第二章 研究所と《アダム》 第五話
「ご苦労だったな、‶殺人鬼‶」
「これが俺の役割だ。当然の結果さ」
「ふっ、そうか。流石だな。それなりに散らかっているが……」
「‶毒蜘蛛‶に比べたら100倍スマートだろうが」
「ふぇ⁉︎」
「はっはっはっ、違いない! アレに比べれば、こんなものスマートだ」
「だろ?」
「け、契助しゃま⁉︎ ‶残虐非道、悪鬼羅刹、四肢切断に粉砕骨折、来世の分までぶっ殺す‶のが契助しゃまの信念だよね⁉︎」
「それお前だけな」
「っ⁉︎」
信じられない! という顔でガクブルしながら契助を見る金髪幼女。契助は可笑しそうに頬を緩めながら金髪幼女の頭を撫でる。戦闘後の緩んだ空気、しかしそれに波紋を投じるような冷たい声が廊下に響いた。
「……どうして」
それは小さいが、はっきりした声となって契助達に届く。全員が一斉に振り返れば、涙を流しながら立っている七海がいた。
「……どうしてっ、そんな笑っていられるんですか! 人が! 死んだんですよ! どうして……どうしてそんな平然と笑っているんですかっ‼︎」
しぃん、と静寂が訪れる。泣き崩れる七海に近寄る契助。被っていた鬼狐の面を額にズラすと、言い訳もせずに素直に「悪い」と謝った。倒れている‶狂戦士‶を指差す。
「あいつは殺してない。いや、殺したが……そのうち生き返る」
「……へ?」
「そういえばまだ話してなかったな。俺の能力について」
契助は自嘲するような笑みを浮かべて呟く。
「俺の能力は命を奪うことで発動する、人殺し前提の力。『殺した相手を蘇生する能力』だ」
「殺した相手を……蘇生する…………」
「といっても発動条件とか色々あるが……詳しくは、また今度だ」
どこで聞かれているか分からないしな、と唇に人差し指を当てる。額にずらしていた鬼狐の面を被り直し、倒れ込む‶狂戦士‶の方へ近寄った。
‶狂戦士‶はおびただしい出血で血に塗れ、片腕片足も斬り飛ばされたまま、首にはザックリと裂傷を残している。しかし、その姿に異変が生じる。
まず、首の傷が、みるみるうちに塞がった。次に、全身の膨れ上がった異常な筋肉が縮んでいき、恐らく元の体躯へと姿を戻す。失われた右腕と右足が再生するように生えていき、皮膚に突き刺さっていた硝子の破片が体外へと弾き出される。
「これが……契助さんの……能力?」
ごくり、と思わず喉が鳴る。
他者の蘇生が可能な能力。
しかし、人を殺さなければ発動しない。
死んだ人間を傷一つなく蘇生するなど、明らかな人智超越だ。発動条件といい、能力の効果といい、七海の『不老不死』とは違うベクトルで異常な能力。
人を殺すことが救いとなる、歪な天秤。本来であれば正反対の性質を持つそれを、決して釣り合うことなどないそれを、捻じ曲げて同質の物とする。
殺害を救済に。
殺人を正当に。
「殺人行為が人を救うだなんて、とんだ皮肉だろ?」
昨日の夜、契助が言っていた言葉を七海は思い出す。契助は昨日の夜に、いかに自分が‶殺人鬼‶であり、‶現代社会の劣等生‶であるか。それが分かると言っていた。
その通りだ、と七海は納得する。人を殺して発動する能力が、社会に認められるはずがない。
「俺の能力は特殊でな。生まれつきの欠損部位を生やし、不治の病を治し、異物は取り除かれ、不純物は消え去って復活する。言うなれば、どこにも異常のない姿としての復活だな。あいつが目を覚ましても、もう暴れたりはしないだろうな」
「能力の発動が失敗したら……?」
「ただそこに、救えなかった命と……人を殺した鬼が残るだけだ。敵には容赦しない。だが、救える命が救えなかったその時は……笑えない。笑わないさ」
