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リーネのために。  作者: 亜島
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3.「かけがえのない出会い」

 朱音はずっと家に籠もっていたいと思っていた。家にいるのが好きということもないが、学校にいるよりはマシだ。

 朱音が幼い頃に母親は交通事故で他界し、それからはずっと父親との二人暮し。父親は朱音に関心がないようで、会話をした記憶はあまりない。朱音から頼み事をしても、父親は面倒だと言ってほとんど何もしてくれなかった。


 高校に入ってから朱音はいつも、コンビニでパンを買ってから登校していた。父親は弁当を作ってくれたりはしないので初めは朱音が自分で弁当を作っていたのだが、学校で朱音の知らないうちに弁当に何かを入れられたりしていることが多々あった。

 コンビニで買ったパンであれば、開封されていないか、袋に傷が無いかなど、誰かに手を加えられているかどうかが確認しやすい。ただしパン自体が消失していることはあるが。学校の購買を使うという考えもあったが、ほとんどの場合クラスメイトに引き止められたりするため難しかった。


 学校がある日は毎朝が憂鬱で仕方ない。休むことも許されず、重い足取りで学校へ向かう。

 登校して自分の席に着くや否や、クラスの女子生徒に声をかけられる。


「ねえ喜久川。アタシ数学の教科書忘れちゃってさー。貸してくんね?」

「あ……わ、わかった」


 朱音は急いで教科書を取り出し、女子生徒に渡す。奪うように教科書を取ると、彼女は自分の席に戻って行った。

 自分の教科書を渡してしまったのだから、当然朱音が使う教科書はない。だがそれで良いのだ。断ってしまうと酷い暴行や嫌がらせを受けることになり、そのうえで教科書は奪われる。黙って差し出しておいたほうがマシだ。

 その後すぐ、今度は男子生徒が話しかけてくる。


「喜久川、数学の教科書貸せよ」

「え……。その、もう貸しちゃってて……」

「は?ンだよ使えねェな」


 男子生徒は朱音を勢いよく蹴り飛ばす。朱音は椅子から落ち、床に倒れこんでしまう。そして今度は机を蹴り、それが朱音に向かって倒れてきた。中にあった教科書やノートが散らばる。咄嗟に頭を守ったので怪我はしなかったが、恐怖で息が上がっていた。


「ご、ごめんなさい……」


 男子生徒は鼻を鳴らして去っていく。

 これはいつもの出来事だ。誰かが忘れ物をすれば朱音のものを奪い、朱音が代わりに忘れ物をしたことになる。同じ忘れ物をした生徒が二人いれば、どちらかには貸せなくなり制裁を受ける。

 先生の前で行われることはないので、朱音は単に忘れ物の多い、だらしない生徒として扱われていた。


 どうして自分がクラスでこんな扱いを受けるようになってしまったのか。朱音には分からなかった。理由もわからぬまま朱音は暴言を吐かれ、暴力を振るわれ、様々な嫌がらせを受ける。

 休み時間であっても朱音の心が休まることはない。むしろ先生の目がない分、休み時間の方が朱音にとっては苦痛の時間だった。


「よお、喜久川」


 昼休み、昼食をとろうとする朱音は声をかけられる。その声に朱音はビクッと体を震わせてしまう。数人の生徒を引き連れてやってきたのは露峯(つゆみね)だった。

 露峯は朱音を虐めているグループのリーダー的存在であり、最初に嫌がらせを始めたのも彼だった。露峯が朱音に対して行うことは他の生徒と比べても特に酷いもので、朱音は彼を誰よりも恐れていた。


「ちょっと舌出してくんね?」


 後ろ手に何かを隠しながら露峯は言う。露峯は基本、朱音の身体を傷つけたがる。舌を出せ、ということは舌を傷つけるつもりなのだろう。それを分かっていながら従うのは恐怖でしかないが、拒否すれば何をされるか分からない。


