第三章 拭えぬ過去 第三話
ヒュゥウウ……とフロアに風が吹く。
七海は頬を撫でる風の感触に意識を拾われ、パチッと目を開いた。一瞬前に襲った熱波は、とうに掻き消えている。熱で焼かれた皮膚は再生が終わり、ボロボロになった服が風になびいていた。
数秒、呆けるように仰向けに倒れていた七海は、ハッとして起き上がる。そして、周囲の風景に目を見開いた。
七海達がいた六階フロアは、倒壊寸前だった。真上の天井は吹き飛ばされて吹き抜けとなっており、窓ガラスや壁も砕け散っている。ところどころ床には火が踊っているが、かろうじて機能している消化装置によって延焼は防がれていた。じきに鎮火するだろう。
そして、爆発地点。
契助がいた場所には巨大な縦穴が発生していた。おそらく、爆破の勢いで床が崩落したのだろう。契助の姿は見えない。
七海と同じように吹き飛ばされた人達は、血に塗れて倒れていた。中には原型を失っている人影もある。呻き声すら聞こえない。誰も起き上がる人はいない。『不老不死』の七海だけが、無傷で立っていた。
「……あの時と、同じだ」
二年前のテロ事件。七海もまた、人質だった。今回のように知らずの内の人質ではなく、他の客や店員と一か所に留まって解放されるのを待つ人質だ。両親がパニックになりそうな七海の手をずっと握って、「大丈夫」と抱き締めてくれた。
結果、二人は死んだ。
『不老不死』の人外だけが、残された。
そしてまた、今回も生き残ってしまった。
「……どうして、私なの」
死なない自分、死ねない身体。何かに成るわけでもなく、何かを為したわけでもない。ただ、理由もなく選ばれた。永遠に生きる義務を課された七海は、絶対に何かを成し遂げなければならない。ここで生き残った意味を見出さなければいけない。
それが七海に課せられたこと。永遠に付き纏う枷なのだ。
「……契助さん、探さないと」
下のフロアに落ちたのか、どこかに吹き飛ばされたのか。この程度で死んでいたら‶殺人鬼‶などと大層な名を貰っていないはず。だから、七海は契助を求めて歩き出した。
▽
『ケースケ、状況は?』
「……三回死んだわ。ミスリルファイバーじゃなかったら十回は死んでた』
『軽口を叩けるなら大丈夫だね。急いで八重波七海と合流してその場から撤退して』
「了解した」
『……ごめんよ』
言葉の最後、ネコは小さな声で謝った。契助はシュンとしている相棒の姿を想像しながら、ふっと笑う。瓦礫に埋まった左足を引き抜き、歩行に支障がないことを確認して立ち上がった。
「謝んな。俺が対処できなかったんだからな。なるべく爆発の威力を抑えてみたが……」
『二年前のテロはショッピングモールの完全崩壊だったからね。六階の一部エリアだけで済んだんだから、良かったんじゃないかな。言い方は悪いけど』
「……そうか。後は任せていいか?」
『うん』
通信が切れる。
契助は爆発の威力で吹き抜けた天井を見上げながら、爪が刺さる力で拳を握り締める。
今回の犠牲は、契助の判断ミスだ。
爆弾に変えられた男女を即座に殺し、契助の能力で蘇生すれば『体内の異常を排除した状態で蘇生』できる。爆死した二人も、周囲の買い物客も傷付くことはなかった。
だが、一瞬だけ躊躇ってしまった。
一般人に見られていたからではない。そんなもの後で《猟犬》がどうにでもしてくれる。
七海に、人が死ぬ瞬間を見せたくないと思ってしまった。その一瞬の鈍った思考の結果が、この惨劇だ。
「俺は……‶殺人鬼‶失格だ。……くそっ」
自責の念を感じている場合ではない。この騒ぎで人が集まる。注目を浴びる前に七海と合流してこの場を離れなければならない。契助が動き出そうとした時、遠くから呼び掛ける声が届く。
「契助さんっ! 無事だった……!」
小走りで寄ってくる七海。床に散乱した瓦礫を危なげに避け、息を荒げながらも契助の元に駆けてくる。そして、契助に抱き着いた。背中に腕を回し、ギュッと抱き締める。
