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世界の終わりは、鳩の巣立ちのあとで

作者: 歯車太郎
掲載日:2026/10/10

「今日はねー、麦茶!」

 やめろ。

 と言いたいが、口がない。女子高生が飲みかけのペットボトルを逆さにして、俺の根元に麦茶をどぼどぼ注いでいく。昨日は炭酸水だった。根っこが一日じゅうしゅわしゅわして、まったく落ち着かなかった。

「麦茶は体にいいんだって。ばあちゃんが言ってた」

 それは人間の話だ。


 俺は世界樹である。

 渋谷のスクランブル交差点の、ど真ん中に生えている。

 もう一回言う。スクランブル交差点の、ど真ん中だ。


 前世のことはあんまり覚えていない。三十いくつの、たぶん冴えない男だった。最後の記憶はコンビニのレジで「あたためますか」と聞かれて「はい」と答えたところで、あたたまったのが弁当だったのか俺だったのか、そこから先がない。

 目が覚めたら、これだった。


 幹の、ちょうど人の目の高さに、ラミネート加工したA4の紙が画鋲で留めてある。


  この木が枯れると世界は終わります。

  水は一日一回。

               管理者


 誰だ、管理者。

 画鋲を刺すな。地味に痛いんだよ。

 ただ、書いてあることは本当らしい。根の感覚でわかる。俺の根は渋谷の地下を好き放題に這いまわり、東横線と副都心線と半蔵門線をまとめて抱きかかえ、そこからさらにどこまでも伸びて、世界じゅうの何か大事なものにがっちり絡みついている。俺が枯れたら、ぜんぶ一緒にぷつんといく。

 なるほどね、と思った。

 じゃあ枯れよう、とも思った。


 枯れたい理由を挙げておく。

 一、動けない。

 二、鳩。

 三、毎晩、酔っぱらいが根元で吐く。

 四、外国人観光客が俺を背景に自撮りして、そのたびに「ワーオ」と言う。一日推定四千ワーオ。

 五、犬。

 六、鳩。

 七、動けない。

 一と七、二と六がかぶっているが、大事なことなので二回書いた。


 ちなみに交差点はもうスクランブルではない。みんな俺をよけてぐるっと回るので、ネットでは「渋谷ロータリー」と呼ばれている。俺のせいで地図アプリが三回アップデートされた。


 麦茶の女子高生は、名前を千代子という。

「チョコって呼んで。千代子はばあちゃんの名前なの。ばあちゃんの名前をもらったの。ひどくない?」

 ひどいかどうかは知らないが、毎朝、聞いてもいないのに自己紹介の続きをしてくる。高一。帰宅部。好きなものはグミと、ばあちゃんと、ばあちゃんちの柴犬。

 なんでこいつだけが水をやりに来るのかというと、張り紙を読んだのがこいつだけだからだ。

 ほかの通行人は、俺のことを新しい広告だと思っている。もしくは現代アート。もしくはドッキリ。区役所の人ですら「誰が貼ったんですかねえ、これ」と言って張り紙の写真を撮って帰った。読んだなら水をやれ。

「だって書いてあるじゃん、枯れたら世界終わるって。終わったら困るじゃん。来月ライブあるし」

 世界の命運がライブに救われている。


 さて、枯れ方だが。

 これがわりと簡単で、根の先っぽをきゅっと閉じればいい。水を吸うのをやめるだけ。三日もあれば、たぶんいける。

 初日の夜、俺はきゅっとした。

 翌朝、チョコが言った。

「明日、数学の小テストなんだよねー。世界終わったら、なくなるかな」

 お、と思った。なくしてやろうか。感謝しろ。

「でもさあ、今回めっちゃ勉強したんだよね。人生でいちばん勉強した。だから受けたい」

 受けたいのかよ。

 しかたがないので根をゆるめた。小テストは、明日でいい。いや、明日終わるから、あさってでいい。もう一日だけ待とう。

 ちなみに小テストは十点満点の四点だったらしい。人生でいちばん勉強した結果が、四点。俺は二日分の世界を、四点のために延長した。


 実がなった。

 鳩にキレていた日のことだ。俺のいちばん低い枝に巣を作ろうとしやがった鳩を、枝をゆすって追い払おうとして(ゆすれない。動けない)、ものすごくイライラしていたら、ぽこん、と枝の先に青い実がひとつぶら下がった。

