第三章 拭えぬ過去 第一話
研究所制圧から三日後。
状況にあまり変わりはない。《アダム》の研究所で‶狂戦士‶を生み出し、中央制御室の入り口を開けた人物についてネコや‶騎士団長‶の部隊に調べてもらっている最中である。
「でも、意外でした」
「……突然どうした?」
「こんな大きなショッピングモールに連れて行ってくれることですよ。てっきりホテルから出たくないものだと……」
契助と七海は今、第三学区内で一番大きなショッピングモールに来ていた。初めに七海が「買い物したい」と言い出したのは間違いないが、こうもあっさり提案が通るとは思わなかったのだ。いい加減、部屋に引きこもるのも飽きた頃だったのだろうか、と七海は首を傾げる。
「別に買い物くらい好きにすればいいだろ。向こうもこっちも、基本的に昼の行動は避けるからな。犯罪者の習性だ」
「そうなんですか? そんな暗黙のルールみたいなのがあるんですね」
「ルールっていうか……そもそもここは学園都市だからな。お互いに一般市民を傷付けるのは損なんだよ」
「……と、言いますと?」
「《猟犬》……俺らはまあ犯罪対抗組織だから当たり前だが、向こうは一応『能力至上主義者』なわけだ。そして、学園都市に住む人間の多くが能力を持っている」
「つまり、能力者を巻き込まないように? いや、でも私は誘拐されてますし、矛盾していませんか?」
「基本的に傷付けることはしないだけだ。必要とあれば殺すし、誘拐もする。あいつらは街に住む宝石の原石は傷付けないってことだ。んで、宝石を見かけたら徹底的に奪い取ると」
「能力の将来的な価値を見据えて傷付けない……学園都市の犯罪としては皮肉な話ですね」
「学園都市だからな。そんなもんだ。良くも悪くも、ここには惹きつけられる魅力がある。あとは迷宮でも発生すれば完璧なんだが……」
「どんな完璧ですか、それ……」
突如、地面が裂けて大奈落が発生し、そこから魔物が溢れ出したら……それはそれで別の物語が生まれそうだが、きっと起こることはないだろう。杞憂である。
「まあ確かに迷宮は難しいか……残念だ、なんてな」
契助は最後に小さな笑みを浮かべると、人混みで逸れないように七海の手を取った。驚いた表情を見せる七海だが、すぐに手を握り返すと、えへへと嬉しそうに契助の腕に抱き着く。カップルのような二人は、人目も気にせずにショッピングモールへと入っていった。
▽
ショッピングモールに入っていく、まるでカップルのような若い男女。その後ろ姿を眺めながら、にたりと笑う。
どうやら向こうはこちらに気付いていない。
《月下猟犬》の鼻を侮っているつもりはない。奴らの鼻は相当に効く。不審な動きをすればすぐにバレるだろう。だが、《猟犬》共は自分達が‶狩られる側‶になることを考えもしないのだ。
「きひひ……ショッピングモールだなんて、随分と縁があるじゃないかァ」
脳内の計画を実行に移そうと踵を返した時、すれ違いざまに買い物客と肩がぶつかる。
気にも止めずに進もうとするが、ガッと肩を掴まれる。振り返れば、いかにもワルぶっている金髪の男とその連れの女が目に映る。
「おい、待てよコラ」
「ちっ……猿よりも劣った知能の人種め」
「あァん? ボソボソ喋ってんじゃねーよ! 肩ぁぶつかって謝罪もなしか? おぉ? お前ちょっとツラ貸せや」
首に腕を回され逃がさないと言わんばかりに連行される。間抜けな面をした女が「ケンちゃん許してやりなよ〜」と笑いながらついてくる。
彼らはこの後、人気のないところに向かうだろう。
助けの来ない場所で、自身の欲を満たすために弱者をいたぶる。
ならば、こちらとしても好都合だ。
「そうだァ。面白いこと思いついたナァ、きひひ」
肩の震えを怯えていると勘違いした馬鹿な二人がゲラゲラと笑う。それでいい。その余裕から一転して絶望に染まるのが愉快なのだから。
だから、今だけは耐え忍ぶ。
