12話 涙さえ流せばなんとかなる
――ピコン。
ようやく、脳内で鳴り響いていた通知音の嵐が止んだ。
静寂が戻った路地裏で、わたしは虚空に浮かぶ青いウィンドウを見上げる。
足元には二つの「肉塊」。
ついさっきまで、わたしを脅していた悪いおじさんたちのなれの果てだ。
普通ならトラウマ必至の光景だけど、今のわたしにあるのは、効率よく作業を終えた後の心地よい達成感だけだ。
「ふふっ、壮観だね……」
わたしはウィンドウを指先で弾くようにスクロールさせた。
名前:アリス・フォン・クライネルト
レベル:27
「……あはっ、壊れてる」
思わず、乾いた笑いが漏れた。
レベル27。
この世界の一般的な兵士や、中堅の冒険者の平均レベルが「30」前後だ。
それを、わたしはたった今、路地裏の悪党を二つ片付けただけで、その領域に達してしまった。
【筋力】や【敏捷】といった隠しパラメータの具体的な数値まではわからないけど、体の奥底から湧き上がる力が教えてくれる。
今のわたしなら、騎士団の精鋭とも正面から殴り合っても、いい勝負ができるんじゃないかな。……なんて、流石にちょっと舐め過ぎかも。
「本当はわたし、こんな外道なことしたくないんだけどなぁ……」
人を殺してレベルアップなんて外道にも程があるよ。
でも、王道のモンスター狩りじゃあ、経験値が『0』なんだから仕方がないよね? こんな修羅の道をやらされるなんて、わたしってなんて可哀想なんだろ……。
そして、気になるのはこっちだ。
レベルアップのファンファーレと共に、ロックが解除されたあの不穏なスキルの詳細。
【殺人鬼の加護:レベル1】
・効果:対人経験値獲得量『極大』アップ
ここまでは確認済み。
わたしはさらにその下、小さく表示された注釈文に目を止めた。
『NEXT:あと8人殺害でレベルアップ』
『レベル2到達時、新たな権能が解放されます』
「……へぇ」
わたしの喉が、ゴクリと鳴った。
権能、解放。
ゲーマーにとって、これほど甘美な響きがあるだろうか。
単なるステータスアップじゃない。殺人鬼の加護に秘められた、新しい能力が目覚めるってことだ。
そんなの、絶対にろくでもなくて――最強に強いやつに決まっているじゃん。
「あと八人……か」
わたしはチラリと、路地の外――賑やかな市場の方角を見た。
あそこには、数え切れないほどの「経験値」が歩いている。
……って、いけない、いけない。
涎が出そうになるのを慌てて止める。
今日はあくまで「お忍び」だ。これ以上の長居はリスクが高い。欲張りすぎて自滅するのは、三流プレイヤーのやることだものね。
「さてと、そろそろ戻らないと」
わたしは意識を切り替える。
殺し屋モード、オフ。
完璧な美少女アリスモード、オン。
まずは身だしなみのチェックだ。
わたしはスカートの裾を持ち上げ、クルリと回ってみる。
返り血は……なし。
わたしくらいの手練れになると、そもそも血が自分にかからない角度で、完璧に刃を捌けるんだよ。
次に、手にしたダガーナイフだ。
さすがに刃にはべっとりと赤いジャムがついている。このまま持ち帰って、鞘の中で血が固まったりしたら最悪だし、何より証拠になる。
わたしは足元の死体――おじさんの服の、まだ汚れていない背中のあたりを使って、刃についた血糊を丁寧に拭い取った。
光を反射するほどピカピカになったのを確認してから鞘にいれて、スカートの裏に縫い付けた隠しホルダーへと滑り込ませる。
帰ったら、油を塗ってお手入れしてあげないとね。
「うん、完璧」
ただ、問題は靴だ。
血の海を歩いたせいで、靴底が少し汚れている。
わたしは近くにあった水たまりでバシャバシャと足踏みをして、血痕の上から泥汚れを上書きする。
これで、ただ「路地裏に迷い込んで汚れちゃった」という言い訳が立つ。
最後に、ポケットから清潔なタオルを取り出す。
顔に汚れなんてついていないと思うけれど、念には念を入れてゴシゴシと拭く。
「よしっ!」
鏡を見なくてもわかる。
今のわたしは、ちょっと冒険して汚れちゃった、愛くるしい迷子の女の子そのものだ。
わたしは深呼吸を一つ。
肺の中の空気をすべて入れ替えるように。
そして、感情のスイッチを切り替える。
恐怖、不安、安堵。
それらをないまぜにした、最高に「保護欲」をそそる表情を作って。
わたしは、光の差す大通りへと駆け出した。
◆◇◆
「――アリスお嬢様ッ!!!」
「お嬢様ァァァ!! どこですかァァァ!!」
路地を出た瞬間、悲痛な叫び声が耳に飛び込んできた。
人混みをかき分け、半狂乱になって走り回っているセーラと、二人の騎士の姿が見える。
セーラなんて、もう顔面蒼白で、今にも倒れそうだ。
グオークさんも、岩みたいな顔をくしゃくしゃにして、通りすがりの人に片っ端から声をかけている。
あちゃー、大騒ぎだ。
ごめんね、みんな。でも、わたしのレベル上げのためだから許してね?
