吸血鬼サマは偏食家
「吸血鬼サマの餌」のスピンオフですが、同じ登場人物は一人しか出ません。
今回は若干ヒーローとヒロインの両視点です。
人狼の青年は仕事から帰る途中、誰かの視線を感じた。
尾行されていると気付いた彼は少し周囲に気配を探り、歩いていた大通りから外れる。
そして、人気のないすえたにおいがする裏路地に入ると、突然振り返り、自らの得物である大剣を見えない相手に突き付けた。
「……誰だ」
低く唸るように問うが、何も動く気配はなく、ただその場には張り詰めた空気だけが漂っている。
数瞬の後、彼が殺気を込めて宙を睨みつけると、誰もいなかったはずの空間に一人の少女が立っていた。
「俺に、何の用だ」
少女から殺気が感じられないことを確認した彼は、警戒しつつも剣を引く。
「えっと、あの……」
少女は話し出そうとしたが、すぐに口を閉じて顔を俯けてしまった。
見た目は若いというより幼い、まだ二十にも満たないであろう少女だ。彼に威圧されて、怯えているのかもしれない。
いつまで経っても口を開かない少女を見て、彼は溜め息を吐く。
「はぁ。……突然剣を抜いてすまなかったな。何か言いたいことがあるなら言え」
若干空気を和らげて問いかけると、少女は意を決したように顔を上げた。
「献血にご協力くださいっ!!」
「……はあ?」
あまりにも思いがけないことを言われた所為か、彼は固まってしまう。
そんな彼の様子に気付いた少女は、少し考えてから言い直した。
「…あ、間違えました。血ぃください」
「………………」
◇◇◇
傭兵ギルドに併設されている食堂にかなり不機嫌そうに座る男がいた。
他にも人はいるのだが、男を知っている者――このギルドでは知らない者の方が少ないが――は誰も話し掛けない。
たまに近付く者がいても、男に射殺されそうな視線を向けられてすごすごと退散する。
何物にも動じないと言われていた男のそんな姿は、そろそろギルドの名物になりつつあった。
傭兵の中でも飛び抜けた実力を持つことで有名な人狼・レジェスは、ここ最近不機嫌そうな顔で思い悩んでいた。
彼は……………現在、ストーカー被害に遭っている。
「おい、アルマ」
「何ですか?レジェスさん」
彼が宙に声を掛けると、いきなり少女――アルマが現れた。
彼女こそレジェスのストーカー、もとい不機嫌の原因である。
「姿隠すのは止めろ、つってんだろ。…斬っちまうぞ」
彼女はいつも魔法で姿を隠しているのだが、姿がないのに気配を感じると物騒な仕事をしているレジェスはうっかり彼女を斬ってしまいかねない。
彼がそう忠告する――彼は基本的に良い人だ――と、アルマは顔を輝かせた。
「えっ!血をくれるんですか!?」
「誰がそんなこと言った!!」
彼女は虎視眈々と、彼女の目的であるレジェスの血を狙っている。
その所為かいつも彼の首筋ばかりを見ていて、話をまったく聞いていない。
怒鳴っても彼の首を凝視し続ける彼女を見て“無駄なことをした”と強く思った彼は、席を立つ。
「あれ、お仕事ですか?私も行きます」
「……お前は傭兵じゃないだろうが」
「えー。…じゃあ、今から登録して来るので待っててくださいね!」
そう言って、身を翻し受付へと駆けて行った。
アルマが自分の方を意識していないことを見て取った彼はすばやくギルドの外へ向かう。
………置いて行くつもりのようだ。
「ああっ!?…レジェスさーん!?」
しかし、彼が出て行こうとしていることに気付いた彼女の声がギルドに響いた。
彼女は登録を放り出して、彼を追い掛ける。
「チッ」
レジェスは“当てが外れた”と舌打ちしたが、苛立ったように頭を乱暴に掻きながらも立ち止まっている。
そして、深い溜め息を吐きつつ彼女に言葉を投げかけた。
「来るんなら、さっさと来い」
◆◆◆
アルマには、意中の相手がいる。
まだ会ったばかりだが、彼女は彼こそ運命の相手だと確信していた。
