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睡蓮の池

 展覧会前日。

 木蓮と姫棋は、展覧会に出展する絵を会場に運んでいるところだった。


 木蓮は、隣を歩く姫棋の顔をこっそりのぞいてみる。

 

 正直、今日、姫棋と会うのが怖かった。

 彼女があの夜、らい皇子を見つけた後のことをどう思っているのか、分からなかったからである。

 だが久しぶりに会った姫棋は、いつもと変わらない様子で、あの夜のことには全く触れる素振りはない。根を詰めて絵を描いていたのか、少し疲れているようではあるが、それを除けばいたって普段通りだった。


「さすがに人も減って来たな」

 

 姫棋が辺りを見回しながら呟く。


 今日は多くの者が展覧会の準備で宮城内をせわしなく駆けまわっていた。展覧会の開催期間中は、国内外から多くの美術品が集められ、さらに美術品の展示だけでなく、茶会や歌詠み、夜には毎晩宴が催されるのである。官吏も、侍女や宮女たちも、それぞれその準備に追われていた。


 ただ、さすがに亥の刻(二十一時)ともなれば、通りを歩く人もほとんどいない。

 木蓮は、わざとその時刻をねらって自分たちの作業を開始したのだ。


 姫棋が宮廷内で絵を描いていることは、まだ内密にしていた。知るのは自分と姮娥・賀紹、それに常依依だけ。


 そして今回、姫棋には偽名を使って作品を出展させ、購入の相談窓口は自分一人で交渉にあたることにしていた。


 本来なら、堂々と本人名義で出展させてやりたいところだが、宮城内で姫棋が目立ってしまうと、やはり神官たちの目にとまる可能性が高まる。姫棋が妃候補であったことが露見しないようにするためには、偽名を使い、こうやって人目を避けて、こっそり絵を会場に運び込む必要があるのだ。


「ここが会場かあ」

 

 そう呟きながら姫棋が目の前に佇む宮殿を見上げる。普段は祭事に使われている宮殿であった。


 木蓮は姫棋を連れ、裏口からその宮殿の中に入って階段を登り、大広間へと進む。

 姫棋の作品を展示する場所を確認して、運んできた荷を下ろした。


 絵は、二枚。


 一つ目の包みに入っていたのは、泉に浮かぶ睡蓮の絵だった。


 睡蓮というのは朝に花が開き、夕方になると閉じて蕾に戻る。

 絵の中の睡蓮は朝(もや)の中、花を開き始めたところの様子が描かれていた。


 木蓮はその絵を姫棋から受け取って壁にかけてやる。そして、少し離れてその絵を見つめた。


 姫棋の描いた睡蓮は、怖いほどに生々しく、生命力にあふれていた。

 睡蓮は極楽浄土にも咲くと言われる花。だからなのか、その力強さはまるで、生きる辛さも死への戦慄も全て知ったうえで、それでも花開くのだ、と言わんばかりだった。


「君の絵は、いつもこう、強烈に心に訴えてくるな」


 こぼれるように言葉が漏れていた。ほとんど独り言のようなそれだったが、姫棋にはしっかり聞こえたらしい。


「そうかな」


 と自分の描いた絵を見つめながら呟いている。


「私にも芸術の才があったら、君の見る世界がもっとよく分かるんだろうか」


 そう言うと、姫棋は不思議そうな顔をした。


「芸術の才は分からないけど、少なくとも、芸術を楽しむ感性は持ってるでしょ」


 木蓮はその言葉に驚いて、姫棋の顔をまじまじと見つめた。


(芸術を楽しむ感性?)


「そんなもの私にはないよ」


 木蓮はまた睡蓮に目を向ける。

 姫棋は、そうかなあ? と首を捻りながら二枚目の包みを開ける。


 二枚目の絵は、働く宮女たちの様子が描かれていた。


 夕陽が差し込む厨。薄汚れたお仕着せに身を包んだ宮女たち。煌びやかな後宮の、その裏側。


 先ほどの睡蓮の絵と比べるとずいぶん荒々しい筆運びだが、むしろそれが、宮女たちの仕事の過酷さを表現しているように思えた。

 絵画としては珍しい題材モチーフだが、これもまた美しい絵である。

 木蓮は絵を見ながら遠い昔を思い出していた。

 宮女の仕事というのはけっして楽ではない。

 木蓮は七年もの間、宮女たちの仕事を間近で見てきたからよく分かる。

 冬は冷たい水に手をさらしあかぎれをつくりながら、上級妃たちの衣を洗い、夏は地獄のような暑さの中でも、竈に火をくべ煮炊きをして、自分たちはけっして口にすることのない豪華な膳を整える。

 この絵は、そんな彼女たちの日常を切り取ったものだった。


「宮女の仕事は辛いか?」


 木蓮が聞くと、姫棋はとなりで、ううむ、と唸る。


「大変なことはあるけど辛くはないかな。野菜切るの、得意だし」


 姫棋はからから笑った。

 そんな彼女の心持ちを反映してか、この絵は、宮女という過酷な仕事を題材にしていながら、けっして卑屈な雰囲気ではなかった。




 木蓮と姫棋は展覧会の準備を終え、宮殿の外に出てきた。

 時刻は子の刻半(二十三時)ごろだろうか。辺りに人は見当たらない。


「いやあ、やりきった」


 姫棋は空に向かって両手をのばした。

 宮女の仕事をこなしながら、あれだけの作品を二つ描くというのは大変だっただろう。


「お疲れ様」


 無意識に言葉がもれていた。すると姫棋は何だか少し驚いたような顔をしたが、すぐにニヤリとほくそ笑む。


「今から前祝いといこうか」


 そう言って、姫棋は背負って来た風呂敷からなにやら壺を取り出す。その壺の栓を、きゅぽんと抜いてぐいと渡してきた。

 木蓮はそれを受け取って中に入ってるものの匂いを確かめてみる。


「酒を持ってきたのか」

「だって、やっと絵が完成して手を離れたんだから。これくらいいいでしょ」


 明日から忙しくなるし、と姫棋は口を尖らせた。


 展覧会の開催期間中は地方から賓客が呼ばれ、市井からも人が入って来る。そういった人たちをもてなすため、宮女は普段以上に忙しくなるのだ。


 祭りだと浮かれてはいられないのである。

 確かに祝うなら今夜なのかもしれない。


「分かった。付き合ってやる」


 木蓮が肩をすくめると、姫棋はさっそく酒を一口含んで言った。


「今日は暖かいし、外で飲もう。夜の蓮を見に行こう」





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