「はい……」


 朱音はゆっくりと口を開け、舌を出す。小動物のように縮こまり、小刻みに体が震えていた。そんな朱音の様子を見て露峯は歪んだ笑みを浮かべる。


「なあ、これ何かわかるか?」


 そう言って露峯は手に持っていたものを朱音に見せつけた。ホチキスだ。


「ひっ……!やだ、やだ……!」

「おい、舌しまうなよ」


 朱音は咄嗟に口を閉じ、手で口元を覆ってしまった。何をされるのかはもう予想がついている。従ったほうがいいと分かっていても、体が言うことを聞かなかった。

 そんな朱音を他の生徒が押さえ込み、無理やり口を開かせる。力のない朱音は全く抵抗できず、完全にされるがままだ。体の震えが止まらず、呼吸が乱れる。


「ひゃ、ひゃめ……」

「おいおい、泣くのはえーよ」


 そう言いながら心底楽しそうに笑う露峯。

 ホチキスを持った手が朱音の口内に伸び、パチンと音が鳴り響いた。


 ◆


「っ……!!」


 視界に飛び込んできたのは知らない天井。朱音はベッドの上にいた。木造の暗い部屋を、テーブルに置かれたランプの灯りが照らしている。


「アカネ!ちょっと、大丈夫?凄いうなされてたわよ?」


 リーネが心配そうに声をかけてくる。朱音は全身汗だくで、息が上がっていた。どうやら夢を見ていたようだ。


「り、リーネさん……」


 無意識に朱音はリーネの手を握る。その手の温もりは心地よく、朱音は徐々に落ち着きを取り戻していった。あれは夢だ。この世界に彼らはおらず、あんな目にも遭わなくていい。そして、隣にいるリーネは朱音に優しくしてくれる。


「アカネ……?」

「……わわっ!すみません!」


 慌てて手を離す。リーネは首を傾げて朱音を見つめた。そんな彼女のきょとんとした表情がまた愛らしく、朱音の心を癒してくれる。


「えっと、ここは……?」

「宿よ。倒れたあなたをここまで運んだの」


 朱音は魔力を一気に消費しすぎたせいで気を失ってしまっていた。倒れた朱音をリーネは宿のベッドに寝かせてくれたそうだ。迷惑をかけてしまい申し訳ない気持ちになる。

 受けていた依頼はエキュールを一体討伐したということで、その分の報酬が出ている。受け取りは基本的に冒険者本人でなければならないようで、リーネは既に受け取っているが朱音はまたギルドへ行かなければならない。


「私とイリナの魔力を少しあなたに分けたから、回復は早いはずよ。明日には普通に動けるようになるんじゃないかってイリナは言ってたわ」

「あ、ありがとうございます。わざわざすみません……」

「気にしないで。それよりアカネ、あなたお腹空いてない?」


 そういえば、この世界に来てから何も口にしていなかった。窓の外は既に暗くなっており、それなりの時間が経っているのではないか。

 リーネはテーブルに置いてあった籠を手に取る。中には丸いパンが入っていた。


「すぐそこのお店で買ったの。食べるといいわ」

「は、はい……。いただきます」


 パンを一つ手に取り、かぶりつく。味としてはシンプルで特に甘味があったりするわけでもなく、食感が良いわけでもない。日本で売られているパンの方が質は高いだろう。しかし、朱音にはこのパンがとても美味しく感じられた。

 思えば、これまで食事を楽しめるほど精神に余裕がなかった。学校では常に周囲に怯え、家でも学校のことばかり考えてしまっていた。何をしていてもそんな感じで、物を食べてもほとんど味を感じていなかったような気がする。


