第一章 死にたがりの‶人魚姫‶ 八重波七海
ヂヂッ、と電灯が点滅する。
既に日は沈んでおり、どっぷりと夜のインクが垂らされた空の下で、玖院契助は郊外の工場地域を散歩していた。
路地に並ぶ電灯は弱く、住宅街から離れたこの地域は人気もない。少なくとも契助のような少年が出歩くには随分と危険な場所である。
いや、だからこそというべきなのか。
このような場所に用のある少年など、普通でないと言外で語るようなものだ。
「……おい、ネコ。迷った」
『んー? ボクは何も知らないよ。勝手に迷ったのはそっちじゃないか』
「この地域が臭いから見てきてくれっつったのはお前だ」
『でも、この程度で助けはいらねぇ、って言ったのは君だよ』
「……ナビは助けに入ると思うか?」
『当たり前だよ。それにケースケ、この前ボクが渡した婚姻届を捨てただろう? それ以来ボクは君に腹を立てているんだ。ご立腹ってやつだよ』
「逆に結婚できると確信したお前が怖いな。俺は18、お前は15だろ」
『愛に年齢は関係無いのさ。それより、そっちは行き止まりだ。引き返して左の角を曲がるのがオススメだね』
「……助かる」
誰かが隣にいるわけでもなく、虚空と会話をする契助。契助の声に応じるのは、その首についた無骨なデザインのチョーカーから発せられる小さな光の点滅だけだ。契助は自分の耳にだけ届く音声に感謝を伝えて、くるりと踵を返した。
通ってきた道を戻り、指定された曲がり角へと向かう途中、小さな足音が契助の耳に届く。それも、段々とこちらに向かってくる足音だ。契助は曲がり角の近くで足を止め、その曲がり角に注意を向ける。
「――――」
「――――!」
曲がり角の向こうからする声。不明瞭で聞き取れないが、それが怒号であることは契助にも理解できた。夜の街の喧嘩……にしては、随分と殺気立っている気配。
やはりここがアタリか、と契助は無意識の内に目を細める。
ドタドタドタッと荒々しくやってくる足音、あと五秒もしないで角を曲がってくるだろうそれに対して、契助は先手を打つ為に自ら角に向かって飛び出した。
――荒々しい足音に隠れた、裸足で逃げる逃亡者の存在に気付かないで。
「っ!」
「きゃっ!」
完全に意識外から目の前に現れた、中学生くらいの少女。それは少女にとっても同じだったのだろう。勢い余った少女は止まることもできないままで、契助の方に突っ込んできた。
契助は不意打ちのような少女の突撃を受け流すように体を捻る。それでも回避には不完全で、二人はすれ違うようにぶつかった。
「ご、ごめんなさい!」
「お、おい! そっちは……」
少女は僅かによろけたが、契助と目を合わせることもなく、契助が通った行き止まりの路地へと走り去る。呼び止めようとするが、少女を追い掛けているらしき黒服を着た二人組の男が「どけ! クソガキ!」と契助と少女の間に割り込んだ。
そして少女と男達はそのまま路地の奥へと消えていく。
「……なあ、ネコ」
『好きにすればいいさ。ボクが止めたって行くんだろ? ほら、君の仕事……いや、使命だ。早く追い掛けなよ』
「だったら、後処理は任せたぞ」
『手配しておくさ』
その言葉を聞いて契助は不敵に笑う。ニィッと犬歯を剥き出しにした、獰猛な鬼の笑み。契助は少女が走り去った方へ足を向けると、ダンッ! と力強く踏み込んで走り出した。
▽
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸の音がが閑静な郊外に吸い込まれる。少女はひたすら走っていた。どこを目指す訳でもなく、ただひたすら遠い地を求めて走り続ける。だが、そうはさせぬと背後に迫るのは研究所からの追手。
今日だけだ。こんなにも運良く逃亡できるのは。今日を逃せば、次はない。次がなければ、未来もない。
「きゃっ!」
見知らぬ路地をでたらめに走って、今度は曲がり角を右に行こうとした時――人が、いきなり飛び出てきた。少し驚いた顔をしているのが、少女の目に映される。助けを求めれば、警察を呼んでくれるかもしれない。この状況から救い出してくれるかもしれない。
