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花火の下で

 展覧会最終日。


 木蓮は宴に参加したのち、まっすぐに後宮へと向かっていた。


 先ほどの宴に出席した際、らい皇子の母である鄭夏ていか妃から姫棋の絵を購入したい、との申し出があったのだ。どうやら展示されている宮女の絵を見た犁皇子に、買ってくれとせがまれてしまったらしい。

 木蓮はさっそくこのことを姫棋に伝えてやろうと、夜道を急いでいたのである。


 外はもうすっかり暗くなり、夜空には無数の星が煌いていた。ここ数日、ずっと雨雲に覆われていたのが嘘のようである。

 しかし、もうすぐ後宮の入り口。というところで、はたと木蓮の足が重くなった。


(今、彼女に会ったら)


 絵が売れたことを伝えるだけで、すませられるだろうか。

 いや、きっとこの前の返事を聞かずにはいられない。


 木蓮は逸る気持ちを抑え、後宮と外廷を隔てる大門の前で足を止めた。


 (絵のことはまた文で伝えればいい)


 そうすれば余計なことを言って、彼女を追いつめることもないだろう。

 ただ、そう思い直してもすぐには引き返す気になれず、木蓮は大門の柱にもたれかかり、ほうと白い息を吐きながら輝く星空を見上げた。




 ◇  ◇  ◇




 展覧会最終日の尚食局は、やはり荒れていた。それでも姮娥こうがが宴の縮小をとりなしてくれたおかげで、何とか大きな問題なく展覧会を終えられそうだった。


 姫棋が洗い上げた皿を拭きながら、やっと部屋で休めると思っていたとき、後ろでパンパンと手を叩く音が響いた。


「さあ。手の空いたものから、大講堂へ集まりなさい」


 姫棋がふり返ると、尚食局長がキッチンにやってきていた。


「何事でございますか?」


 宮女の一人が怪訝そうな顔で質問する。


「また新しい妃が選ばれたのです」


 局長は面倒くさそうに答えた。しのごの言わずに早く行け、という雰囲気である。

 そんな局長をよそに、厨の中はひそひそ声で溢れた。


「また妃が?」

「これで何人目よ」


 そんな声を窘めるように局長が言う。


「今回選ばれたのは宮女です。もしかすると、あなたたちの誰かなのかもしれないのですよ。気を引き締めなさい」


 選ばれたのが宮女と分かるや否や、厨に驚きと歓喜の声が上がった。先ほどまでは、世話をする妃嬪が増えることに文句たらたらだったというのに、手のひらを返したように皆うっとりした声を出している。

 そんな中、一人青ざめていたのは姫棋だった。


(わたしがここにいると、ばれた?)


 神官たちが自分を見つけて、再度妃嬪として選んだのだろうか。そんな不安がこみあげてくる。


 ぞろぞろと厨から出て行く人の波に乗せられ、姫棋も大講堂に向かう列に加わった。しかし今の姫棋は自分がどこをどう歩いているのかすら分かっていなかった。

 隣で鈴明がまた甘い妄想にひたっているのも、遠くで聞こえる雑音のようにしか感じられなかった。

 


 大講堂には尚食局で働く宮女たち全員が集められていた。姫棋たちが大講堂に入ったのはどうやら一番最後だったようである。大講堂に足を踏み入れた直後、ばたんと大きな音を立て扉が閉められた。

 前にたくさんいる宮女たちの間から見えるのは、華美な衣装に身を包んだ神官たち。

 その一人と目が合いそうになって、姫棋はすっと前にいた宮女の陰に隠れた。

 もし姫棋が選ばれているなら、そんなことをしたって今さら意味はないのだが。


 神官が仰々しい様子で壇上に上がった。


「今宵、我々がここへ来たのは他でもない。神が陛下の妃を選ばれたからである」


 大講堂は先ほどの厨より、さらにざわめいた。


 姫棋は下を向いて自分の胸に手を当て、どくんどくんと大きく波打つ鼓動をなんとかなだめようとしていた。


 (もし選ばれたのがわたしだったら)


