ありじごく
夏休みも終わりに近づいたあの日。
小学五年生の友紀は暇だった。確かにまだやり残した「夏休みの友」が気になるが、まあ二日もあれば、なんとかできると踏んでいた。家の縁側にひとり寝っ転がって、青い空と白い入道雲を見ていた。と、涼しい風が神社のある山の方から吹いてきた。
「そういえば・・・神社に行ってなかったなあ。よおし、行こう!」
自宅の庭を横切り、道路に出て反対側に渡り、山へと伸びている細い道を上がって行く。カンカン照りの太陽の熱さは半端ではない。麦わら帽子を被っていても、暑さを凌げているのかどうかはあやしいくらいだ。汗がダラダラと頭のてっぺんから耳の横を通り、首筋に流れてゆく。
上へ上へと上がって行くと、鬱蒼とした森が現れる。その中に入ると、日差しが遮られ、風がそよそよと吹いて来て、いくらかは涼しくなる。そうして先を進めば進むほど涼しくなり、目的地の神社に着くころにはちょっと肌寒いくらいになるのが不思議だ。
森の頂上付近にあるこの神社は、村の氏神さま。苔むした石の階段を10段程上り、そんなに大きくはない(大人がやっと通れるくらい)石の鳥居をくぐり、社殿へと向かう。
この社殿もこじんまりとした感じで、鎮座している神様が戸口から見えている。中をそっと覗くと、暗がりにふっと人の形らしきものが奥の棚の上に見える。すると、窓などない社殿の奥から冷たい風がゆらっと吹き、紙垂がひらひらと揺れる。
有紀は両手を合わせ、パンパンと柏手を打つと、祈った。
「今日も元気です、ありがとうございます。ここで遊ばせてください」
もちろん、神様からの返事はない。そう言った方がなんだか許してもらっているようで、少しだけ怖さがなくなるような気がしていたからだ。昼と言えど、神社の周りは陽の光があまり射しこまず、暗い雰囲気が漂っていて、おまけに冷やっとした風が吹いてくる瞬間なんか、だれかいる気がして、背筋がゾゾゾとすることがあるのだ。
あんなに家の周りで騒いでる蝉もここには来ないらしく、シーンとしている。
「蝉がいたら、ここもにぎやかなのにね・・・」と声が漏れてしまう。
社殿は土の上に礎石を埋めて、その上に建っている。その礎石の近くの地面に必ずと言っていいほど、アリジゴクの穴があいている。友紀はアリジゴクの臼のような穴をじっと見つめて、アリジゴクが出てくるのを待っている。しかし、待てど暮らせど、アリジゴクは姿を見せない。それもそのはず、アリジゴクは餌を待っているのだから。
友紀はしびれを切らして、アリジゴクの穴の淵から中へと、サラサラと土を落としてゆく。友紀はアリジゴクがどんな姿をしているのか、自分の目で見てみたかった。
この前かくれんぼして遊んだ近所のお姉さんが話してくれたアリジゴクの姿、それが本当なのかどうか?
一週間ほど前のこと。
「ねえ、友紀ちゃんはアリジゴクって知ってる?」
「何それ?聞いたことも見たこともない」
「だろうね・・・。漢字で書くとね、蟻に地獄って書くんだよ!」
「えっつ?あの閻魔様とかいる地獄?」
「そうそう。でね、どんな姿をしてると思う?」
「わかんない」
「聞きたい?どんなものか?」
「うん、うん」
「カブトムシのような体をして、真っ黒でぺかぺか光るハサミのような手が片方についてるんだって。それでね、自分を見に来た人をその手で穴の中に引きずり込むんだって。そうして・・・むしゃむしゃむしゃって食べてしまうんだってよ」
「えーーーーー、人間を食べちゃうの!そのアリジゴクって、どこにいるの?」
「山の神社にいるよ。今から教えてあげるから、神社に行こう」
二人は神社に行き、お姉さんはこれだよと教えてくれると、自分は怖いから帰ると言う。
「でもさ、こんな小さい穴だよ」
「小さくても穴の中の方は、ぽっかりと大きな穴が空いていて、あのアリジゴクが潜んでいるかもよ」
「うーん」
「ねえ、友紀ちゃん、早く帰ろうよ、もう日も暮れて来たし・・・」
そう言って、お姉さんは友紀の手を引っ張って、どんどん山を下りて行く。道路に出てくると、早々に別れの挨拶をして帰って行った。
友紀はその時のことを思い出しながら、二つ目のアリジゴクに土を落としていた。と、ふとその隣のアリジゴクに目がいった。アリジゴクの底の方に赤いものが見える。
「ん?なんだ?赤い糸のように見えるなあ」
と自分で言った瞬間、これって洋服の切れ端の糸じゃん!こんなところにそんなものがあるはずがないという考えに至ると、友紀は後ずさりして絡まる足を前へと運び、境内を後にした。
それ以降、友紀は神社に行くことはなかった。中学受験をするため、塾に通うことになり、多忙になった。それからは希望の中高一貫校に合格し、家族ごと町の方へと引っ越した。
でも、ときおり思い出すのだ、あの日のことを。こんな暑い日だったなあ。
高3の夏休みの計画をしながら、アイスを食べていた友紀は、今日も今日とて、おしゃべり好きの母が友だちとスマホで話しているのをリビングで聞いていた。
「そうそう、そいえば、そんなこともあったわねえ。あれって、本当だったのかしら?それともただの噂だったのかしら?」
向こうの返事は聞こえてこないが、友紀は耳をそばだてた。
「えー、本当なの?うん、うん、お互いに子どもが無事でよかったわねえ。うち?もう高3よ、受験生なのに、遊ぶことばかり考えてるわ。そのうちに、お茶でもしましょうよ、じゃあね!」
母がスマホを耳から外すのが見えた。
「おかあさん、何の話?」
「ああ、前に住んでた村があるでしょ。あそこでね、女の子が行方不明になってね、とうとう見つからないままなんだってよ」
「いつの話なの?」
「私たちが引っ越す少し前みたい」
友紀はそこで、あの赤い糸を思い出した。
そうだ、血のように赤い色だったと。