だが、ダメだ。ダメなのだ。少女はギュッと拳を握り締める。
巻き込んではいけない。誰の助けを求めてもいけない。少女はもう、誰かの死を見るのが嫌だった。
「ご、ごめんなさい!」
だから走り去る。何か言い掛けていたその言葉すら耳に入れないように。自分と関わる前に。取り返しのつかないことにならないように。
「待てコラ! 逃げても無駄だぞ!」
後ろから飛んでくる怒号。これで七度目。よく逃げている、と少女は自分で思っていた。あまり広くない部屋に監禁されて以来、運動は全くしていない。元々の運動神経もからっきしだった。それなのに、今も走り続けることができている。
「はぁ……はぁ……」
このままずっと走り続ければ、逃げ切れるかもしれない――少女の心の中で芽吹いた淡い希望は、だが目の前の封鎖された鉄柵によって潰された。
「いき……ど、まり……」
それでも諦めずに鉄柵に登ろうとするが、疲弊した少女の体にそのような力は残っていない。少し上へとしがみついても、重力に逆らえずズルズルと滑り落ちるだけ。
やがてドタドタというあの荒々しい足音が迫ってくる。追い詰められた少女を見て、男達はニヤリとした笑みを浮かべてジリジリと詰め寄ってきた。
「もう逃げ場はない。鬼ごっこはおしまいだ。さあ、戻れ。お前にはまだやってもらうことがたくさんあるからな」
「抵抗してみろよ。そしたら、グーだ。痛い目に会いたくないなら黙って素直に従えよ、モルモット」
男の一人が見せつけるように握り拳を振りかざす。少女は身を丸くすると、「いや……もうやだ……」と呟くように首を横に振った。それを見てより男達の下卑た笑みは歪み、涙目の少女に一斉に掴み掛かろうとする。
「――おい」
だがそれは、背後から響いた言葉によって中断された。男達は「あぁ!?」と凄みながら勢いよく振り返るも、次には「ひっ」と二人同時に息を呑んでいた。少女もそれを見て腰を抜かしたようにぺたんと地面に尻を付ける。
男達の後ろ、少女の視線の先。
鬼の角が額に二本、額の端には狐耳が二つ。口元は狐の上顎が飛び出して、ギラリと牙を剥いている。そんな不気味な面を被った人影が、両手に大型のナイフを持ってゆらりゆらりと迫ってきていた。
▽
目の前には男が二人、少女が一人。
間に合って良かった、と契助は心の中で安堵する。契助には少女が追われている理由など知らない。全くもって無関係。だが契助は関わることにした。勝手に踏み込むことに決めた。何より、年下の女子を手荒に扱うのは契助の心が許さない。
「おい、お前ら。どういう理由でその子を追い掛ける」
まず、問い尋ねる。
「「…………」」
返ってくるのは沈黙。だが、男達の視線は言外に敵対を語る。口外は避けるものの、穏便に済ませるつもりはないらしい。男の一人は既に懐に手をやり、そこから拳銃を一丁取り出していた。
「帰れ、クソガキ。『お前は何も見なかった』……違うか?」
「何故、その子を追い掛ける」
男の警告を完全に無視して、契助は再度問い掛ける。
これには流石に男達もピキッときたらしい。様子を伺っていたもう一人の男も拳銃を取り出し、二人揃って契助に銃口を向ける。気の早い一人の男はこめかみを細かく痙攣させて、カチリと撃鉄を下ろした。
「死んで後悔しろ……クソガキィ!」
言葉を吐き捨てると同時に引き金が引かれ、契助に向かって銃弾が撃ち出される。パァン! という炸裂音が工場地域に響き渡った。
「……最初から撃てば余計な手間はいらねえのに」
残響、僅かばかりの静寂の後には、溜息ひとつ。弾丸を受けたはずの契助は倒れない。それどころか、ゆらりとした歩みを再開する。
「ば、馬鹿な……!」
パァン! パァン! と恐怖が入り混じった弾丸が放たれる。数発、契助に当たらず背後の闇に消える銃弾もあったが、そもそも契助と男達の距離は十メートルも空いていない。間違いなく弾丸は契助に命中した。