「ああ……美味しそう」
彼女は涎でも垂らしそうな顔で呟く。…いくら美少女でも台無しだ。
「……………」
耳の良い人狼であるレジェスには、当然彼女の呟きは聞こえていたが、彼は黙ったままだ。
相手をするのが面倒臭いのかもしれない。
「早く飲んでみたいなぁ~」
アルマは、現在彼女に背を向けて歩いている彼の“血”に首ったけだった。
アルマは吸血鬼である。
彼女はまだ若く、成人から十年ほど――吸血鬼の成人は二十歳だが、同族から一人前として扱われるのは五十歳からだ――しか経っていない。
普段の言動からは想像できないほどの実力を持ち、最年少で伯爵の位に就いた美少女…だが、彼女にはある弱点があった。…ちなみに欠点は数え切れないほどある。
アルマは吸血鬼として致命的なほど偏食家なのだ。
美食家ではなく、偏食…それもものすごく偏った好みをしている所為で、彼女は吸血鬼なのに血を嫌っている。
そんな彼女が両親から“好き嫌いすんな!偏食治るか、好みの(血の)伴侶見つけるまで帰って来るなよ!”と家を追い出されてから数年経ったある日、街を徘徊していた彼女は見つけてしまったのだ。
…自分好みの血を持っていそうな獲物を。
彼女は勘で好みの血かどうかを判断しているが、正直勘が当たるのは十回に一回くらいだ。
そんなことは気にも留めず、彼女は彼と会った日から間違った方向の猛アピールを日々続けている。
「あ、レジェスさん。これから酒場ですか?
…最近よく飲んでますよねー。仕事終わったんなら、早く帰れば良いのに」
酒ばかり飲んでいると血が不味く…いや、レジェスの身体が心配だったアルマは彼のことを気遣った、つもりの発言をする。
「お前が帰れっ!!」
彼女の気遣いは通じなかったようで、彼は怒鳴った。…通じていても怒鳴った気はするが。
“何で怒ったんだろ?”と首を傾げつつ、彼女は先に行ってしまった彼を追う。
「レジェスさーん!待ってくださいよ~」
呼び掛けは無視しても、彼女とある程度距離が広がると立ち止まってくれる背中を見て、彼女は笑みを零した。
「…お前、どこまで付いて来る気だ」
仕事を終えて帰路…につく前に酒場に行こうとしていたレジェスが問い掛けた。
「もちろん、酒場まで。いっつも一緒に飲んでるのにヒドイな~」
「勝手に隣で飲んでるだけだろうが!」
ストーカー…いや、アルマから“もう仕方ないなぁ”という目で見られ、彼はキレかける。
最近ストレスが溜まっているため、彼はよく酒場で飲んでいるが、その原因が一緒にいてストレス解消になるのかは分からない。…たぶん、ならないだろう。
「あっれー?ジェスとアルマちゃんじゃん」
往来で言い争っている二人に声を掛けて来たのは、軽そうな雰囲気の青年だった。
彼はレジェスの同族の友人で、こんな見た目ながらも吸血鬼王の近衛騎士だ。
騎士と伯爵という立場からか、レジェスに付きまとう前のアルマと面識があり、今は冷やかし半分で彼女にレジェスの情報を流している。
「セシリオか…。ちょうど良い、お前も一緒に来い」
「んん?酒?別に良いけど、ジェスが誘うなんて珍しいね」
「……コレの相手をしてやってくれ」
そう言って、レジェスはアルマを指差した。
「ああ、そういうことか~。ごめんねぇ、アルマちゃん。二人っきりにしてあげられなくて」
セシリオはニヤニヤと意地の悪い笑みをレジェスに向けつつ、彼女に話し掛ける。
完全に面白がっているようだ。
「いえ、そんなことありませんよ?………あ、この間のアレの続きが聞きたいです」
「ああ、ジェスの子供の頃の話ね。すっげぇ面白いネタ教えてあげるー」
彼らは小声で話しているが…。
「聞こえてんぞ、お前ら。…セシリオ、そいつにいらん話をするな」
「ははっ、分かったよ、ジェス」
セシリオはレジェスにそう返してから、彼に気付かれないようアルマに向き直り、声には出さず口の動きだけで“また、今度ね”と伝えてきた。
