決戦は金曜日
その気配が去ったのを確認して、ジェシカはそっと目を開け、隠し持っていた手鏡を取りだした。
まったりとした時間流れるフライデーアフタヌーン、けだるげに長椅子に寝そべり午睡を取るふりをしていたのだが、相手はうまくひっかかってくれた。
鏡に映る自分の丸い右頬に「豚」。
左頬に「肉」。
額に「バーカ」。
そして鼻下にカイゼル髭ロングバージョン。
わたくし、以外にお髭が似合うのだわ……。
ぼんやりとそんなことを思った後に、猛烈な怒りがわいた。
今回だけではない。これまでも座るはずの椅子に松ぼっくりが置かれていたり(ボキュッと音がして、イワンに屁をこいたのではないかと疑われた)、扉を開けたら金盥が落ちて来たり(いい音がして星が弾けた)。
言いたいことがあれば、正々堂々と言えばいいのに。
犯人には心当たりはある。アーリアだ。
頭上に金盥を乗せたまま呻いているジェシカの視界に入ったのは、走り去る赤毛とアーリアが着ていたピンクのドレスだし、クスクスと少女の含み笑いも聞こえた。
イワンにもそれとなく言ってみたが、返ってきた答えは
「あいつは掛け値なしのバカだが、そういうバカじゃない」。
その後は少し不機嫌になってしまい、なんだか自分がすごく意地の悪い女になったような気がした。
ポケットから取り出したハンカチで丁寧に拭って、ため息をつく。
「ハインリッヒに会いたい……」
離れてみてから、あの心優しい従者がいかに大切な存在だったかしみじみ分かる。
「いえ、駄目よ。ジェシカ」
いつまでもハインリッヒに甘えてちゃあ。わたくしはここで生きていくのだから。
もう限界だ。あの赤毛娘め、とっちめてやる。
長椅子から力強く立ちあがった瞬間、いつの間にか置かれていたバナナの皮を踏んだ。
あ、と思った時にはすでに遅し。
ズ、ズウゥゥンと轟くような地響きが城中に走った。
「ジェシカ、今、天変地異のような音がしたのだけど……きゃあ!」
扉から顔をのぞかせたアーリアは、床にひっくり返った状態のジェシカに駆けより、呟いた。
「これが震源地……!」
「誰が震源地よ、ぜんっぶあんたのせいでしょおおおーーー!!」
熱きマグマの噴出ならぬジェシカ怒りの爆発に、アーリアはきょとんと首を傾げた。
「何を怒っているの、ジェシカ。あ、お腹がすいているのね。今日の3時のおやつはブンメイドウ……」
「呑気にしばらっくれているんじゃないわよ! あなたがわたくしに何をしでかしたのか、その胸に手を当ててよーーーっく考えてみなさいよ!」
バナナの皮を突き付けられ、アーリアは言われたとおり、右胸に両手をあててうつむいていたが、しばらくして「ごめんなさい」と小さな声で謝った。
「昨日のおやつを独り占めしちゃったことを怒っているのね。でもあれはジェシカが見当たらなくって……スコーンはやっぱり出来たてがおいしいし、」
「ちょっと待って。何のスコーン? クロテッドクリームはついていたの?」
「たっぷりついていたわ。かぼちゃのスコーンだったから、ジャムはリンゴジャムが相性がいいってハンナが……本当にその通りで一口食べただけで一気に天国行きよ」
「あなた、信じられない。どしてそんなに素敵なものをわたくしに……じゃなくて! そうじゃなくて!!」
「ああ、じゃあ4日前のおやつ」
「だから! おやつから離れろ!!」
ねえ、アーリア。と声の調子を変えてジェシカはここで一呼吸する。
「わたくし、あなたのことは嫌いじゃないわ。いっそ嫌いになれればどんなに楽かって思ったこともある。でも、そう思っていたのはわたくしだけだったのね。あなたの気持ちは十分に分かったから、ここで答えさせてちょうだい。――わたくしは絶対に負けないし、屈しないわ。イワンは渡さない」
「意味が分からない」
ポカンと口を開けてご拝聴していたアーリアは、最後のセリフを聞いた途端、顔つきが変わった。
