第二話:自分改革
萌実への失恋から、僕は自分を変える決意を固めた。
自分で言うのもなんだが、僕は欠点が多い人間だ。そんな僕が自分の欠点を失くしていく作業は容易に完遂出来るものではないだろう。
これから目指す理想の自分を考えると、途方もない話に思えて、一歩足が竦みそうになる始末だ。
でも、このまま終わることだけは絶対に嫌だ。
僕は再度自らを奮い立たせた。
そして、まずは手初めてに……この醜く、たるんだ体を改める決意を固めた。
つまりは、ダイエットだ。
しかし、ダイエットをすると一口に言っても、目標はキチンと決めておかないと中弛みや妥協する現認になりかねない。
やると決めたらとことんやる。
僕はスマホでダイエットに関する情報を集めた。
そして、一般男性のBMIの適正値が18~25だと知った。
更にスタイルが良いと言われる人のBMIは21程度らしい。
僕の身長でBMIが21となるのは……。
「57キロっ!?」
つまり、現体重から22キロの減量を余儀なくされたわけだ。
途方もない数字に、一瞬、頭がフリーズした。
「……これくらいで狼狽えたらいけない」
欠点だらけの自分が嫌で変わる決意を固めたばかりじゃないか。
ダイエットなんて、これからの変わっていくために行う作業の中でも簡単なものに違いない。
それなのに、ダイエット程度で狼狽えていたら、一生自分を変えることなんて出来っこない……!
……絶対に痩せてやる。
そんな強い覚悟でダイエットを始めて、あっという間に三カ月が経過した。
「67キロ……」
僕は10キロの減量に成功した。
「あっさり痩せた……」
ダイエットを始める前はあんなにも身構えていたのに、10キロ減のダイエットは、思ったよりもスムーズに。そしてストレスなく成功することが出来てしまった。
……正直、少し拍子抜けだった。
「いやいや、違う違う」
目標体重までは後10キロの減量が必要だ。
ここはまだ折り返し地点ではないか。
ここで気を緩めるわけにはいかない。
決意を固め直した丁度その時、家のチャイムが鳴り響いた。
「宅急便かな?」
そう思ったが、両親から荷物の受け取りを頼まれた記憶はない。
とりあえず僕は、玄関へと向かい、扉を開けた。
「……あ」
「ん」
「……萌実」
扉を開けた先にいたのは、萌実だった。
ここ三カ月、あの失恋以降、意識的に萌実を避けていたところがあるために……こうして彼女と面と向かいあうのは久しぶりだった。
「……家、入れてくれない?」
「あ、うん……」
「お邪魔します」
久しぶりの会話のせいか、飄々とした様子の萌実と違って、僕の胸の中は気まずさでいっぱいだった。
「……も、萌実。今日はどうしたの」
「おばさんに頼まれた」
「……何を?」
「しばらく残業続きで帰りが遅くなるから、あんたの世話してやってって」
……母さんめ。
僕ももう高校生だぞ?
言ってくれれば、自分で自分の世話くらい出来るのに。
「ご、ごめんね。迷惑をかけて」
「別に」
「……本当、ごめん」
「そんな謝る必要ある? 別に、今に始まったことじゃないでしょ」
確かに、中学の頃は、僕の親が仕事で忙しい時、しっかり者の萌実に夕飯を振舞ってもらう機会は何度かあった。
彼女は高校生とは思えないくらいに家事スキルが高い。なんなら、ウチの親よりもずっと高い。
……だから、中学時代は、家事が得意な萌実に甘えることに何も思わなかった。
でも、今はそうじゃない。
「夕飯、鶏のから揚げでいい?」
「え?」
「あんた、好きだったでしょ」
……僕は俯いた。
萌実の得意料理は鶏のから揚げ。
つまり彼女は、好きでもない僕のために、わざわざ得意料理を振舞ってくれると言っているのだ。
……しかし、ダイエットを始めて以降、揚げ物はすっかり口にしなくなった。
どうしよう。
中学時代と違い、今は萌実の厚意に甘えることさえ気が引けているのに、その上、ダイエットを理由に食べたいものの注文まで付けてしまったら……一体、彼女はどう思うだろう?
……多分、僕が逆の立場なら、なんて厚かましい奴なんだ、と怒るだろう。
こんな奴と幼馴染になってしまった不幸を哀れみ、二度と関わりたくないとさえ思うだろう。
……そんなこと、萌実に思ってほしくはない。
だったら、ここで頷いて揚げ物を振舞ってもらえばいいのだろうか?