彼女はもちろん、親指を立てて答える。…レジェスに気付かれないようにして。
「………?何してるんだ、さっさと行くぞ」
アルマとセシリオの密談には気付かず、彼は二人に声を掛ける。
三人の姿は夜の酒場へと消えて行った。
◆◆◆
レジェスは、いつもより数段不機嫌そうに酒を飲んでいた。
今日は彼一人で、最近傍にいることが当たり前になっていた彼女は隣にいない。
「あれ、レジェスさん一人ですか?…いつも一緒にいるあの子は?」
苛ついて殺気を撒き散らしている彼に声を掛けた猛者はセサル。
レジェスを慕う多くの傭兵の内の一人である。…特徴は、空気が読めないことだ。
隣に立っているセサルの相棒・クレトが焦った顔で“おいっ!!”と彼を小突いたが、そのまま言葉を続けた。
「もしかして、とうとう捨てられたんっすか?…自棄酒飲みます?」
酔っているのか、セサルはヘラヘラと笑いながら酒を注ごうとする。
ちなみに、クレトが“ヤバイって!”と声にならない悲鳴を上げながら、彼の肩を揺さぶっているが無視だ。…気の毒な奴である。
「……失せろ」
猛獣…まさに狼が吠えるようにレジェスが告げた。
固まっているセサルのすぐ横の壁には、いつ投げたのか、食事用のナイフが刺さっている。
「………………」
いつもと違うレジェスの様子――普段不機嫌そうにしていることが多いが、彼は敵意のない相手に攻撃的になることはない――に酒場がしん、と静まり返った。
“セサルのバカー!!…マジでヤバイって!誰かこの空気どうにかしてー!!”とクレトが心の中で助けを呼んでいると、それが通じたのか、救世主が現れた。
「おいおい、ジェスー。何ピリピリしてんの?皆、怯えちゃってるじゃん」
救世主・セシリオのおかげでさらに空気が重くなる。
声を掛けても黙ったままでいるレジェスを見て“こりゃヤバイ”と思ったセシリオは、からかうことを止め、当初の目的通りの言葉を言った。
「ええと、ね。すっげぇ言いにくいんだけど……アルマちゃん、最近来てないよね?」
「……それがどうした」
直球過ぎるセシリオのセリフにこの酒場にいる男達が悲鳴を上げた。…心の中で。
「いやー、あの子の親がちょーど城に来ててさ、そのとき聞かれたんだけど……」
「……………さっさと言え」
レジェスは途中で言葉を止めたセシリオを急かした。
セシリオはそんな彼の反応に満足しつつ続きを話す。
「“ここ数年、血を飲んでないと思うんですが、倒れてませんか?”……だって。
アルマちゃん、もしかして倒れてるんじゃない?」
セシリオがそう言い終えるのと同時に、レジェスは外に出ていた。
「はっえー。……あ、アイツ酒代置いてってないじゃん」
疾風の如く去って行った友人を見送り、彼は呟く。
レジェスの行動を予測していたのか、かなり余裕そうだ。
「オヤジ-!今ここにいるヤツ全員に一杯振舞ってやって!代金はオレが持つからさ」
酒場の親父にそう頼んでから、セシリオは周りを見渡して言った。
「オレの友人がメーワク掛けてごめんね?」
◆◆◆
吸血鬼にとっての血は人間にとっての水のようなものだ。
水ほど頻繁に摂取する必要はないが、血を飲まなければ強烈な“渇き”に見舞われる。
そう、今の彼女のように……。
「ううぅ~、喉渇いた~。…もう死ぬ」
極度の偏食家であるアルマはここ数年、血を飲んでいない。
吸血鬼といっても、人間と同じ食事を摂っていれば“渇き”がなかなか来なくなるのだ。…しかし、何事にも限度というものがあるが。
「ああ、花畑で死んだお祖母ちゃんが手ぇ振ってる……」
彼女の祖母はまだ生きているので、本当に見えているとしたら本物のはずだ。
「ふっ、私の悪運もここまでか……」
ぼそりと馬鹿なことを呟いて、彼女は気を失った。
◇◇◇
レジェスはアルマの家――彼女が酒場で酔いつぶれたときに送って行ったことがある――を目指し、夜の街を駆けていた。
「あの、バカっ!!!」