我慢しきれない笑みで肩が揺れるのは、しょうがないことなのだ。
▽
「契助さん、どうですか?」
「ああ、似合ってる」
「こっちはどうですか?」
「ああ、似合ってる」
「……それなら、これは?」
「ああ、似合ってる」
「……これ、メイド服なんですけど」
「ああ、一番似合ってる」
「メイド萌えですか⁉︎ うう、メイド服で街中はちょっと……」
一番似合っていると言われたメイド服とにらめっこしながら悩む七海。契助はそれを微笑ましそうに見ているようで、周囲に視線を動かしていた。モール内に入ったぐらいから嫌な感覚が契助のうなじをチリつかせている。
七海を連れて過敏になっているのか、近くに悪意ある者がいるのか。判別が付かないが、契助は柔らかい笑みの裏で警戒度を引き上げた。
「契助さん? どうしました?」
「ん? いや、お前は何を着ても似合うな、って思ってただけだ。そのワンピースも似合ってるぞ」
「えへへ、そうですか」
七海は緩んだ表情を見せたが、服の値札に記された数字を見てショボンと落ち込みながら商品を元の位置に戻した。分かってはいたが、無一文の七海に買える服はどこにもない。お小遣い程度なら契助に借金してもいい気がするが、この店にある服はどれも七海にとって高いくらいの物だ。
「うぅ……また機会があれば……」
「なんだ、買わないのか?」
「はい……出直してきます」
「お金なら出すぞ」
「……高いですから」
「そうなのか? 五万くらい?」
「…………七千円」
「悪かった。俺が悪かった」
あまりの金銭感覚の差に七海は更に落ち込み、契助はやってしまったと頭を掻く。契助に流れ込んでくる仕事の報酬は、時に億の桁に届く。裏社会が故の高額取引が行われているのだ。金銭感覚が狂うのも仕方ないと言える。
「服、欲しいなら買えよ。ほら、お前は可愛くなれる。俺は可愛いお前を見ることができる。win-winだろ?」
「か、可愛い……」
「ああ。目の保養、眼福だ。遠慮せずにもっと可愛くなれ。お金なんて気にするな」
「は、はい! それじゃあ、このワンピース買いますっ!」
「おう、他にも欲しい物があったら買っていいからな」
娘を甘やかす父親のような気分を味わいながら、契助は嬉しそうな顔でレジへと向かう七海の後ろを歩く。喜んでもらえるのは契助にとっても嬉しい限りなのだが、契助の金は全て汚れ仕事によって生まれた物。それを考えると無性に罪悪感が湧いてくるのだから、本当に嘲笑える話だった。
たかだか一人の少女と接するだけで、こうも自分の人生の過ちを照らされるものなのか。これでは‶殺人鬼‶失格だろう。
「……なんて、な」
「契助さん! 次はあっちのお店に行きたいです!」
「ん、いいぞ」
その後もショッピングを続けた二人は、ひと休み入れようとカフェテリアを訪れた。ショッピングモールの喧騒が僅かに聞こえてくるが、店内の雰囲気やBGMはとても落ち着いている。
契助達は壁際の二人掛けテーブル席に腰掛けると、早速メニューを開いて注文した。契助はカフェオレとモンブラン、七海はココアと苺のショートケーキをそれぞれ頼む。ややあって運ばれてきたそれらに手を付けながら、契助達は雑談を交わしていた。
「意外と学生さん、多いですね。今日は休日でしたっけ?」
七海の言う通り、ショッピングモール内は学生と思われる若者達の姿が多い。中にはそれに付き従う教師もいる。彼らの手には大きめの買い物バッグが提げられていた。そんな様子を見て、契助は頭を捻りながら「そういえば」と口を開く。
「確か、『学都祭』が近いんだったか? 学園都市全域を巻き込む文化祭なんだが……知ってるか?」
「もちろん! 学園都市外からも多くの人が集まる一大イベントじゃないですか! 私、テレビでしか見たことありませんけど、とっても楽しそうでした!」
「そうだな。その分、トラブルも多くなるが……そこは《猟犬》の仕事だ」
