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蛇女

 姫棋が配属された尚食局しょうしょくきょくで、歓声が上がっていた。



「あんた、ほんと器用だねえ!」



 その歓声の中心にいるのは姫棋である。

 華麗な包丁さばきで、大根を蓮の花に変えてみせたのだ。


 もともと手先が器用な姫棋に野菜を切らせれば、彼女の右に出る者はいなかった。

 彫刻の要領で野菜たちを華やかに変身させていく。



「次、次はこれをやってみて」



 姫棋は宮女の一人から甘瓜メロンを受け取った。


 幼児の頭ほどの大きさがあるそれに包丁を入れると、中から甘くかぐわしい果汁が溢れだし、橙色の瑞々しい実が現れた。

 姫棋は、その実を多角形や花の形に切りそろえ、皮を皿代わりにして盛り付けていく。

 甘瓜はあっという間に、花籠に生まれ変わった。


 その出来栄えに宮女たちが再びわっと歓声をあげるなか、その場に似つかわしくない冷たい声がキッチンに響いた。



寧寧ねいねい妃の昼餉ひるげを用意したのは誰かえ?」



 まるで暗い沼の底から聞こえてきたかのようなその声は、賑やかだった場の空気を一瞬で凍らせた。


 厨にいた宮女たちは一斉に声のした方をふり返る。

 キッチンと妃嬪たちの宮殿とを繋ぐ回廊の入り口で、痩せた青白い顔の女が立っていた。


 寧寧ねいねい妃つきの侍女、倪可げいかである。


 顔色が悪いわりに目だけは獲物を見据える蛇のようにぎらついている。

 その目に睨まれた宮女たちは、射竦められたようにひゅっと体を縮めた。


 みな押し黙って震えているなか、宮女の一人が恐る恐る倪可げいかに尋ねた。



倪可げいかさま。昼餉に何か、問題でもありましたでしょうか?」



 倪可げいかはそのげっそりした顔の影をより濃くした。



「問題とな? ああ、まことに重大な問題があった。寧寧ねいねい妃の昼餉に、毒が盛られておったのだからな」



 それを聞いた宮女たちは怯えたように目を見開いて、互いの顔を見つめ合った。


 妃の膳が配られるまでには幾重にも毒味がなされる。しかもこの国では、毒を検知する毒見紙どくみしという道具があり、人と毒見紙、二重の毒見が行われていた。


 なので、それらをくぐり抜けて毒を混入するというのは極めて難しいことなのだ。


 考えられるとすれば、毒味紙で調べられないものや遅効性の毒。

 ただそんな毒を宮女が手に入れられるとは考えにくい。そもそも寧寧ねいねい妃に毒を盛る理由もよく分からなかった。


 寧寧ねいねい妃は帝より少し年上だから四十は過ぎている。公主を一人産んだが、その後は帝から特に愛でられているわけでもなく、どちらかというとひっそり暮らしている印象の妃だ。

 そんな者を今更殺そうとする者がいるのだろうか。


 姫棋は一人この状況に首を傾げていたところ、倪可の後ろでひどく体を震わせている宮女がいるのに気づいた。


 しつこく姫棋に嫌がらせをしてくる宮女、鈴眀りんめいである。


 いつもは不自然なほど胸を張り、紅を塗りたくった頬を見せつけるようにしているのに、今の彼女はまるで蛇に睨まれた蛙のように青ざめていた。



「膳を作ったそなたらの中に、科人とがびとが紛れておろう。さあ、身の程を知らぬ愚者はいったい誰じゃ?」



 倪可げいかは薄ら笑いを浮かべながら、冷たく甘ったるい声で、諭すように言った。

 厨の空気は、ひりと張りつめ静まり返る。

 こんな状況で仮に犯人がいたとして、名乗り出るものなどいるだろうか。



「誰も名乗り出ぬなら、一人ずつ調べてやるとしよう。嘘など言ってもげい家には通用せぬぞ。われらの特技は、そなたらもよく知っておろう」



 倪家一族というのは、古来からあらゆる巫術・毒物を用いることで策略謀略に長けてきたのだという。表向きは薬の専門家として名を馳せているらしいが、そんなことを信じている者はこの宮廷に一人もいなかった。

 あの口ぶりからすると、倪可げいかは自白薬のようなものも持っているのかもしれない。



(むしろ毒を盛ったのは、おまえではないのか)



 姫棋はそう思いながら、愉快げに薄ら笑いを浮かべる倪可を見つめていた。



「ようし、そなたから調べてやろうか」



 倪可が狙いを定めたのは、姫棋の隣に立っていた宮女だった。倪可に睨まれたその宮女は足をがくがくと震わせ、声も出せぬほどに怯えた表情をしている。


 それを見た姫棋は、無性に怒りがこみあげてくるのを感じた。


 この倪可という女、いきなりやってきて毒がなんだと言っているが、はたして本当のことなのだろうか。 自分の主に毒が盛られていたというわりには、彼女は焦りや怒りよりむしろ、この状況を楽しんでいるように見える。


 それに、もし本当に毒が盛られていたなら、まず刑部に調査を依頼せねばならないはず。自ら犯人を見つけようというのは、どうもおかしい。



(自分の力を見せつけたいのか)



 この倪可という者は女だが、男どもと同じだ。力にものをいわせてよわいものを虐げる――。

 姫棋は、すうっと息を吸った。



「膳に毒が盛られていたという証拠はあるのですか?」



 その場にいた全員の目が姫棋に向いた。


 倪可は、まさかこの状況で自分が問われる側に回るとは思っていなかったのだろう。驚いたように目を見開いたが、その顔はすぐに不愉快そうに歪む。



寧寧ねいねい妃は昼餉を召されたのち、気分を悪くされたのだ。昼餉に毒が含まれていたに違いない」



 姫棋は、怪訝な目で倪可げいかを見返した。

 まさか、食後の気分不良というだけで毒が入っていたと決めつけているのだろうか。てっきり侍医が毒による症状だと申告したのだと思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。



