第五章 救いたがりの‶殺人鬼‶ 玖院契助 第三話
高く振り上げられた鋼鉄の拳が空を切り裂いて叩き付けられる。コンクリート床がガラスのようにひび割れ、衝撃で工場の支柱が悲鳴をあげた。振り下ろしの風圧によって吹き飛ばされながらも契助は体勢を立て直して攻勢に出る。
接近する契助に向けられるのは、数多の砲塔。肩や背部から格納されていたそれらがガション! という変形音と共に姿を現し、一斉に弾丸やレーザーを射出する。
「ッ――!」
圧倒的な弾幕を前に避け切れないと判断した契助は体を捻り無理やりに横へ飛び退く。放置された鋼鉄の資材を盾にしながら息を整え、弾丸の嵐が止むと同時に突撃した。
『甘い! 甘いなァ‶殺人鬼‶ぃ!』
鎧装兵器から拡声器のように響く勝田の高笑いに舌打ちしながら、振り抜かれる拳をスライディングで回避して懐に滑り込む。
いくらミスリルファイバー製の防具を身に付けているとはいえ、機関銃やレーザービームを喰らえば貫通する。ならば、と契助が仕掛けたのは接近戦だ。三メートル程の巨体にある弱点を見つけて、そこをナイフで突くしか勝ちへの道筋はない、と。
『遠距離戦は分が悪い。だったら近距離戦で……かなァ? そんなちっぽけなナイフじゃ『ASNA』の外装すらも傷付けることはできないなァ』
契助は鎧装兵器の一撃を躱して脚部装甲にナイフで攻撃するが、すり傷一つ残らない。近距離砲撃を寸前で避けつつ、地面を蹴って資材裏に避難する。
一斉掃射された弾丸が鋼鉄の資材を貫通して契助の腕を掠めた。耐久のなくなった資材から別の資材裏へと走りながら契助は次の一手に思考を回す。
(装甲にいくら攻撃しても意味がない……狙うなら装甲と装甲の隙間だ……人を殺す時と同じだ。敵の動きを止めるには、最初に関節や腱を狙え!)
可動域部分は装甲が脆いはず、と契助は狙いを定めて資材裏から飛び出す。もう一度違う資材の裏へと隠れる――振りをして、支柱を蹴って直角に進路を曲げる。急接近にも対応した砲塔が火を吹くが、契助は止められない。顔面を庇った左手のナイフが弾丸を弾いた衝撃で吹き飛ばされるが、そのお陰で接近に成功する。
『ちっ……!』
「っ――らぁッ!」
再度懐に潜り込んだ契助に鎧装兵器の膝蹴りが繰り出されるが、かろうじてナイフで受け流す。ビリビリと痺れる右手を左手で支えながら裂帛と共にナイフを振り抜いた。
アキレス腱、膝裏、股関節に銀閃を見舞う。
連撃後も止まらず背部に回り込み、地面を蹴り抜いて跳び上がる。渾身の力を込めて首筋にナイフを振り下ろした。ナイフの切先が沈む感覚に、イケる! と契助が確信した瞬間――
バキンッ! と。
契助の得物が銀の破片へと成り下がった。
『装甲以外なら貫けると思ったのかなァ。ミスリルファイバーの上位互換素材、グレイプニールワイヤーを』
能力伝達率に柔軟性を向上させ、それ以上に硬度の数値を跳ね上げつつ、外部からの能力干渉力を極限にまで減らす『グレイプニール』。
それを加工して生み出したワイヤーは、世界を飲み込む神狼ですら決して千切ることのできないと云われる、神話の捕縛紐の名を冠するに相応しい性能を発揮する。反能力資源を研究する《ユグドラシル》の製品を解析し、独自に開発、改良を重ねた《アダム》が生み出した新素材だ。
薄暗い工場内の照明を浴びた『グレイプニール』が、虹色の光を反射する。
契助が放った攻撃による与えた損傷は、ゼロだ。
「……っ!」
『見える、見えるぞ、その仮面の下……驚愕、絶望の入り混じった顔をしてるなァ……!』
ギラリ、と紅光が嘲笑うように輝く。高速で振り向いた勢いで繰り出す鋼鉄の裏拳を、契助は避け切れなかった。防御姿勢を取りダメージを少しでも減らそうとするが、そんなものは些事だと言わんばかりの破壊力が契助をぶっ飛ばす。
「かはぁ……っ⁉︎」
壁に叩き付けられ、強制的に吐き出される呼吸と血の混じった胃液。想定以上の力に受け身を取ることも叶わず地面に崩れ落ちる。指を動かそうとするだけで走る激痛に堪えるように契助は唇を思い切り噛み締める。