「良かった……生きてて……」
「勝手に殺すな。こうしてピンピンしてらぁ。……あっ、いや、三回死んだんだっけ? 四回だっけ?」
「……契助さん、頭を打ちました?」
「おい、残念な子を見る視線はやめろ。……ま、無事だ。怪我はないか?」
「……大丈夫です。死にませんから」
「……そうだったな」
沈黙が流れる。
どこかでまた、瓦礫が崩落する音が響いた。
「今は、一旦ここを離れよう。生存者として注目されるのは避けたい。ほら、行くぞ」
「……どこに、行けばいいんですか」
「どこって……拠点にしてるホテルだよ。別の場所でもいい。ここ以外の場所だ」
「行く場所なんてないです。私が居たら、また巻き込んじゃう。私には……居場所なんてない。私の生きるべき場所なんて、どこにもない」
全身の力が抜けたように、七海は膝から崩れ落ちる。その場に臀部を付けて座り込む七海を契助が慌てて引っ張り起こそうとするが、頬を流れる涙を目にして硬直した。
「……私が、死ねば良かったんだ」
「おい、それは……」
「私なんかが生き残ったから。私があの時死んでいれば、ここで爆破なんて起こらなかった。私が『買い物したい』なんてわがまま言ったから……私が殺したも、同然だ……」
「…………」
「もう、誰かの死を見るのは嫌なんですよ……それくらいなら……死んでしまいたい……死んで、この苦痛から解放されたい……」
「……そうか」
生きることは、罪だ。生きているだけで、七海は犯罪に巻き込まれる。そして発生した犯罪で傷付くのは、いつも周囲の人間なのだ。自分だけは、無傷でのうのうと生き延びる。
永遠に終わらない、生存の罪悪感。
死にたい。だが死ねない。死ぬことは許されない。
生きることが罪ならば、それを償うのも、また生きることだ。しかし、七海が生きている限り、周りの人間を不幸にしてしまう。自分だけが、また残されてしまう。
嗚咽を漏らしながら、死を願う。
死にたがりの、不老不死の、孤独な少女の、唯一の願い。
「お前は……どうして、そこまで死にたがる」
契助は尋ねる。しかし七海はシュンとしたまま俯き、契助の問いに答えようとしない。嗚咽を漏らして涙を流すだけだ。
契助は溜息を吐くと、七海を抱き締めた。七海の頭に手を回し、ポンポンと優しく撫でてやる。
「――お前は、運命だと言っていたな」
「……え?」
「俺とお前の出逢いだよ。俺もあれからちょっと考えたが、案外お前の言うことは間違っていないのかもしれない」
殺人鬼と、人魚姫。人外であった鬼と、人外となった姫。人外であったが故に愛する人を失った者、人外となったが故に愛する人と共になれなかった者。
救いたがりの殺人鬼と、死にたがりの人魚姫。
「お前は、どうして死にたいと思う?」
再び、契助は問い掛ける。
七海は、やがてゆっくりと口を開いた。
「……永遠に、一人だから。誰も私と共に生きることはできない。私は永遠に添い遂げることができない。私は何もできないから、それでもずっと生きるなら……いっそ、死なないと。私だけが生き残るなんて、他のみんなが許してくれない」
あの日、あの時。爆破テロで亡くなった犠牲者。七海よりも素晴らしく、優れた人もいたであろう。将来、何かを成し遂げる人もいただろう。でも、その命は失われてしまった。そんな尊い命を差し置いて、無意味な七海の命が延長された。
誰かを助けることもできない。
誰かを救うこともできない。
何もできない七海に、価値などない。
「だったら、これから変わればいい」
「……え?」
七海の頬に手を添えて、優しく顔を上げさせる。
「誰かを助ければいい。誰かのために動けばいい。大事なのは過去じゃない。これからのこと、未来だ。過去は変えられない。なら、それを嘆いたって何も始まらない」
