたが、ここから落ち着いて盛り返さなければなりません。


「私は部活動をやっていませんから。今日は、友達と話していたら、なんとなく遅れてしまったんです」

「なるほどね。そうか、文香ちゃんは帰宅部だったか」

「意外ですか?」


 何故か不思議そうにする朱元さんに、思わずドキリとしてしまいます。惚れた弱みというのを考慮しても、やっぱり素敵な方です。こういうちょとした仕草でも思慮深げに見えるのですから、不思議なものです。恋は盲目、あばたもえくぼというのは事実なようです。

 ……ではなくて、私が帰宅部ということに何か問題でも、あるんでしょうか。


「イメージ的には、文芸部っぽいからね」

「私じゃ、あまり馴染めないかなと思って……」


 あそこは誰もが何かしらの派閥に属するものだと聞きます。私のような人間は、どの陣営からもつまはじき者にされるばかりでしょう。


「そういうものかな。結構大変そうだね、文化部も」

「あんまり楽だってところは、ないと思いますよ」

「それもそうだね。どの部活も、それなりの苦労があるわけだ」


 帰宅部の人間には耳が痛い話です。


「陸上は、大変ですか?」

「楽ではないよね。練習は疲れるし、めんどくさいこともあるけど。走るのが好きだからね。走っているときの快感は、筆舌に尽くしがたいものがあるよ」


 スポーツをする人はこういうとき輝いて、活き活きして話せるのだから羨ましいものです。私なんて少し走っただけでも息切れしてしまうというのに、朱元さんは走ると快感が生じるというのですから、人種が根本的に違うのだと認識させられます。


「走るのが、お好きなんですね」

「好きだよ。とはいっても、僕は短距離だけどね。長々走ると流石に参っちゃうよ」

「……短距離走と長距離走って、やっぱり違いますか」

「僕、だらだら走るの苦手なんだ」


 ……なるほど、ただ走るという行為にも何やら違いがあるようです。言葉の意味としてはわかりますし、何となく両者の違いというのもわかりはするのですが。何メートルだろうが、走ったら倒れるような私から比べれば、どっちも大差なく感じるのです。

 さて。そろそろ話せなくなってきました。完全に話題が途切れてしまうより前に離脱する必要があります。ちょうど良く、十字路も見えたので、名残惜しいですが分かれることを決めました。引き際はしっかりと見定めないと、痛い目を見ますから。


「あ、私はこっちなので、失礼しますね。お話できて楽しかったです」

「うん? そうかい? そうだね、僕もなかなか新鮮だったよ」

「あの、私、応援してますから。さようなら」

「それはありがとう。じゃあね」


 頭を下げて、十字路を右に折れて私は少し早足にになってあの人と別れます。なかなか緊張した空間でした。とりあえず、あの人とお話するという最大の目的は達成できました。私という人間の存在を、あの人の記憶野にインプットすることぐらいは出来たと思います。


 *


「……なんだろう。私なら勘繰ってしまうね、それ」


 翌日の放課後、私はまた手芸部に訪れていました。勿論、茶子さんに報告するためです。彼女は私の話を聞くと、どうも困った、といわんばかりに嘆息したのです。


「やっぱり、挙動不審だったでしょうか」

「不自然とまではいかないけど、違和感ではあるかもねぇ」

「でも、あれが私には精一杯で」


 あの人が優しい方でよかった、と思います。


「しかし、そもそもの話をするよ。文香君。残酷なようだけれどね」


 茶子さんはそういうとどこか改まった様子で、メガネをかけなおす仕草をしてから切り出しました。 

 ――彼女の言うことは、確かにその通りのことなのです。


「晶君は、同性愛を認めるかな?」


 私の恋の障害は、つまるところそこなのです。あの人は――朱元晶さんは――それはもう、素敵な女の子なのです。見る者を魅了する健康的な肌色に、すらりとした脚。猫科の獣の如くしなやかなその脚で鋭くトラックを駆け、玉の汗を払って見せる屈託の無い笑み。男性的な要素を多分に含みながら、女性的な包容力も兼ね備えた麗人。それがあの人なのです。これで惚れるなという方に無理があるのです。特に、私のような根からの同性愛者にとっては――この上なく、彼女は魅力的に映るのです。


