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第二章 研究所と《アダム》  第一話

「ふわわぁ……生き返るぅ……」


 たるんだ七海の声が浴室に響く。久し振りに入る暖かい風呂に七海はすっかり緩み状態だ。緊迫した逃亡を終えた直後だから無理もない。命綱無しの自由落下フリーフォールを繰り返して、七海はようやく追手から逃れることができたのだ。

「ぼへぇ……」と女の子らしからぬ声を漏らしながら、七海は頭を浴槽の縁に預けて天を仰ぎ見る。浴室の天井――露天風呂のような雰囲気を味わえる特殊ガラス張りの浴室の上には、ありふれた夜空が広がっている。ありふれた、一年振りの夜空だ。

 七海はそんな夜空を眺めつつ、自分が出逢った犯罪者殺し――契助のことを考えてみた。


「……普通に、人だったなぁ」


 そもそも実在していたのか、という驚きもあった。友達から聞いていたが、話半分で受け流していたからだ。都市伝説のような認識だった。しかし、実際に目の前に現れて命を救ってもらった。

 いや、違う。正しくは人生だ。七海は人生を救ってもらったのだ。

 七海にとって、生きる意味のない無駄な人生を。

 終わることのない人生を。


「死にたいって言ったら、殺人鬼さんは怒りますかね?」


 永遠の命。

 一見、それは素晴らしく思える。しかし七海は16歳にして悟ってしまった。『不老不死こんなもの』には意味がない、と。発現した時に、直感的に理解したのだ。


 七海わたしはもう人ではなくなった、と。


 そして、誰かと寄り添うこともできなくなったとも。


「……私は死ななければならない」


 永遠に生きる命だとしても。


「……私のせいで誰かが死ぬ前に」


 自分以外は有限だ。


「……私が生きるのは、死にたいから」


 死を目標に生きていく。それが七海の決めた道である。

 そこまで考えて、ふと脳裏に鬼狐の面をした殺人鬼の姿が浮かび上がった。不気味な存在とは裏腹に、優しく温かい手の感触。抱き締められた時の安心感。あの気持ち悪い落下感は二度と味わいたくないが、もう一度お姫様抱っこされたいと思う自分がいることは否めない。


「……私は、誰かを好きになってはいけない」


 付け加えるように、ポツリと七海は呟いた。

 決して、決してっ。それは、とある殺人鬼を意識した言葉ではないと。自分はチョロい女なんかではないと自戒を込めて呟いた。心なしか頬が赤いが、きっと温まり過ぎたのだろう。ドキドキしているのも、きっと解放されて自由になったからだ。

 ペシペシと頬を叩いた七海は浴槽から立ち上がり、濡れた髪を手で搾りながら浴室を後にした。


 ▽


 折角の最上階スイートルームも、全面をカーテンに隠されては魅力が半減するものだ。しかし、夜景なんぞ興味がないと言わんばかりに閉め切られたスイートルームの中では最低限の照明だけが点けられて、テレビを始めとする音の鳴る機器は全て電源を切られている。

 そんな物静かな空間で契助は椅子の上に腰掛け、ボーッと虚空を眺めていた。はたから見れば何もしていないように見えるが、口元だけは動いているのが近くで見れば分かるだろう。まるで誰かと会話しているように。


「それで、新しく分かった情報はあるか?」


『八重波七海の情報だろう? ふふん、ボクを誰だと思ってるんだい?』


「変態ストーカー(ボクっ娘ロリ)だな」


『あはぁん。手厳しいね。でもそんなボクだと知ってながらも付き合ってくれるなんて、ケースケはやっぱり優しいなぁ。結婚しよ? いや、結婚しよ』


「勝手に決意表明すんな。いいから情報を吐け」


『はーい。八重波七海、16歳。能力は『不老不死』で、1年前に誘拐された。ここまではさっき伝えた通りだよね』


「ああ、聞いたな」


『新しく分かったのは、両親がテロに巻き込まれて亡くなっているってこと。在籍高校は『浮島学都第五学区』にある天神高等学校だね。医療系の能力を扱う学校だ。まあ、5月に誘拐されてるから高校生活は彼女の言う『研究所』での監禁生活だっただろうね』


