麗しき官吏の憂鬱
蔡木蓮は、とある街の馬車乗り場でブツブツ独り言ちながら、もう四半刻もそこをグルグル歩き回っていた。
道行く人々が、そんな木蓮の姿をちらちら見ながら通りすぎていく。
中には彼の様子を訝しんで捕吏に通報しようと考えたものもいるようだったが、通行人の多くはむしろ彼の容姿に目を奪われ見惚れてしまっていた。
というのも木蓮は、束の間、人々から思考を奪ってしまうほどに美麗な容姿の持ち主なのである。
なめらかな弧を描く瓜実顔には理知的な黒翡翠の瞳が宿り、深栗色の垂髪が風になびけば、陽の光に透けた琥珀のようにきらめいた。
そのすらりとした体躯も相まって、彼は妖艶な雰囲気を纏う青年なのである。
そんな木蓮の麗しき姿を、通行人たちは相も変わらず眺めていたが、彼は今、その視線にも全く気づかぬほど、あることで頭がいっぱいだった。
「何で私がこんなこと……」
彼の頭を悩ませているもの。それは、皇帝より課せられた任務であった。
木蓮は夏后国という国の官吏。その夏后国の皇帝から下された命というのが、他国の小姐を宮廷に連れてこい、というものだった。
皇帝はその小姐を自分の妃の一人に加えようというのである。
「いったい世継ぎを何人つくれば気がすむんだ」
ここが異国であるのをいいことに、木蓮は皇帝への不満をはき出した。
夏后国の現皇帝は齢四十を超え、その妃嬪の数は歴代最多となっていた。子宝にも恵まれ、皇太子を含めた皇子の数は両の手では収まらない。
にも関わらず、さらにうら若き乙女を妃に、と所望した皇帝は神官に占いをさせた。
夏后国では皇帝の妃を占いで選ぶのである。これは閨閥をつくらないためのものといわれているが、よりにもよって神は他国の小姐をご宣託されたのであった。
しかも小姐を迎えに行く者まで神、もとい神官たちによって選ばれるのだ。木蓮は幸か不幸か吉兆の相が出ているとして、大勢いる官吏の中から小姐の迎え役として抜擢されてしまったのである。
木蓮がなおも溜息を吐きながら馬車乗り場の前で行ったり来たりしていると、御者たちが迷惑そうな目で木蓮を睨みつけていた。
「兄さん、乗らないなら他所に行っとくれよ」
御者たちにとっては営業妨害以外のなにものでもなかった。
(行くしかないか……)
いくら考えたところで、この任から逃れられないことは木蓮も分かっていた。しがない官吏に上司の命令は絶対。それが皇帝のものとなればなおのことだ。
木蓮は並ぶ馬車の一つに乗り込む。
馬車は待ってましたとばかりに勢いよく発車した。
窓から見える景色はすぐに田園風景に変わる。流れゆく緑を眺めがら、木蓮はこれから会う小姐のことに思いをはせていた。
「後宮入りなどきっと望んではいないだろう」
後宮に入る小姐というのは哀れだ。子を産むためだけに狭い世界に閉じ込められ自由を奪われ、さらにその能力がなくなれば尼寺に厄介払い。二度と故郷には戻れず家族にも会えない。
そんな不自由を強いられた女たちに、木蓮は昔の自分を重ねていた。
幼い頃、宮廷という魔窟に連れてこられた、自分と――。
ガタタンッ。
馬車の車輪が跳ねた。
ずいぶん道が悪いようである。外の景色も荒涼としてきて、とても人の住みよいところには思えない。
(はてさて、どんな小姐が待っているのやら)
木蓮は馬車に揺られながら、どうか無事に任を終えられるようにと祈っていた。