「毒が入っていたというのは誰の意見ですか? 侍医はなんと?」


寧寧ねいねい妃は奥ゆかしい方なのだ。これくらいで侍医の手を煩わせてはいけないと遠慮されている」



 毒が入っていたかもしれないというのに侍医の診察を断るなんて変だ。

 


「元々、寧寧ねいねい妃の調子がお悪かったという可能性はないのですか?」


「そなた、何ということを言う!」



 倪可はその血色の悪い顔に血をのぼせる。



「しかし、寧寧ねいねい妃の気分不良が膳のせいかどうか分かりません。まずは侍医に診せてから、刑部で膳の毒を調べてもらいましょう。膳はどこにありますか?」



 恫喝にも動じる様子のない姫棋に、倪可はさらに顔を歪める。



「毒入りの膳など、すぐ処分させた。だがその前に毒の有無は調べている」


「どうやって調べたのですか?」


寧寧ねいねい妃の膳を鯉に食わせた。その鯉は可哀そうに、すぐに浮かび上がってきおったわ。そなたは、それでも毒が入っていなかったと申すか」



 鯉が膳の毒にやられたというなら、どうして寧寧ねいねい妃が食べる直前に確認したはずの毒味役は気づかなかったのだろうか。大事な証拠であるはずの膳をすぐに処分するというのも不自然である。


 やはり倪可の話は全く辻褄が合わない。


 姫棋は倪可が単に言いがかりをつけているようにしか思えなかった。

 ならばこれ以上、この女と話すことに意味はない。話すべきは侍医か刑部の官吏とだ。



「きっとその膳を食べた鯉も、今日は体調が悪かったのでしょうね。可哀そうに」



 そう言い捨て、まずは尚食局長へ報告せねば、とその場を離れようとする姫棋。彼女に今にも噛みつかんばかりの倪可が口を開こうとしたとき、ぱしんっ、と戸の開く音が響いた。



「倪可殿、これは何ごとです!」



 厨に入ってきたのは、宮女長、賀紹がしょうであった。


 彼女は、戦神も肝が冷えるような厳めしい顔で乗り込んできたかと思えば、つかつかと倪可げいかに詰め寄った。



「宮女の不始末であれば、まずわたくしにお伝え頂く取り決めのはず」



 後宮の規則をお忘れか? と賀紹は語気を強める。



寧寧ねいねい妃の膳に毒が盛られていたのだ。犯人が逃げる前につかまえねばならぬ」


「だとしても、まず私に一報入れるのが筋というものです。私の管轄下で勝手なことをされては困る」



 続きは私の部屋で聞きます。と、賀紹は有無を言わせぬ剣幕で倪可を連れて行った。



 二人の足音が遠のくと、尚食局の一同はそれぞれに胸をなでおろし、安堵に泣きだす者もいた。



「あ、ありがとう」



 姫棋の隣にいた宮女がぼろぼろと涙をこぼして姫棋に礼を言った。他の宮女たちも、わっと姫棋を取り囲む。


 そんな中、群がる宮女たちをかきわけ、一人の宮女が姫棋の前にやってきた。さきほどまで青ざめていた顔を真っ赤に泣き腫らして、姫棋に飛びつく。



「あり、ありが、と。私…がっ、寧寧ねいねい妃に、膳を持っていったから」



 姫棋に抱き着いたのは、鈴眀りんめいだった。



(そんなことだろうと思った)



 尚食局の中で最後に膳に触れるのは、それを配膳した者である。となれば、この中で一番に疑われるのも膳を運んだ者だ。鈴眀はいつ自分に倪可げいかの目が向くかと内心生きた心地がしなかっただろう。


 姫棋に抱き着いた鈴眀は、人目もはばからず泣きじゃくっていた。



「ああもう分かったから、泣くな。泣いたらおまえ……」



 ほら、言わんこっちゃない。


 鈴眀の顔面は青ざめた蛙から、半分溶けた蝋人形に姿を変えていた。

 姫棋はなんとか鈴眀の体を引き剝がして言う。



「だけど、まだ疑いが完全に晴れたわけじゃないだろう」



 鈴眀の顔から、またさーっと血の気が引いていった。今度は魚人のような顔になっている。

 そんな二人のやり取りを聞いていた古株宮女の一人が姫棋に声をかけた。



「賀紹様が来てくださったから、もう安心して大丈夫よ」



 他の宮女たちも同意するように頷いている。

 首を傾げ、何でそう言い切れるんだ、と問う姫棋に先ほどの宮女が答える。



「だって毒なんて嘘だから。倪可様は、ただ宮女たちを弄びたいだけなのよ」



 どうやら倪可は、つまらぬ言いがかりをつけては宮女を自分の部屋に連れ込み、いたぶって遊ぶのだとか。今までそうやって連れて行かれた宮女は一人や二人ではなかったというから、みんな今度こそ自分が餌食になるのではと怯えていたわけだ。


 まったく趣味の悪い女である。


 しかも倪可は丞相であるげい仲韻ちゅういんの姪だというから、なおさら宮女たちは抵抗することもできず、倪可にされるがままだったのだ。


 そんな倪可に反撃した姫棋を、尚食局の宮女たちが羨望の眼差しで見つめるのも無理はなかったのである。



「あなたって頼もしいのね」



 姫棋はこの一件から、すっかり鈴眀に懐かれてしまった。

 全く望んでいなかったことだったが、煩わしい嫌がらせが減ったのは、まあよしとしよう。

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