「受け入れてはもらえないでしょうか」

「それは晶君次第だろう。私から言わせてもらえば、茨の道だと思うがね」


 茨の道。確かにその通りです。私のこの恋が成るには、彼女が私と同じ同性愛者か、両性愛者であることが前提条件であるからです。仮に彼女が一般的な異性愛者ならば、私は拒絶されるでしょう。それに、同性愛者にしろ、両性愛者にしろ、そんなに多く存在するわけでもありません。私のこの恋は、非常に分が悪いものだと言えました。――でも、だからといって割り切れるものでもないのです。恋というものは、そういうものではないのでしょう――本能的で、不条理な気持ちなのですから。


「覚悟の上です。拒絶も、その後の後ろ指も」

「友人としては、諦めさせたほうがいいのかもしれんだろうがねぇ」


 彼女は私の顔をじろじろと見て、それからまた嘆息しました。彼女に顔を見られると、私の目にかかった暗幕も透視されているような気分になります。


「恋する乙女は止められんわけだ」

「はい。止まるわけにはいきませんから」


 私がそう言うと、彼女は肩をすくめてゆるゆると首を横に振りました。


「結構。微力ながら、私も協力するよ。成就するといいな」


 なんというか、茶子さんはやっぱり妙な迫力があります。協力してもらえるとなると……具体的に何をするつもりなのかわかりませんが、何となく心強く感じます。


「ありがとうございます――頑張りますね。分は悪いですけど」

「なんだかんだ晶君は誠実な人だと私は思う。失敗しても、二人きりの状況下でなら第三者に話が漏れることはないだろう。安心したまえ」

「そう、ですね」


 ――あの人が、同性愛者の私を気持ち悪がって話が広まったのなら、私はそれはとてもここにいづらくなるでしょうが、あの人にそうまでされたのならば仕方がありません。彼女の言う通り、胸に秘めてもらうのが一番なのですが、それは私が決めることではありませんし、彼女も私も、全然あの人のことを知らないのです。実は裏でとても意地悪な人の可能性だって、消えていないわけですから。


「というわけで、私は君に当日、二人きりになれる場所を提供しよう」

「場所の提供、ですか?」


 この空き教室を使う、とかでしょうか。


「うむ。屋上だ。鍵を渡してあげよう」

「で、でも。そんなに簡単に鍵は……」


 借りられないはずです。屋上は基本的に立ち入り不可で、バレンタインなので貸してくださいといって借りられるものではないはずです。


「手に入るんだよ。私にはね」

「そうなん、ですか……。でも、それなら、他の人は確かに誰も入って来れないですよね」


 誰も入れないから、そこに寄り付く人は誰もいないわけです。当日もそうでしょう。確かに、確実に二人きりになれる場所ではありました。


「そういうわけだ。あと数日、とりあえずは晶君と自然に接することだな。何だかあからさまに感じるかもしれないが、ね。それと、チョコの練習でもしときたまえ。市販品とか、チョコを溶かして固めるだけというつもりではあるまい」

「勿論です。私、こう見えてお菓子作りが趣味なんですよ。頑張りますね」

「……それは意外だな。もっと不器用かと」


 自分の視界に暗幕をおろしているような人間は不器用に見られるようです。流石に、お台所に立つときには前髪上げますけどね。


「ところで、茶子さんはバレンタインに何か考えてるんですか?」


 何の気なしに、そう聞いてみると、彼女は一瞬、硬直しました。前から思っていたのですが、この人は自分のことになると弱いような気がします。


「私のことは気にしないでもらおう。第一、私は藤井君を別に何とも思っていない」

「藤井さんに、とは言っていませんが……」


 しまった、という顔をして、彼女は顔を真っ赤にしてぱたぱたと手を振りました。……不覚にも、かわいいと思ってしまいました。彼女ぐらい綺麗な人がこういうギャップを見せると、男性には効果覿面なのではないでしょうか。