命中した、にも関わらず……契助は歩みを止めない。段々と距離が詰められる。よくよく見れば、弾丸は契助に突き刺さらずに、地面へと転がり落ちているのが分かるだろうが、男達にそんな余裕は無かった。その顔は引きつり、恐怖を孕んだ視線は化け物を見るそれだ。契助は大型ナイフをくるりと回しながら、独り言のように呟いた。
「特殊繊維ミスリルファイバー。かのミスリル金属から名前を取った特別な繊維でこの服は編まれている」
契助と男達の距離が、遂に二メートルを切る。男達は更に引き金を引くが、返ってくるのはカチンッという空しい音。何度引き金を引こうが、弾薬切れの事実は変わらない。
「てめぇ……『能力者』か……! ば、化け物め……!」
「み、見逃してくれ! こ、こいつが欲しいんだろ⁉︎ お前にこいつをやる! だから、だからぁ!」
もはや恐怖に支配された男達。下がろうとするが、足がもつれて二人とも地面に腰を落とす。腰が抜けたまま必死に逃げようとするが、少女と同じく目の前にあるのは行き止まり。未来も行き先も、断たれている。
「お、おい待てよ……や、やめろ! く、来るな!」
「た、頼む! 命令されてただけなんだよ! 見逃してくれ……頼む……!」
契助は両手に握る大型ナイフを振り上げると、無造作に男達の首を薙いだ。男達の抵抗など児戯に等しいと言わんばかりの瞬殺。男達の断末魔が響き渡り、やがてその体をビクンッ! と痙攣させた後、夜の郊外に静寂が訪れる。
「……ミスリルファイバーは『能力』の伝達効率が高い。知っとくべきだったな。つっても、もう遅いか」
契助はナイフの血払いをして鞘に納めた。そして、地面に座り込んでいる少女に視線を移す。ひっ、と少女は声をあげた。
「……大丈夫か?」
「あ、あの……あの……」
「落ち着けよ。ほら、深呼吸だ。深呼吸」
少女を宥めるように手の平を向ける。少女は戸惑った様子を見せていたが、やがてゆっくりと深い呼吸を始めた。十秒、二十秒程後に少女が再び口を開く。
「あの……ここは……?」
「ここ? ああ、『第三学区』だよ。学区の郊外にある工場地域だ。ちなみに今は日付が変わる頃合い。子供が出歩いているとお巡りさんに怒られる時間帯だな」
「『第三学区』……じゃあ……あの、もしかして……‶浮島学都第三学区の殺人鬼‶さんですか?」
七海が告げた変に長ったらしい名称に、契助は苦笑する。‶浮島学都第三学区の殺人鬼‶なんて、契助も久し振りに耳にする言葉だ。何より、そいつを表す言葉にはもっと適切な名称があるのだから。
「そうだが……なんだ、一目で分かるくらい有名か?」
「……指名手配犯、ですよね? 私、研究所であなたの顔写真、というかお面ですけど……それを見たことがあるんです」
「指名手配犯。それは半分正しく半分違う。正確には、『裏社会』の指名手配犯だ。警察が出してるやつとは違う。ヤクザとか犯罪組織に懸賞を掛けられているだけだからな、俺は」
契助は少し自慢げにそう言った。少女に向かって右手を差し出して「立てるか?」と問う。少女はその手を取るのに一瞬だけ躊躇う素振りを見せたが、次にはゆっくりと契助の手を握っていた。
手を伝って少女の震えを感じ取った契助は、半ば強引に手を引いて血溜まりから起き上がらせる。この場を去れば、後は相棒が後始末してくれるだろうと契助は少女を連れて歩き出す。
「お前、なんで追い掛けられてたんだ?」
「そ、それは……その……」
「言いたくないことか。なら言わなくてもいいぞ。それともあれか。犯罪に手を染めたのか?」
「いえ、そういうのではなくて……」
言い淀む少女。契助は特に少女の事情に踏み込むつもりはない。だが、ふと気になることが生まれた。
「お前、俺が指名手配だって知ってたよな。研究所で見たって。その研究所はどこにあるか知ってるのか?」
「ご、ごめんなさい。ずっと走ってましたから……」