「その『研究所』の場所はどこだ。裏組織が関係しているのか?」


『それは調査中。『研究所』は最優先で調べてるよ。これはボクの勝手な予想だけど、‶毒蜘蛛アラクネ‶に武器を与えた組織が関与してると思う』


「……そうか。引き続き調べてくれ。新しい情報が入るまでは、休憩しとくから」


 会話を打ち切るように返答し、契助は背もたれに体を預けた。このままチョーカーからも音声が流れることはないだろうと思っていたが、数刻の沈黙の後に、低い声で『ケースケ』とお呼びが掛かる。


『絶対に、そう絶対にだ。間違っても彼女――八重波七海には手を出したらダメだよ』


「ん? いや、出さないが……どうしてそんなありもしない釘を刺す?」


『だってケースケ、ロリコンだもん』


 ぐはっ、と契助は吐血するような動きを取る。自称するにはいいが、誰かに言われるとなるとダメージは大きい。というか、何が‶ありもしない釘‶だ。心当たりしかない、と契助は苦笑した。


『もしムラムラしたら真っ直ぐにボクの元に来るんだ。君の溜まりに溜まった性欲は全てボクが受け止めてあげるから』


「いや、女子中学生は犯罪だから……」


『今更‶殺人鬼‶に犯罪も何もないよ。それとも、前回みたいにボクが無理やりケースケを押し倒そうか? そっちの方が気が楽だろう? それなら罪悪感は無いはずだ』


 偽りなき事実に契助は黙る。いや、何を語ろうと向こうのペースに持ち込まれるのが目に見えているのだ。弁舌と夜戦は契助よりも相手の方が上手であると、契助は言葉にしないものの負けを認めていた。


「……追加の注文だ。八重波七海を匿う場所を用意しろ。途中までの護送も要請してくれ。護衛用チョーカーの調達も頼む。俺の性欲を心配するなら、お前は仕事を早く済ますんだな」


『む〜、君ってやつは卑怯だな。ま、ケースケの頼みなら最優先だ。色々と大変だけど頑張るよ』


「無茶はするなよ」


『ふふん、ケースケと結婚するまでボクは死なないさ』


「だったら永遠の命だな」


『……既成事実って言葉、知ってる?』


「やめろやめろ。不穏な言葉を口に出すな。ったく、これだからお前は苦手だ」


 契助は心底呆れたように、だが可笑しそうに笑いながらそう返した。向こう側の人物もそれに満足したかのように、プツッと通信の切れる音がする。契助は椅子から立ち上がると、精神的に疲れた体を引きずってベッドにボフッと倒れ込んだ。

 会話も終了して完全に沈黙したスイートルームに、僅かな水音が浴室から伝わってくる。普段だったら被害者がいても自分で拾って抱え込んだりはしない。適当に敵を排除して、後のことは全て被害者に丸投げだ。警察に逃げ込むのも良し、契助の仲間に助けてもらうも良し。だが、契助自身が被害者に手を差し伸べる機会はほぼ無かった。

 やはり、重ねてしまっているのだろうか。

 玖院風花くいんふうか――契助の妹の姿を。


「……なんて、な。最近は顔を見てないから、そう思うだけか」


 病室のベッドで眠る最愛の妹の顔を思い描きながら、契助は寝返りをうって仰向けになり、天井を見上げる。そのまましばらくぼんやりしていると、浴室のドアの開く音が耳に届いた。

 起き上がってそちらを見れば、備え付けのガウンを身に纏った七海の姿。顔は赤く火照っており、濡れた髪は光を反射して艶やかに垂れている。契助は僅かに頬が熱くなるのを自覚しながら、ふいっと目を逸らした。