契助の言葉に、仲間達がコクコクと頷く。七海は自分が言ってしまった言葉を思い返し、シュンと落ち込む。契助に連れてきてもらってから、ずっと落ち込みっぱなし。契助達の邪魔しかできていないような気がした。
「……ごめんなさい、私、その……」
「気にすんな。逆の立場なら俺でもそうする」
「うぅ……うぅ〜〜……」
「お、おい。泣くな泣くな。お前は間違ってないからな〜、よしよし」
ひしっと契助に抱き付いて再び涙をボロボロ落とす七海。契助は一瞬だけ困惑したが、すぐに持ち前のお兄ちゃんスキルを発揮して七海の頭をポンポンした。
「……どうして‶殺人鬼‶さんがモテるか、分かった気がするっす」
「無駄口叩くな、‶アルファ‶」
「イエッサー」
綺麗な敬礼を見せる‶アルファ‶。その様子にやれやれと額を抑えながら長い溜息を吐く‶騎士団長‶。しかしすぐに姿勢を正して再拘束した男に視線を向ける。
「壁や床を抉る程の筋力に、痛みを鈍化させ怯ませぬように改造する……この場所で研究されて生み出された新薬の実験体か」
「‶毒蜘蛛‶の糸を見切り、回避する能力を持つ敵がこいつだけとは限らない。こんな薬が世に出回ったら世界が変わっちまう。敵は《アダム》。手段のためなら、どんな悪行でも手を染める奴らだ」
破砕された壁の石片がカランと落下する音が部屋に響いた。
「で、どうする? 目的地を見失ってしまったみたいだが?」
「ふむ。ここが中央制御室ではないと言うならば、他を当たるしかあるまい。オペレーターとの通信は?」
「『音信不通』だよ、相変わらず。こんな長時間連絡が取れないのは初めてだ。風邪でも引いてんのか?」
確かに最近、顔を出していなかったと本気で心配になりつつある契助。その横で‶騎士団長‶も考え込むように腕を組む。
その時、ピピッと無機質な機械音が鳴った。
一斉に視線が‶アルファ‶に集中する。‶アルファ‶が部屋の電子錠をハッキングした時と同じ音だったからだ。しかし、当の本人はブンブンと首を振って「俺じゃないっスよ⁉︎」と両手を挙げる。
何の音だ、という疑問よりも先に答えは示された。
部屋の奥の壁から格子状の割れ目が生まれ、凹むように動き出す。やがて壁の一部は上下左右へと格納され、金属の軋むような稼働音が響き渡った後、閉ざされていた壁の奥には一本の通路が現れていた。
全員が身構えるが、待てども何も起こらない。どこかへ繋がる通路がそこにあるだけだ。
「……どうする?」
複数の意図が絡んだ単純な四文字、しかし‶騎士団長‶は即答する。
「無論、調査する。何より制御室を掌握することが我々の部隊の目標だ」
「イエッサー、‶騎士団長‶」
‶騎士団長‶らしい返答に苦笑しながらも、これ以上告げることはないと背を向ける契助。
「待て。‶殺人鬼‶」
七海の元に戻ろうとする契助の肩を掴み、‶騎士団長‶が引き留める。
「先に手を治療しろ。火傷を放置するな」
‶狂戦士‶の『発火』した腕を押さえ付けた契助の手は‶騎士団長‶の言う通り火傷状態となっていた。真っ赤で痛々しいその手を、契助は問題ないと言わんばかりにぶらぶらさせてアピールする。だが‶騎士団長‶の表情は変わらない。根負けした契助は溜息を吐いた後に「わかったよ」と不機嫌そうに言った。
「それはお前の悪い癖だぞ。他人を殺したからには、自身も痛みを負わなばならない――そんな強迫観念は……何の救いにもならん」
「だからわかったって。ちゃんと治してもらうっての」
「……なら、良い。――‶ベータ‶! ‶殺人鬼‶の火傷を『治癒』してやれ」
「イエッサー!」