本当にそれでいいのだろうか。
ここで妥協してしまったら……今日までの三カ月は何だったんだ。
動機は失恋という情けないものだったが、ここまでの三カ月は自分でも驚くくらい、意欲的に自分を変える努力を続けてきた。
変わりたい。
そんな漠然とした願望を持つことは、これまでも何度もあった。
でも……。
変わるんだ。
そう決意して、ここまでの努力をしたのは……これまでの人生で初めてだったかもしれない。
……そもそも。
僕が変わろうと努力したこと……『自分改革』を始めた理由は、なんだった?
萌実に振り向いてもらいたいからか?
違ったじゃないか。
僕は……自分の怠惰な性格のせいで、これ以上同じ後悔を繰り返したくないから、『自分改革』を始めたんだ。
「ごめん……」
自分の目標のため、失うものがあるとしても。
「ごめん、萌実……」
それが仮に、好きな人からの気持ちだとしても。
「……出来れば、ヘルシーなものにしてくれないかな」
……僕は、変わる努力を惜しんではいけない。
萌実はしばらく目を丸くしていた。
「……ねえ、あんたさ」
萌実は、伏し目がちに続けた。
「最近、すごい痩せたよね」
……少し嬉しかった。
自分の変化に気付いてもらえていたから。
「まだまだだよ……」
でも、嬉しいと思っちゃいけない。
自惚れたらいけない。
僕はまだ、自分の目標には達していない。
……まだ、何も成していない。
「……大丈夫なの」
「え?」
「健康、大丈夫なの? 無理してない?」
「うん。大丈夫だよ」
萌実はため息を吐いた。
「本当でしょうね。あんた、小学生の頃、一か月前から楽しみにしてた遠足のために高熱にうなされながら学校に来たことあったじゃない」
「その後、半泣きで帰ったね」
「ギャン泣きだったでしょ。なんで過少申告したの」
……それは、理由は言えなかった。
「でも、今回は大丈夫」
「本当なの?」
「うん。……体重1キロ減らすには、消費カロリーより摂取カロリーが7,500キロカロリー多くする必要があるんだけど、今は一日の摂取カロリーを1,800キロカロリーにして、消費カロリーを2,500キロカロリーにしている。一食の摂取カロリーは平均600キロカロリーだけど、揚げ物を控えて、ダイエット食材とかを使えば、食べる量は変えずに達成することも難しくないカロリーだよ」
……はっ。
しまった。
饒舌に語り過ぎた。
慌てて萌実を見ると……彼女はいつも通り、無表情で僕を見ていた。
「なるほど。だから、揚げ物は嫌ってことね」
萌実は納得したように呟いた。
「あの……萌実?」
「あっちゃん」
萌実は……優しく微笑んでいた。
「すごいね、あっちゃん」
彼女の微笑みは、彼女のキレイな顔立ちも相まって……僕の視線を奪って離してくれない。
「ちゃんと勉強したんだ」
……たくさん勉強したことは事実だ。
でも本来は、普通の人なら……こんな努力をする必要もないのだ。
何故なら、普通の人なら、努力を要するまでもなくダイエットを成功出来るから。
ここまで太ることがないから。
だから、僕は駄目人間なんだ。
一度太った時点で、自分に甘い駄目人間なんだ……!
そんな僕に、『すごい』なんて言葉は与えるべきではない。
僕が『すごい』のなら……努力を要することなく痩せている人はもっと『すごい』。
だから……お礼を言うのは、僕よりも『すごい』人に失礼だと思った。
「……ありがとう」
……でも、気付いたら言っていた。
嬉しかった。
……嬉しかったんだ。
まだ結果は出していないけれど、自分のこれまでの努力を認められることは……。
他でもない萌実に認めてもらうことは……嬉しくて、お礼を言わずにはいられなかったんだ。
「じゃあ、あんたのリクエスト通り、今日はヘルシーな夕飯にするよ」
萌実は髪を結び、エプロンを着ながら言った。
「そういえば、あんたはどうしてダイエットを始めたの」
無機質な萌実の声が尋ねてきた。
「もしかして、好きな人でも出来た?」
彼女の言葉に、僕の心臓はぎゅっと掴まれた。
「……うん。そうだよ」
誤魔化す術はあったのに、気付いたら口から漏れていた。
「まあ、失恋してしまったんだけどね」
……萌実は。
「……そ」
慰めの言葉も、哀れみの言葉もなく……いつも通り、短い言葉で返事をしてくれた。
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