「じゃあ契助さんは……そこまで楽しみじゃないですか?」
「ん? いや、そんなことないさ。楽しそうな人達の笑顔を守る。日頃、俺達が守っているものを再認識できるからな。それにこれはボランティアじゃないぜ? 裏取引とはいえ、学園都市管理局からの正式な依頼さ」
「へぇ……契助さんや《猟犬》の頑張りが認められてるってことですねっ」
「そういうことだ」
周りの学生達を見渡しながら、七海は嬉しく思う。こうして自分が助けられたのも、周りの学生が日常を過ごしているのも、表舞台には立たないが裏で活動をしている人達のお陰なのだと。
人によっては《月下猟犬》のことを『お節介』と言うかもしれない。ルールの範疇を超えた非合法な自警団だと思うかもしれない。
だが、そんな彼らの『お節介』で、目の前にいる‶救いたがりの殺人鬼‶のお陰で光の当たる場所にいることを忘れないようにしようと、七海は胸に手を置いて決意する。
「そういえば、契助さん。契助さんは、どういうきっかけで《猟犬》になったんですか?」
ふと、気になったことを七海は契助に尋ねる。
契助は口に頬張ったモンブランをゆっくりと飲み込むと、コーヒーカップを手に取りながら苦笑する。
「ん……つまらない話だぞ」
「構いませんよ。それとも、聞いたらダメでしたか?」
「いや、それこそ構わない。別に、隠している訳でもないからな」
そう言ってカフェオレを口に含むと、契助は語り始めた。
「そもそも、俺が‶殺人鬼‶になったのは四年前だ。その頃は今と違って……見境が、なかったな」
四年前――契助が十三歳の時、両親が死んだ。両親の表の顔は会社員だったが、裏の顔は暗殺者。両親は、《月下猟犬》だった。
父は‶黒鬼‶というコードネームで戦闘員、護衛として名を知られていた。
母は‶妖狐‶の名で数多くの潜入任務をし、情報収集に大きな貢献を果たしていた。
異形の名を冠する二人の偉業は、《月下猟犬》の中でも上位に入るだろう。表社会では誇ることはできないが、それはきっと多くの命を救ったはずだ。
――その両親が、任務中に殺された。
「だから俺は……復讐することを決意した」
自らも闇に生きることを決めた。
その日から契助は‶殺人鬼‶となる。両親を殺した敵を見つけるために、《月下猟犬》に入った。
加入当初は、酷かった。
殺戮機械のように淡々と人を殺す。ただ殺す。時間があれば殺す。眠る時間を削っても殺す。ひたすらに殺し回る。そんな日々が続いていた。
しかし、限界がある。契助にも限界はある。
疲労した体に擦り切れた心、活動限界を無理やり押さえ付けて行った仕事は、失敗の嵐だった。
何度も何度も殺し損ない、そこでようやく契助は殺す手を止めた。
「その後は……寝たな。何日単位で寝た気がする。仲間からは『あの時は本当に死体だと思った』って言われたよ」
「……それでも、立ち直ったんですよね?」
「ああ、まぁな。寝たらすっきりした。その日から、殺戮機械になるのはやめた。しっかりとした方向性を定めたよ」
犯罪者殺しの犯罪者。
殺人者殺しの殺人鬼。
現代社会の劣等生。
自分が人を殺すのは、手段であって目的ではない。
復讐のため、金のため、そして犯罪者を消すために。
「俺は、その目的のために悪人になることを決めた」
「悪人……でしょうか」
「どう見たって悪人だろう。復讐も金も、犯罪者を殺すことだって結局は自己満足だ。誰かにお願いされた訳でも、頼られた訳でもない」
「でも、それに救われた人だっています」
「救われた人間もいれば、巻き込まれた人間もいる。俺という存在によって失われる命がある。その人生に善悪はあれど、その命に善悪はない。この手で命を奪うのには変わりない。たとえそれが、悪のレッテルを貼られた人間のものだとしても。それに……」
そこで契助は一度、口を閉じた。
これは七海には言えないことだから。
契助は、殺している。
犯罪者でも悪人でもない、一般人を。