「そうか。ま、ここからそう離れた場所でもないだろう。お前みたいな中学生の足だと、そんな走れたもんじゃないだろうからな」
そう言った直後、歩いていた契助の右手がグッと引っ張られる。振り返ると、少女が俯いた状態で立ち止まっていた。そして、ポツリと何やら小さな声を出す。あまりにも小さ過ぎる声に、契助は耳を近付けた。
「ん? どうした?」
「私……高校生です」
「……おーけい分かった。何も言うな。うんうん。なに、言わなくても分かる。中学生にもなると大人ぶりたい時期があるってもんだ。俺にも分かる。俺もそうだったからな。だからもう何も言わなくてもいい。お前は立派な大人だ。童顔で低身長なことは気にするな」
「ち、違います! 私、本当に高校生です! この体は、私の『能力』が――」
慈愛に満ちた笑みで契助がウンウンと頷くのに対して、少女が必死に弁明しようとし始めた時。
「いたぞぉおお! 抜け出したガキだ! こっちにいるぞー!」
「おい、なんか変なお面の奴も隣にいるぞ! どうする⁉︎」
「構うな、いいからガキを捕まえろ!」
ドタドタドタッ! と数分前と同じような荒々しい足音が契助と少女に迫ってくる。変わっているのはその規模だ。見えているだけでも十人はいる。
契助は溜息を吐くと、少女の体を片腕で抱き寄せた。
「え⁉︎ な、なんですか⁉︎」
「逃げるぞ。どうやら鬼ごっこが始まるみたいだ。ま、配役は逆だけどな、っと!」
「きゃあ!」
契助は抱き寄せた少女を抱えると、お姫様抱っこと呼ばれる状態で少女を持ち上げたまま走り出す。ドタドタと荒々しい足音をBGMに、契助と少女は逃走を始めた。
追い掛ける方も必死なのか、タァンタァンと銃声が背後から何度も響いてくる。少女を殺す可能性があれど、契助を止めるつもりなのだろう。少女は落ちないよう必死に契助の服を握り締めた。
「あ、あの……! どうして助けてくれるんですか?」
「あぁ⁉︎ 困ってる人がいたら助ける。当たり前のことだろうが。ましてそれが年下の女なら尚更だ! 高校生だと見栄張っちゃうような子でもなぁ! はははっ!」
「だ、だから私、本当に高校生ですって! ちょっと! 聞いてますか⁉︎」
「聞いてる聞いてる。だから跳ぶぞ」
「適当ですね⁉︎ え、跳ぶ……? きゃぁああああああ⁉︎」
グンッ! と強い抵抗感を身に受けて少女は悲鳴をあげる。上から押し潰すような重力はすぐに終わり、解放されたと思った次には浮遊感が始まった。眼下には工場群の屋根が広がっている。思わず喉がひゅうっ、と鳴った。
「お、落ちるぅうううううう!」
ぐんぐんと重力に従って二人は落下する。勢いそのままに契助がアスファルトの上に着地するが、ストンッと小さな衝撃だけが少女に伝わった。契助が少女を下ろしてやれば、少女は腰を抜かしたようにぺたんと地面に腰を突く。
「こ、怖かった……」
「工場をそのまま飛び越えたからな。距離は稼げたと思うぞ。ま、落ちたら落ちたでその時だ」
「死ぬってことですよね⁉︎ いやでも私は……」
鋭く突っ込みを入れたかと思えば、何やら呟いて俯く少女。それを見ている契助はポリポリと頭を掻くと、付けっぱなしだった鬼狐の面を外した。黒い前髪が額に垂れ、冴えない顔が露わになる。
「俺は玖院契助。ご存知の通り、殺人鬼だ。で、お前の名前は?」
「あ……えっと、八重波です。八重波七海。友達からはナナちゃんって呼ばれてました」
「やえなみななみ? 変な名前だな」
「あなたにだけは言われたくないです。そうでしょう? ‶犯罪者殺し‶さん。それとも、裁きたがりの殺人鬼さんですか?」
「二つ目は違うな。俺は裁きを与えているつもりはない。一つ目も微妙に違う。正しくは――」
「「――‶犯罪者殺しの犯罪者‶。‶殺人者殺しの殺人鬼‶。‶現代社会の劣等生‶」」
二人の声が見事に重なる。少女――七海はテヘッと舌を出した。
「一度言ってみたかったんです。あなたの名台詞」
「やけに詳しいな」