「意味は分からないけど、あたしだって負けないわ。何を言われたって諦めないもの」
「どうしてよ!」
ほどんど振り絞るようにジェシカは叫んだ。
心の底からの叫びだった。
「どうしてあの人の傍にいるの!? わたくしの邪魔をするの!? あんたなんかどっかいってよ、あの人はわたくしの夫なのよ!!」
言葉が終わるか終らないかのジェシカの目に飛び込んできたのは、飛びかかるように抱きついてきたアーリアだった。
「ぎゃああああ!!」
勢いのままアーリアごと大きく後ろに吹っ飛び、床にたたきつけられると思いきや、ぱょえん、とワンバウンドして着地した。恐るべき肉襦袢。
「何するのよ! いきなり……!」
「かわいそうに」
がっしりホールドされたまま首だけ起こして怒鳴るジェシカに、アーリアは悲しげな声で言った。
「あなたもイワンが好きなのね」
好き。好きというんだろうか。夫と自分の間にあるものは、それとは少し違う気がする。
「ねえ、イワンを半分こできればよかったのにね」
「えっ……?」
「そうしたら、あなたとあたしで分けることができたのに」
「……」
イワンの言うとおり、この子は本当に掛け値なしのバカで、いい子なんだわ。悪戯はもしかしたら、他の人かもしれない……。
ひっくり返ってアーリアに抱きつかれたまま、その柔らかな赤毛をなでる。しんみりした気持ちになって、それからがばりと起き上がった。
「ちょっと待って。じゃあ、あなたは身を引くつもりなんてこれっぽっちもないってこと?」
「当たり前じゃない、どうしてあたしが身を引かなきゃいけないの?」
この……脳味噌つるっぱげ女が……!!
怒りうち震える間に耳に聞こえる例の馬車の音。
乗っかっているアーリアを押しのけると、全力で扉に向かった。
「あっ、ずるい!」
コロコロと部屋の隅まで転がって行ったアーリアも慌てて追いかける。
しばしの喧騒の後、絶叫と共に今日も青空に向かって舞い上がる、打ち上げイワン。
その頃、穴倉の如くうす暗い台所に、数人の男女がヒソヒソと言葉を交わしていた。片隅にかかっているボードには数字の殴り書きと一緒に「ジェシカ」「アーリア」の文字が見て取れる。
その中心に陣取り、腕を組んで戦場を睥睨する将軍のように目を光らせているのは、台所の主、ハンナだった。
プチトリアンにおける3角関係は、いわずもがなの賭けの対象になっている。しかもジェシカとアーリア、双方にファンも付いてしまっている為――そのグレイトな性格でメイドたちの心を掴み、「お姉様♡」と慕う者続出なジェシカと、悩殺ボディに天真爛漫な明るさを持つ「浜辺のエンゼル」ことアーリアの――オッズはこれまでにないほど跳ねあがり、だれしもが固唾をのんでその動向を見守っていた。気が付いてないのは当人たちくらいである。
「ああ、心臓に悪ィ」
フットマンの男が根を上げたように、ため息をついた。
「もうどっちでもいいから、さっさとくっついてくれよー、王子ィー」
「甘いね」
ハンナはフンと鼻で笑う。
「女1人に男2人の三角関係は、さっさと決まる。女は最初から相手を選んでいるし、男は『ゆずってやった』といえばプライドを守れる。だけど男1人に女2人はやっかいだ。男はずるいから的を絞らないし、女は相手が尻尾巻いて降参するまで静かにやり合う。故に時間も労力もかかる」
ザワザワとゆれる空気の中で、台所の女主はゆったりと口の端を歪めた。
「ただし女は、第三の人物が介入時に手を組む傾向が多い。さあ、どうなることやらね……」
プチトリアンの玄関先では「だってアーリアが」「だってジェシカが」と口論する女が2人、「もういい加減にしてくれ」と両手に彼女らをぶら下げてうんざりしている男が1人。
そしてそれを物陰から見ている天然パーと麻色の髪の少女が一組。