吹き飛ばされた隊員を支え起こしていた、‶ベータ‶と呼ばれた仲間の女性が契助に駆け寄り、能力で火傷を『治癒』する。ジクジクと痛む火傷が消えていき、ものの数秒で僅かな痒みだけを残して表面と内部の損傷を消し去った。
《月下猟犬》の中でも指折りの治療能力を持つ‶ベータ‶の『治癒』は単なる衛生兵の範囲を超える。仮に爆弾等で吹き飛ばされても‶体の部位がある限り‶繋げて治療できる彼女は‶騎士団長‶の部隊の最重要戦力だ。
火傷程度で使う人材じゃないな、と苦笑いしそうになる顔を抑えて契助は‶ベータ‶に礼を告げる。無表情で軽く会釈を返す‶ベータ‶に背を向けて今度こそ七海の元へと向かう。
戻った先では、自身の鋼鉄糸を器用に操って舌足らずながらも使い方を七海に教えている‶毒蜘蛛‶の姿があった。
「なんだ、‶毒蜘蛛‶と仲良くやれてるのか」
「はい! いい子ですね、アラクネちゃん!」
ヨシヨシと頭を撫でてやる七海。撫でられる‶毒蜘蛛‶も口では「別にっ、仲良くないしっ!」と言っているがその顔は満更でもなさそうに緩んでいる。ツンケンしている‶毒蜘蛛‶だが、自慢げの糸を操っているあたり七海に操糸能力を褒められたのだろう。
この金髪幼女はなんだかんだ自分を好いてくれる人間には心を許すことを契助は知っている。
「さて、と。気が緩んでいるところ悪いが、仕事はまだ終わってない。行けるか、二人とも」
「大丈夫ですっ。最後まで見届けるのが、私の役目ですから」
「くくく、この‶さつじんき‶をとめてみな……!」
「はいはい、似てない」
「っ⁉︎」
「ぷぷっ、あははっ」
そんなバカなっ⁉︎ と驚愕した顔芸を見せつける‶毒蜘蛛‶に思わず七海が吹き出して笑う。空気を引き締めるつもりが逆に緩めてしまったことに契助は失敗したなと頭を掻く。
だが、七海の笑顔を見て、
(まぁ……辛気臭いよりかはマシか)
と、自身も口角を上げながら二人を引き連れて先導した。
‶騎士団長‶によって通路の奥に進行するメンバーは、契助、七海、‶毒蜘蛛‶、‶騎士団長‶、‶アルファ‶、‶ベータ‶の六人に決められた。
他の隊員は拘束した男の監視、及び現地点の防衛。万が一、通路の先で何か起こった場合には彼らが本部に連絡を取るだろう。情報を失う全滅だけは免れなければならない。
「総員、戦闘用意」
敵地である手前、これは当たり前な掛け声に過ぎない。だが、‶騎士団長‶の気迫ある声が全員の緩みを引き締める。
契助は七海を背負い、右腕でナイフを構えて左腕で七海を支えた。
「ごめんなさい……迷惑かけてばかりで……」
「気にすんな。作戦前に言っただろ。この程度、俺にはなんら障害になり得ないって」
「その……重くない、ですか? お、お、重いなら降りますぅ……」
「重くねぇよ。それに、この先は暗くて何も見えないだろ」
「うぅ……」
契助の言う通り、通路の先は一寸見えぬ暗闇だ。少なくとも、暗視スコープの持たない七海には一歩進むことすら危うい。もし、この先で戦闘が起こった時は、七海を抱えながら契助は戦うことになる。契助本人は気にしていないが、七海が契助の足枷となってしまっていることを申し訳なく思ってしまうのだ。
(……あれ、でも)
七海は契助と会った時を思い出す。
正確には、その直後の逃走劇を。
あの時、契助は七海を抱えて、工場の屋根を飛び越えた。普通の人間には絶対不可能、あの脚力は身体強化系能力者のそれだ。
先程の‶狂戦士‶との戦いでも生身の人間を超えた動きをしていた。しかし、契助の能力は殺した相手を復活させるもの。身体強化とは縁のなさそうな能力である。
身体能力を強化させる特殊な装備をしていた?
