04 自己紹介
遅ればせながら更新です!
よろしくお願いします。
「ごちそうさま。また来るよ」
「毎度ありがとうございました」
最後のお客さんが帰った。時計を見ると午後6時。太陽はすこし前に沈んだところだ。
(そろそろ閉めようかな)
ドアプレートをOPENからCLOSEに返し、カーテンを閉める。翌日の仕込みと掃除と締め作業をして、火の元の確認と灯りを消して戸締りをしたのが午後7時半。
なんとなく帰る気分にはならなくてふらふら歩いていたら、大通りの屋台が目に入った。
(いいにおい)
活気のある声につられ近づくと、豪快に焼いた肉塊を串に刺したものや、カップに入ったころころ丸いドーナツ、かりっと揚がったフライドポテトなどが立ち並ぶ。香ばしい肉の焼ける匂いや、鉄板の上でじゅうじゅうと弾ける音がたまらない。
このあたりは地域柄、自営業が多いのと、観光客もよく来るため、手軽に幅広い食事を楽しめるよう、さまざまなジャンルの屋台が出ていると聞く。
私の場合、家や職場で試作品を食事とみなして済ませることが多い。だから、たまには市場調査も必要だろうと思い吟味してみるけれど、どれにするか迷ってなかなか決められない。
(久しぶり……屋台を見ると思い出すなあ)
『ねえドリアナ、私もあの賑やかなところで食べてみたいわ』
『いけませんお嬢さま。あのような場所でなどはしたない。淑女は食べ歩きをしないものですよ』
ーー馬車の窓から見るたびに憧れた。
屋台から漂うおいしそうな匂い、見慣れない食べ物たち。通りを行き交うひとたちは楽しそうで、いきいきして見えた。
あの食べ物たちはどんな味がするのだろう。どうやって作るのだろう。想像すると胸が躍ったけれど、手を伸ばすことは許されない。だって私は貴族の娘だから。
幼心に、あの光景は『自由』の象徴だった。
数年前に貴族から平民になり、初めてこの商店街の屋台で食事をしたときのことは、いまもよく覚えている。フルーツとホイップを挟んだサンドイッチ。
店主からサンドイッチを受け取ったとき、誰にも見られていないのに罪悪感と背徳感でどきどきした。周りのひとたちがやるようにそっと口を開け、パンの端をかじり、咀嚼して飲み込む間、ずっと心臓が緊張で暴れていた。そして食べ終えるころ、一人前になれたような気がした。それくらい私のなかでは大冒険だったのだ。
いまではまったく気にせず食べられるようになったのだから、慣れとは恐ろしい。
(食べ物を手に持ってかぶりつくなんて、ドリアナが見たら目を回してしまうでしょうね)
かつての家庭教師が憤慨する姿を思い浮かべて思わず笑っていたら、見覚えのある横顔を見つけた。驚いていると、視線に気づいたのか相手がこちらを向く。
ネイビーブルーの瞳が見開かれた。
「えっと……こ、こんばんは」
「……」
無言でぺこりと頭を下げられ、店の外でも変わらないウィンストンさんの姿に謎の感動が湧き上がった。
ここにいるということは、もしかして彼も仕事終わりなのだろうか。心なしかいつも見る彼よりも疲労の色がうかがえる。
「偶然ですね。夕飯の調達ですか?」
「はい。このあとまた仕事なので、息抜きに」
なんてこった、まだ働くつもりらしい。朝はあの時間に店を出ているから、とんでもない時間働いていることになる。文官が忙しいというのは聞いていたけれど、想像以上だ。
(そんなに働いたら体を壊しちゃう……と言いたいけれど、そんなこと言える関係じゃないし……)
もやもやしながらも考えていると、目の前にがさりと袋を差し出された。視界いっぱいの紙袋から前を覗くと、ウィンストンさんと目が合う。
「よかったら、どうぞ」
「え……?」
袋のなかには甘辛く焼いた肉と卵のペーストとレタスが挟まれたピタパン。驚いてウィンストンさんを見ると、彼は変わらぬ表情で見つめ返してくる。
「いつもおいしい紅茶を淹れてくださるお礼です」
「え? あ、いや、こちらこそいつもお越しいただいてるので」
「夕飯はまだですよね」
同じ目的だと思ったのだろう、ウィンストンさんの言葉には迷いが無い。たしかに夕食を探しにきたけれど、彼の言い分を受け入れるのなら、こちらもお礼をするべきなのでは……?
お客さんからもらっていいものか迷っていたら、ぐっと押し付けられた。絶対に渡すつもりらしい。ならばこれ以上遠慮するのも失礼に当たるかもしれない、と思いありがたく受け取る。
「……もしかして、多すぎましたか」
「へ?」
「前に、女性はあまり食べないと聞いたことがあったので……失敗したのかと」
たしかにたっぷり具材が入っていてボリューミーではあるけれど、食べきれない量ではない。というか、心配するポイントはそこなのか。
面白くてつい笑いながら「そんなことないですよ」と返したら、ウィンストンさんはほっとしたように頬を緩めた。
「よかった。あまり女性の扱いに慣れていないので、よく上司や家族に怒られるんです」
「そうなんですか? 意外です。てっきり文官って華やかな世界なのかと」
「……よくご存知ですね」
彼の纏う空気がすこしだけ緊張した。警戒、というのが近いかもしれない。
しまった、自分からは言わないようにしていたのに油断してしまった。自己紹介すらしていない顔見知り程度の相手に自分のことを知られてるなんて怖いだろう。
「すみません。実は、以前常連さんに教えていただいて」
「常連さん?」
「えっと……マーサさんという方です」
きっとご存知ないと思っていたのに、ウィンストンさんは心当たりがあったのか、名前を伝えると「ああ」と短く息を吐いた。
「あの方でしたか……」
知り合いなのだろうか。気になるけれど、この空気のなか訊いてもいいのか分からない。とりあえず大人しくしておくと、ウィンストンさんは警戒を解いて姿勢を正す。
「遅くなりましたが、自己紹介をしておきます。政務調整局・省庁折衝官のアレン・ウィンストンと申します」
「ありがとうございます。"ヴィオリの小窓"の店主、リディア・エヴァレットです」
それなりに長い期間顔を合わせていたけれど、名乗ったのは初めてだ。
なんだか不思議な気持ちになって思わず噴き出すと、ウィンストンさんも同じだったのか、つられて笑ってくれた。たまに見せる微笑みとは違う、年相応な、無防備な笑み。
(初めて見せてくれたあの笑顔に似てる)
きゅっと細くなる目元がなんとなく大型犬っぽい。吸い寄せられるように視線を奪われる。
「……」
目が合う。
でも今回は、逃げられなかった。あのときと同じように空咳をした彼はふい、と目を逸らす。
「もう遅いのでお送りします」
そう言う彼の声はいつも通り冷淡で、表情も変わらない。けれど。
横顔から覗く耳はやっぱり、ほんのり赤く染まっていた。