 チョコは迷わずもいで、迷わずかじった。

 迷え。

「すっぱ! え、なにこれ、めっちゃキレてる味する」

 そうらしい。

 いろいろ試してわかったのは、俺の実は、俺がそのとき考えていることの味がする、ということだった。鳩のことを考えると、すっぱい。昼寝していると、ぬるい。夜中にふと、前世で一回だけ行った北海道の、朝市で食べたイクラ丼のことを思い出したら、翌朝の実はしょっぱくてぷちぷちしていて、チョコは「キモい! でもおいしい!」と言った。

 これは使える、と思った。

 口がなくても、実で話せる。

 その夜、俺は全力で「もう枯れたい」と考えて、実をひとつ作った。

 翌朝、チョコがかじった。

「……なんか、日曜の夜の味がする」

 だいたい合っている。合っているが、伝わっていない。

「月曜やだよね。わかる」

 わかってない。


 この時期、テレビの人がよく来た。


 朝の情報番組のリポーターが、俺の前で「こちらが話題の謎の巨木です!」と叫んで、そのあと「なお、この木の実を食べた女子高生がいるとの情報が」と言ったところで、カメラの端からチョコがピースして出てきた。

 放送事故だった。

 チョコはその日のうちに学校で有名人になって、次の朝、友達をふたり連れてきた。ふたりとも、実をかじった。

「ほんとだ、なんか眠い味」

「わたしのは、なんか、ちょっと照れてる味する」

 照れてない。


 枯れようとした回数を数えておく。

 一回目、数学の小テスト。

 二回目、チョコが「明日、ばあちゃんちの柴犬の誕生日なんだよね」と言った。犬の誕生日は世界の終わりより優先される。俺の中ではそういうことになった。

 三回目、鳩が巣を作った。結局作られた。卵が二個あった。鳩は嫌いだが、卵に罪はない。ヒナが巣立つまで待った。二十五日かかった。

 四回目、チョコが風邪で休んだ。水が来なかった。勝手に枯れかけた。それはちょっと違う、と思って、地下の水道管から勝手に水を吸った。たぶん東京都水道局は今ごろ首をかしげている。

 五回目は、理由を忘れた。


 チョコが風邪から戻ってきた日、マスクをしたまま、俺の根元にしゃがみこんで、言った。

「ねえ、ブル」

 ブルというのは俺のことだ。スクランブルのブル。俺の意見は聞かれていない。

「ブルってさ、動けないじゃん。つまんなくない?」

 つまんないよ。だから枯れようとしてんだよ。

「わたし、三日寝てただけで死ぬほどつまんなかった。天井のシミ数えてた。四十二個あった」

 そうか。

 俺の天井は、渋谷の空だ。シミのかわりにヘリが飛んで、ビルの広告が三十秒ごとに変わって、夜になると、ネオンで空がずっとピンク色をしている。数えようと思ったことはなかった。

 チョコはマスクをずらして、新しくなっていた実をかじった。

「あ、今日のはわかんない味」

 俺にもわからなかった。


 次の朝、チョコはでかい袋を抱えてやってきた。

「ブル! ばあちゃんちのホームセンターで買ってきた!」

 ばあちゃんちのホームセンターってなんだ。ばあちゃんの家にホームセンターがあるのか。

 袋には「よく効く! 植物の元気」と書いてあった。肥料だった。

 チョコはそれを、袋ごと全部まいた。

 説明書きには、たぶん「ひとつまみ」と書いてあったと思う。

 その日の午後、俺は三メートル伸びた。根が広がって、交差点のアスファルトがめくれて、渋谷109が、ほんの少しだけ傾いた。ほんの少しだ。たぶん二度くらい。ニュースでは「一時的な地盤の変動」と言っていた。

 チョコは夕方、傾いた109を見上げて、「斜めのほうがかわいくない?」と言った。


 その夜、俺は根の先をきゅっとしようとして、ふと考えた。

 明日、チョコは友達を四人連れてくるらしい。四人ぶんの実がいる。

 何味にするか。

 一人目は、まあ、イクラ丼でいい。あれは評判がよかった。二人目は、前世で好きだった駄菓子の、名前が思い出せない、ソーダ味のやつ。三人目は、えーと、

 考えているうちに、夜が明けた。

 枯れるのを忘れていた。


 鳩は、また巣を作りはじめている。


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