「あ、あの……お風呂、上がりました」


「ああ。見れば分かる」


「そ、そうですよね。その……殺人鬼さん」


「契助だ。その呼び名は人聞きが悪い」


「け、けいすけ、さん? 契助さんもお風呂どうですか?」


「いや、悪いが遠慮する。対象から目を離さないのもそうだが、出掛ける前にシャワーを浴びてきたからな。一応、さっき体を濡れタオルで拭いたんだが……」


 相手は年頃の女の子だ。それも同じ部屋で過ごすとなったら、やはり体は清潔な方が良いだろう。とはいえ、どんな時でも油断できないのは本当だ。任務終わりの風呂で浴槽でゆったり浸かっている時に鼻の穴を膨らませた変態(ストーカー女子中学生)が『ケースケの体を隅から隅まで余すとこなく洗ってあげるからねぇ〜〜!』と、カメラ片手に突撃してきたことがあるくらいなのだから。


「うぅ、嫌な記憶だ……それで、どうすればいい?」


 契助は七海から風呂に入ってくれと要求されたら入るつもりでいた。だがそんなことはなく、七海は「いえ、契助さんに従います…….」と小さく呟いていた。

 シュンとうな垂れる七海に対して、契助はそこまで深刻な状況とは思っていない。殺人鬼としての場数や経験もあるが、何より契助には『仲間』がいるからだ。

 誘拐されて長い間、気も休まらない状況にいた七海よりも楽観的なのは当たり前と言える。


「ま、ここならそう簡単には見つからないさ。数日すれば俺の仲間が安全な所へ送ってくれる」


「はい……確かに、ここなら安全ですね」


 不安を完全に拭い取ることはできなかったが、七海は安心したように息を吐いて胸を撫で下ろした。


「……そうだ、研究所について詳しく教えてくれないか? そっちのベッドに腰掛けてでも」


「研究所について、ですか? 分かりました。私が知ってることは全部話します」


 七海は契助と向かい合うように隣のベッドに腰を落とすと、研究所での出来事を時間を掛けて、正確に伝えた。

 要約すると、『連れ去られた後は大きめの部屋に監禁された。白衣の人達に実験として体を切られたり血を抜かれたり、劇薬を浴びせられた時もあった。最初の数ヶ月はそんな感じだったが、それ以降は定期的に血を抜かれるだけだった』とのこと。そして数時間前に運良く監視の目が離れ、その隙を突いて脱走したという訳だ。


「研究所の大きさは……結構、広いと思います。通路も長かったですし、学校の校舎よりかは断然広かったです」


「なるほどな。きな臭い土地だと思っていたが、やっぱり隠れてやがったか。教えてくれてありがとな」


「い、いえ……私は助けられただけなので……」


 二人の会話はそこで途切れる。契助はナイフ二振りだけの簡易武装をしてベッドに寝転がり、七海はベッドの上で三角座りしていた。ガウンが垂れて下着が見えないように太ももの下に腕を通して座っている。

 数分の沈黙の後に、七海はゆっくりと口を開いた。


「あ、あの……聞きたいことが、あるんですけど……」


「ん、なんだ」


「契助さんの、その……『能力』は……」


 七海の言葉はそこで止まる。契助の反応を伺っているが、契助は何も返さない。そのまま時間が過ぎて七海が、触れたらダメな話題だったのかなと思い始めた時に、契助は小さくニッと笑った。


「機会があれば、俺の力を見せてやる。その時にきっと分かるだろう。俺がいかに‶殺人鬼‶で‶現代社会の劣等生‶なのかがな」


 ――今日はもう寝るから、お前も休めよ。


 契助はそう言って締め括り、目を閉じた。しばらくして、小さな寝息が聞こえ始める。襲撃がない限り、そのまま寝てしまうだろう。

 対して、七海はすぐに眠れなかった。監禁生活や逃走した時の男達の怒号、そして殺人鬼によって生み出された死体。それらがフラッシュバックするように七海の頭に渦巻いて離れなかった。


(……お父さん、お母さん)


 今は亡き両親の顔を思い浮かべながら、七海は目を閉じて眠りに就く。就寝までに時間は掛かったが、一年振りに七海は夢も見ないで深い睡眠に身を休めることができたのだった。

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