 木蓮と絵の仕事をすることはできなくなる。 

 そして木蓮とも、もう――。


 姫棋はぎゅっと目を瞑った。

 

 神官たちは、錦の装飾が施された巻物を取り出し高くかかげ、うやうやしい手つきでそれを開いていく――。


「この度、妃に選ばれた者は」


 神官が声高に名を告げる。



「尚食局宮女、鈴明!」



 姫棋の隣で悲鳴にも似た喜声があがった。と同時に肩を強く揺さぶられる。だが、姫棋には親友の声はもう届いていなかった。

 一時の脱力の後、姫棋は人ごみをかき分け、大講堂の扉を開けて外に飛び出した。


 冷たい夜風が吹きすさぶなかを、後宮の外へ出る大門を目指して走る。

 桃色のスカートが翻り、寒さで身が裂けそうになっても、かまってなんかいられない。そんなことはどうでもよかった。


 (わたしはどうして、こうなるまで気づけなかったんだ)

 

 今の自分があるのは、彼がずっと自分の絵を好きでいてくれて、どんな時も支えてくれていたから。


 ――木蓮は、わたしに、美しく生きていくすべを、与えてくれたんだ。


 本当はずっと分かっていた。だけど、男だからというだけで、彼の思いもそのありがたさも気づかないふりをしていた。

 もしかすると木蓮も同じだったのかもしれない。彼はいつも自分の気持ちを語らない。しんねりと、心の奥に隠してしまう。でも木蓮は、あの星空を、彼の夢を見せてくれた。気持ちをますぐに、伝えてくれた。

 彼は、変わったのだ。


 (わたしも変わりたいと思う)


 男だからではなく、人としての木蓮に。伝えたい。


「今、どこにいるだろう」


 もう宴は終わった。

 なら官舎に戻っているだろうか。それとも理部の次官室。

 どこでもいい。

 彼がたとえどこにいようと、必ず見つける。

 彼が、


(わたしを)


 見つけてくれたように。



 暗い夜道の向こうに、後宮から外廷へと通じる大門が見えてきた。

 と、門柱の傍に誰かいるのが見えた。柱に寄りかかって透けるような夜空を見上げている。


「木蓮!」


 張り上げた声に彼は姫棋の方へ向き直り、驚いたような顔になる。


「どうしてここに?」


 それはこちらが聞きたいくらいだった。が、そんなことはもうどうでもいい。

 姫棋は息を整える。少しの時間ももどかしい様子で。


「木蓮、この前言ってくれたよね。一緒になろうって」


 そう言うと、木蓮は少し動揺したような顔になった。

 彼はもしかして、あの時言ったことを後悔しているのだろうか。

 でも、姫棋はそんなことでめげない。だって。


「わたしも分かった、自分の願い……。わたしは、木蓮が夢をかなえるのを、一番近くで見ていたい。だから――」


 姫棋は輝く瞳を、まっすぐ木蓮の瞳にすえた。

 すうっと息を吸い込む。



「わたしの絵を、わたしが絵を描くのを、ずっと傍で見ていてほしい。わたしが描けなくなる、その日まで」



 木蓮は驚いたように目を見開いたあと、そして、ふっと柔らかく微笑んだ。


「いいだろう。その話、のってやる。だけど――」


 木蓮は姫棋の両手をとる。


「嫌だって言っても、もう、絶対離してやらないからな」


 そう言って優しく手を握る木蓮に、姫棋はとびきりの笑みを返した。



 その時、ひゅうと高い音が宮城に響く。

 間もなく、夜空にぱっと花火が開いた。


 

 それは何の変哲もない花火。

 だけど二人がこれまで見た花火のなかで、最も美しい花火だった。


 人生は見方によって変わるもの。


 姫棋と木蓮は今、人生を美しく彩る見方を、知ったのである。














ここまで読んでくださった皆様。本当にありがとうございました。

ここまで書ききることができたのは、ひとえに応援くださった皆様のおかげです。


これにて第一章終幕となりますので、一旦完結とさせて頂きます。


もしよろしければ評価やご感想等頂けましたら、今後のはげみになります。ぜひ、よろしくお願いします。

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