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19話 なにか企んでます!

 重厚な鉄扉の隙間から、わたしは倉庫の中へと滑り込んだ。


 ――ムッとするような、甘ったるい腐臭。

 それは、高濃度の魔力が換気不全で澱んでいる時の、特有の危険な臭気だ。


 薄暗い倉庫の中、カンテラの頼りない明かりの下で、数人の男たちが作業に没頭している。  わたしは梁の上に音もなく着地し、眼下の光景を見下ろした。


 ふーん。なるほどね。

 彼らが木箱から取り出している、あの毒々しく赤黒い光を放つ石。

 知っている。

 あれは『紅晶魔石(カーマイン・コア)』だ。


 一時的な魔力の増大と引き換えに、脳が焼き切れるほどの幻覚を見せ、精神を蝕むという違法薬物の一種。

 一度手を出したら二度と抜け出せない、重篤な中毒症状があるって噂のヤバい代物だ。

 わかりやすい「悪事」の現場だこと。


 けれど、わたしの視線はその石よりも、その奥に佇む異質な二つの影に釘付けになった。


 一人は、巨大な曲刀を背負った、眼帯の巨漢。

 もう一人は、豪奢な服を着て、優雅に手鏡を覗き込んでいる金髪の男。


 わたしは懐から【鑑定の片眼鏡(アプレイザル・グラス)】を取り出し、左目に装着した。  まずは、あの危険な気配を放つ眼帯の巨漢からだ。


【Lv:64】


「……うっわ」


 思わず、音のない悲鳴が出そうになった。

 レベル64。

 ウチの屋敷にいる精鋭騎士、ルスカーさんやグオークさんと同格の化け物じゃない。

 なんでそんな実力者が、こんな薄暗い倉庫の番犬なんてやってるのよ。


 今のわたしはレベル31。

 倍以上のレベル差だ。

 真正面からやり合えば、一撃でミンチにされてゲームオーバー確定の「負けイベント」級ボスキャラだ。


 じゃあ、もう一人の優男は?

 わたしは視線をずらし、金髪の男をレンズ越しに覗いた。


【Lv:45】


 ……レベル45。こっちも十分格上だ。

 でも、驚いたのは数値じゃない。その顔に、見覚えがあったからだ。


「……えっ、嘘」


 ドゴルゴン・ラグラクト。

 この国の第三王子だ。

 以前、お父様に連れられて出席した王宮のパーティーで挨拶をした覚えがある。系譜をたどれば、わたしにとっては「いとこ」にあたる人物。


 紛れもない王族が、こんな場所で違法魔石の密売?

 いや、違う。様子がおかしい。


「……始めようか。私の覇道のために」


 ドゴルゴンが手鏡を閉じ、陶酔したような声で告げた。

 すると、周囲にいた十数人の部下たちが、一斉に手にした「紅晶魔石」を口に放り込み、ガリガリと噛み砕き始めたのだ。


「ぐ、がぁぁぁぁぁッ!!」


「あ、熱い、熱いィィィィッ!!」


 部下たちが喉を掻きむしり、白目を剥いて倒れ込む。

 彼らの身体から赤黒い魔力が噴き出し、それが床に描かれた魔法陣へと吸い込まれていく。

 彼は、自らの部下を「生け贄」にして、何かを呼ぼうとしている。


 ――ズズズズズ……ッ!


 空間が歪む。

 魔法陣の中心から、泥のような漆黒の闇が溢れ出した。

 その闇は人の形を成し、禍々しい角を生やした「影」となって顕現する。


 あれは……召喚術?

