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愛は勝つ

「まさか……」

トライデント(ガムにあらず。槍)の鋭く尖った先端に、あちらこちらから雷が集結して、遠目からでも聞こえるほどパシパシッと音を立てている。

まさか己の娘ごとイワンを吹っ飛ばす気か。

いやいやまさか。

でもどう好意的に解釈しても、あれは祝福の光には到底見えない。

神は光を宿した槍を掲げたまま、ゆっくりと右足を上げた。「ピッチャー振りかぶって」状態である。もしくは「せーの」のポーズである。それはそれは、見事なフォームだった。

イワンの目が見開く。


神、ご乱心!!


豪速球を投げるかのごとく、トライデントは神の手から離れた。

「アーリア!」

渾身の力を込めて抱きついているアーリアを引き離そうとすると、吸いついたタコの如く離れない。

「いやぁよ、もう二度と離れないんだから!」

「うん、その気持ちは嬉しいんだが、もうちょっと状況を把握しようか! 後ろ見ろ!!」

うさんくさげにアーリアが振り返ったのと、イワンがその手を引っ張ったのは同時だった。おかげでパパの行動に驚愕した瞬間、すっころりんと浜辺にひっくり返った。

「な……!」

イワンは膝で立ち両手を広げて彼方を睨みつけている。極限状態で、アーリアだけを必死に守っている。

アーリアは思わずその背中に抱きついた。

全ては一瞬の出来事だった。

彼方から放たれた神の怒りは、いかづちを纏い、禁を犯した2人に襲いかかる。大地を揺るがすような爆音と共に。

辺りは真っ白な光に包まれた。


イワンの意識が戻ったのは、それからしばらくしてのことである。

目を開けると透き通った青空が見えた。

「……?」

どうやら自分は浜辺で伸びていたようだ。身体の節々が痛み、腹に異様な重圧がかかっている。重い。

首を持ち上げると、むき出しの健康的な足が2本、どっかりと自分の腹に乗っかっているのが見て取れた。持ち主のアーリアは、イワンとクロスするような体勢で横たわっている。

「アーリア、アーリア!」

頬をピチピチと叩くと、うるさそうに払われた。

「……カンパチの奥さんだって持っているからいいでしょう? ……パパのケチ」

どうやら寝ぼけているらしい。ホッとして辺りを見渡す。

いたって日常の風景だった。嵐が過ぎ去ったようなすがすがしい風が吹いている。

あの光はなんだったんだろう。

アーリアを抱いたまま、浜辺に座り込んで茫然と思う。

自分も、この国も、全て消えたと思っていたのに。

もしかして実はもう死んでいて、ここは天国なのかもしれない。いや、それにしては現実味がありすぎる。涎を垂らして寝ているアーリアとか。


そのアーリアがぽっかり目を覚ました。

「……イワン」

「ここにいる」

しばらくぼんやりとイワンを見つめていたが、ブルーサファイアの瞳からみるみる涙が溢れた。

「あたしたち、助かったのね……」

「みたいだな」

のんびりとした波の音。遠くで鳴くカモメたちの声。

「どうして……?」

「分からない」

その時、奇妙な音が聞こえた。

「あー、あー、姫様聞こえますか? オーバー?」

「あ、ハロルド」

アーリアがもそもそとドレスのポケットから手のひらサイズの巻き貝を取りだす。

「聞こえているわよ、ハロルド。パパはどうしちゃったの。どうぞ」

それ、無線だったのか。というか、この時代に無線なんかあるのか、とイワンは内心思ったが、黙って聞いていた。

巻き貝から聞こえてきたのは、深い深いため息だった。

「ポセイドンからの伝言です。『勝手にせい』。繰り返します、『勝手にせい』です。『せいぜい幸せになるがいい』ともおっしゃっていました。多分、その人間の捨て身の行動がそうさせたのかもしれませんね。愛って奴ですか? 噴飯物ですけれど、それがポセイドンの心を打ったのかもしれません。わたしも跳ねっ返りがいなくなってせいせいしますよ。なんせあなたは人間になったんですからね。まあでもお達者で。なおこの巻き貝は自動的に消滅し」

イワンが巻き貝を取り上げて、遠くに放った。それはポンと音を立てて爆発した。

「あたし、人間になったの?」

「足はあるよ」

イワンの手を借りて、アーリアはおそるおそる立ちあがった。

ナイフで刺されるような痛みがない。痺れるような感覚もない。裸足の足の裏に感じる、砂の感触がくすぐったくて新鮮だった。嬉しくて嬉しくて、何度も砂浜を蹴った。

「こらバカ、気をつけろ」

「イワン、イワン」

飛び跳ねるように抱きついてきたアーリアを、イワンはしっかりと受け止める。

キスをするとくすぐったそうに笑った。

「あたし、人間になったのよ。ずっとあなたといられるのよ。こんなに嬉しいことはないわ、まるで一年のお祭りがいっぺんに来たみたい!」



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