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#8 「――頼む! 俺に弁当を作ってくれ!」

「ねぇ、今時間ある?」


 その日の夜、課題を前に唸っていると伊沼が俺の部屋を訪ねてきた。

 第一声からして、昨夜みたいに寝ぼけてはいないようで安心した。


「見ての通り、絶賛課題に頭を悩ませてるところだ」


「……無いなら無いってはっきり言いなさいよ」


「いや、全く進んでないからむしろ時間が有り余ってるともいえる」


 俺は白紙のノートを伊沼に見せ、肩を竦める。

 その様子に、伊沼は大きくため息を吐いた。


「それならちょうど良かったわ。聞きたいことがあるんだけど……」


「なんだ? 課題の解き方だったら俺に聞いても無駄だぞ」


「課題ならとっくに終わってるわよ。……本題に入ってもいいかしら」


 どうやら不毛なやり取りだと気付いたらしい。伊沼は不平を口にし、俺に鋭い視線を注いできた。


「あんた、昼はいつもパンなの?」


「そうだな」


 毎朝渡される五百円が俺の軍資金だ。

 少々心もとないようにも思えるが、学生価格の購買であれば腹を満たす買い物ができる。残念ながら、今日のように拓斗への奢りが発生した時だけは、腹の虫を満足させることができないのだが。


「男子高校生は食べ盛りだって聞いたけど、あんたはそうでもないのね」


「むっ、俺だって結構食べてるんだからな!」


 俺は意気揚々と昼のスタメンを語る。

 コロッケサンドに焼きそばパン、帽子パンに――


 そこまで言ったところで、伊沼は「もういいわ」と首を振った。


「よーく分かったわ。――あんたが不健康な食生活を送ってることが」


「…………」


 ぐうの音も出ずに俺は口を閉ざす。

 よく考えなくても、俺のスタメンは茶色まみれだったのだ。


「そこで一つ提案があるわ」


「断る」


「まだ何も言ってないでしょ!」


「一応、先手は打っておこうかなと……」


 だって、前に似た文脈で”契約”を迫られたわけだし。

 すると伊沼は、片頬に空気を溜めて不服を表明する。


「何よ、あんたのためにせっかく……」


「俺のため?」


 聞き逃せない言葉に、思わず食い気味に返事をしてしまう。


「……そうよ。あんたのためにお弁当を作ろうかと思ったの」


 むくれた顔のまま、伊沼はこちらを見つめてくる。

 昼食に女子に作ってもらった弁当を食べる。高校生男子なら誰もが夢見るシチュエーションだといえる。


 俺とて一人の男だ。その光景を何度夢に見たことか。だから伊沼の提案に対する返事に、一切の迷いはなかった。


「よろしくお願いします」


「……さっきは断るって言ってたけど?」


「それはきっと何かの聞き間違いだ。――頼む! 俺に弁当を作ってくれ!」


 さっきとは打って変わり、額を床につけ俺は懇願する。

 その姿は、伊沼にはさぞ滑稽に映っただろう。


 しかし、伊沼は俺を嘲笑うのではなく、値踏みするような声で一言だけ呟いた。


「ふーん……」


 彼女の真意が図れず、俺はつい顔を上げてしまう。

 そこで俺が見たのは、伊沼の嫣然とたたえられた微笑みだった。


 蠱惑的な曲線を描く、愉悦に浸るような目元。仄かに上気した頬は、白い肌を桃色に変えていた。


「私にお弁当、作ってほしいのね」


 ともすればハートが浮かんできそうな瞳は、目を合わせていると吸い込まれそうになる。

 これがサキュバスの権能なら、本気になった伊沼に俺は敵わないと悟った。


「た、頼めるか……?」


「任せなさい、とびっきりのお弁当を用意してあげるから」


 そう力強く言った伊沼は、「それと」と言葉を繋いだ。


「課題も私が教えてあげるから安心しなさい」


「本当か? でも――」


 失礼だとは分かっている。けれど伊沼はサキュバスだ、人間の勉強についていけているのだろうか。


「私の学力が心配? それなら杞憂よ。だって私、人間の高校に通うって決まってからすっごく勉強したんだから」


 自信満々な伊沼は、この日一番の笑顔で胸を張った。

お読みいただき、ありがとうがとうございます。

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