35話 ワルツ
黒い外套をすっぽりと被り、その顔は白いドクロの仮面で覆われている。そして奇妙なことに、その足元には――お揃いの黒いベストを着た、クマのぬいぐるみ。
「おいおい、迷子のガキか? おい、ここは遊び場じゃねえぞ」
部下の一人が、ニヤニヤしながら少女に歩み寄った。
「お嬢ちゃん、パパとママとはぐれちまったのかァ? そのクマちゃんはなんだい?」
部下が、肩に手を伸ばす。
その汚い手が、黒いの外套に触れようとした、その刹那。
――ヒュンッ!
少女ではなく。
足元のクマが、跳んだ。
「……え?」
部下が間の抜けた声を上げる。
視界の中を、茶色いモフモフした塊が高速で通過した。
直後。
ポロッ。
部下の手首が、床に落ちた。
「へ……?」
部下は自分の腕を見下ろす。
断面から、遅れて鮮血が噴水のように吹き出した。
「ぎ、ぎゃああああああああああッ!?」
絶叫。
だが、その悲鳴すらも「遅い」。
宙を舞ったクマのぬいぐるみは、空中で器用に反転すると、その丸い手に吸い付くように握られた黒いダガーを閃かせた。
ザシュッ!
首が飛ぶ。
生首がゴロゴロと絨毯を転がり、ヴァグの足元で止まった。
「な……ッ!?」
静寂。
全員の思考が凍りつく。
クマだ。ただの綿が詰まった人形のはずだ。
それが、指すらない丸い手でナイフを握り――いや、まるで磁石のようにナイフを手に貼り付けたまま、人間を解体した。
ドクロの仮面の子供が、鈴を転がすように笑った。
「あはっ! ナガク、かっこいいー!」
彼女は拍手しながら、スキップするように部屋の中へ踏み入った。死体と鮮血のカーペットの上を、まるで花畑のように楽しげに。
「こんばんは、おじさんたち! 経験値のデリバリー、受け取りに来たよ♡」
「て、テメェら……何者だッ!?」
ヴァグが腰の剣を引き抜き、絶叫する。
それに呼応して、十数人の構成員たちが一斉に武器を構えた。
「殺せェッ! ガキと人形だ! バラバラに引き裂けェッ!!」
殺到する殺意。
だが、少女は仮面の下でニヤリと唇を吊り上げた。
「ナガク、いける?」
「ハッ! 朝飯前――いえ、綿を詰めるよりも容易きことで!」
開戦。
それは一方的な「狩り」だった。
三人の男がアリスに斬りかかる。
だが、刃が捉えたのは残像のみ。
「遅いよぉ?」
アリスは天井を蹴り、重力を無視して男たちの頭上へ。
指先から、漆黒の影が溢れ出す。
「――串刺しになぁれッ!」
ドスッ! ドスッ! ドスッ!
影が鋭利な杭となって伸び、三人の脳天を真上から貫いた。
即死。
一方、ナガクの方も負けてはいない。
大剣を振りかざす巨漢に対し、体長1メートルのテディベアが真正面から突っ込む。
「オラァッ! 木っ端微塵になりやがれ!」
「愚かな。太刀筋が止まって見えますぞ」
フワリ。
クマが不自然な軌道で宙に浮き、振り下ろされた刃の上に着地した。その丸い手には、まるで生き物のように追従する黒塗りのダガー。
ザクッ!
「が、あ……ッ!?」
巨漢の喉が、抉り取られる。
ナガクは返り血を浴びることなく、次の獲物へと跳躍した。
「ほぅらほぅら! どうしました! この綿のボディすら捕らえられませぬか!」
クルクルと空中で回転し、死の舞踏を踊るクマ。
指がないはずの手元で、ナイフだけが空中に固定されたように鋭い軌道を描き、次々と男たちの急所を切り裂いていく。
「ひ、ひぃぃッ! なんだこいつらァ!?」
「あ、悪魔だ! 逃げろォッ!」
パニック。
恐怖が伝染し、我先にと出口へ逃げ出す構成員たち。
少女は、それを逃さない。
彼女は部屋のシャンデリアの上に飛び乗ると、両手を広げて無邪気に宣言した。
「逃がさないよ? だってみんな、大切な『経験値』だもん!」
アリスが無邪気に笑い、指をパチンと鳴らす。
――ズズズッ!
部屋の照明が、アリスの足元から伸びた「影」によって一斉に砕かれた。
闇が落ちる。
その闇の中から、無数の「黒い手」が触手のように溢れ出した。
「な、なんだこれは!? 影が……動いて……ッ!?」
「捕まーえたっ!」
アリスが指揮者のように手を振るう。
影の触手が、男たちの足首を掴み、逆さまに吊り上げた。
「うわああああああッ!?」
「それじゃあ……えいっ!」
アリスが可愛らしく手を握りしめる。
グシャァッ!
影が万力のように収縮し、吊り上げられた男たちの全身を一瞬で圧搾した。トマトが潰れるような音と共に、肉塊と化した男たちが床にボタボタと落ちる。
「あはははっ、そんなんじゃアリスには勝てないよ!」
「ひ、ひぃぃぃッ!?」
アリスがステップを踏むたびに、床の影が波打ち、牙を剥く。
影の槍が飛び出し、逃げようとした男の背中を串刺しにする。あるい影を剣のように振り回し、男たちを切り裂く。
「あはははは! すごいすごい! ほら、もっとみんながんばって、もっと楽しく殺し合おう!」
少女は、返り血で赤く染まる部屋の中、黒い影を纏って踊り狂う。その姿は、無邪気な妖精か、あるいは死神か。
「あははっ、あ、またレベルアップした! やったー、さらに、レベルアップぅ~♪」
楽しげな鼻歌に合わせて、男たちの悲鳴が重なる。
アリスの影から偶然、逃れることができても、すかさずクマのぬいぐるみがナイフで刺し殺してくる。
完璧な連携。完璧な蹂躙。
「た、助けてくれぇぇぇぇッ!」
「ママァァァァッ!」
断末魔の合唱。
アリスは、その中心でクルクルと回りながら、歌うように命を摘み取っていく。
やがて、動くものがいなくなった部屋で、最後の一人――腰を抜かして震えるヴァグの前に、アリスは舞い降りた。
「ひッ……!」
ヴァグは後ずさる。
目の前には、ドクロの仮面をつけた少女。血濡れのドレスが、まるで紅い花のように咲き乱れている。
「な、なんなんだ……お前らは……ッ!?」
ヴァグは絶叫する。
目の前の光景が信じられない。仲間たちが、たった一人の子供と人形に、虫けらのように殺されたなんて。
「おじさん、そんなに怖がんなくていいんだよ?」
無機質なドクロの仮面が、ヴァグを見下ろしている。
「だって、希望すれば、また生き返ることができるんだし。だから、安心して死んでね?」
「や、やめろォォォォォッ!!」
ヴァグの絶叫。
だが、アリスは慈悲深く、そして残酷に右手を振り下ろした。
「――ごちそうさまでした♡」
ズドンッ!!
巨大な影の顎が、ヴァグを飲み込む。骨の砕ける音と共に、オーベニールの闇は、より深い闇によって塗り潰された。




