#60 「恋、ですね」
テストは無事に終わった。全教科を通して、勉強の成果が出たといってもいい。
神楽先輩が開いてくれた勉強会と伊沼の個別指導が効いた。二人には本当に世話になった。
達成感のようなものに浸っていると、拓斗が俺の席までやってきた。
「ほらほら、とっとと帰った方がいいんじゃないか?」
「そうだな。あぁでも、帰りになんか買うって――」
「それなら心配なしだ。ほれっ」
そう言って、拓斗は何やら四角い物体を俺に向かって投げてきた。
「っとと……これって……」
俺の手中に収まっていたのは、細長い紙パック。でかでかと”黒酢”と書かれたパッケージは、目にしても購入しない類のオーラを放っていた。
「さっき大急ぎで自販機で買ってきた。ちょっと調べてみたんだけどよ、黒酢ってすごい健康にいいらしいぜ!」
「そうか……ありがとう」
最終的に選んだ物は変わり種だったが、拓斗も伊沼を心配してくれているのは伝わった。だから、返すの言葉は感謝だけで良かった。
拓斗の善意に甘え、俺は支度を済ませて教室を出る。だが、はやる気持ちが足にも乗っていたらしい。不注意で廊下へ出てすぐ、通りがかった生徒と衝突してしまう。
そしてなぜか、吹き飛ばされたのは俺の方で、尻もちをついた。
「おわっ!」
「すみません、大丈夫ですか……って、遊佐君?」
「神楽先輩ですか……」
見上げた先で神楽先輩が不思議そうな顔を浮かべている。
どうして俺だけが転んでいるのか。おそらく、人間よりも吸血鬼の方が頑丈なのだろう。ただ、不幸なことに、周りから見れば女子生徒にぶつかった俺が勝手に吹っ飛んでいったという間抜けな構図に映る。
その証拠に、廊下にいた他の生徒は信じられないといった眼差しで俺を見ていた。
神楽先輩は、俺を立ち上がらせようと手を差し伸ばしてくれる。しかし、そこで手を取っては本格的に情けないと、自分で腰を上げる。
「あれ、伊沼さんはいないんですか?」
「熱を出したんで、今日は休みです」
「それはお気の毒に……」
その言葉通り、先輩は苦い顔を浮かべていた。
「先輩の方は、二年生の教室に用ですか?」
「遊佐君に用があったんです。ちょっとお時間いいですか?」
「時間……」
俺は答えを渋った。神楽先輩から受けた恩は大きい。けれど、今は一分一秒が惜しく思えた。
「……すみません」
頭を下げた。伝えるのはこれまでの感謝じゃない、謝罪だ。
頭上の神楽先輩の、息を呑む音が聞こえた気がした。
「……そうですか。思い出したんですね、全部……」
「はい」
顔を上げて神楽先輩の言葉を肯定する。眉を下げながらも笑おうとする神楽先輩を見るのは胸が痛んだ。それでも、面と向かわなければいけなかった。――俺が答えを出したから。
「全部思い出しました。伊沼との出会いも、過ごした時間も。俺、伊沼のことが心配なんです。あの日だけじゃなくて、今日も。伊沼のことが気になって、いつの間にか体が動いてるんです」
「……その感情を、なんて呼ぶか知ってますか?」
神楽先輩が尋ねる。俺に、優しい声音で。
俺の伊沼に対する感情、それを言い表す言葉は一つ。
「恋、ですね」
「分かってるならいいです」
神楽先輩は笑った。くしゃりと歪めたその表情が印象に残った。
「それなら行ってきてください。伝えるんでしょう? 伊沼さんに」
「ありがとうございます」
俺はもう一度頭を下げた。今度は感謝を伝えるために。
お読みいただき、ありがとうがとうございます。
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