「……美味しいです」


 夢中で何度もパンにかぶりつき、あっという間になくなる。その食べっぷりを見てか、リーネは小さく笑っていた。朱音はなんだか恥ずかしくなってしまう。


「気に入ったなら良かったわ。それじゃあ、もう寝ましょうか。アカネも疲れてるでしょ?」

「あ、えっと……。今はあんまり眠たくなくて。さっきまで気を失ってたからですかね……」

「あー、確かにそうかもしれないわね」


 リーネはベッドに腰掛け、隣のスペースをポンポンと叩き朱音に座るよう促した。


「眠くなるまでお話しましょ?」

「そ、それならっ……私、リーネさんのこと知りたいです!」


 朱音はリーネの隣に座り、見つめ合う。何度見ても綺麗な瞳だ。


「私のこと?そうねえ……。どんなことを話したらいいのかしら」

「じゃあ……リーネさんはどうして冒険者になったんですか?」

「冒険者になったのは……自由で楽しそうだったから、ね」


 確かに冒険者は自由そうに見えるが、朱音はとても楽しそうだとは思えなかった。これが魔物と戦える者と戦えない者の差だろうか。


「私ね、自由になりたかったの」

「自由じゃなかったんですか?」

「まあね。一応、エルフの国の王女だから」

「へ?お、王女……?リーネさんお姫様なんですか!?」


 まさかリーネがそんなに身分の高い人物だったとは。こんな風に普通に接していてはいけないのではないか。


「躾は厳しいし、やりたい事もやらせてくれないし、変な相手と結婚させられそうになるし……。それに、私はあの国があんまり好きじゃなかったから。嫌になって逃げてきたのよ」

「どうして、好きじゃなかったんですか?」

「なんていうか、偉そうなのよね。プライドが高くて、他の種族を見下してて。自分たちを上位の存在だと思ってるような、そんなエルフばっかりよ」


 リーネは不満げに言う。他種族を見下すという感覚は分からないが、人種差別のようなものだろうか。エルフは他の種族を見下しており、リーネはそれを良く思っていない。そんなリーネの人格に朱音はどんどん惹き付けられる。


「じゃあ、今度はアカネが答える番ね。元いた世界ではどんな事をしていたの?」

「あ……えっと、私は学生で……」

「学校に通っていたの?アカネの家は裕福だったのかしら」

「別にそんな事は……」


 リーネによれば、この世界の学校は費用の問題により貴族や裕福な家庭の子供しか通えないらしい。平民であれば学校に通ったことのない者の方が多い。学校に通う必要のないこの世界に生まれていれば良かったのに、と朱音はそんな事を考えずにはいられなかった。


「学校は楽しかった?」

「……えっと……その」


 楽しかったわけがない。毎日登校する度に数々の悪口、暴力、嫌がらせ。誰一人として味方はおらず、ただひたすら苦しみに耐えるだけの学校生活だ。だが、それを話していいものだろうか。リーネに余計な気を遣わせてしまうのではないか。朱音が俯き悩んでいると、リーネは何かを感じ取ったようだった。そしてある事に気づき、口を開く。


「……そういえば今日一日、あなた一度も元の世界に帰りたいとか、そういうこと言わなかったわよね」


 普通の人間は突然別の世界へ飛ばされれば元の世界に帰りたいと思い、何か方法はないかと考えたりするものだろう。朱音にはそういった気持ちは全くないため、そのような発言もしていない。


「アカネは、元いた世界が嫌い?」


 リーネは穏やかな口調で問いかけた。なるべく朱音を傷つけないようにという意思が伝わってくる。これまで自分のことをこんな風に気遣ってくれる者はいなかった。朱音はリーネに目を向ける。わずかに滲む視界に、自分を真っ直ぐに見つめるリーネの姿が映る。


「言いたくなかったら、無理に話さなくてもいいわ」


 朱音の背中に手を置き、ゆっくりと撫でるリーネ。彼女は朱音の過去を知らない。しかしそれでも気持ちを感じ取り、出会ったばかりの朱音に優しく寄り添ってくれる。

 彼女に、自分のことを知って貰いたい。


「聞いて……くれますか……?」


 話せば変に心配させたり、気を遣わせてしまうかもしれない。そうだとしても、朱音は自分の過去を打ち明けたかった。周りの誰からも人間のように扱われず、心も体も傷つけられ続けたこと。誰一人として味方はおらず、ずっと一人きりだったこと。何をすることも出来ず、ただ苦しみに耐えるしかなかったこと。そして、それらに耐え切れなくなってしまったこと。

 今まで誰にも相談できず、たった一人で苦しみ続けていた。しかしリーネなら、この苦しみを受け止めてくれるのではないか。その優しさで、朱音を救ってくれるのではないか。


「私っ……ずっと皆から、酷いことされて……!!」


 気がつけば、朱音はこれまでのことを全て吐き出していた。リーネは朱音の背中を撫でながらそれを聞いていた。感情が溢れ、涙を流す朱音を落ち着かせるように。何も言わず、ただ相槌を打ちながら朱音の言葉に耳を傾ける。