わたしは、タイミングを見計らって声を張り上げた。
「……セーラぁっ!」
その声は、計算通り震えていて、それでいてよく通る、完璧な「迷子の第一声」だった。
「ッ!? お嬢様!?」
セーラが弾かれたように振り返る。
わたしを見つけた瞬間、彼女の目からボロボロと涙が溢れ出した。
「アリスお嬢様ッ!!」
彼女はなりふり構わず駆け寄ってくると、わたしの身体を強く、強く抱きしめた。
甘い匂いと、セーラの体温。
そして、小刻みに震えている彼女の身体。
「ああ、よかった……! 本当によかった……! ご無事で……!」
「……ぐすっ、ごめんなさい、セーラ。お祭りが見たくて……気付いたら、はぐれちゃって……」
とりあえず、ここでは「恐怖で動けなかった子供」を演じて、その場を収める。
遅れてやってきた騎士たちも、へなへなと膝をついて安堵していた。
市場の注目が集まり始めていたので、わたしたちは早々に切り上げて、馬車へと戻ることにした。
◆◇◆
帰りの馬車の中は、行きとは打って変わって、お通夜のような静けさだった。
セーラはまだ目を赤くして、わたしの手を痛いほど握りしめている。
御者台のグオークさんからは重いため息が聞こえるし、並走するルスカーさんも口を閉ざしたままだ。
やがて、馬車が屋敷の敷地内に入り、静かに停止した。
「……到着しました。アリス様」
扉が開き、グオークさんとルスカーさんが沈痛な面持ちで出迎える。
彼らの顔には「これから処刑台に向かう囚人」のような覚悟が浮かんでいた。
当然だ。
護衛対象を見失うなんて、騎士としてあってはならない大失態。
お父様に報告すれば、重い処罰は免れない。
そして――わたしにとっても、それは死活問題だ。
もし、今日のことがお父様にバレたら?
間違いなく、「外は危険だ」という判断になり、二度と屋敷から出してもらえなくなる。
そうなれば、わたしの「人間狩りレベル上げ計画」は完全に詰む。
一生、屋敷の中で刺繍だけして過ごすなんて、冗談じゃない。
だからこそ。
ここでなんとしても、彼らの口を封じなくちゃいけない。
わたしは馬車のシートに座ったまま、動こうとしなかった。
「お嬢様? どうなさいましたか?」
セーラが心配そうに覗き込む。
わたしは膝の上で小さな拳をギュッと握りしめ、肩を震わせた。
うつむいた顔から、ボロボロと涙の粒をこぼれ落とす。
「……っ、うぅ……わたし……わたしが、悪いの……っ」
絞り出すような懺悔の声。
「ごめんなさい……っ! わたしが、勝手に手を離したから……みんなを、困らせて……わたし、悪い子だ……っ」
「アリス様……ッ!」
わたしは嗚咽を漏らしながら、さらに畳み掛ける。
「お父様に言ったら……みんな、怒られちゃうんでしょ……? わたしのせいで、セーラたちが怒られるの……やだよぉ……っ!」
「そ、そんなことはございません! 悪いのは目を離した我々で……!」
グオークさんが慌てて否定しようとするが、わたしは泣きじゃくりながら首を振った。
「ううん、わたしなの……! だから……お願い……っ」
わたしは涙に濡れた瞳で、すがるように三人の大人たちを見上げた。
「お父様には、内緒にして……っ? これ以上、わたしのせいで、みんなが悲しい顔をするのは嫌なの……っ。わたし、いい子にするから……お利口さんにするから……だから、お願い……っ」
沈黙が落ちた。
重苦しい空気が流れる。
お父様への報告は絶対だ。それを破ることは、騎士としての、使用人としての信義に反する。
口火を切ったのは、ルスカーさんだった。
彼はやれやれと頭をかき、困ったように視線を天井に向けた。
「……まぁ、アリスお嬢様の仰ることもわかりますがねぇ」
だけど、グオークさんは岩のような表情を引き締め、その双眸に揺るぎない忠誠の炎を宿していた。
「ですが、お嬢様。我々は騎士です。主君を欺くことは、我々の剣と誇りに泥を塗るに等しい」
うぅ……これ、ダメなやつかな。
わたしは直感した。この筋肉ダルマ、わたしが思っていた以上に、筋金入りの堅物だった。
アリスの涙攻撃を受けてなお、騎士としての矜持を保っている。
「アリス様の涙は、心臓を抉られるほどに辛い。……だが、それを隠蔽することは、忠義に反します!」
その言葉には、迷いがなかった。
自分の感情を殺してでも、役割を全うしようとするプロの覚悟。
わたしは焦りを隠して、グオークさんのゴツゴツした大きな手を、小さな両手でギュッと握りしめた。
「グオーク、さん……っ」
体温を伝える。震えを伝える。
か弱き幼子の、必死の温もりを武器にして。
「おねがい……っ。わたし、これからはいい子にするから……だから、言わないで……っ」
ポロポロと涙をこぼし、上目遣いで哀願する。
グオークさんの拳がわなわなと震えている。
唇を噛み締め、苦悶の表情を浮かべている。
その瞳が、わたしの涙と、騎士の紋章の間で激しく揺れ動いているのがわかる。
あと一押し。あと一押しで落ちる――。
そう思ったが、グオークさんは苦しげに顔を背けた。
彼は最後まで、「わかった」とは言わなかった。
かといって、「報告する」と断言もしなかった。
結論は出ない。
気まずい沈黙のまま、グオークさんは逃げるように頭を下げ、足早に厩舎の方へと去ってしまった。
……はぁ。どうなることやら。
まあ、なるようにしかならない、のかな。