自らの手で、自らの意志で、殺してしまっている。
玖院風花、契助の妹を。
だから、もうその時点で、契助はどうしようもなく悪人なのだ。どうしようもない犯罪者。救いようのない殺人鬼なのだ。
「……俺には、妹がいた。強くて、可愛くて、自慢の妹だ」
そんな妹を悲しませないよう、契助は両親が死んだ時に嘘を吐いた。
『二人とも海外に急な転勤だってさ。しばらくは二人暮らしになりそうだ』
無理のある言い訳なのは、今更だ。
だが、妹は寂しがりながらも契助の言葉を信じた。
いつか両親と一緒に暮らせる日まで、褒めてもらえるように得意な能力格闘技に没頭した。
しかし、そんな嘘がずっと通用するはずがない。
嘘を吐いて二年後に、両親の死が妹に露見した。両親に連絡を取りたい一心だった妹が、偶然にも両親の死を知ってしまった。
そして、同時期に契助の正体も知られてしまう。
「妹に正体を見られた時は……観念して全て話したよ」
「い、妹さんに、契助さんが‶殺人鬼‶だってことは……」
「当然、言ってなかった」
‶殺人鬼‶であることを。
裏社会と繋がっていることを。
そして、両親が既に死んでいることを。
その時の妹の言葉を、契助は忘れない。
『――裏切り者』
兄妹二人で頑張ろうと約束していた。
『――ずっと騙してた』
両親は海外出張だと嘘を吐いた。
『――お兄ちゃん』
妹はいつもの優しい笑顔に戻ると、契助を抱き締めて言ったのだ。
『――風花と一緒に、死のうよ』
だから契助は妹を殺した。
最愛の家族を、たった一人の家族を契助は殺したのだった。
「……それで、妹さんは?」
「ん?」
「いやだから、本当のことを知って、どうなったんですか?」
「あ、ああ……」
――明日、会わせてやる。
契助はどうにかその言葉を口から出した。
七海に妹を殺したと言ってしまえば、嫌われてしまうと思ったから。失望されると考えてしまったから。それは嫌だと思う自分がいた。
「ふぅ……」
ちょっとした雑談だったはずが、口から出たのは契助の過去の告白。契助としては、両親の死をきっかけに《月下猟犬》になったことを伝えたかっただけなのだが、どうにも七海に気を許し過ぎているようだった。この話……特に、風花の話は、ほんの一部の人にしか話していないのだから。このままじゃ駄目だな、と契助は小さく息を吐いた。
「まあ……俺が‶殺人鬼‶になったのはその程度の理由だ。復讐のためという、ありきたりな理由だ」
「……そう、ですか。それでも、私は……契助さんは間違ってないと、思います」
「そう口にしても、納得できないんだろう? 公正な手段で裁くのではなく、完全な私情で殺す‶殺人鬼‶の存在を」
「い、いえ! 違うんです! でも……どうして、契助さんなのかなって……他の人が‶殺人鬼‶を担ったって、契助さんが普通に生きてたっていいのに……」
「そりゃ無理な話だ。研究所でネコが言っていただろうが。俺が‶殺人鬼‶である所以は、社会に馴染めない俺の力だ。何かを求めるなら――何かと引き換えでしか得る方法はない」
「何かと、引き換えに……?」
「そうだ。俺は、俺に与えられた使命を為すために平和な日常を引き渡した。お前には分からないかもしれないが……俺は案外気に入ってるんだよ。‶殺人鬼‶の役割ってやつをな」
フッと格好付けるように契助は微笑を浮かべた。七海はそれに目をパチクリさせていたが、やがて同じように微笑むと、「ですね。契助さんにぴったりです」と柔らかい声色で告げる。陰鬱だった空気が次第に和らぎ、二人は顔を見合わせると、照れるように目を逸らした。
「そろそろ行くか。他にも行きたい店があるんだろ?」
「はい! 全部見たいです!」
「それはやめてくれ……」
ただでさえ女の買い物は長いのに、とゲンナリとした表情を隠さずに契助は溜息を吐く。しかしそんな契助の様子を知ってか知らずか、七海は上機嫌で契助の手を握ったのだった。