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08 まかないごはん



 ーーなぜ、彼がここにいるのだろう。


「分かっていましたが、すごい暴風雨ですね」


 外套を脱いだウィンストンさんはそれを腕にかける。前髪の雫を払う仕草に、なんとなく見てはいけないものを見てしまった気持ちになって顔を逸らした。直後、我に返り備品室へ向かう。

 見慣れない彼の姿に動揺している場合ではない。


「あの、よかったらこれで拭いてください」


 何枚か持ってきたタオルを渡すと、彼は申し訳なさそうに眉を垂らした。


「すみません」

「いえ。濡れたままはよくないですよ。外套もお預かりします」

「……ありがとうございます」


 濡れた外套をハンガーにかけ、ついでにお湯を沸かす。明日食べようと思っていたスープを温めて、余っていたロールパンも軽くトーストした。どちらも今日の売れ残りだけれど、無いよりましだろう、

 濃いめに煮出したミルクティーにはちみつを垂らして、できあがったそれらをトレイに並べる。お腹が空いたので、私の分も用意した。


「……却ってご迷惑でしたか」


 2人分のトレイをテーブルに置くと、ウィンストンさんはそう言って視線を落とす。立ち尽くしたままの彼がいつになくしょんぼりして見えた私は、小さく笑った。


「とんでもない。気にかけてくださったんですよね?」

「……この店で1人になったあなたの姿が浮かんで、なにか力になれたらと思ったのですが……余計なお世話でした」

「えっ?」


(まさか、そのためにここまで?)


 彼がこの店を訪れたのは帰宅途中に寄ったからでも迷子でもなく、ここに来るためだったなんて。

 思い出してくれただけでもありがたいのに、助けようと思い立ってくれたのだ。あんなに毎日忙しい人が、この嵐のなかをわざわざ。

 それなのに、彼の自分を卑下するような言葉に苦しくなる。

 

「そんな風に言わないでください」


 誰かが自分のために動いてくれたのはいつぶりだろう。さっきまで押しつぶされそうになっていた心細さは、彼のおかげでどこかへ行ってしまった。

 彼だけが"私"を気にかけてくれた。


(だめだ、泣きそう)


 じわ、と胸のあたりがあたたかくなる。それどころか、気が緩んで鼻の奥がつんとしそうになったので慌てて堪えた。危ない。


「……ひとまず、冷める前に食べましょう」


 まごまごするウィンストンさんを強引に椅子に座らせ、スプーンを渡す。その向かい側で、私も湯気の立ちのぼる具沢山のミネストローネをスプーンで掬い、ひとくち食べた。あたたかい。


「……おいしい」

「ふふ、よかったです」


 ほう、と息を吐くウィンストンさんがいつになく無防備に見えて、頬が緩む。このひともきっと王宮では気を張り詰めているのだろう。昔参加した社交界でも、何気ない発言や仕草で揚げ足を取られたことがあった。文官ともなれば常に神経を尖らせているのは想像に難くない。


「なんか、変な感じですね」


 店主と客が一緒に食事してるなんて。

 お店で並んで座ってる状況が珍しくて笑ったら、ウィンストンさんの表情もようやく緩んだ。それからひと通り食べ終えるころにはすっかりいつも通りのウィンストンさんになっていたので、内心でほっとする。寒さと疲労で心が弱っていたのかもしれない。

 スープのおかわりを提案したらおずおずとカップを差し出され、かわいいと思ったのは内緒である。


「ありがとうございました。支払います」

「いえ、今回は結構です」


 財布を取り出すウィンストンさんに、びしりと手のひらを向ける。案の定彼は不満げな声を上げた。


「なぜですか、僕は客です」

「いまは営業中ではありません。余りものの賄いでお代をいただくわけには参りません」

「僕が払うと言っているのにですか」

「ええ、この店の権限は私にありますから」


 なおも悔しそうな目で見てくるウィンストンさんに「先日夕食を奢っていただいたお礼だと思ってください」と言ってみたけれど、それも通じない。


「あのお返しはすでにいただきました。そもそもあれは日頃のお礼で、お返しを期待したものではありません」

「ではこちらも日頃のお礼です」

「……まさか、こんなに強情な方だったとは」

「奇遇ですね。私もいま同じことを思いました」


 そのまましばらく睨み合いが続いたけれど、やがてその会話の珍妙さに気付いてお互い噴き出した。外は大荒れに荒れているというのに、こんなところで何を真剣に言い合っているのだろう。

 笑いながら、ウィンストンさんの笑顔が目に入る。この笑顔が見られただけで十分満足だ。


「こんなに笑ったのは久しぶりです」

「ふふ、私もです」


 食べ終えた食器を片付けている間に、彼はテーブルを拭いてくれた。洗って拭いた食器を棚にしまうと、彼は再び外套を羽織る。


「では、無事も確認できたのでそろそろ帰りますね」

「え?」


 間の抜けた声を上げると、ウィンストンさんはこちらを見て不思議そうな表情を浮かべた。なぜ私が驚いたのか分からないような反応に、ますます疑問符が増える。

 ……まさか、また外に出る気なの?


「危ないですよ」

「ええ。ですから、こちらの様子を見に来たと」

「家まで帰るおつもりなんですか?」


 当然でしょう、とでも言いたげな目がこちらを見ている。

 信じられない。もし飛んできた木にぶつかって、打ちどころが悪かったらどうするつもりなんだ。ここまで来られたのは運が良かっただけで、家に帰るまで無事だとは限らないのに。

 そんな私の視線に気付いたのか、ウィンストンさんは深々と溜め息を吐く。


「僕に、あなたとここに泊まれとでも?」

「う」


(た、たしかに……!)


 髪や服を拭いたとはいえ乾いたわけじゃない。あたたかいお風呂にだって入りたいだろうし、硬い床よりもベッドのほうが心地いいに決まってる。それに、未婚の男女が密室で一晩明かすのはよろしくない。まったくもって彼の言う通りだ。

 でもさすがにこの嵐のなか出すわけにはいかない。


「緊急事態なので、ここは仕方ないかと……わっ!?」


 その瞬間、あたりが昼間のように光ったかと思うと、すぐに地響きのような音がした。驚いて身を固くする。近くで雷が落ちたのかもしれない。

 次いで聞こえたのは、ばちん、という乾いた音。それからすべてが暗闇に飲み込まれた。灯りに慣れた視界が一気に閉ざされる。


「えっ」


 私の声だけが、やけに響いた。

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