「それで私、逃げようとしたんです。そしたら、この世界に来て……」

「……え?待って」


 ずっと穏やかな表情で話を聞いていたリーネが様子を変えた。


「逃げようとしたらこの世界に来たの?でも、あなた最初……死んだはずが、気がついたらここにいたって。そう言ってたじゃない」

「……はい」

「それって……まさか──」


 リーネは言葉を失う。さすがに衝撃を受けたようで、口元を手で覆いながら目を見開いていた。朱音は何も話さず、リーネも何を言っていいか分からない様子だ。ランプの灯りだけに照らされる暗い部屋が、静寂に包まれる。

 リーネは俯き、目を閉じる。そしてすぐに顔を上げると、両手で朱音の手を握った。


「私がそばにいる」

「へ……?」

「もうアカネにそんな辛い思いはさせないわ。私が守る。一人になんてさせないから」


 リーネは真っ直ぐに朱音を見つめる。その眼差しは力強く、強い意志を感じた。朱音の瞳から再び涙が溢れ、朱音はリーネを抱きしめた。リーネもそれに応える。

 しばらく抱き合った後、二人はベッドに横になった。朱音はリーネの腕に抱かれ、彼女の胸に顔をうずくめる。


「リーネさん……ありがとうございます……」


 朱音はリーネの温もりに安心感を覚えていた。彼女の体温を感じながら、朱音はふと疑問に思った。


「どうして、リーネさんはそんなに私に優しくしてくれるんですか?今日会ったばっかりで、それに、こんなよく分からない私のこと……」

「別に、人を助けるのなんて普通でしょ?」

「で、でも……。こんなに気にかけてくれて……」

「……あなたの事が気になるからかしらね」


 確かに別の世界から来た人間のことは気になるかもしれない。だが、だからと言ってこんなにも気遣えるものだろうか。そんなことを考えていると、今度はリーネが質問してくる。


「会ったばかりと言えば、あなたはよく私のこと信用できたわね。元の世界では、その……酷い人しかいなかったんでしょう?それなら私のことだって……」


 リーネの言いたいことは分かる。今まで関わった相手は自分に酷いことをしてきたり、助けてくれないような人物ばかりだった。出会ったばかりのリーネをすぐに信用するのは普通ではないだろう。しかし朱音はリーネを信じられる理由があった。


「学校の人達は皆、悪意に満ちていたんです。それが表情から滲み出てて……凄く気持ち悪くて。でも、リーネさんは違います。困っていた私を、純粋に助けたいと思ってくれてるのが分かりました」

「別にそんな……」

「本当です!リーネさんからは全く嫌な感じがしなくて、優しくて温かい笑顔で、すっごく綺麗だったんです!」


 朱音は真剣な眼差しでリーネを見つめる。リーネは頬を紅潮させて目を逸らしてしまった。


「そう……。まあ、悪い気はしないけれど」


 そう言って再び朱音に視線を戻し、小さく微笑むリーネ。朱音はそんなリーネの表情に魅了されていた。悪意も何もない、純粋で穏やかな表情。ただそれだけでも、朱音には眩しく見えた。


「そうだ、アカネ」

「なんですか?」

「その喋り方やめましょうよ」

「……へ?」


 自分の話し方が何か気に障ったのかと、不安になってしまう。しかし特にそういう訳ではなかった。


「もう一緒のパーティ組んだ仲間でしょ?そんなよそよそしい喋り方は禁止!」

「えっ……あ……」

「それと、私のことは呼び捨てでいいわ」

「え、えっと、わかり……わかった!」


 朱音がそう言うとリーネは満足そうに笑い、朱音の頭を撫でた。とても心地よく、このままずっとリーネに甘えていたいとすら思ってしまう。


「……リーネ」

「なあに?」

「よ、呼んでみただけ……」

「……ふふっ。もう、アカネったら」


 話し方や呼び方を変えるのは何だか気恥しかったが、リーネとの距離が縮んだような気がして嬉しくなる。


「私、リーネに出会えて良かった」

「う、嬉しいけど……。そうハッキリ言われるとちょっと恥ずかしいわ」


 これまで朱音は自分を虐げるような人間とばかり関わってきたため、仲の良い友人などはいなかった。そんな朱音にとって、リーネの存在は非常に大きなものになる。リーネと一緒のこの世界でなら、楽しくやっていける。そんな気がした。

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