今からだ、と契助は七海の目を見て告げる。
「生きているなら、生き延びたなら……少しずつでいい。変わっていこうぜ。何もできない自分から、誰かを助けることができる自分に」
「……!」
「何もできない今から、誰かを救うような人になれたなら……きっと、みんなも七海が生きて良かったと思ってくれるさ」
「け、けぇすけさぁん……!」
「だからさ、なんだ。……死にたいなんて、言うなよ。お前が死んだら、俺は悲しい。だから、死なないでくれ」
七海は驚いた顔で見つめていたが、やがてダバァと滝のような涙を流して「けぇずげざぁん!」と泣きついた。
「私……生きても、いいですか……?」
「ああ」
「みんなも……許してくれますか……?」
「許してくれるさ」
泣き叫ぶ七海の背中をトントンと叩きながら、契助はふと幼い頃を思い出す。妹の風花が泣いた時も、こんなふうに背中をトントンと叩いてあやしたものだ。
(……生きてくれ、か。俺がそんなことを言う資格なんて、ないのにな)
思考を埋め尽くすドス黒い感情を無理やり押さえつける。契助は泣き止みそうにない七海を横抱きにすると、人目に付かぬよう急いでその場から離れ始めた。
▽
ショッピングモールを撤退し、人のいない路地裏やビルの上を移動する中。緊張の糸が切れたのか、単に泣き疲れたのか。七海は今、契助の腕の中ですぅすぅと眠りに就いている。あどけない寝顔、なんて洒落たことは言わないが、やはりそこは少女であった。
『――ケースケ』
「どうした」
『随分と君らしくないことを言ってたみたいだけど』
「……まぁな」
『……今から言うのは警告だ。忠告じゃない。これ以上、八重波七海に情を移すのはやめておくんだね。彼女と出会って以来、ケースケは明らかに‶鈍ってる‶よ。君に依頼されていた八重波七海の護送の件だけど、明日には派遣できる。‶騎士団長‶が部下を貸してくれるって。そこを区切りにして、君はもう手を引くべきだ』
「……かもな」
『おいおい、これでも真面目な話なんだ。君ってやつは、どうも最近ボクに冷たいね。頭を撫でに来てくれないし……やっぱり君はその子のことが……』
「警告は終わりか? んじゃ、また後でな」
『あっ、こら。まだ話は終わって……』
ブチッ、と契助はチョーカーの電源を切った。それにより途絶える相棒の声――
『――終わってないぞ!』
「チッ」
『はぁ……まったく、あまりボクの手を煩わせないでくれよ。ただでさえ『接続干渉』のリソースは割けないってのにさ』
「……あ、そうだ。ネコ、明日は風花んとこ行くわ」
『話を逸らすな、話を。……明日は病院ね。はいはい、把握。覚えとくよ』
ネコはそこで一拍置くと、『それで、ケースケ』と言葉を繋げた。
『君はいつまで八重波七海を側に置くつもりなんだい? はっきり言うけどさ、ケースケ……もしかして、彼女を特別視していない? 果たしてそれが妹なのか、恋人なのかは知らないけどさ』
「……特別視なんて、してないさ」
『本当にそうだと断定できる? 心のどこかで思ってるんじゃないのかな。彼女とこのまま過ごせたら、とか』
反射的に、息を呑んだ。相棒の言葉はきっと、契助自身が目を逸らしていた思いだったからだ。
思考の硬直は一瞬、契助はすぐに口を開いて言葉を出した。嘘偽りない、本音を。
「――俺は、多分あいつのためなら命を捨てることができる。だけど、それはお前でも同じだ。もちろん、‶毒蜘蛛‶でも。俺は一度守ると決めた相手は……絶対に、守る。それはお前が一番理解しているはずだ」
契助の原点は、救うこと。救うために人を殺す。守るために犯罪者を殺す。その使命は途中で放棄できるものではなく、契助が生涯背負うもの。だからこそ、中途半端な仕事を契助は嫌っていた。今回の場合、私情が混じっているのは事実だろうが。
それを見抜いてか、ネコは小さく息を吐いて告げる。