「とにかく、私のことは放っておいてくれ。この際だから言うがな、私は上手くやる」


 妙な説得力があります。それにしても、取り乱してから落ち着くのが早い人です。そしてそのまま開き直るのだから強い人です。彼女は。


「――上手くやるって、今度は何を企んでいるんですか、先輩」

「げぇっ、藤井君!」


 噂をすれば影、とはいいますが。見事なタイミングで件の彼が入ってきました。考えてみればここは手芸部部室。いつ彼がやってきてもおかしくない場所なのでした。


「乙女の密談を盗み聞きとは趣味が悪いじゃないか」

「盗み聞きするつもりはありませんでしたよ。先輩の声が大きいんです」

「全く。そもそも企むだのなんだのと人聞きの悪い。私がまるで常日頃、何か問題でも起こしているように聞こえるじゃないか」

「自覚があるようで何よりです」


 ……いや本当、仲がよさそうで何よりです。何だか邪魔者なようなので、ここらでお暇するとしましょう。当日に向けて、出来ることはしていかないといけません。


 *


 ――ついに、というべきでしょうか。とうとうこの日を迎えたのです。2月14日のバレンタイン。私の運命の日でもあります。あれからというものの、私はあの人と何度も話しました。あの人が登校するタイミングを探って朝に話しかけたり、ふとした時に挨拶を交わしたり、タイミングがあえばまた帰り道を一緒にしたりしました。不自然にならぬよう、付きまといに思われぬようにするために、毎日毎回の行為にはしないように気を使ったりもしました。今日渡す予定のチョコレート・シフォンも、何度も練習を重ねた自信作です。ラッピングにも拘りました。あの人の机に密かに屋上へ来るように書いた手紙も忍ばせましたし、茶子さんから屋上の鍵も入手しました。これの入手経路は明かしてくれませんでしたが、とりあえず今は彼女の協力に感謝したいと思います。


 私は放課後、即座に屋上へと向かい、鍵を開けてあの人がやってくるのを待ちます。あの手紙が無視されたら私はそのまま泣いて消えようとも考えています。

 私は屋上の中央に立って、扉が開くのを今か今かと待ちながら、殆ど扉を睨み付けるようにしていて――ノブが回るのを見ると、心臓が大きく飛び跳ねました。


「……僕は果し合いでも申し込まれたのかな?」

「あ、朱元さん!」


 彼女はどこか落ち着かないような様子でやってきました。屋上だなんて行ったこともないような場所に呼び出されて、その人物が中央に陣取って待っていたら、そう誤解されてもおかしくはありませんが。


「文香ちゃん。こんなところに呼び出すとは、よっぽどの相談事かな? 悪いけど、僕じゃ力になれないと思うよ? 僕、あんまり頭を使うのは得意じゃないんだ」

「相談じゃありませんけど、大事な話なんです」


 そういうと、あの人はなるほど、と頷いて私が切り出すのを待ちました。――私は小さく息を吸って、後ろ手に隠していたチョコを差し出します。


「チョコレートです! 受け取ってください!」

「……ああ、バレンタインね! なるほど。忘れていたよ。僕はあげないから。そっか、今時は女の子ももらえるんだね。友チョコってやつ?」

「……友チョコじゃ、ないんです」


 私が思いつめた風に言うと、彼女は私が差し出したソレを受け取りながら、一瞬硬直したようでした。――友チョコじゃないなら、私の様子を見れば目的は一目瞭然です。私は彼女の反応を待たず、言葉を続けました。