 それも、正規のものじゃない。もっとおぞましい、邪法に分類されるやつだ。


『……我を呼ぶのは誰だ……』


 地獄の底から響くような声。


「私だ! この国の第三王子、ドゴルゴンだ!」


 王子は両手を広げ、狂気的な笑みを浮かべて叫んだ。


「いにしえの『邪竜』の霊よ! 私に力を貸せ! 私には王の器がある! この国を、いや世界を支配する、力を与えたまえ!」


 なるほどね。

 王位継承権の低い第三王子が、邪悪な力に頼って下克上を狙ってるってわけね。

 ベタな展開だけど、嫌いじゃないよ。うんうん、向上心って大事だしね。


 影の怪物は、虚ろな瞳でドゴルゴンを見下ろした。


『……力を欲するか。ならば、資質を示せ』


「資質だと?」


『左様。王たる者、屍の山を築くことを躊躇ってはならぬ』


 影が腕を振るうと、苦しみもがいていた部下たちが、魔法陣の力で拘束された。

 彼らは魔石の副作用で正気を失っているが、まだ生きている。


『試練を与えよう。……ここにいる供物を殺せ。ただし、条件がある』


 影は、愉悦に歪んだ口元で告げた。


『最も「罪悪感」を抱かずに殺した者に、我が加護を与えん。心が痛み、手が震えるような凡夫に、王たる資格なし』


 罪悪感なき殺人。

 いかに心を凍らせ、平然と命を奪えるか。

 その「非道さ」を数値化し、最強の悪人を決めるというのだ。


「フン、なんだそんなことか」


 ドゴルゴンは鼻で笑い、腰のサーベルを抜いた。


「私は選ばれた王族だ。下賤な民の命など、路傍の石ころと変わらんよ。……見ていろ!」


 王子が、足元で呻く部下の一人に剣を突き立てる。


「ギャアァァァァッ!!」


 悲鳴。鮮血。

 ドゴルゴンは返り血を浴びながら、高笑いを上げた。


「ハハハハッ! どうだ! 微塵も心など痛まぬわ!」


『……ほう。なかなかの適性だ。だが、脈拍が上がっているな。興奮している証拠だ。それはまだ「殺人」を特別な行為だと認識している証』


 影の怪物は冷淡に評価を下す。


「むっ……」


『他におらぬのか? 我が器にふさわしい、真の「外道」は』


 倉庫に静寂が落ちる。

 レベル64の男は無言で腕を組んでいる。彼は護衛であって、王になるつもりはないらしい。


 梁の上で。

 わたしは、ポカンと口を開けていた。


 え、なにその試練。

 罪悪感を持たずに殺せば、すごい加護がもらえるの?


「…………」


 わたしは、自分の胸に手を当ててみた。

 ドクン、ドクンと規則正しく脈打つ心臓。


 罪悪感?

 なにそれ、美味しいの?


 だって、この世界は『Gnosis Online』というデスゲームだ。

 この世界で一般プレイヤーが死ぬこと。それは「死」じゃない。唯一の、現実世界への「生還(ログアウト)」。


 つまり、わたしがここで彼らを殺すことは、殺人じゃない。

 悪いAIに囚われた彼らを、温かいお布団が待つ現実へ強制送還してあげる、極めて人道的な「ボランティア活動」だ。


 彼らは悪夢から覚めてハッピー。

 わたしは経験値をたっぷりもらえてハッピー。お互いに損のない、完璧な「ウィンウィン」の関係じゃない?


 呼吸をするように。人助けをするように。

 朝起きて「おはよう」と言うのと同じ気軽さで、わたしは慈悲深く「殺人」ができる。


 それに。

 わたしには「救世主」として、ラスボスを倒しみんなを救うという使命がある。


 つまりこれ。

 わたしのために用意された、ボーナスステージってことじゃない?


「……くふっ」


 笑いが漏れる。

 こんなの、参加しない手はないよね。


 わたしは梁の上で立ち上がると、被っていた【亡霊の仮面(ファントム・マスク)】を外した。

 ハラリと、隠していた銀髪がこぼれ落ちる。

 夜の闇の中で、白磁の肌と宝石のような瞳が露わになる。


 死神の仮面はいらないや。

 ここからは、最強にかわいい「アリスちゃん」の独壇場だもの。


「――はいはーい!」


 わたしは、梁の上から元気よく手を挙げた。

 そして、ふわりと身を躍らせる。URブーツの風圧制御で、羽毛のように軽やかに着地。

 スタッ。


「なっ……!?」


 ドゴルゴンが目を見開く。

 護衛の男が瞬時に大剣に手をかける。


 殺伐とした血と臓物の臭いが漂う倉庫の中心に、場違いなほど愛らしい少女が舞い降りたのだ。

 黒い外套を身に纏い、手にはドクロの仮面。

 不気味な死神の衣装なのに、その中身は天使のように可憐な幼女。


 わたしは外套の裾をドレスのようにつまんで、優雅にカーテシーを決めた。


「ごきげんよう」


 首をコテンと傾けて、天使の笑顔ビーム発射。


「その楽しそうな儀式……わたしも混ぜてくれませんか?」


「……こ、子供、だと?」


 ドゴルゴンが呆気にとられたように呟く。

 護衛の巨漢の眼光が鋭くわたしを射抜くが、わたしは動じない。


 わたしは、宙に浮かぶ影の怪物に向かって、にっこりと微笑みかけた。


「ねえ、黒いおじさん。罪悪感を持たずに殺せばいいんでしょ?」


『……いかにも。だが、幼子に耐えられる試練では……』


「大丈夫、大丈夫!」


 わたしは無邪気に手を振った。

 そして、計算高く、ニヤリと唇を吊り上げる。


 鏡を見なくてもわかる。

 今のわたしはきっと、この場にいる誰よりも邪悪で、そして誰よりも「かわいい」ドヤ顔を決めているはずだ。


「だってわたし、息をするように上手に殺せるもん」


 さあ、始めようか。

 このボーナスステージの、完全攻略を。

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