「契助さん……!」
「もっと離れていろ! ぐぉお……っ」
契助からは見えない場所から心配する七海の声が届く。契助は怒号するように七海に遠ざかるように叫ぶが、体内から走る強烈な痛みに思わず膝を付いて悶絶する。
『きひひ、『ASNA』の一撃は重たいだろう? 純粋な新金属の重さに加えて『身体強化』を付与してある。並の人間なら今ので肉片に変わっているんだよなァ。流石は‶殺人鬼‶……楽しませてくれるナァ』
「げほっ……この程度……はぁ……はぁ……‶騎士団長‶の拳骨の方が、身に染みるね」
『おおっと、虚勢を張ったって無駄だよ。『視』えてるんだよなァ。手、腕の骨、それに肋骨……折れてるなァ、可哀想になァ』
言葉とは裏腹に容赦ない追撃が契助を襲う。軋む体に鞭打って契助はその場を離脱し、ぶらりと力の入らない腕を垂らしながら一段と激しさを増す銃火器の攻撃から逃げ回る。精細さが欠けた動きに数発の弾丸が皮膚を掠めて肉を抉り、鈍い声が契助の口から漏れ出た。
『んー、逃げ回られるのもメンドウだなァ』
勝田は鎧装兵器の拳を突き出し、契助の方へ向ける。腕の一部が変形し、内部から今までとは少し異なる細い銃身が露わとなる。タンタンタン、と連続した発砲音が工場内に響いた。
「くっ……⁉︎」
放たれた弾の一つが、逃げ遅れた契助の左足に命中する。しかし、弾丸のような強烈な痛みはない。疑問と共に足を見れば、小型の注射器のような針が衣服の繊維を縫って刺さっている。咄嗟に引き抜くが、遅かった。
『――ドカン、だ』
刺された部位が膨れ上がる。まるで破裂寸前の風船のように。そして、バンッ! と、強烈な爆風が契助を吹き飛ばした。
『弾丸型『Bドラッグ・クイック』。威力は低いが、効果は十分だァ。これでもう逃げられないなァ』
重たい金属音を鳴らしながら鎧装兵器を纏う勝田が契助へと寄ってくる。契助は、荒い呼吸をしながら、ゆっくりと立ち上がる。
ボタリ、ボタリと左足から血が流れ落ちる。爆裂したふくらはぎの肉は酷い裂傷となっていた。激痛以外の感覚はない。力を失い、地面に倒れ込む瞬間に「契助さん!」と七海が体を掴んだ。
「あ、あなたの計画に協力する! だから、これ以上契助さんを傷付けないで!」
「な……なな、み……」
倒れ込む契助を庇うように腕を広げ、勝田から守ろうとする七海。勝田はそんな契助と七海を見て、きひひと嘲笑の声を漏らした。
『無様だなァ、‶殺人鬼‶。守るべき女の子に守られるなんて。きひひ、きひひひひ』
「教えてください、あなたの計画を。私の『不老不死』を、どう使うのかを」
『そうだなァ。二人揃ったら説明するという約束をしていたからなァ。ちょうどいい、話そうかァ』
鎧装兵器が変形し、勝田が内部から姿を現す。左手首のデバイスを操作すると、鎧装兵器を操作して自身の体を持ち上げ、兵器の肩へ降り立つと腰を下ろした。そして、勝田は自慢げに口を開く。己の考えた計画を、高らかに語り始めた。
「来る学都祭で、この学園都市に血の雨を降らせる。なァに、簡単な計画だァ。君の能力……『不老不死』に隠された力を使う、ね」
――『不老不死』。
決して死なず、老いることもない。あらゆる死を遠ざけ、死に直面しても何もなかったかのように蘇る。
【エリアL-2】で八重波七海の『不老不死』を実験していくうちに、勝田は別の特性に気が付いた。
『不老不死』のメカニズム……それは無から有を生み出し、生み出した有を無限に増幅する。細胞は劣化せず、失われてもすぐに再生する。
そんな『不老不死』の七海の血には、特殊なエネルギーを増幅する力があった。既存のエネルギーとは異なる、能力に関わるエネルギーだ。
「僕はこのエネルギーを‶マナ‶と名付けた。これは仮説なんだがァ……‶マナ‶は能力を発動するのに必要なエネルギー、だと考えられる。そして、あらゆるエネルギーに変換可能な万能なエネルギーだと。いや、あらゆるエネルギーは‶マナ‶によって生み出されると考えた方がいいのかもなァ」