『……そうだね。そうだとしても八重波七海はこちらで保護するから。ケースケに関する記憶も消去するけど、文句は言わないでくれよ。これは、君のためなんだから』
――記憶消去。
《猟犬》のメンバーの能力で、その名の通り対象の記憶を消す。そして何より、ただ消去するのではなく、ある程度の記憶改竄も可能とするのが特徴的だ。簡単な話、記憶の消去に伴う空白期間を、勝手に都合の良い記憶に替えるということである。
若干の記憶の矛盾、混乱が発生するようだが、『記憶消去』を行えば《猟犬》の存在は記憶に残らない。
今回の場合、七海は‶踏み込み過ぎた‶。契助の名前や力、それに他のメンバーの顔を知っている。残念ながら、覚えて帰させるわけにはいかないのだ。
「……そう、か。そりゃ、そうだよな」
『早い段階で名前を明かしていたから、ボクは当然そのつもりだった。いや、君もそのつもりだったんだろうね、その時は』
「…………」
『だけど、やはり不安になるんだよ。分かるだろう? 君の実力は組織の中でもトップクラス、それにコネクションに関して言えば随一だ。君が全力を出せなくなったり、仕事に身が入らないとなれば、ボクら《猟犬》は大きなダメージになる』
コネクション、つまり裏社会的な繋がりであるが、契助には確かにその繋がりが多かった。警視総監を始めとする警察上層部、契助に殺されないように金を納める黒よりのグレーな政治家達、『浮島学都』に進出している企業、そして単純に契助を必要とする富裕層。
それらのコネで契助は、不逮捕特権、衣食住の全面支援、新技術の優先公開、《猟犬》の研究所への投資などを各顧客から貰っている。不逮捕特権、衣食住の全面支援は契助個人に、新技術やら投資やらは《猟犬》という組織に与えられていた。
「……確かに、女に現を抜かして‶殺人鬼‶は悪事を辞めました、なんて認められないよな」
『認められないというか、信じられないだろうね』
「そりゃそうだ。生まれてこの方、ずっと‶鬼‶であった俺が今更‶人を殺したくないです‶なんて、俺ですら笑う」
『……そうかい。ともあれ、明日だ。明日、君は元に戻る。いや、戻ってもらう。普段通りの‶殺人鬼‶に。敵を殺し、救われるべき者に救いを与える……それが、君の存在意義だ』
――君が闇に生きている自覚を忘れないように。
相棒は最後にそう告げると、『接続干渉』によって繋げていた通信を切った。契助はその言葉を何度も反芻しながら、空を見上げる。
「……雨が降りそうだな」
晴天だった空には黒雲が流れ込んでいて、今まさに太陽の光を遮った。契助は目を細めたが、すぐに空に向けていた視線を戻す。やがて契助が呟いた通り、街には雨が降り始めた。影に呑まれた雨の降る街、それはまるで不吉の前触れのようであった。
▽
警察の手によって立ち入り禁止されたショッピングモール。破壊された天井から立ち昇っていた黒煙も雨によって掻き消され、外側から見える破壊痕はビニールシートによって覆われている。様々な報道局がビニール傘を片手にリポートする中、野次馬の中に男はいた。
男の不機嫌そうな舌打ちが雨の音に混ざって消える。
「おかしいなァ。仮説では改良前と変わらない威力のエネルギー放射となるはずだが……見直す必要があるみたいだなァ」
実験は失敗だ、と不満そうに男は踵を返す。
だが、その眼はギラギラと、次へと繋げる執念を感じさせる瞳をしていた。
「あの程度の爆薬では‶殺人鬼‶は倒せない……なァに、想定内だ。こちらには『ASNA』がある。きひ、きひひ。実戦投入が楽しみだナァ」
肩を震わせ、鋭い笑みが溢れ出る。脳裏に描くは‶殺人鬼‶を屈服させる姿。実験を重ねて生み出された兵器が邪魔者共を蹂躙する姿である。
不気味な笑みを浮かべながら、その男――《アダム》第三学区能力研究施設【エリアL-2】所長、勝田宗生は野次馬の中へと消えていった。