あるいは‶狂戦士‶のような薬物摂取をしていた?
七海にはそのどちらの素振りも感じ取れなかった。
「契助さん、あの……」
「突入、開始!」
決して無視できない矛盾について七海が尋ねようとした時、その言葉を重ねるように背後から‶騎士団長‶の号令がかかる。契助は「イエッサー」と返事をした後、七海の方を見て「何か言ったか?」と聞くが、どうにも出鼻を挫かれた七海はそれを誤魔化して「いや、お願いします、って……」と告げた。
契助は誤魔化されたと気付かないで、おう、と返事をしたのだった。
▽
――虚無。
そう錯覚するような暗闇に、自らの呼吸音と服越しに伝わる契助の熱、あるいは頬が風を切る感覚がなければ自我すらも溶け込んでしまいそうだった。
契助達は足音を一切鳴らさず慎重に、それでいて素早く進む。暗視スコープを搭載したバイザーで確認する限り、通路に分岐は見られない。罠らしき物もない。ただひたすらに、一本道が続く。
果てしなく続く道に『終着点など、ないのでは?』と思わせられるが、終わりは突然やってきた。
視界の向こう側に僅かながら光を検知する。進行速度を落として光の下へ辿り着く前に一度止まった。契助は七海を‶ベータ‶に預けて前線に立つ。‶騎士団長‶がゴーサインを出し、‶毒蜘蛛‶は鋼糸を、契助はナイフを構えて飛び出した。
「――誰もいない、か?」
暗視スコープから通常の視界に切り替わった世界は、コンピュータや無数のケーブルに囲まれた空間だった。中央にはモニターやキーボードが置かれたテーブルがある。しかし、部屋に人の気配はない。元から有人で運用しているのではないだろう。
「ここが……中央制御室……」
「そうだろう。早速だが‶アルファ‶、システムに侵入して防衛装置を解除しろ。他の者は警戒を怠るな!」
「イエッサー!」
作業する‶アルファ‶を守るように陣取って、契助達は罠や襲撃に備える。このエリアに招き入れたのだから、何かしらの攻撃はあるだろうと誰もが考えていたが、それは結果として杞憂に終わる。
「ハッキング完了したっスけど……防衛システム、ほとんど稼働してないっスよ……?」
「何? どういうことだ?」
「い、いや……稼働しているのは警報と監視カメラ、電子ロックと通信妨害装置だけっス。侵入者用のトラップは全部オフラインっスね。とりあえず、今稼働しているやつも全部解除しておいたっス」
困惑が伝播する。
しかし、思い当たる節は多かった。こんな簡単に、と誰もが思っていたからだ。
《アダム》の研究所や施設を襲撃するのはこれが初ではない。襲撃のたびに《月下猟犬》は損耗し、時には出撃した部隊が全滅することもあった。
死因は敵構成員との戦闘――ではない。
群れを失う大半の理由は、施設における凶悪な防衛装置。落とし穴のような古典的な罠もあれば、不可視のレーザーで装備ごと貫かれた者もいた。
しかし、今回は違う。防衛装置での死者ゼロは良いことではある。間違いなく《月下猟犬》にはプラスなのだが、それ自体が異常でもあった。
「誰かが防衛装置を無効化していた……? 裏切り者が《アダム》にいるのか?」
「お前のオペレーターがハッキングを済ませていた可能性はどうなのだ?」
「それは……ないと思う。だったら通信妨害装置も使えなくするはずだ」
「ふむ。ならば今は良い。我々の目標は達成した。‶アルファ‶、引き続きシステムのハッキングを続けろ。私は他の部隊との通信を試みる。‶殺人鬼‶、オペレーターとの接続を試せ」
「イエッサーだ、‶騎士団長‶」