全てのエネルギーの根源、それが‶マナ‶だと勝田は自身の仮説を述べて、話を続ける。
七海の血には‶マナ‶の効果を増幅させる力があると。
『そうして実験をしたら……あァ、とても面白い結果となったんだよなァ』
『身体強化』系の人間に血を注入すると、まるで怪物のような筋力を得た。『念力操作』系の人間は限界の五倍以上の出力を出せるようになった。『人体発火』は『火炎放射』に。『知覚強化』は『透視』すらも可能に。
そして、『薬剤精製』で作り出した薬は、何倍にも効果を増幅させた。
「『Bドラッグ・時限式』、『Bドラッグ・即爆式』、『Mドラッグ』……未開発の新薬が完成したのは、君のお陰ってことなんだよなァ、きひひ」
「うそ……」
「君のその素晴らしい能力が、僕の研究に大いに役立ってくれたのさァ」
「そ、そんな……」
力が抜け、膝から崩れ落ちる七海。自身の力のことを『誰とも共に生きられない呪われた力』だと思い込み、知らぬうちに悪用されていた事実に嗚咽を漏らす。
驚愕、そして絶望……七海の反応に勝田は興奮したように息を荒くして口端を歪めた。
「さァ、僕の計画に協力してくれるんだろう⁉︎ 君の血を混ぜた僕の毒薬を降らせ、学都祭で群がった人間に選抜をもたらす! 適合者のみ生き、そうでない人間は死ぬ! 全ては人類の進化の足掛かりのため……それが僕の『ダーウィン計画』だァ! きひひ、きひひひひ!」
不気味な笑みが工場に響く。昂った気持ちのまま勝田が笑っていると、コツン、と勝田の足に小石がぶつけられる。肩で息をするような満身創痍で、契助が勝田を睨み付ける。
「させ、るかよ……」
「‶殺人鬼‶……はァ、僕はもう興味を失ってしまったんだがなァ。はっきり言って期待外れだァ。甲冑のような仮面の男の方がハラハラさせられたよ。アダマンタイトで作られた長槍を壊されてしまったからなァ。『ASNA』本体に損傷はないから問題はないがァ……」
勝田が脳内で描いていた『ダーウィン計画』。《月下猟犬》、あるいは能力者も巻き込むという意味では《アダム》も、この計画を止めに来るかもしれない。そんな邪魔者を排除するために『新兵器ASNA開発計画』があったのだ。
「君のデータをとるために《アダム》を裏切るような真似をしたからなァ。研究所の防衛システムを一部無効化して『Mドラッグ』服用者と戦わせたり、ショッピングモールで民間人を巻き込んで爆発を巻き起こしたり……結果として不要なデータになったがァ……まァいい」
鎧装兵器に指示を出し、再び内部へと搭乗する勝田。
『能力者をも簡単に殺せる『ASNA』は僕の手中にある。きひひ、これがある限り、誰にも負ける気がしないなァ』
キュィイインと起動音を鳴らして鎧装兵器が動き出す。勝田が乗り込んだ兵器が完全に再起動する前に、契助は被っていた鬼狐の面を七海へと差し出す。
「預かっててくれ」
「え……?」
「この先……げほっ、げほっ……何があっても、俺を信じてほしい」
血を吐き、片足を引きずりながら、契助は立ち上がる。七海は契助の意図を汲み取れなかった。だが、そのまっすぐ見つめる瞳を見て、コクリと頷く。
「私は、契助さんを信じます」
契助は安心したかのように微笑むと、鎧装兵器と対峙する。
『援軍が来たら厄介だからなァ。君にはさっさと死んでもらうよ。八重波七海は貰っていく。《猟犬》が来ようとも皆殺しだァ』
「はっ……七海は俺の女だ、渡さねえ。それに、俺を誰だと思っている?」
血の混じった唾をペッと吐き捨てて、契助は不敵な笑みを浮かべた。
「‶犯罪者殺しの犯罪者‶、‶殺人者殺しの殺人鬼‶、‶現代社会の劣等生‶。‶浮島学都第三学区の殺人鬼‶――玖院契助だ」
契助は激痛を押し殺し、クイクイと指を動かして挑発する。
「殺せるモンなら、殺してみやがれ」
『そうかァ。じゃァ、さようなら』
鎧装兵器が腕を薙ぐ。高速で迫る一撃に満身創痍の契助は為す術もなく――首から上を弾け飛ばして、絶命した。




