#61 「まずは報告から」
神楽先輩に背を向けてから、ひたすらに駆けた。目指す先はただ一つ、彼女の待つ家だった。
「はぁ……はぁっ……」
思えば今日は走ってばかりだ。夢の中でも現実でも、俺は走っていた。彼女の――伊沼のもとへ急ぐために。
出会いの記憶を取り戻したことで分かったことがある。それは俺もあの日、彼女に惹かれていたということだ。
最初に記憶を夢に見た時、俺の中では伊沼と出会って二日目といったところだ。そんなすぐに、家に押しかけてきた女に好意を抱くはずがない。あの夢は、封じようとしても封じられなかった恋心の叫びだったのだろう。
それが伊沼からの告白の呼び水となった。それから大胆になった彼女のアプローチは、俺の潜在意識に眠っていた恋を呼び覚ましていったのだ。そして今、俺は全ての思いを取り戻して帰路を駆けている。
繋がっていた。今日までの日々は、この時に向かって進んでいたとさえ思える。
「ただいま……!」
荒々しい帰宅に、母さんが動揺した面持ちで玄関に現れる。
「い、勇君……? またそんなに慌ててどうしたの?」
「伊沼は……伊沼の体調は?」
「それなら……」
母さんは言葉を切って、リビングに続く扉に目をやる。
すると、そこから伊沼が姿を見せた。いつもの白いネグリジェを纏う彼女は、顔の火照りもなく見える。むしろ、俺の方がよっぽど熱を帯びているようだ。ここまで走ってきたのに加えて、俺を突き動かす思いがあったからだ。
「伊沼……」
「おかえりなさい。……心配かけたみたいね」
ばつが悪いらしく、伊沼の視線はあちこちを彷徨っていた。
回復して良かった。心配した甲斐があったというものだ。
――なら、舞台は整った。
「伊沼、話があるんだ」
俺は意を決して、口火を切る。その気迫が伝播したのか、伊沼も緊張した声で応じる。
「え、ええ……」
「もしかして、お母さんお邪魔かしら?」
きょろきょろと交互に俺の顔を見て、母さんは空気の読めないことを言う。
この人、絶対分かって言ってるだろ……!
というツッコミを押し殺して、冷静にと自分に言い聞かせる。
「いや、いいよ。俺の部屋で話すから……」
「あらそう? それじゃあ楽しんでちょうだいね」
「は、はい……?」
伊沼、母さんはからかってるだけだ。そんな律儀に返事しなくていいってのに……。
生暖かい見送りを背に受け、俺は伊沼と部屋へと向かった。
「そ、それで……」
部屋に着いて早々、ソワソワした空気に包まれる。
伊沼も落ち着かなさそうに手を擦り合わせている。
……そういえば、こういう話題ってどうやって切り出すんだ? 俺、経験ないから分からないぞ……。
たしか、屋上で伊沼はこう言って――
「……良かった、来てくれて」
「え、来るも何も今はここが私の家なんだけど……」
「そ、そうだよな! ごめん間違えた、今のはなしだなし!」
俺は腕を振って直前の発言を撤回する。
「ちょっと色々空回っちゃって……」
「いいわよ。ちゃんと聞くから話して」
その物言いは、駄々をこねる子どもに対する母親を連想させる。
ああ、どうして俺は肝心なところで格好がつかないんだ。
でも、その悔しさが逆に火を点けた。俺は深く息を吸って、伊沼を見据えた。
「まずは報告から。俺、今日試験中に寝たんだ」
「……は? 何やってんのよ」
「それは、まぁ……夢の中で伊沼の様子が確認できたりしないかなーって思って……」
言い訳の代わりに出てきたのは、まごうことなき俺の本音だった。
「そ、そう……それは、ありがとう……」
ほら、伊沼も照れだして変な空気になっちゃったよ……。
けど、もう止まることはできない。俺は俺の思いを伝えるまで、この覚悟をぶれさせないと決めた。
「結局、伊沼の体調が回復したのは帰ってから知ったんだ。でも、その代わりに別の夢を見た」
「それって――」
「あの日の記憶だ。……俺、ようやく全部思い出せたんだ」
「嘘……」
伊沼は両手で口を覆う。その手元が僅かに震えている理由は、俺には計り知れなかった。
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