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#5.5 「またお友だちになればいいでしょ」

今回はヒロイン視点です。

「それじゃあ、私は教室に戻るわね。あんたは起きたばっかなんだし、昼休みまでは大人しくしてなさい」


 私はそう言い残して、保健室を立ち去る。

 もうすぐ二限の授業が終わる。今戻れば、三限の授業には間に合いそうだ。


 平静を装おうとしても、私の足元は忙しくなくリズムを奏でる。その音は、まるで鼓動と同じみたいだった。


 まさか彼が――勇が、あの時のことを夢に見るなんて。


『……変わった夢を見たのね』


 さっきはそうやって誤魔化したけど、あれは夢なんかじゃない。彼自身が経験した、記憶だった。

 私と彼が出会った最初の日。放課後の教室で対面するよりも、ちょっと前の出来事。もう彼は覚えていないはずの、私の初恋。


 あれは去年の秋のことだった。サキュバスとして劣等生の私は、ついに人間の世界への修行を命じられた。

 修行といっても、元の世界に戻れる保証がない事実上の追放だ。手続き(という名の教職員への催眠)をするため、私とママは一度この学校を訪れていた。


 大人たちが私の転入を認めるまでは、ものの数分だった。だってママは、とても優秀なサキュバスなのだから。

 私は期待されていた。そんなママの一人娘だったから。でも、何もできなかった。だから私はここに通うことになる。ママとの格差に落胆し、私は思わず逃げ出してしまった。

 話をしていた職員室を飛び出して、私はがむしゃらに走った。息が上がった頃になって、私は中庭に足を踏み入れた。


 広い空間と自分の小ささに眩暈がして、私は目を閉じて隅でうずくまることしかできなかった。


「っく……ひっく……」


 気付けば涙が勝手に頬を伝っていた。止まることなく溢れる感情は、私一人では抑えることができない。


「どうしたんだ?」


 ふと、声が頭上から降ってきた。


「泣いてるんだよな……?」


 優しい、落ち着く声。疲弊していた私にとって、その声はどんな魅了魔法よりも甘美なものに思えた。


「っご、ごめんなさい……私……」


「こっちこそごめん。声、かけられたくなかったか?」


「ち、違います……! その、嬉しかったですから!」


「……それなら良かった」


 困ったように頬を掻く彼の姿は、今でもはっきり覚えている。

 雑に整えた黒髪、やる気のなさそうな目元、私より少し高い背丈。彼は私に、遊佐勇と名乗った。


「その制服、うちのじゃないと思うけど……もしかして転校生とか?」


「そんなところです……」


「あー……なんかごめんな。これじゃあ、最悪の形で顔見知りできちゃったよな……」


 彼は気まずそうに視線を逸らし、「俺が黙ってればいいだけだよな」とか「同じクラスになるとは限らないし」と一通り自問自答した後、私の方を向いた。


「そういえば、何年生? 俺、先輩に失礼とかしてないですよね……」


 今さらな敬語だし、肝心の質問はタメ口のままだった。そのちぐはぐな態度がおかしくて、私はふっと笑みを零す。


「一年生ですよ。遊佐君と同じね」


 彼の首元に光る学年章が、一年生であることを表していた。

 新学期、もしかしたら彼と同じクラスになれるかもしれない。この時私は、初めて学校に通うことを楽しみに思った。


「タメなんだったらさ、遊佐君じゃなくて勇って呼んでくれないか? 名字だと、なんか距離感じてムズムズするんだ」


「分かりました」


「それと! 丁寧な口調もなしで。……お嬢様なんだったら、無理にとは言わないけど」


「ふふっ、おかしなこと言うのね。私がそんな高貴な存在に見える?」


 この問いはちょっと意地が悪かった。自虐的な意図は、彼にも筒抜けだろう。そんなことないと慰めてほしい、私は浅ましい欲に突き動かされてしまったのだ。


「俺には見えるけどな」


「そ、そう……?」


「振る舞いとか本物って感じするし、雰囲気とかも上品な気がする」


「本物って感じって……ふふっ、他に言い方なかったの?」


「でも伝わるだろ? なんかこう、『こいつデキる!』みたいな感じでさ」


「そうね、伝わってるわ」


 人間と話すのは、これが初めてだった。魔法にあてられ人形みたいになった人間と違って、彼は生き生きしていると感じた。

 話している自分も元気をもらえるような、不思議な感覚がしていたのだ。


「ここで会ったのも何かの縁だ。学校、案内するよ」


「授業はいいの?」


「サボれば問題ないさ。幸い、ノートなら任せてあるしな」


 それから、頼もしいサボり宣言をした彼と一緒に校内を見て回った。今振り返っても、最高に楽しかった思い出の一つだ。


 最後の最後にはママに見つかって、彼の記憶は消されてしまった。転入するまで生徒とは関わるな、という言いつけを私が破ったからだ。


「またお友だちになればいいでしょ」


 ママはそう言っていたけど、この出会いなしに彼と距離を縮められる自信がなかった。それに、私はもう友だちじゃ満足できそうになかった。


 だから四月になって、運命だと思った。

 彼と同じクラス、彼の隣の席。初対面の反応をする彼に心が痛くなった。でも、彼にアピールすることを考えると胸が弾んだ。


 浮き足立って体操服を嗅いでいるところを見られたのは予想外だったけど、結果的に彼との共同生活にこぎつけることができたのは大きな収穫だった。

 サキュバスとしてのテクニックを身につけて、この先たくさん誘惑してやるんだから!

お読みいただき、ありがとうがとうございます。

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