吸血鬼にとって吸血がどれほど大事なことかは、人狼の彼でさえ知っている。
美食家であるならまだしも、高位の吸血鬼が“偏食なんです”と言って血を飲まないなど、ただの馬鹿だとしか言いようがない。
「本当に要るんだったら、何故早く言わない!?」
彼はどこか苦しげに、そう叫んだ。
『バンッ』
レジェスは、壊れそうな勢いでアルマの家の扉を開く。
勝手に上がり、ずかずかと中へ入っていくと、アルマが倒れていた。
「アルマっ!!」
急いで彼女を抱き起こす。
「大丈夫か!?」
「………うぅん。…え、レ、レジェスさん!?何でここに??」
気を失っていた彼女は、目覚めてすぐに彼がいたことに驚いた。
少々辛そうではあるもののそこまで深刻な状態になっていないことに、彼は胸を撫で下ろす。
「どうでも良いだろう、そんなこと。……それより、平気か?」
「え、ええ。お腹と背中がくっつきそうなくらいお腹空いてて、喉カラッカラですけど、これぐらいじゃ死にませんよ?…私にはよくあることですし」
「バカかっ!お前はっ!!」
彼女の最後の一言で彼の怒りが頂点に達したようだ。
アルマは耳元で怒鳴られ、くらくらしている。…自業自得である。
「お前にとって吸血は死活問題だろうが!」
「で、でも…」
「ガキじゃねえんだから、選り好みばっかしてんじゃねえ!」
…彼女に説教をするレジェスの姿は、まさに“野菜もちゃんと食べなさい!”と子供を叱る母親のようだ。
「だ、だって!…レジェスさんが血をくれないのが悪いんです!!」
子供より子供っぽいアルマは彼に責任転嫁した。…聞き苦しい言い訳だ。
そう返されるとは思わなかったのか、彼は一瞬目を見開いてから笑い出す。…ツボにはまったようだ。
「くくっ。どんだけガキなんだよ、お前。………はぁ、お前には負けた」
「…え?」
「“俺の血”なら飲むんだろ?…好きなだけ飲め」
◆◆◆
アルマが数年ぶりに血を味わった後。
血を吸われて少し脱力したレジェスが問い掛けてきた。
「で、美味いのか」
どうやら、自分の血が彼女の好みに合ったのか聞いているらしい。
彼女は正直者なので、素直に答えた。…素直過ぎるほど素直に。
「うぅ~ん……普通?思ってたほどは美味しくないですね」
「………………」
彼女は彼が怒らないかと心配したが、彼は“そんなことだろうと思った”というように苦笑している。
諦めたようにも見えるその笑みに、何となくムッとした彼女はもう一言付け加えた。
「でも、何かクセになる味なんで、またください」
「………お前はほんっとに面倒臭いヤツだな。
――他のヤツの血を飲まないって言うなら、これからも好きなだけ飲むと良い」
《人物紹介と作中に出なかった設定》
ヒーロー:レジェス。
人狼の傭兵。200歳くらい。厳つめの男前。
ぶっきらぼうだが、面倒見は良いので他の傭兵に慕われている。
セシリオとは幼馴染で友人。意外と気が合う。
当初こんなにデレるはずじゃなかったヒーローであり、今回、ヒロインの皮をかぶったストーカーの犠牲者になった不憫な人。
ヒロイン:アルマ。
30歳くらい。吸血鬼。残念過ぎる美少女。
超偏食家なので、好みの血(の持ち主)を見ると突撃する。しつこい。諦めない。
ストーカーじゃない。…ストーカーかもしれない。
実は最年少で伯爵位に付いた実力者。
友人:セシリオ。
レジェスの友人の人狼。近衛騎士で吸血鬼王の王妃の護衛。
実は名門の出で、実力も地位も身分もある男。
本当は、今回の話のヒーローは彼だったが、長くなりそうだったのでヒロイン共々降板された(笑)
モブ1:セサル。空気が読めない傭兵。実力は……あるのか?クレトの相棒。
モブ2:クレト。空気が読める傭兵。最近、相棒と別れたいと思っている。
伯爵:吸血鬼王が与える、吸血鬼の位階の一つ。血筋ではなく、力の強さによって選らばれる。
吸血鬼王:吸血鬼の王様。“餌”の方のヒーロー。この話には関係ない。