「おかしいと思うかもしれませんが、私――朱元さんのことが、好きなんです」

「……本気かい?」


 ――ついに、言ってしまいました。私の胸の内を明かしてしまいました。同性でもあなたが好きなのだと、はっきりと。


「はい。本気なんです。あなたのことが好きで――だから、最近になって近づいたんです。私を知ってもらおうと思って……」

「そっか。……なら、僕は答えを出すべきなんだろうね。君の勇気に応えないといけない」


 彼女は小さく拳を作って私を見据えました。……拒絶されるのだろう。私は何となく、そう思ったのです。彼女の瞳や雰囲気に何の濁りもありませんが――いや、濁りがないからこそ、拒絶されると思ったのです。……しかし、彼女が続けた言葉は私の予想を裏切りました――私が考えていたよりも、あまりにあっさりと。


「はっきりと言おうか。僕はね、別に受け入れてもいいと思ってる」

「……それは」

「うん。いいよ、ってことさ。女の子に告白されたことは……まぁ男の子にもだけど、とにかく無くてね。恋人っていうのが、どういう存在なのかはわからないけど――君がそうしたいなら、いいさ。なってみようじゃないか、恋人同士ってやつに」


 あまりにもあっけなく、私の気持ちは許容されてしまいました。性別による壁など、最初からないかのように――もしかしたら、彼女は。


「……まぁ、察したと思うけど。僕は両性愛者なんだ。小学校の頃好きになったのは女の子だったしね。でも、中学の頃は男の子が好きになったよ。まぁ、告白したことも、されたことも、今まで無かったんだけどね」


 彼女は、両性愛者だった。その事実は、私の胸中に滑り落ちてくるのに若干の時間を要しました。つまるところ、私は――彼女を、愛しても良いということになるのです。そして、彼女は私を愛してくれることもありえるのです。この喜びを、一体どうやって表せば良いと言うのでしょうか? 私は、今日この日ほどの喜びを体験したことがありません。


「嬉しそうだね?」

「はい。とても――とても、嬉しいんです」


 顔が熱く火照っているようで、確認するまでもなく私はひどく赤面しているようでした。顔だけじゃありません、なんだか全身が熱く感じるほどです。


 そんな私を、彼女は優しげな微笑を浮かべて、頭を軽く、優しく撫でました。彼女にされているせいか、大きな安心感と、受け入れてくれたのだという幸福感が胸に押し寄せてきて、私は思わず言葉を失ってしまいました。


「文香はかわいいね。でも、急なことだからね。僕は君をあまり知らないし――はっきり言えば、君が愛しいとは思わない。……だから、頑張ってね?」


 頑張って、というのは。つまり――。


「僕を惚れさせてみて、ってことさ。お試し恋人期間ってことにしよう」

「……は、はい」


 頷くしか、ありません。難しいことのように思えますが、やるしかないことです。それにしても、彼女は――なかなか、思い切った考え方をする人ですね。


「お互い後悔はしたくないでしょ? それに、目指すなら甘い関係さ」

「甘い、関係」


 ……素敵な言葉ですが、それは一体どういうものなのでしょうか。妙な想像をして、なんだか恥ずかしくなってしまう言葉です。それこそ、私が渡したチョコ・シフォンのような――甘い、二人の関係。なんだか、酔ってしまいそうな響きがあります。


「難しく考えないでも、文香の気持ち次第だよ。……そうだね、とりあえずは」

「とりあえずは……?」

「手でもつないで、帰ろうか」


 差し出された手を、私はおずおずと握り――そんな様子に、彼女は笑っていました。私が彼女を惚れさせることが出来るか、わかりません。しかし、諦めずにはいようと思います。――そして、彼女の言うとおり、目指すなら――。


 ――とびきり甘い関係の、恋人を目指します。

自作で何かと登場するフリー素材と化した茶子先輩。

お気に入りのキャラクタはとりあえず出したくなるものですね?

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