「友達があなたのファンだったので。有名なブログには結構そんな情報がありますよ。流石に顔やお面までは載ってませんけど。えっと……『犯罪者殺しはネコがお好き』みたいなブログだった気がします」
「ネコ……あいつか」
契助は、はぁ……と深く溜息を吐いた。脳裏には暗い部屋で埃を被ってパソコンを弄っている相棒の姿が浮かび上がる。今も契助のチョーカーを通じて二人の会話を盗聴していることだろう。そう考えていた矢先、当の本人から連絡が入る。
『ケースケ。その子、ちょっとヤバいかも』
「……詳しく」
契助は七海に聞こえないように返答した。
『八重波七海という少女が誘拐されたのは一年前だね。そして、その名前から『能力』検索してみたら……とんでもないよ、その子』
契助は、もったいぶるなとチョーカーを指でタップする。向こう側から『ごめんよ』と声がして、通信が続けられた。
『八重波七海。16歳。能力は『不老不死』。発現は中学二年生の時らしい。本当に不死かは分からないけど……』
「不老、不死……か」
『誘拐犯……おそらく組織的な犯行だろうね。不老不死となれば研究することは限られてくる』
「死にたくない奴なんざ腐るほどいるからな。金でどうにかなるなら尚更だ」
吐き捨てるように契助は呟いた。
しかし、これで状況は掴めたと契助は七海を見る。中学生の見た目なのに高校生と言い張る少女。それもそうだ。中学生の時から体は変わっていないのだから。
「なぁ、おい」
「どうしました? さっきからブツブツ言ってましたけど」
「お前の『能力』、本物か?」
ビクッと、七海の肩が震える。怯えた表情で契助を見上げ、繋いでいる手から恐怖が伝わってきた。契助は面倒だなと思いながらも、七海の目を真っ直ぐに見つめる。
「俺はお前の味方だ。犯罪者を殺すのが俺の使命、そして被害者を助けるのも俺の役目だ。それに年下の女子を見捨てるわけにはいかない」
「……ふふっ。優しいんですね、殺人鬼さん。……ハッ⁉︎ もしかしてロリコンさんですかっ⁉︎」
「そうだが、何か文句あるか?」
「肯定どころか開き直り⁉︎」
自身の体を片腕で抱いて、すすすっと引き下がる七海。手を繋いだままなのは僅かながらの信頼の証か。契助は頭を掻きながら溜息を吐いた。
「心配すんな。訳あって今は年下女子が怖いんだ」
「な、何があったんですか?」
「酒を飲まされて無理やり襲われた」
「お、おそ⁉︎」
「あ、もちろん性的な意味でだ。無念だったろうな、俺の初めて……」
「あ、え、うぅ……」
何を想像したのか、プシューッと湯気を出すくらいに真っ赤になる七海。顔を手で隠しているが、その隙間からチラリチラリと契助の顔と下半身に視線が行き来していた。
そんな七海をよそに、契助は次の手を考える。追われている以上、保護するのは確定だ。しかし、その後がどうも思い付かなかった。単純に警察に預けることができれば簡単なのだが、中途半端に投げ出すのは契助の嫌う所だ。取り敢えず追手を避けてから考えるべきか、と契助はチョーカーをタップした。
「……ネコ、ホテルの部屋を用意してくれ」
『む、連れ込むつもりかい? ボクはあまり許可したくないなぁ』
「後で頭を撫でてやる」
『近場のホテルで空いてるスイートルームをフロアごと貸し切ったよ。気分によって部屋を変えられるようにしたからね』
「やり過ぎだ」
『うへへ、久しぶりにナデナデだぁ』
「人の話を聞け」
はぁ……と契助は溜息を吐く。そして外していた鬼狐の面を再度装着した。キュィインと音がして、契助の視界にルートが示される。鬼狐の面に搭載された特殊レンズによるものだ。
「さて、と。行くぞ」
「あ、はい。どこへですか?」
「ホテルだ」
「ほ、ホテル⁉︎ 普通のホテル、ですよね?」
「いかがわしい方でもいいぞ」
「っ! ば、馬鹿ですか! ばーかばーか!」
「お子様め……」
契助はグイッと七海を抱き寄せると、再び横抱きにして走り出す。数秒後、少女の悲鳴が夜の工場地域上空に響き渡ったのは、語らなくてもいいだろう。