行くてを阻む者
今回は意地悪宮女たちとのバトル回です。
姫棋は常依依と契約を交わしてからというもの毎日のように、宮女の仕事を終えてから常邸に通っていた。
だがまだ絵を作成するところにまで至っていなかった。姫棋は直接于計に会ったことがないので、まずは于計のことを知るところからはじめなければならなかったのだ。
今はまだ、常依依から于計の話を聞く段階なのである。聞いては描き、描いては聞き、という地道な作業を繰り返し、于計の顔、髪の色や質感、背丈や体格といったものを一つ一つ探っていく。
これは常依依にとっても大変な作業であったといえるが、彼女は姫棋にとても協力的であった。おかげでわりと早い段階で彼の顔や背格好については把握することができた。
しかし、彼の表面的な特徴を知っただけでは、まだ絵にできない。
人の外見には、その内面が写し出されるものだからだ。于計の内側まで知らなければ、本当の意味で彼の姿を絵にすることはできないのである。
(今日こそは、もう少し踏み込んだ話が聞きたいな)
敏腕侍女と言われるだけあって常依依の話は分かりやすかった。質問に対して的確な答えが返ってくる。
だが話が于計の内面に向いた途端、彼女の話は急に歯切れが悪くなった。その歯切れの悪さは彼女の巧妙な話術によって隠されてはいたが、姫棋には彼女のその些細な変化が気になっていた。
どうにも常依依は、于計のことで人に知られたくないことがあるようだ。
(さて、どうやって聞き出したものかな)
姫棋は今日も、宮女の仕事を終えてから常邸へ赴く予定になっている。
早番だった姫棋は申の刻過ぎには厨を出られた。
姫棋は速足で、内廷(後宮を含めた皇帝の居住区)と外廷(主な政治の場)を隔てる大門へと向かう。
最近は、姫棋が後宮の外へ出ようとしても宮女たちの邪魔が入ることはめっきり少なくなっていた。
「新人いびり」に屈するどころか猛将のごとく勇ましい姫棋の姿に、宮女たちも彼女のことを一目置くようになっていたのである。
しかし、そんな中、未だ執拗に嫌がらせを仕掛けてくる一人の宮女がいた。
「あらあ? あなたもう帰るの?」
姫棋が曲がりくねる回廊を歩いていると後ろから声がかかった。
耳障りな甲高い声に振り返れば、三人の宮女たちが嫌味な笑みを携え姫棋を見つめている。
そのうち一番偉そうに胸を反り返しているのは、姫棋にしつこく嫌がらせをしてくる例の宮女。今日は、金魚のフン二人を連れてのお出ましだった。
(出たな、溶けかけ蠟人形)
姫棋は密かにそのしつこい宮女のことを”溶けかけ蝋人形”と呼んでいた。
なぜなら彼女のこってりした厚化粧は、いつもこの時刻になると眉墨や頬紅が中途半端に溶けて顔の上を流れていたのである。
(何で職場に、そんな厚化粧してくるんだろ)
姫棋たちの職場は尚食局。なかでも宮廷内の食を一挙に引き受ける厨。つまり一日中煮えたぎる鍋の蒸気を浴びる場所である。
そんな場所で働いていれば、厚化粧などどうなるかなんて言うまでもない。
今日も盛大に顔面を崩壊させている彼女は全くそのことに気づいていないらしく、相も変わらず得意げな表情を浮かべていた。
これがもし友人であったなら、そっと鏡まで誘導してやるところなのだが、あいにく姫棋はこの宮女と友になった覚えはなかった。知らぬ顔を決め込むことにする。
「今日の仕事は終わってるでしょう。帰ることに何の問題が?」
「新参者のくせに、お姐さま方より早く帰るなんて良い御身分ね」
溶けかけ蠟人形、またの名を鈴眀というその宮女は、わざとらしい感嘆を交えて言った。
(居残りたいなら勝手にすればいい。人を巻き込まないでよ……)
若い宮女というのは古株の宮女たちが下がってから自分たちも下がる。それは姫棋も知っていたが、そんなことをしていては絵を描く時間など到底つくれない。
姫棋はいつも自分の仕事を終えると真っ先に持ち場を後にしているのだった。
「仕方ないわよ鈴眀。この娘、田舎者だから宮中でのお作法を知らないんだわ」
金魚のフンたちはそう言ってクスクス笑い合っていた。
姫棋の生まれは、山の向こうのそのまた向こう、地図にも載らない山奥の秘境。ということになっていた。なぜかは分からないが、木蓮がそういうことにしておけというのである。もしかすると、異国の者への風当たりを気にしたのかもしれないが、正直、秘境の出身というのも大して変わらないように思えた。
「田舎者のくせに外出許可証なんて、どうやって手に入れたのかしら」
宮女の外出許可証は、宮女が欲しいと言ったところで得られるものではない。高官の印章が必要なのである。
そんなものを後宮に入りたての、しかも特に実家の後ろ盾もない宮女が持っていることを、周りの宮女たちは不思議に感じていた。
「なんでも彼女の村に伝わる秘薬を献上すると言って、ある官吏にねだったらしいわ」
「まあ汚らわしい。怪しい薬でお偉い方を惑わせるなんて」
「しかも他に言えば呪いをかけるといって脅したとか」
「やだ、こわあい!」
噂とは、本人のあずかり知らぬところで尾ひれがついていくものである。姫棋は木蓮に許可証をもらったということも、常邸で絵を描いていることも秘密にしていた。
そうなると代わりに姫棋が外出許可証を手にした、もっともらしい理由を勝手に作り出す輩が出てくるのだ。
(それにしても、暇なんだな)
他人が外出しようが部屋で寝ていようが、この者たちに一体何の影響があるというのだろう。こういうことを気にするものは、たいてい他に考えることがない暇人なのである。
姫棋は大きく溜息をつくと、踵を返した。
「話がそれだけなら、わたしは失礼するよ」
姫棋が門に向かって歩きはじめると、しかし三人はさっと回り込んできて姫棋の行くてを阻んだ。
「待ちなさいよ。まだ話は終わってないわ」
三人はきつと姫棋を睨みつけ、今にも実力行使に出てきそうな雰囲気だったが……。
(彼女たちにそこまでの度胸はないな)
三人とも顔はやる気満々だったが、腰が引けてしまっている。
これならちょっとした言葉を言うだけで済みそうである。
ねえそこの二人。と姫棋は金魚のフン二名に声をかけた。二人は、えっ、という顔で自分自身を指さす。
「わたしに突っかかる前に、まずは鈴眀に言ってやるべきことがあるんじゃないの? 鈴眀の友人なんでしょ、あなたたち。友としてそれを言わないのは、どうかと思うけど?」
その言葉を聞いた鈴眀は訝しげに二人を見つめる。見つめられた宮女たちは慌てて鈴眀から目をそらしたかと思えば、何のことやらという顔を装っている。
その様子にさらに不安になったらしい鈴眀は二人に詰め寄り、三人はやがて甲高い声をあげて口論しはじめた。
姫棋は、けたたましく言い合う三人にひらひら手を振り、外廷へと通じる門をすべり抜けていったのだった。