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化粧道具屋3

 姫棋が客間に戻ってくると、木蓮は涼炉りょうろを借りてきて小鍋で膠を溶かしてくれていた。

 完全に、雑用を押し付けてしまったわけだが、木蓮は楽しそうに木べらで鍋をかき混ぜていた。

「これでいいか?」

「うん、ありがとう」

 姫棋は、木蓮から溶けた膠を受け取るとさっそく絵を描く準備をはじめる。

 周珉しゅうみんから借りてきた皿に、持ってきた顔料と、木蓮が溶かしてくれた膠を数滴たらす。

 姫棋は皿の上で色をつくり膠と混ぜながら、さっきの周珉の話を思い出していた。

 周珉も自分と同じで嫁に行きたくない女。でも周珉の場合は、今は(・・)嫁ぎたくないだけで、いつかは嫁に行きたいと思っている。

 周有は妹のことを思いやりのある良い子だと言っていた。確かにそうだと思う。あの母親の面倒を一人で看てきたのだ。

 なんとか彼女の想いを両方、叶える方法はないだろうか。母への想い、嫁に行って幸せになりたいという思い、両方を――。

 その時、木蓮がとなりにやってきて椅子に座った。どうやら絵を描いているところを見たいらしい。

「明日もは沐浴日やすみの日でよかったな。遅くなっても大丈夫だろう。まあ私は仕事だけど」

 これは木蓮なりに、ゆっくり描いていいよと言ってくれているのだろうか。と思いながら姫棋は頷いた。

(遅くなっても、か……)

 姫棋はその言葉に、あることを閃く。

 そして素早く筆をすべらせた。

 途中、周珉が持ってきてくれた包子にくまんを口にくわえながら、休憩もとらず一気に描き上げる。

 仕上がった絵を見た木蓮は首をひねっていた。

「何で、二枚描いたんだ?」

 姫棋は微笑んでみせる。

「まあ、後で説明するから」


 周有しゅうゆうが店に帰ってきたところで、周有と周珉しゅうみんに客間へ来てもらい、描き上げた絵を見せた。

 まずは化粧道具の絵。

 霞のなかに現れるのは、淡い桃色の花。その花の木に寄り添うように一人の女が立っている。彼女は今にも消え入りそうなほど儚げで、でも、彼女の唇だけは透き通るように赤く、生まれたての桜桃おうとうのように瑞々しい。

「これは、まるで桃源郷にいる仙女ですね」

 周有が絵を見つめながら感嘆混じりに言った。

「綺麗……」

 周珉も兄の隣で絵を覗き込んでいる。

 そんな周珉の顔を見ながら姫棋が言った。

「あなたを、描かせてもらいました」

 姫棋の言葉に驚いたらしい周珉は恥ずかしそうにぽっと頬を染めた。そしてもう一度、絵をまじまじと見つめ、何かに気づく。

「あら? この匂い、もしかして……」

「そうです。先ほどの紅を少し顔料に混ぜてあります」

 絵からは、紅の甘い香りが漂っていた。

 姫棋は女の唇と薄桃色の花に、先ほど周珉が自分の唇につけてみせた紅を混ぜ込んだのだ。

 人を引き寄せるのは、目で見えるものだけではない。

 つい美味しいごはんの匂いにつられてしまうように、香りというものもまた、人を強く惹きつけるものだ。

「ありがとうございます。さっそく店先に貼らせてもらいましょう」

「気に入って頂けてよかったです。それから……」

 と姫棋はもう一枚の絵を卓の上に広げた。

 周有と周珉が、その絵を見て首を傾げる。

「あの、これは?」

 姫棋が見せた絵に描かれていたのは、周珉の花嫁姿だった。

 真っ赤な生地に金の刺繍が施された花嫁衣裳。先ほどの絵とは打って変わって、その絵は豪華に艶やかに描いてあった。

「わたしは、これから余計なことを言います。他人の戯言と思って聞いてください」

 不安そうな顔をする周有と周珉に構わず、姫棋は続けた。

「陳殿に言って、婚姻を遅らせてもらってはいかがでしょうか?」

 周有と周珉は驚いた顔をしている。何と返していいのか分からぬという雰囲気だ。 

 木蓮も目を瞬かせていた。

「彼に、正直に理由を伝えるのです。お母上の体調が芳しくないから付き添いたいと。けっして嫁に行きたくないわけではないということを伝えるために、この絵を一緒に贈ってはどうかと思い描いてみました。もちろんこの絵のお代はいりません。わたしの勝手な押し付けです」

「あの、ですが……」

 周有が言いづらそうに呟いた。が姫棋はさらに続ける。

「今言ったことは赤の他人の言うことです。陳殿に婚姻延期を申し入れるも、この絵を使うも、全てあなたたち次第。わたしの言う通りにする必要なんかない」

 姫棋はそこで一呼吸置く。そして二人を見つめ言う。

「でも、もしお母さまのことを陳殿に話して、それで彼が怒ったり縁談を破棄するようなら、そもそもそんな男には嫁がない方がよいのです。そんな奴、たとえ周有様がどれほど金子を用意しても、けっして周珉様を大事にしてくれませんから」

 姫棋は男に嫁ぐ気はない。だからといって他人にもそれを押し付けようとは思わない。嫁に行きたい女はいけばいいのだ。

 ただ、せめて皆。嫁に行った先で辛い思いをしないで欲しいと思う。

 あねのようにならないで欲しい、と願う。

 周珉は話を聞きながら姫棋の顔を見つめていたが、ふいに周有の方へ向き直った。

「あたし、陳様にお願いするわ。もう少し待って欲しいって」

「でもお前それは……」

「今まで母様を看てきたのは、あたしよ。あたしに最期まで看させてほしい。それに姫棋さんの言うとおりだわ。きちんと理由をお話しして、それでも待ってくれない人なら、あたしもそんな人のところへなんか嫁ぎたくない」

 周有はすぐに首を縦にはふらなかったが、それでも可愛い妹には敵わなかったようだ。

 結局、今日中にも陳殿に文を書いてみると言っていた。


 姫棋と木蓮が店の外に出た時、ちょど夕陽が沈もうとしている時だった。

 姫棋は夕陽に向かってうんと伸びをする。

 木蓮は何も言わなかったが、どことなく満足そうな表情を浮かべ先に歩いて行った。

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