命令されずとも、と契助は自身の首元に手を伸ばす。しかし、チョーカーに触れるよりも先に目の前の視界――鬼狐の面を装備した画面に、埃を被って寝ている猫のアイコンが表示される。
『やっと繋がった! おーい、ケースケ〜! ボクの声が聞こえるかい?』
フンフンと鼻を鳴らす音が入るのもお構いなしの興奮した声が伝わってくる。契助の相棒としても連絡が取れない状況は不安だっただろう。それにしても緊張感の欠片もない声に少し気を抜かれそうになるが、トントンとチョーカーを叩いて無事を知らせる。
「待ち侘びてたぞ、ネコ。お前の通信がなくてソワソワしてたんだ」
『いやん。契助ったら、ボクと常に繋がってたいだなんて……え・っ・ち』
「勝手に言ってろ」
しかし、と契助は腕を組む。
「お前が通信妨害されるなんてことがあるとはな。少なくともここのセキュリティは《猟犬》本部よりも固いことが証明されたわけだ」
『いやぁ、ボクもびっくりだよ。ケースケとの接続がいきなり切れるんだもん。再接続しようとしてもケースケの位置が捉えられなくなってるし……』
「地下全体に通信妨害装置が張り巡らされていたんだろうな……‶騎士団長‶の仲間が妨害装置を止めたから再接続できたのか?」
『たぶんね。その妨害装置、たぶんユグドラシル製じゃないかなってボクは思うんだけど、わかる?』
「ユグドラ……あぁ、《反能力資源開発産業》、だっけ。能力者の力を抑え、平等に共生することを目指すための組織か会社だよな?」
『うん。学園都市の反能力装置はユグドラシルが作ってる物だよ。彼らの専売特許みたいなものだからね。普通の通信妨害ならボクには意味ないけど、能力そのものを妨害されるとちょっと厳しいや』
「なるほどな……《アダム》と《ユグドラシル》が繋がってる可能性は?」
『んー、ないと思うけど。裏でユグドラシル製品が流通してる方が正しいのかも。もちろん、そこの繋がりがあることを否定はできないけどね』
能力者と非能力者の垣根を払うための道具が、非能力者を排斥し能力向上を目的とする裏組織の防衛装置に使われる。皮肉な話だ、と契助は鼻を鳴らした。
『とりあえず、お疲れ様。これで中央制御室のシステムはボクらで操作できるようになった。研究所内に囚われている人達の解放もできるだろう。かなり順調にことが運べたみたいで安心したよ』
「その件だけどな、ちょっと不可解な点が多いんだよ」
契助はネコに研究所の防衛装置が無力化されていたこと、中央制御室の隠し扉が自動的に開いたことを話した。ネコはしばらく考え込むように唸っていたが、やがて『システムのログを調べて操作した人物を特定してみる』と残して通信を切った。
契助は軽く息を吐いて、‶ベータ‶の元で待機していた七海を呼ぶ。七海も、現状をある程度は察したのだろう。不安を拭い切れない顔を見せる。契助は七海の頭をポンと軽く撫でると、被っていた面を外す。
「……まぁ、これで終わりだ。こちらの犠牲はなし。喜ぶべきだろう」
「終わったんですかね……本当に……」
「…………」
契助は心配そうに呟く七海の言葉に返事することができなかった。実際、これで終わりではないだろう。研究所は確かに制圧した。だが、‶狂戦士‶を作り上げた薬、隠し扉を露わにした人物の謎は未解明だ。どうしても不完全燃焼のようにもやもやが胸の内に残ってしまう。
「今は考えても仕方ない。制圧は終わったが、助けを待ってる人がいる。あともう少しだ。頑張れるか?」
「……はいっ! それが今、私にできることですからっ」
▽
『監視カメラには映ってないけど、隠し通路を起動したログが残ってた。やられたね……一人、逃げられた』
「そいつの特定はできそうか?」
『解析中だよ。システムログからIDはわかった。‶S.K.Darwin‶だって。外国人かな』
「エス、ケー、ダーウィン、か。ダーウィンといえば、進化論を唱えた偉人のことか? 本名だとは思わないが……念には念を入れて、浮島学都内の‶ダーウィン‶を名乗る人物を探してくれ」
「わかった」
研究所の制圧を終えた《月下猟犬》達は、次の段階である救助を行った。七海と同じく、実験材料とされていた人達の救助だ。そのほとんどが子供で、中には衰弱して動けないくらい危険な子供もいた。今後、救助された人は《月下猟犬》が絡む病院で精密検査、異常が無ければ家族の元などに帰るはずである。
救助の大半が終わった今、契助は作戦前に集まったビルの屋上で見張りをしていた。見張りといっても敵組織の増援が来なければ月を眺めるだけの暇な時間だ。チョーカーの通信を切った契助は指で輪っかを作りながら月を覗き、溜息を吐いて柵にもたれかかる。視線の先、ビルの下では移送者に乗り込む被救助者の姿。それを眺めながら契助は隣の七海に声を掛けた。
「……お前は移送車の方に行かないのか」
「私は『不老不死』ですから。体内の異常・異物は即排除されます」
「いや、それはそうとしても……帰ればいいだろ。元の生活に」
研究所の制圧。それこそが七海の目的であり、今この場にいる理由だ。研究所を潰したことで、追手が来る可能性はほぼ無くなった。ならば、七海はこれから再び、日常へと戻っていけるはずである。しかし七海はシュンとした顔で俯き、弱々しく言葉を紡ぐ。
「……私、迷惑ですか。邪魔な存在なんですか?」
「それは違う。だが、今回俺に付いてきて、それでお前の目的は達成した。だったら、お前が俺の側にいる理由はないはずだ」
「あ、ありますよっ! まだ終わってませんから!」
「……逃げた奴のことか?」
「そうです! その人を捕まえるその瞬間を、私は見届ける権利があります! 契助さんと一緒に!」
「…………そんなものない、なんて俺には言えないか」
はぁ……と深い溜息を吐く契助。諦めたようにガシガシと頭を掻くと、手を伸ばして七海の頭の上に置いた。そのまま、ポンポンと優しく七海の頭を叩く。
「言っておくが、第三学区の闇は深いぞ。これ以上潜れば、もう二度と陽の光を浴びることは叶わないかもしれない」
「覚悟の上ですよ。思えば、契助さんと出逢うのも定められた運命だったのかもしれませんね」
「え……いや、それはちょっと引く」
「っ⁉︎ なんでですかー! そんな嫌そうな顔しないでくださいよー!」
「だって運命的な出逢いって……色恋沙汰だろ」
「え? ……はわ、はわわっ。わ、私は決してそんな意味で言ったつもりじゃ……」
わたわたと慌てる七海に、フッと笑みを浮かべる契助。契助は外していた鬼狐の面を装着すると、「帰るぞ」と七海に告げる。顔を赤くしたままの七海はむぅと余裕そうな契助を睨むが、素直に契助の側に寄った。
「ネコ、俺らホテルに戻るからな」
『了解した。‶騎士団長‶に何か伝える?』
「次もよろしくって伝えといてくれ。あと、ネコ。お前もお疲れだったな。程々に手を抜いとけ」
『はぁい。今度頭を撫でに来てくれよ』
「分かってる」
契助はチョーカーをトントンと叩いて会話の終了を告げた。そして、隣で可愛らしい欠伸をしている七海を即座に抱き抱え、屋上の柵の上に立つ。ググッと足に力を込めた契助は、抵抗する七海を無視して問答無用で夜の街へと跳躍した。
少女の悲鳴が、またも夜空に響き渡ったとか。